第二部 谷原博信編 71~119話(81K)

入力に使用した資料
底本の書名    全国昔話資料集成 32 東讃岐昔話集 香川
 底本の編集者名 武田 明 谷原博信

    責任編集 臼田甚五郎
         関 敬吾
         野村純一
         三谷栄一
    装幀   安野光雅

  底本の発行者  岩崎徹太
 底本の発行日  1979年10月5日
入力者名     松本濱一
校正者名     平松伝造
入力に関する注記
 文字コードにない文字は『大漢和辞典』(諸橋轍次著 大修館書店刊)の文字番号を付した。

登録日   2003年3月20日
      


第二部 谷原博信編


―124―

七一 食わず女房
 むかし、男衆(ルビ し)の倹約な人があっての。なんちゃ(なんにも)食べんけっこな(美しい)嫁さんがもらいたいと言うてたずねていたそうな。そうしたところ、そういうお嫁さんがあるという
ことで、その男はその女の人を嫁さんにもろうたんやと。
 すると、そのお嫁さんはご飯も食べずにの、いつもけっこに(きれいに)していた。男はこの嫁さんがご飯も食べずに太っているので不思議に思うた。そこで男はこの女の正体を見とどけてやれと
思うて、
「町へ行くけに、弁当を作ってくれ」と言うと、嫁さんは弁当をこしらえてくれた。そこで、男は外へ出て行くようなかっこうをして家の二階へあがって煙出しから見よったんや。
 そうしてしたら、嫁さんの方では、自分の夫を外に出したので、もういいだろうわいと思うて、大きな平口(ルビ ひらくち)の鍋(平鍋)にご飯をようけ(沢山)炊いてな。そのご飯が出来ると、お
箸で頭の髪をけっこうに結うとるのをもどいてしもうてな、頭の中にある大きな口の中へしゃもじでかいこんで食べるんやと。
 聟はんはそれを見て、こりゃただ人でないと思うた。嫁はご飯を全部食べてしまうと、また髪の

―125―

毛をもとどおりに結うておるんやと。その男が晩にもどって見るとの。そして嫁さんは、聟さんが帰るとすまして、
「お帰りなさい」と言うので、聟さんは、
「お前、ご飯を食べん食べん言うても、沢山食べよるでないか」と言うたら、嫁さんは、
「おたし(私)の姿見たんやな」と言うて、それから聟さんに「そんならこれに乗れ」と言うてな、
大きな盥(ルビ たらい)に乗せてな。その盥を頭の上にのせて山の方へ連れて行ったそうな。その嫁さんは山姥であったんや。その山姥が自分の家へ帰って行ったすきに、男はそばにあった松の木
に登ってな。山姥はうまいご馳走をとって帰ったので子供たちに、
「さかなとってもどったけに食べさすぞ。こいさら(今夜)おいしいのを食べさすぞ」と言うと、子供たちが出て来て、
「そんだら、どこに置いとるん」と言うたそうな。すると山姥のお母さんは、
「あっちい、置いてあるからてえて(連れて)とってもどるわ」と言うて盥の所へ行って見ると男はおらんの。男はじっと松の木の上で様子を見よったん。すると、山姥は、
「あしたの晩にはまちがいなく取ってもどる。どうでも、自分は蜘蛛(ルビ くも)に化けて取ってもどってやるけに。その時は食べさすからこいさらこらえ」と子供たちに言い聞かせていた。
 男はそれを聞いて驚き、急いでもどって来た。そして近所の旦那(ルビ だんな)はんの所へ行っての、

―126―

「こうこういうわけじゃ」と言うと、
「ほうか、そんならおまえは家に帰って、大きな平口に水をいっぱいわかしておけ。そいで、箒と火箸とを持って来とけ。それで、天井からその蜘蛛(ルビ くも)がおりて来たら、その箒と火箸と
で、その平口の中になぜ込め」と言うたので、その男は旦那の言うとおりにして待っておってしたら、蜘蛛の大きなのがやって来た。男は急いで、火箸ではさみ込んでわいている湯の中に入れたと
言う。こうして、その山姥を退治した。
 だから、欲ぼる(欲ばる)もんではない。それから、夜さ、蜘蛛が来たら、「おとつい来い。おとつい来い」と言うて箒ではき出すもんだという。        (高松市御厩町 香西コスエ)

七二 果てを見る話
 まえに、烏の大きなのがおっての、羽が一里四方もあった。それで、
「おれより大きなものはない」と言って、いつも自慢していた。そこで、
「おれは果てを見に行く」と言うて、バサバサとその大きな羽をひろげて飛んで行きよったんや。
そいでしたら、松の木が五、六本あったので、その烏は、その松の木にとまって休んでいた。すると、

―127―

「おい、おい」と呼ぶけに、なんぞと思うてあたりを見わたしたけれども何も見えない。すると、また、
「おい、おまえ、おれのひげにとまってどこへ行きよんや」と言う声がする。よく見るとそれは海老(ルビ えび)であった。それで、烏は自分がその海老のひげにとまっていたことに気がついた。
烏はそこで答えて言うには、
「果てを見に行きよるんじゃ」
「おまえ、果てを見に行くとて。おまえのような、おれのひげにとまるようなやつが、果てを見に行けるもんか」言うて、その海老は、
「おれが見て来てやる。おまえは、わしのどこへでもとまっとれ」と言うて出かけた。どんどん行っているうちに大きなせご(浅瀬)があったから、海老はそこにとまってひと休みすることにした。
そしたら、
「おいおい、おまえどこへ行きよんや」言う声がする。そこで海老は、
「おれは、烏のやつがおれのひげにとまって果てを見に行っきょったから『おまえやで行くか。おれが見に連れて行てやる』言うて出かけているんやが」と言うと、
「おまえのようなやつがいっかいや(いるものか)。おれが見に行ってやる」と言うて、さらに、
「ほんだら(それなら)横へよけ。おれの鼻ばしらにとまっとんじゃが」と言うので、海老はあたり

―128―

をよく見ると大きな亀であった。そこで、その亀の言うとおり横の方へよけようと見ると、穴んぽつがある。その穴の中にはまっとってしたら、それは亀の鼻の穴であったそうな。亀のほうでは自
分の鼻の穴に入られたので、鼻がむずがゆくなって、「ふん」とくしゃみをした。中にいた海老が果てへ吹きつけられてしまった。吹きつけられたひょうしに海老はひどく腰を打って、それから海
老の腰が今にかごんどる(曲っている)んじゃという。             (香西コスエ)

七三 はなしの話
 むかし、東京で博覧会があった。それを見に行った。そうしたところ、四国の阿波の国の人と、
大津の人と駿河の国の人と三人が宿屋で一緒になって泊ったん。そしたら、そのうちの一人が、
「おいおい、おまえ、おまえはどこいや」
「おれは駿河の国の富士山のふもとじゃ」
それで、もう一人は、
「四国の阿波の国じゃ」
 もう一人の人は大津の国の人であった。こうして、三人の者が集まってお互いに話をすることになった。

―129―

「ところで、何ぞ珍しい話はないんか」と言うて、その博覧会に来とる大津の人に、
「大津には何ぞ珍しいものはないんか」言ったら、その大津の人は、
「大津には別に珍しいものはないけど、一匹こっとい牛(牡牛)がおる」
「それはどれぐらいあるんや」言うたら、
「大津の湖(琵琶湖)の水をのどがかわいた時には一口に飲んでしまうんじゃ」と言った。そうした
ところが次に、
「駿河の国には何ぞ珍しいものはないんか」とたずねるので、
「なすびの木が富士山の山の上にあるんじゃ。それに実がよけ(沢山)なるのを下からちぎる男があるんじゃ」
「それは珍しいの」
「四国には何ぞ珍しいものはないんか」
「四国には、しかし珍しいものはないが、四国にあるんは高黍(ルビ たかきび)が一本ある」
「高黍言うんはどんなんや」言うたら、
「さあ、わしが来る時分に引き倒しにかかっていたが、まだ倒したかどうか」と言った。そうしたところが、
「そんな大きなの何にせるんや」

―130―

「太鼓のがわにしようかと思う」と言った。
「それなら、その皮には何を張るんや」と言ったところ、
「皮は大津の大きいこっとい牛(「こっとい牛」に傍点)がおるんだったら、その牛を買うて来て、その皮を張る」と言う。
「そなな大きなん張って叩くのはだれが叩くんや」言ったら、
「その富士山の上になっとるなすびをちぎる男に叩かそうと思う」と言った。そうしたところが、
皆は嘘ばかり言っているので、これは困ったことになったものだと思って、お互いに顔を見あわせ
たところ、四国の人間がやっぱりりこうで、
「おまえたち、そういや歯がないではないか。駿河の国の人も歯がないではないか。大津の国の人も歯がないではないか」と言った。
「おまえも歯がないではないか。歯がないもの同士ではないか」
「ほんのこれおはなし(「はなし」に傍点)でないか」と言った。         (香西コスエ)

七四 むかでの話
 昔、俵藤太という弓の名人がいたそうな。ある時、七まき半もの大むかでがいて、そのむかでが子供が生まれるようになった女の人を刺して殺した。そのむかでは俵藤太が弓で殺した。女の人は

―131―

死んだが子供は生まれた。その子が岩の上にいると、そこへくちなご(蛇)が来て飲んだ。そのくちなごが小さい子供になっておったそうな。
 その子供は、龍宮の世界から来た蛇の子供であった。その子供に猟師の嫁さんが朝々乳を飲ましていた。そして、百日くらい飲ましたところ、その子供がいなくなってしまった。いなくなってあ
きらめていると、猟師の家へ大きな蛇に化けて出て来たそうな。
「おれがこんまい(小さい)時分に乳を飲ましてくれたんじゃけに、お米一俵あげる。この俵はいくら食べても減らないから。ただ俵の底だけは叩かないようにしてくれ」と言ってくれた。そうして
俵を一俵もらって抜いて食べたそうな。何年たっても、いくらでもお米が出る。そこで、しまいにあんまりなんぼでも米が出るので、俵をふるうて底を叩いたところ米が出ないようになったそう
な。だから今でも俵の底を叩くなという。                  (香西コスエ)

七五 蛇聟入り
 昔、おんばが子供を育てよった。そのいとさん(お嬢さん)が三歳くらいの時に小便(ルビ しょうよ)をさしよったんやそうな。 そうしたところ、小さいくちなご(蛇)がそこへ出て来て、邪魔に
なって、どこへさそうにもさすところがない。そこでそのおんばが、

―132―

「蛇よ、おまえそなにしたら、子供の小便(ルビ しょうよ)がさせんが。このいとさんが十五になったら嫁さんにやるけにはいそこをのけよ」と言った。すると蛇はすぐにそこをのいたそうな。そ
こで子供の小便をさせた。
 そして時がたった。娘は十五歳になった。ところが娘のおなかがだんだん大きになってきた。そこでおんばが、いとさんにそのわけをたずねても何も答えようとしない。おんばはかつて娘を蛇の
嫁にやると約束したことを忘れてしまっていた。おんばは困りはてて、
「しゃあけど、相手の男にそわなんだら、おばがおれんようになるけに。おばが死なないかんけに嬢ちゃん言うてくれえ」言うた。そうしたところ、
「婆よ、うちが三つの年にくちなご(「くちなご」に傍点)に嫁にやる言うたやろが」
「さあ、そう言や、そなんことがあったの」
「それが来よるんや」と言った。
「いとさん、いつ来るんな」言うてしたら、
「こいさら(今夜)くるけに。婆よ、夜さ来る」言うた。そこで婆はじっとその夜待っていると、大きな家だったが、門があき、涼しい風が吹き、だんだん奥へ来るんじゃそうな。きれいな男に化け
て。その夜さは見とどけせないかんけに、お婆さんは黙って見とどけるだけしたそうな。するといとさんが、

―133―

「婆よ、来ただろうが」
「来た」
 その夜は婆は娘と一緒に寝てはいなかった。そこで、婆はそれならというので、
「今度はいつ来るんや」と娘にたずねた。娘は、
「今度はいついつじゃ」と言ったので、婆はそれをだれにも言わずに内緒にしておった。そして家にいる男に縄をなわすことにした。「縄をなえ」と言ってようけ(沢山)なわすことにした。家の者
はどうしてこんなに沢山の縄をなわすのかと思っていたが、婆は黙って何も言わなかった。
 今度、 その男が来る夜のこと、 お婆はんはうまんがのこ(馬鍬の鉤)に縄を結いつけて待っていた。それから、来とる男の額(ルビ ひたい)ぐちへそのうまんがのこをぶち込んだ。すると男は戸
を開けて往(ルビ い)に往にした。その縄をだんだん引っぱって行くので、それだけ伸ばしてやった。
 そしてその翌日、お婆がその縄をつとうて行ったんやそうな。すると山の奥で大きなんが死んどるんやそうな。うまんがのこを額にうち込んでいるもんだからの。その男は蛇が化けていたんじゃ
ったそうな。
 それから娘に、五月の節供に菖蒲で鉢巻をさして、菖蒲で新麦を煎ってはねさしたんやそうな。
そうしたところくちなごの卵が沢山おりたんやそうな。
 五月の菖蒲で鉢巻をするのはそのいわれだという。             (香西コスエ)

―134―

七六 猿蟹合戦
 昔あるところに猿と蟹とがいた。猿に柿の種、蟹にむすびをやった。猿は柿の実がなるのが待ちきれず、早くむすびが食いたいと思って蟹に、
「かえてくれ。これは実がなったら長いことなるけに」
「そんなら」と言うことで蟹はかえた。猿はむすびを食うてしもうた。蟹は、それからその柿の種をとって帰り植えた。その時、
「生えな摘(ルビ ち)み切ろうか。生えな摘み切ろうか」と言うと柿の芽が生えた。それから、
「大っきょにならな摘み切ろか。大っきょにならな摘み切ろか」言うと、その芽が大きくなって木になった。そして沢山の実がなった。
 そこへ猿が来て、猿は木に登った。蟹は木によう登らないので、木の下でまいまい(ぐるぐるまわるさま)していた。すると猿が、
「おまえどうしよんや」
「柿がうれとんちぎろうと思うんやけど、ようちぎらんのや」
「おまえではちぎれんわ。おれがちぎってやる」と言って、猿は木の上に登って自分だけがちぎっ

―135―

て食べていた。蟹は欲しくて、
「おれにも一つくれいや」言うてしたら、
「おまえも欲しいんか」言うて、わざと青いのをちぎってほうてやった。すると五体にあたって蟹が気絶して死んだ。
 そうしたところ、そこにその蟹の子供がいてそれを見ていた。その子供が大きくなって、親の敵(ルビ かたき)討ちに行かないかんと言うんで、猿の所へ行っていた。その途中で、立臼(ルビ 
たつうす)や馬糞(ルビ うまんくそ)やどんぐりが出て来て、みんなが、
「おれも敵討ってやる。そんな悪いやつなら」と言って、みんなで出かけた。猿の家へ行くと留守であった。しばらく火鉢にあたって待っていた。すると猿は山から帰って来た。
「寒(ルビ さぶ)い、寒い」言うてもどって来た。急いで火を焚いたところ、どんぐりは火鉢の中に入っていたので、火を焚くとパンと開いて猿はやけばた(やけど)をした。それからやけばたをし
たので、猿は水がめの所へ行った。そしたら、そこに蟹がおって、蟹にはさまれた。これはいかんと言って庭の口に出ようとした。するとうまんくそ(「うまんくそ」に傍点)があって、それを踏んで
すべって転んだ。そしたら上から立臼が落ちかかって猿は死んだ。それでおしまい。
                                     (香西コスエ)

―136―

七七 宝手拭
 昔、ある家に下女をおいとったそうな。下女はきたなげな顔であったんや。それでそこの奥さんはきれいであった。それがある時お遍路(ルビ へんど)さんが来て、
「何ぞ食べるもんくれ」言うてしたら奥さんは、
「あんな乞食(ルビ ほいた)にゃ(なんかに)、やるもんないわ」言うて追い返そうとしたところ、下女が出て来て、「奥さん、ほんなら(それなら)わたしが食べるのを一ぱいひかえるけに一膳くれ
え」と言ったところ、その奥さんが、
「おまえがひかえるならやれ」と言ってご飯をくれた。それで下女がそれをおへんどさんにあげたところ、おへんどさんが喜んでの。
「そんならこの手拭をやるけに、これでおまえ、朝々顔を拭け」と言うて手拭をくれた。それで下女は言われたとおりに毎朝その手拭で顔を拭いていたら、だんだん下女の顔がきれいになったんや
と。そしたら、奥さんが言うことには、
「おまえ、どうしてそんなに顔がきれいになったんや」言うたところ、
「こないだ(この間)、ご飯をあげてしたらあのおへんどさんが喜んでこの手拭をくれて、これで拭

―137―

け。そしたらきれいになるけにと言うたけに拭いたらこうなったんや」と言った。
「おうそうか、そんならそれを貸せよ」と奥さんが言うた。そしたら、
「奥さんのようなきれえなんが拭いても同じだから貸さん」と言うたけど、奥さんは、
「うちのごぜん(ご飯)あげてもろうたんやから、それおたし(私)にくれ」
「ええ、そら奥さんあげます」と言うての、欲がないからその手拭を奥さんにあげてしもうたんやと。そして、奥さんが拭きかけてしたら、拭くばずつ(拭くほどに)きたなげになっての、変ってし
もうたんやと。奥さんがそんなにきたのうになっても、やっぱりあげた女中はきれいであったそうや。そして女中にはひまを出したが、奥さんはけっこうにならなんだ。奥さんは、そのおへんどさ
んがまわりよる後を追って、ことわりしようと思って行ったが、とうとう逢えなんだという話。
                                     (香西コスエ)

七八 花咲爺
昔、お爺さんが山で、西屋、東屋で住んでおった。それも欲深爺さんと、そうやない爺さんが犬を飼うておった。その犬は、ある時困っていたのを助けてやって飼うておったそうや。そうしたら、
犬がお爺さんの恩おくり(恩返し)にその山へ連れて行った。そうしたらその犬が、

―138―

「ここ掘れ、ここ掘れ」言うて鳴いた。そこでお爺さんはそこを掘った。すると大判小判がようけ(沢山)出て来た。こうして、ええ爺さんは限者(ルビ げんしゃ)(金持ち)になった。すると隣の欲
の深い爺さんがええ爺さんところへ、
「犬を貸してくれ」と言って来た。爺さんは犬を借りて山へ連れて行ったが、何んぼにも「ここ掘れ、ここ掘れ」と言わなかった。そこで爺さんは叩いた。すると、
「ここ掘れ、ここ掘れ」と言って鳴いた。 お爺さんはそこを掘ったところ瓦の割れたのや、牛ん糞(ルビ くそ)ばっかり出てきた。欲深爺さんは怒って、
「こと殺せ」と言って、その犬を殺して土に掘り込めてしもうた。そうしたところ、ええ爺さんが犬をもらいに来た。そうすると、
「もうあなな犬やこしや、殺してしもうて掘り込めたわ」とその欲深爺さんが言った。そうしたところその犬を掘り込めた所から大きな木が生えてきた。その大きな木をお爺さんが伐ってもどり、
臼を作った。そして、それで餅を搗いたところ、宝もんやら何やかやが出た。そしたらまた東屋の
お爺はんが、
「臼を貸してくれ」と言うて借りに来た。貸してやると爺さんはさっそく餅を搗いた。すると宝物でないほかのものがいっぱい出て、なんぼうにも宝が出ないので怒って、今度はその臼を割って焚
いてしもうた。焚いてしもうたところへ貸した爺さんが臼をもらいに来た。すると東屋の爺さんは、

―139―

「臼は焚いてしもうた」と言うた。すると、隣の爺さんは、
「そんならその灰でもくれ」と言って、その灰をもろうて往(ルビ い)んだ。そしてそのお爺さんが「花咲爺」と言っていると、そこへ殿さんが通りかかった。殿さんが、
「それなら花咲かして見い」と言うた。そこで爺さんは花を咲かしたところきれいな花がいっぱい咲いた。殿さんはそれを見て沢山の褒美を与えた。
 そうしたところがまた隣の欲なおじはんが残っとる灰を取りに来た。そして、
「花咲じじい。花咲じじい」と言っていたが、何んぼ待っても殿さんが来ない。そうしているうちにやっと殿さんが来たので灰をまいた。すると殿さんの目に灰が入った。それで、その爺さんは殿
さんに落ち首にせられたとか言った。                    (香西コスエ)

七九 舌切り雀
 お婆さんは川へ洗濯に行って、お爺さんは柴刈りに行った。お婆さんは洗濯からもどって糊しようと思うて糊をたいたところ、舌切り雀がそれをねぶって(なめて)しもうたと。そしたらお婆さん
が怒っての。舌切って飛ばしたん。そうしているところへお爺さんがもどって来た。
「舌切り雀、どうしたん」

―140―

「舌切り雀は飛ばしてしもうたんや」
「そらいかん」言うておじはんがすぐに尋(ルビ たん)ねて山奥へ行った。すると舌切り雀が布を織りよっての。それでお爺さんが言うことには、
「往(ルビ い)なんか」言うてしたら、
「お婆さんが舌切って飛ばすけに、舌切られたら痛いけにもう往なん」言うたそうな。お爺さんは
それでも、
「そなん言わんと往んでくれえ」と言うたが、どなん言うてももどらない。そこで、
「ほんだら(それなら)おまえがもう往なな、お爺さんもう往ぬわ」と言った。すると雀は、
「そしたらお爺さん、せっかく来とるけに」 と言ってご馳走をしてくれた。お爺さんはご馳走になって、もう往ぬからと言うと、
「そんだら、お爺さん葛(ルビ すずら)おみやげにあげるわ」と雀が言うた。お爺さんは欲がない
から、
「もうええわ。重いからいらんわ」と言ってことわったそうな。すると、
「そんならお爺さん、大きなんあげようか、こんまい(小さい)んあげようか」と言うた。するとお爺さんは、
「そんだら、おれはこんまいんをもろうて往ぬ。もらいずくなら(どうせもらうなら)こんまいんがええ。重いけにの」と言うてもろうたそうな。すると雀が、

―141―

「お爺さん、途中で葛を開けてはいかん。町の真ん中で開けまい。開けるんだったら」言うた。そして、その小さい葛をかついでもどっていた。お爺さんは町の真ん中へ帰って来て、その葛を開け
た。すると中から大判小判が出て来た。お爺さんは喜んで家に帰りお婆さんに言うた。するとお婆さんは、
「そなな、おじはん、大きなんくれるんやったら、大けなもんもろうてもどったらええのに。こんまいんやこしやもろうてもどって。おたし(私)やこしや、大けなんもらいに行く」と言うて、お婆
さんはめんめ(自分)が舌を切って飛ばしとるけれど、その雀をたずねて行った。
「舌切り雀どこへ行った」と言うて山の中へ山の中へと行った。すると前と同じように雀は布を織っていた。お婆さんを見つけると、
「お婆さん、よう来てくれた」言うてもてなしてくれた。お婆さんはすぐに、
「もう往(ルビ い)ぬ」言うての。お婆はんは雀に大きな葛(ルビ つづら)をもらいに行くのが目あてだったからの。すると雀は葛を出して来て、
「これ、大けなんでもこんまいんでもどっちでも」と言ってくれるので、お婆さんは、
「もう、えらいけど大けなんもろうて往ぬ」言うて、お婆はんが襷(ルビ たすき)がけにして大けな葛をこじょうて(背負って)の帰ったそうな。そしたら雀がお婆さんに、
「おばは♀Jけるんなら川の端(ルビ はた)で開けまいよ」言うた。それで、おばはんは川の端まで来て、そ

―142―

れを開けてみると中から、大きな鼠みとり(大きな蛇の一種)やら、おんびき(蛙)やら何やかやが出て来て、おばはんのまれてしもうたとかいう。                (香西コスエ)

八〇 あずかり子
 所は知らないけれど、まあ、大工さんがあっての。その奥さんには子供がなかった。そこで奥さんがお地蔵さんに子供をくれるようにと一週間のお願いをこめていたそうな。
 そうした一週間目のある日、その大工さんが大工仕事に行ってもどっていると、その途中お地蔵さんの門の所を通りかかると、大きな雨が降って来た。そこでその大工はお堂の中へ入って雨やど
りをしておった。 するとねぶとうなってねぶってしまったんやと。 そうしたところが、夢うつつに、お堂の戸が開いて、他のお地蔵さんが、
「ごめんなはんせ」言うて来て、「おたし(私)はどこそこのお地蔵さんだけど、ある大工の家に子供をもらいに来よるので、それも今晩で一週間目になる。しゃあけに(だから)私ちょっとこま四年
間その子供になって行くけに、四年目の何月何日には帰ってくるけに留守を頼む」と言って、そこの地蔵さんに留守を頼みにやって来た。そうしたところそこのお地蔵さんは、
「そいじゃ、よっしゃ済度(ルビ さいど)してもどれ」と言ってその留守を引き受けてくれた。その子供に生まれ

―143―

変わるというお地蔵さんは、
「わたしは九(ルビ ここ)の月の間その大工の奥さんの腹の中のうちを借っておって男の子になって生まれてゆくけに。それから四年たった、晩の日が暮れの何時何分頃にその子供は水に溺れて死
んでもどるけに、それまで留守して待っとってくれ」と言っていた。その大工はひょっと目がさめたところが、晴天でなにも雨の気色(ルビ けしき)がないんやと。それからその大工さんはこりゃ
不思議なと思うていた。その聟はんもかたい(「かたい」に傍点)人で、そのことを誰にも言わずにおったそうな。
 そしたら、その子供ができる日になった。その聟はんは晴れたあかい日であったが、何んぼにも仕事に行かんのやと。すると嫁さんが、
「どうして仕事に行かんのや。こんなにあかい日の照るのに」と言うと、聟はんは、
「今日はもう行きとうないけに行かん」と言って、仕事に行かなんだそうな。すると、夢の中で言うとおりに子供がでけたんやと。そうしたら、男の子のけっこうな(美しい)子ができた。聟はんは
「ああこれはお地蔵さんが済度に来とるんや」と思うて、聟はんはそういう子だから大事にして育てていた。
 そうして四年たった何月何日の日が来た。ちょうどその子供が水に溺れて死ぬ日であったので、
また聟はんは、
「今日は仕事に行かん」言うておると、嫁さんが、

―144―

「今日あたりのような日(今日のような良い日)に仕事に行かないかん」と言うても、どんなに言うても、聟はんは仕事に行かんのやと。それで聟はんはその子供にかかっておった。その晩の四時に
水に溺れて死ぬことになっていたので、そうなってはいけないと思って、その子に付ききっておった。
 もうやがて四時が来る。そこでその聟はんは、その子を連れて、
「仏さんに参らんか」と言った。そしてその子供と一緒にオショシン経とゴブンショサンをあげていた。奥さんは台所でしょたい(炊事)をしていた。そして、仏さんに参ってお勤めがすむ際に四時
が来た。すると子供が聟はんの所から離れた。そこで、
「子があっちい走っていたけに、すぐ見よれよ」言うて聟はんが嫁さんに言うた。すると嫁さんが、
「こっちいこんのに」言うた。そこで聟はんはお勤めがすんですぐに行ったところ、仏間から台所へ行く途中にのれんがかかってある。それに「水」と言う文字を書いてあった。そののれんにその
子供は五体をもくうて(からみつけて)の。そこで死んどった言うての。それで聟はんは嫁さんに、「おまえがお願いをかけとったお地蔵さんが済度に来てくれとったんじゃ」と言うた。
 だから、人間が生まれて死ぬのは初めからきまりきっとるという話。     (香西コスエ)

―145―

八一 虻にかんな
 ある時、子供を易者に見てもらった。すると「虻(ルビ あぶ)にかんな(鉋)」と言った出た。そこでその子供を十五歳まで大きく育てていた。その子供の親は大工であった。その親は子供が十五
になったので、子供に大工仕事を教えようとした。
 昔は十五歳になると一人前働いていた。そこで教えていると虻が子供の足にとまった。子供はかんなで木を削っていた。そこでそのかんなでその虻をちょっと叩いた。すると、それが傷になって
その子供は死んだという。                         (香西コスエ)

八二 大年の客
 むかし鬼無村におおふるや(「おおふるや」に傍点)という家があった。おおつごもりの晩にお遍路(ルビ へんど)さんが来て、
「宿くれい」と言うた。もうそれこそなりきたなげなおへんどさんやったと。そのおへんどさんはぐあいが悪く(病気)、行く所はなく、可哀想に思ってそこの主人は、
「そんだらうちの長屋の東手にトモビヤ(供部屋)というのがある。そしたらもうそこにでも泊まら

―146―

してやれ」と言うてそこに泊まらした。そしてそのおへんどさんにご飯や他の食べる物を持って行ってやった。そしてその晩は過ぎて元日の朝になった。主人は、
「はい、朝になったお祝い(雑煮)でも炊いて持って行け」と言うので、そのトモビヤの所へ行って見るとそのおへんどさんははや死んどるんやと。それで、
「さあ、おへんどさんが死んどるが。この正月の一日から葬礼(ルビ そうれん)も出せず、掘り込め(埋葬)に行けんが。まあどうせりゃあ」と言って思案していたが、
「まあ、置いとかなしょうがないが」と言って一日はそのままにしておった。それから正月二日に朝早よう起きて掘り込めに行たんやと。
 それからしばらくたった。そこのお爺はんもお婆はんもそのおへんどさんが見とうて見とうておれなかった。お爺はんはそこでお婆はんに、
「まあ、こないだ死んだおへんどはんをの、いっぺん見てやったらええが」と言うた。するとおばはんも、
「おたし(私)もよう言わなんだや。五体が腐ってしもうとるやろうのにの。いっぺん見てやったらよいのにの」と言うた。そこで、
「それならいっぺん掘り出して見るか」と言うことで、夜さ出かけて行て掘り出したんやと。そしたら死に人(ルビ びと)はなしで大判小判がいっぱいつまっとったそうな。そこで「これは福の神
や」と言うの

―147―

で、そこの家は限者(ルビ げんしゃ)になったんやそうな。それが大ふるやの話。
                                     (香西コスエ)
  このおおふるやの家ではおへんどさんを泊らせてから家に蚊がいなくなったとも伝えられている。

八三 二人扶持の男
 1
 昔、そのおおふるやに男を置いてあった。その男はちょっと人のええ男であった。その男は二人扶持(ルビ ぶち)であった。何でも二人扶持であった。そうしたところある時主人が言うたことに
は、
「そんだらおまえは二人扶持だから、仕事も二人前せえよ」と言った。普通なら仕事を二人前するのだが、主人はちょっと困らせてやれと思うて、
「山へ行って草をいっぱい刈って来い。それから町へ行って肥を取って来い」と言うたところが、
「へい」と言うて出かけたんやそうな。男は山で草を刈ってから町へ肥を取りに行ったそうな。
 またある時、主人が田んぼへ糠(ルビ ぬか)の肥料をふらしておったそうな。 旦那も一緒に行って見ておった。すると糠をいっぱいふっているので、
「こななよけ(沢山)ふったらいかん」と言うた。実はその男はめんめ(自分)が下(ルビ しも)をしてからそれに糠をふってわからないようにしとった。それを旦那はつかんだ。旦那は下男の糞をつ
かんでしまっ

―148―

た。
「くそぼっこめが。こなんことをしてからに。人に糞をつかまして。町でもどこへ行とってでも、便所が出たい時はもどって便所でするもんや。こんな所へする人があるか」と言って怒った。
 すると下男は、
「ほんだら、どこまで行とってでももどって来て便所せるんか」
「便所へせるんわかっとるわ。そななところへせるんがあるか」と言うた。下男は「そうか」と言って納得した。
 それから、今度は町へ肥を取りにやった。家を出てしばらくしてからもどって来た。旦那は不思議に思って、
「おまえ、はやもどったんか」
「ええ、旦那さん。便所が出たかったけにおたし(私)もどって来ました」と言うた。旦那はあきれて、
「そいで、どこまで行っとったんや」「肥をくもうとこしらえ(準備)しかけてしたら便所が出とうなったけに帰って来た」
「くそぼっこめが。それならこれから何も言いつけんわ」と言って叱った。それから一年おいて、
「もうおまえは暇をやるけに往(ルビ い)ね。往ぬ前に何もかもぼろそもん(「ぼろそもん」に傍点)(古着など役に立たなくなったもの)

―149―

はこま肥(ルビ ごえ)(堆肥)にたてとけ。いらないものは何もかもまんで(全部)たてこんどけえよ」
「そんだら、なんなかい(なんでもかでも)一切な」
「一切やは」と言ったところが、こま肥の中へ飼葉(ルビ かいば)切りぞ、畳ぞなしに持って行って、肥(ルビ こい)にしてしまった。それで旦那はあとでこま肥をくずすのに困ったという。

 2
 ある所に男があった。その男は二人扶持(ルビ ぶち)をとっていたそうな。それほど力もあった。
ある時その男の旦那が、
「金毘羅(るび こんぴら)へ連れて参れ。おまえは二人扶持しとるんやけに、一人しておれを駕籠に入れてこじょうて(担いで)行け」
「ほい」言うて、そこで金毘羅参りに駕籠に入れて行きよったそうな。そうしたところ滝の宮の橋の上までやって来た。するとその男は橋のむこうへ駕籠をつき出して、自分は棒のはなに腰かけて、
すっぱすっぱと煙草をのみよったそうな。そして言うことには、
「旦那はん、景色がええで、戸を開けて見まい」
「おい」と言うて見たところ、川の真ん中へつき出されておった。
「もう一人で行けと言わない。これ駕籠かきを雇って行くからこらえてくれ」と言うて旦那は下男

―150―

にことわりしたという。                          (香西コスエ)

八四 白蛇と人間の知恵
 昔ある峠に白蛇(ルビ はくじゃ)がおったそうな。人が通りかかると、その白蛇が化けて悪いことをした。ところがある時、ある人がその峠を通りかかった。その人は相手に好かんことをしなか
ったそうな。それでお互いが仲良く話をすることになった。白蛇がその人に言うことには、
「おまえは一番何が嫌いか」と言ったところ、
「おたしは一番お金が嫌いや」と言うた。すると今度はその人が白蛇に向かって、
「あんたは何が嫌いですぞ」
「おれは煙草のやにが一番嫌いじゃ」そう言って、白蛇は本音を言ってしまった。そこで、その人は煙草のやにを持って行った。すると白蛇は逃げてしまった。白蛇はそのいしょがえし(仕返し)に
金が嫌いだと言ったからと言って、その庭の口へ大判小判を沢山持って行って放りかけた。
 こうして、この人はお金持ちになった。それにくらべ、白蛇の方は煙草のやにのために死んでしまったと言う。

―151―

 人間の知恵にはかなわないという話。                   (香西コスエ)

八五 一寸法師
 ある時に子供がなくて困っていたお婆さんがいた。その人は子供が欲しくて、
「小さくてもかまわないから授けてくれえ」と言って頼んだ。すると子供を授けてくれた。それは申し子であった。ところが、いくら育てても大きくならなかった。そこで、
「おまえのようなん育てん。出て行け」と言って叱った。すると、
「そんだらお婆さん出て行くからお椀とそれから箸と針とをくれ」とその子供は言った。そして針は刀にさして、お椀を舟にして箸は櫓にして出かけた。東京へ行った。そして大きい家へ行って、
「たのもう。たのもう」と言うと主人が出て来た。するとその子供は、
「こんなにこんまいんやけど、何ぞさせて見てくれ」と言った。するとその家の主人は
「それなら家に見てあげる」ということでその家においてもらうことにした。一寸法師はその家に奉公して、お嬢さんを守った。ある時お嬢さんのお供をし、そのお嬢さんに危険がせまって来たの
で、さしていた針で戦い手柄をたてた。             (後半忘失)
                                     (香西コスエ)

―152―

八六 桃太郎
 鬼無(ルビ きなし)にセッタイ川というのがある。そのセッタイ川へお婆さんが洗濯に行き、洗濯をしていたところ桃が流れて来た。お婆さんはそれを持ってもどって来た。それで、桃を割ろう
として、それを割ると中から大きな男の子が出て来た。
 まあ、桃から生まれたので桃太郎という名をつけたそうな。
 そして、その桃太郎を蝶よ花よと育てた。
 ある時に鬼が出る鬼が島に鬼退治に出かけることになって、その桃太郎は、
「鬼退治に行くけに弁当をこしらえてくれ」言うて、お婆さんに黍(ルビ きび)団子をしてもろうた。桃太郎はその黍団子を持って出かけた。ところが途中で犬が出て来て、
「お腰につけとるもん何か」とたずねた。
「黍団子じゃ。鬼が島へ鬼を征伐に行きよる」言うた。すると、
「腰につけとる黍団子一つくれ。そしたらついて行くけに」
「一つやらん。半分やる」言うたそうな。こうして犬を連れて出かけた。すると、今度はお猿さんが出て来てから、そのお猿さんが言うことには、

―153―

「桃太郎さん、桃太郎さん。どこへ行きよるんですか」言うたら、
「鬼が島へ、鬼の征伐に行く」と言った。するとお猿さんは、
「お腰につけとるもんをくれ」と言うた。そうすると桃太郎は、
「一つやらん。半分やる」と言うた。こうして、犬と猿とを連れて出かけていると、今度は雉が出て来て、またその雉が、
「どこへ行きょりゃ」と言うてたずねられた。そしたら、
「鬼が島へ鬼征伐に行きよる。腰につっとるんは黍団子じゃ」
「そんだら(それなら)一つくれたらお供します」と言うた。すると桃太郎は、
「一つやらん。半分やる」と言って半分やった。すると、
「そんなら行こう」と言って出かけた。
 こうして桃太郎は犬と猿と雉とを連れて鬼が島へ出かけたどりついた。ところが、岩屋がたって開かない。猿や犬はそれを開けるのがかなわなかった。そこで雉がむこうへ行って見ると門番が立
っていた。そこで雉はその門番を殺して門を開けた。中には赤鬼や青鬼が沢山いた。そこで、桃太郎たちはその鬼たちを征伐した。それからその鬼の王さんを一人殺した。そして、そこにある沢山
の宝物を取ってしもうた。
 鬼は降参したけれども、桃太郎が沢山宝物を取ってもどっていると、鬼があとからおわいて(追

―154―

いかけて)来たんじゃそうな。
 今の鬼無(ルビ きなし)の桃太郎神社という所の東の方の鬼が塚というのがある。その所までおわいて来た。そこでとうと桃太郎がその鬼を殺して鬼を埋めた。それがその鬼が塚であるという。
                                     (香西コスエ)
  桃太郎神社は権現さんともいい、現在もお祭をしているという。

八七 乙姫さんの恩返し
 昔、お花売りがあっての。それでそのお花売りが毎日花を売りに行っていた。ところが、その日とうとう花が売れなくての、それでもう花がなんぼうにも売れいで海へ持って行って竜宮(ルビ 
りゅんぐん)世界の乙姫さんに、
「もうお花が売れなんだけに、リュウグン世界の乙姫さんにこの花をあげます」と言って海の中へ放り込んだ。そうしたところ、ある時その男の家へリュングン世界から女の人が来て、
「嫁さんにしてくれ」と言うた。その男はその女を嫁さんにした。そこで二人は、
「商売しよう」と言って、商売をしかけた。その商売というのは米屋であった。そうするとその嫁さんがきれいであったので、
「さあ、あそこの嫁さんの顔を見に行こう」と言って、あちこちからそこへやって来た。するとお

―155―

米が沢山売れた。こうしてその花売りの男の家が大けなうちになって繁昌しかけた。だいぶ財産がでけると嫁さんは、
「私はリュングン世界から来とる者や。私はあなたがお花をくれとったお礼に来とったんだからいなしてくれ」と言うた。そしてその嫁さんは、「そのかわり横槌をあげる。この横槌は何んでも思
うものが出るけに(から)食べるのには困らん」と言ってその横槌をくれた。
 そして、その嫁さんはリュングン世界へ往んだ。
 男はその横槌をもらって、何でも思うとおりのものが出て来る。そこでその男は自分の思うとおりのものをいろいろ出した。しかしそういう人だからあだに何でも出すようなことはしなかった。
 ところがある時隣の欲の深い男がそれを借りに来た。その男はあまりに欲深かったので米と倉とを出そうと思って、
「こめくら出てこい。こめくら出てこい」と一度に言った。するとこんまい(小さい)盲人が沢山出て来てじょんならん(どうしようもなく)ようになって、それをとめるすべを知らなんだという。
 欲を出さずに、米と倉を一つ一つ別に言ったらよかったのに早口で言ったので失敗したという。
                                     (香西コスエ)

―156―

八八 安珍乙姫
 昔、安珍は蛙であった。そして乙姫は蛇であったそうな。ある時蛇が蛙を呑んでいたところを放したところ、それが生まれ変わって蛙は安珍になり、蛇は乙姫に生まれ変わったという。
 その安珍はお寺のお弟子さんであった。そこで、乙姫はその安珍に惚れていた。乙姫は安珍を追いかけ追いかけして行た。安珍は逃げに逃げて行た。安珍はある川を渡って逃げた。舟頭にはあと
から追いかけてくる女を渡してはならぬと告げて逃げて行た。するとあとから乙姫がその川の所まで追いかけて来た。そして舟頭に言った。
「これ、渡してくれ」と言ったが、
「渡さん」と言った。それは安珍が舟頭に渡すなと頼んでいたからである。するとそのおんなは、
「渡してくれな、めんめ(自分)に渡る」と言って美しいおんなが飛び込んだ。するとそのおんなが
大蛇になった。その大蛇が安珍を追いかけた。そこで安珍はお寺へ逃げ込んだ。しかし隠れ場がなくて、そこのおじゅっ(住持)さんが釣り鐘でふせたそうな。これではだれもよう持ちあげられない
だろうということであった。
 そうしているところへ乙姫がたずねて来た。おじゅっさんは、

―157―

「ここへはだれも来とらん」と言ったが、
「来とる。来とるに違いない。ここへ」と言った。その時には川から出てきれいなおんなに姿になっていた。ところが、そのきれいなおんなが蛇になって、その釣り鐘をくるくると巻いた。すると
その釣り鐘がとけた。そしてついにその安珍は死んだそうな。         (香西コスエ)

八九 子育て幽霊
 昔あるところに奥さんがいた。その奥さんは子供が生まれるようになって死んだ。子供が生まれるようになって死んだので、可哀想だからといって焼かずに土葬にした。その時、棺桶の中に、男
の親のさしはま(足駄)の下駄をおしりの下へ敷くと産をするというので、それを敷いて埋めた。それから時がたった。
 ところが、近くに餅屋があった。埋めた所からはかなりの道のりであったが、その餅屋へ毎晩餅を一つずつ買いに来る女の人がいた。餅屋のお婆さんは不思議に思った。そこでその女の後をつけ
て行くと、墓場の中で消えてしまった。
 こうして、毎晩その女の人が来るので、不思議に思い、その墓場の消えた所を掘りおこして見ると、中で子供が生まれていた。そして丈夫に育てられていた。その死んだお母さんが子供を育てる

―158―

ために、毎晩餅屋へ餅を買いに来ていたということだった。
 それから子供が生まれるようになって死ぬと、焼くものではないという。そしてさしはまの下駄をしりの下へ敷くものだという。                      (香西コスエ)

九〇 天道さん金の鎖
 ある所に子供が二人あった。 そのお母さんがよそへ行くことになった。 そこでお母さんは二人に、
「だれが来ても戸を開けるな」と言って出かけた。行く時分にはそう言って出たので、二人の子供はお母さんの言うとおりをしていた。ところが山姥がやって来た。その山姥は二人を食べようと思
って、
「お母さんがもどったけん(から)戸を開けてくれ」と言った。子供は本当のお母さんかどうか確かめるため、
「ほんだら手出してみい」と言った。すると毛の沢山生えている手を出した。そこで子供は、
「うちのお母さんはこなな手でない。 きれいな手じゃ」と言うたところ、今度は手の上へちんちん(茶碗のかけら)をのせて来て、

―159―

「お母さんもどったけに戸を開けてくれえ」言うので戸を少し開けて見た。すると前よりもきれいな手であったので、
「こりゃ、お母さんじゃ」言うので戸を開けると山姥であった。
 子供はすぐ逃げて外へ出た。そして泉のはたのじゃくろ(柘榴)の木があったので、そのじゃくろの木に登っていた。すると山姥が追いかけて来た。山姥はそこに泉があったので、その中をのぞい
た。すると二人の兄弟の影が水に映っていた。山姥はそれを見て泉の中にいるものと思い下ばかり見て、
「こっちい出てこい」と言うた。
 山姥だから影を本物とまちがえて、そう言った。そして下ばかりうつむいていたので、
「ああ腰がいた(痛い)」と言って上へあのぶいた(仰向いた)ところ、二人の兄弟が木の上に登っていたので山姥は、
「どうして(どのようにして)あがったんや」と言ったところ、姉さんにあたるのが、
「足の下へ油をつけてあがった」と言ったところ、山姥は油をつけて登ろうとした。すべってあがれなかったので、その妹が、
「鎌で切り目をつけてあがった。そこへ足をかけて順々にあがって来た」と言ったので、山姥は言うとおりにしてあがって来かけた。二人は逃げ場がなくて、

―160―

「神も仏もないもんか。助けてくれ」と子供が言うと、上からジャラジャラとかごが降りて来た。
おおかた山姥につかまえられるところで二人がそれに乗った。すると天へ引きあげられて二人があがった。
 すると山姥が、
「神も仏もないもんか」と言ったところ、同じように鎖が降りて来た。山姥はそれに乗ってだいぶあがったところが、下へザラザラと降りて泉の中へ落ちて、山姥はとうどう死んでしもうたという。
 それから後今度は本当のお母さんがもどって来ると、天からかごが降りて来た。お母さんはそれに乗ってあがり、親子は会ったという。                   (香西コスエ)

九一 姥捨て山
 昔、年寄りが六十になると山へ捨てていたそうな。
 そこである所に年寄りを大事にしていた若い者がいた。ところがそのお婆さんは六十がきていたのでその若い者は放りに行っていた。孫と二人でかいて行っていた。
 そうしたところ、そのお婆さんは行く道々みながもどれないといけないかと思うて、親心で木を折って目じるしをしておった。そうしたところ息子が言うことに、

―161―

「お婆はんもどろうとして木を折って目じるしをこしらえよるが」そう言いながら息子はお婆さんを連れて行った。
「お婆さんここへおれよ」と言うとお婆さんは、
「まあ気をつけて往(ルビ い)ねよ。来しなに木の枝を折ってきたから、それを目じるしにして往ねよ」と言うた。
 お婆さんの孫の親がその子に言うには、
「このかごもういらんが。ここへおいとかんか」
「それではお婆さんみたいに六十が来たらみんな捨てるんだったら、このかご取っていなんか」と孫が言った。するとその親が、
「それが家の掟であったら、かごを取って往ぬ」言うた。つまりまたお父さんが六十になると放りにこなければならないので、そのかごをもって帰ることにした。そこでお父さんは、
「それではわがが六十になったら放られるからこのお婆さんを連れて往なんか」と言って連れてもどったという。それからその掟がやんだという。               (香西コスエ)

―162―

九二 おはぎは蛙
 お婆さんと嫁さんとがいた。二人は仲が悪かった。仲が悪いというのは、つまりお婆さんが嫁さんに食べさせるのが好かなんだそうな。
 そうしたところそのお婆さんはよそに何をくれても嫁さんにやらなかった。その嫁さんの留守でよそからいろいろなものをくれても、七つくれた時にも「五つくれた」と言うて残りの二つを取っ
て食べるようなことであった。
 ある時、よそからおはぎを十五くれたそうな。それを重箱に入れてお婆さんが戸棚へ隠した。そして、そのおはぎに向かって言うことには、
「嫁が開けたら蛙になっとれえよ。それからおたし(私)が来たらえんじゃけに」と言うてお婆はんがお寺へ参った。
 それを嫁さんがかげで聞いていた。そしてお婆さんがいない留守で、その嫁さんはおはぎを食べてしまった。そして蛙をつかまえて、その重箱の中へ入れとったそうな。お婆はんはお寺からもど
って、それを出して食べようとすると、かえるが十五もあちこちへ向いて飛び出した。お婆さんは驚いて、

―163―

「嫁でないがお婆じゃが。嫁でないがお婆じゃが」と言って蛙を追いまわしたが、蛙は飛んでしまったという。そこでお婆はんは嫁に断りをすることには、
「こんどからこういうことはせん」と言った。それから嫁と仲良うにしたという。
                                     (香西コスエ)

九三 かい餅が地を引く
 ある所に下男を置いてあったそうな。その男は餅が好きであった。餅だけでなく何んでも好きだったが、特に餅が好きであった。
 ある時、 旦那がその下男に地を引かす(耕やさせる)ことになった。 そして旦那が言うことには、
「あれがかい餅(ぼた餅)が好きやけに、かい餅をしてやれ。そしたらかい餅が地引くけに」そう言うと、奥さんがかい餅をした。そうしているところへ下男が帰って来た。ちょうど昼であったので
、
奥さんは下男に好きなだけ食べるようにすすめた。旦那も、
「いくらでも食べよ。そうするとかい餅が地を引くけに」と言った。下男は食えるばあ食べて、それから地を引きに出かけた。その時、
「奥さん、手拭の端(ルビ はな)にかい餅五つばかりおくれなはんせ」
「どうせるん。弁当か」と言ってやった。すると下男はそれを持って牛んが(牛鍬)に結びつけてじ

―164―

っと寝とったそうな。その下男は地を引かずにのんびりと寝ていた。そうしているものだから、晩がやってくるのに地が引けていなかった。すると旦那が、
「おまい、どうしたんや。くたびれて寝よるんか」
「旦那さん、かい餅が地引く言うたけにおたし(私)牛んがにかい餅を結いつけとんや。かい餅が地引っきょりましょが」言うた。                       (香西コスエ)

九四 麦刈り
 これもある所に下男を置いてあった。そしてその下男にいろいろと仕事をさしていた。ある時、田んぼのよせあい(麦畑の最後の中耕)をして、その男が家へもどって来たそうな。旦那はんはその
時酒を飲んでいたそうな。そこで旦那はんに言うことには、
「旦那はん。よせあいすんだんや。何んしましょに」
 旦那はんは酒を飲んでいて、
「くそぼっこめ(「くそぼっこめ」に傍点)(大馬鹿者め)が。よせあいがすんだら麦刈るんわかっとろが。そんなこと問わんとてわかっとろが」言うた。そしたら、
「ああそうな」と言うて、田んぼに出かけて一所懸命に麦を刈っていた。それで一日半くらい刈っ

―165―

た。それで二反も刈っとったそうな。そうしたところ旦那はんがそれをひょっと見て、
「おまえどうしょんや」
「旦那はん、よせあいすんだけにどうしまひょに(しように)言うてしたら、『よせあいすんだら、おまえ麦刈るんあたりまえだろが』と言うた。しゃけに(だから)麦刈りよります」と言った。そう
してその下男はまだ青い麦を刈っていたそうな。               (香西コスエ)

九五 石塔の話
 まあ昔の話での。昔ある男が死んだそうな。そして、東へ東へと行っていたそうな。そうしたところ、そのあとからその嫁さんが死んだ婿さんのあとについて行っていた。男がなんぼ行ってもつ
いて来る。男がしばらく行ってひょっとうしろを向いたところ、まだその嫁さんがついて来ているんやそうな。男が嫁さんに言うことには、
「おらは死んで行きよんやけに。もうおまえは来られんのやけに往(ルビ い)ね」と言って追い返そうしたけれども、いくらでも黙ってついてくる。
 すると途中で大きな石があったそうな。 その石は死んだお爺さんが置いたものだったんやそうな。するとその嫁さんはその石がまがって行けなくて、そこからあともどりしたという。

―166―

 その石が石塔というそうな。死んだら生きている者はそこから先きへは行けないというしるしだという。そして人が死んでも墓の下にはいないのだという。          (香西コスエ)

九六 きんみね大五郎
 昔、佐料の村には七軒しか家がなかったそうな。その時にきんみね大五郎といって、きんみねという人に大五郎という子供があった。その大五郎が七つの年に子供を負わして遊ばしていた。
 けれども親は「牛買いに行け」と言って、牛を買いにやらしたそうな。そうしたところ大五郎に子を負わして牛を買いにやったものだから、
「お母(ルビ か)はん、お母はん、牛がじょん(意のままに)ならんが」言うた。
 すると、昔は佐料から香西のお宮まで大きなひとかかえもあるような松が、道の両側にいっぱい植わっておったそうな。そこでそのお母さんは、
「そんならおまえが松の木を抜いて、抜けない松に牛を結(ルビ い)わいつけとけよ」と言ったそうな。すると大五郎は子供を負うたまま、ひとかかえもあるような松を全部牛蒡(ルビ ごぼう)抜
きにしてしまったそうな。
 そうしたところ村の人達は、
「こりゃいかん」と言って、

―167―

「こななん生かしておいたらいかん」と言うてみんなで叩き殺したそうな。
 すると親のきんみねというのが怒った。 ところがそのきんみねはんはしばらくして死んだそうな。
 ところがそれを神に祀らなかった。だから火事だと言えばこの村が焼けたそうな。それで占い師に見てもらうと、
「きんみねさんという人が子が叩き殺されて死ぬ時、あとは見よれよといって死んだ。だからそれを祀れ」と言うので、村の人は「こりゃいかん」と言ってきんみねはんを神に祀ったそうな。
 今にきんみねだいごろうとかいう大きな竹がそれを埋めた所に生えているという。
                                     (香西コスエ)

九七 息子と女中
 昔、大きな旦那の家へ下女をおいてあった。そこに一人の息子がいた。学校へ通っていたのがすむと、その下女と二人がええ仲になったそうな。そして二人は生活を一緒にやろうという約束をし
ていたそうな。ところが両親は下女などと一緒にさせないと言って反対した。そしてついに息子に別に嫁をとってやることになった。そこでその親が女中に向かって、

―168―

「もう暇をやる。困らないようにしてやるから往(ルビ い)ね」と言うたところ、
「そら往なんこともない」と言った。それから約束ができて往ぬようになった。するとその女中が言うことには、
「しゃけど、嫁とるじゃまは絶対にせんけに祝言の晩まで置いてくれ」と言って頼んだ。すると
「邪魔をせにゃ置こうか」言うてしばらく置いていた。
 そうしているうちにその息子に嫁さんが来るようになった。下女は嫁さんが来たらすぐ暇をもらって帰ると言って、ちゃんとこしらえをしていた。そして嫁さんが来るようになったので往ににか
かった。ところが内堀で身を投げて死んだそうな。
 死んだというので急いで駆けて行った。そして出してやった。それから着物(ルビ きりもん)を脱がせようとしたところ、懐(ルビ ほところ)からくちなご(蛇)の小さいのが出て来たそうな。そ
してそのくちなごがその小旦那の五体にもくいついたそうな。そしていくらのけようとしてものかなんだそうな。
 その蛇はおなかがすくと、その小旦那をしめる。そこで食べるものを与えるとそれをやめる。こうしてご飯を食べさせて共に大きくしていた。二人はいつまでものこうとしない。「これではうち
に置いてもいかん」というので山小屋を建ててやった。そしてその小屋で暮らすようにしていた。その小屋に住んでいても蛇はいっこうにのこうとしなかった。おなかがすくと蛇がしめつけるので
食べさせていた。その家は大きな所であったので運んでやっていた。そうしたところ、そのくちな


―169―
ごはそろそろと大きくなったんじゃそうな。それからいよいよ大きくなって太り、大蛇のようになった。ただそれが息子の五体にもくいついたまま、動こうともせずにいたそうな。
 ところがある時、ごかいさん(五戒さん=妻帯する僧)が山奥へ修行に出かけていた。そこで、
「まあ、ちょっと休ませてくれ」と言って休んでいた。ところがその山の中に蛇にまかれた小旦那がいたので、そのごかいさんが、
「どうしたんな」と言うてたずねた。すると「こうこういうわけじゃ」と言ってそのわけを話した。
すると、ごかいさんは、
「それではみんなが浮かぶ瀬がないけに」言うて、そのくちなごに言うて聞かしたそうな。
「おまえはこうして迷うているんだろうけに、 人を助けると思うておまえは自分の修業に出かけよ」と言った。するとその息子の五体からぞろぞろともどけた(解けた)そうな。そしてそのくちな
ごは断りをしながら山の遠国(ルビ おんごく)へ行ってしもうたそうな。そのくちなごは女が化けていたというわけだった。                         (香西コスエ)

九八 狸の話
 昔、高松に成願寺(ルビ じょうがんじ)という寺があった。そこの寺の縁の下に狸が住んでいた。
その成願寺の狸はみ

―170―

なを化かしておったそうな。
 ある時、その狸が丸亀の方へ出かけて化かしたことがあった。狸がきれいな嫁さんに化けておったそうな。そして聟はんを連れて折(ルビ お)りに蒸し物をいっぱい入れて嫁さんの里帰りをした
そうな。嫁さんは聟さんに家の入口の所で、
「ちょっとここにおってくれ。あとで呼びに来るけに」と言ってその折りを持って家の中へ入って行った。ところがいつが来てもその嫁さんは出て来ない。その聟はんは黙って一日中待っていた。
ちょうどそこはお寺の門であった。
 そこへお寺のおじゅっさんが通りかかって、その聟さんに言うことには、
「門の所で何んしよん。またうちの狸が行て化かしよんでないんかいの」と言うてたずねたところ、
「いや、狸やではない。こうこうしたわけでちょっと待ってくれ言うて待っちょんや」
「うちの寺の縁の下の狸じゃが」と言うと、その聟はんは、
「いや狸ではない」と言いはった。
「そんなら正体をあらわしてこうか」おじゅっさんがそう言うて、狸に向かって、
「おまえまた人を化かしたのだろが。出て来い。もとのとおりに化けて来い」と言ったところ、きれいな嫁さんであったのが、狸になって出て来た。そこでそのおじゅっさんが聟はんに、
「これじゃ。これがうちの縁の下にいる狸じゃ。だからこななんに騙されるな」言うたところその

―171―

男は往(ルビ い)んだそうな。
 そこで、おじゅっさんが狸に言うことには、
「おまえ、そんなによその人をあちこちで騙して。それならおれを騙せ」
「院主さんを騙したら、おたし(私)ここへ置いてくれないからおたし騙さん」
「怒らん。どなにおらを騙しても怒らん。だからいつでも化かしてみい」言うたところ狸は、
「それならいつ化かしても怒らんのな」と言った。
 そういうことがあって四、五日が経った。院主さんは香西という所で、法事があって行かなければならなかった。そこで院主さんは出かけて行たところ大きな竹やぶのある所を通りかかった。す
ると竹の子が生えていた。院主さんはその竹の子が欲しくなってしようがなかったそうな。その院主さんはその竹の子が欲しくて、欲しくておれなくて、とったら悪いと思いつつその竹の子を折っ
たそうな。するとその竹の子の持ち主に見つかり、つかまえられてこのうえなくもまれた(痛めつけられた)そうな。
 法要に行っている途中なのに、もし遅れでもすれば大変だと心配していたそうな。盗まなければ良かったと思ったけれど、あとからの後悔でしようがなかった。
 そこで院主さんは断りをしたりしてその場をやっと許してもらった。そうしてようやく法要に出かけて、用を済ませてもどって来た。

―172―

 すると狸が来て、
「院主さん、今日はどうであったんな」
「今日とて、おらこんな情ないことに逢うたことない。つかまえられて叱られた。こんな情けないこといまだない」言うてしたら、
「それ、おたし(私)が化かしたんじゃ」
「くそ、おまえがそんなにおれを騙したからに。えらい目に会わした。もうおまえは出て行け。いくら騙すといったって。これほど困ってえらい目に会ったのはこのかたない。もう出て行け」と言
うて院主さんはかんかんに怒った。
「そなに言うから化かさずにおったん」
「もうおまえのようなのは置かん。出て行け」と言って、ついに追い出してしまった。狸は成願寺を追い出され出て行った。そして香西のある家へ行き、
「ここへ置いてくれ」言って狸がその家へ行ったところ、
「うちのつくり山へ置かんこともないけど。置いてはやるけど。おまえはよく人を騙すと言う。人を騙して牛ん糞や馬ん糞を持って来て、これが饅頭だと言って騙すのだったら置かん。絶対に騙さ
んのやったら置いてやる」と言ったところ狸はかしこまって、
「そんなことは絶対にしません」言うた。狸はさらに、

―173―

「うちの院主さんは化かしてもかまわないと言ったから化かしたところ、置いてくれえでこうしてここへ来てお願いしているのです」
「そんなら置いてやろう」ということで置くことになった。
 こうしてその家へ狸が来てから七日七夜(ルビ なのかななよう)さつくり山に自分のいる所をこしらえておった。ところが一週間目が来たので家移りだというので、にぎやかにどんちゃん騒ぎを
した。
 すると狸はお膳を一番に町からとって来て、その家の主人と奥さんに持って行った。大変なご馳走を作って持ってゆかしたところ、
「これどこから持って行けと言うたん」
「どこか知らんけどこちらへ持って行けと言いました」
 主人はそれから「それならつくり山にいる狸が持って来たのかも知れない」というのでその狸を呼び出して、
「おまえ注文してお膳をおこし(致す)たんか」
「へえ、おたしから持って行くと騙かしたと思われるので、町の料理屋から持ってよこしたのでございます」
「ああそうか。そんならええけど」と言うことで、ご馳走をもらって食べたそうな。こうして成願寺の狸は香西のこの家へ来て、そこのつくり山で一生を渡ったという。      (香西コスエ)

―174―

九九 味噌豆を盗んだ小僧
 昔、あるお寺に小僧を置いてあったそうな。 そのお寺は真言寺であった。 そこで小僧は味噌をつこうとして味噌豆を炊いていたそうな。
 そこでその味噌豆がおおかた煮えかけていた。院主さんはそれを見て食べたくて食べたくておれなかった。そこで院主さんは小僧を使いにやろうと思った。そしてその留守でその味噌豆を食べよ
うと思っていた。
 そこで小僧を呼んで町へ使いにやった。そうしたところ味噌豆が煮えてきた。院主はそれをお椀についだ。そしてそれをどこで食べようかと案じた。小僧は使いに出したが、急いでもどるに違い
ない。そこで小僧がもどっても見つからない所へと思っていた。 そうしたところ便所を思いついた。
便所であればまさか入って来るまいと思った。そこで院主さんは便所へ入ってその味噌豆を食べていた。
 そうしているところへ小僧がもどって来た。
「院主さん、院主さん」そう言ってもおらなかった。小僧はこりゃこの時やと思うてお椀に味噌豆をついで食べようと思った。ところが食べているところを院主さんに見つけられたらいけないと思

―175―

うていた。そこで便所へ行て食べようと考えた。院主さんが行ておるとも知らないで便所へ行ったところ、院主さんが豆を食べていた。
 小僧はあわてて、
「院主さんおかわり」と言って自分の持ってた味噌豆を出したそうな。     (香西コスエ)

一〇〇 そうまはんの話
 1 御幣御祈〔トウ〕(#「トウ」は文字番号24852)昔、そうまはんといって、少し人のええ人がおったそうな。その人はどこからきた人かわからなかった。それでそのそうまはんという人は信心
な人であったそうな。ある時、坂出の方へお同業さんで、来てくれということで出かけておったそうな。
 そこへ行くと、その家に病人があったそうな。そのうちではその病人のために御祈〔トウ〕(#「トウ」は文字番号24852)をしていたそうな。それだから家の神さんの前へ四方に御幣を引っぱって
あったんやそうな。それを見たそうまはんが言うことには、
「見つけた、見つけた。よいこと見つけた。間男見つけた」
 それはどういう意味だろうかと思うてそうまはんにそのわけをたずねた。すると、

―176―

「この家は御祈〔トウ〕(#「トウ」は文字番号24852)して、わが宗旨は一向じゃのにその御幣をつけとるけに、『見つけた、見つけた。よいこと見つけた。間男見つけた』と言うたんや」と言った。
 それから一週間がたった。その家ではそうまはんが来るからというので、その御幣をとりのけておったそうな。そしてまたそうまはんが行って言うことには、
「濁り水かい、底ずまん(底が澄まない)わい」と言ったという話。

 2 京参り
 それから、そうまはんが京参りしたことの話。
「まあ、そうまはんは信心な奴だから京参りに連れてまいるか」と言ってお同業さんが話しあっていた。そこで人々はそうまはんに向かって、
「おい参るか」言うたところそうまはんは、
「参る」と言った。そこでみんなしてそうまはんを連れて参っていた。ところが途中で時化(ルビ しけ)になった。昔は京参りと言えば、帆をたてた大きな舟に乗って、何日もかかって行ってい
た。出かける時には水盃までして出かけていた時分のことであった。
 舟に乗っているものはみなその時化を恐れて、金毘羅大権現を念じたりしておったそうな。ところがそうまはんは、

―177―

「忙しそうにしておるが、もうおら寝るわ」と言ってふてぶてしくも寝てしまったそうな。すると他の人たちはつぶやいた。
「そうまはのん気な奴か。こなに風が吹くのに寝て」と言って罵った。そうこうしているうちに港に舟がついた。そこでみなが、
「そうまはん、もう起きんか」
「ええ、ここはまだ娑婆(ルビ しゃば)か。もうおら死んだんかと思うたら。舟、難船せななんだんか」と言ってすましておった。
 それから京のお寺に着いた。そしてみんなと一緒に参った。すると他の人たちは、
「せっかく参ったんやけに(だから)、そうまおこぞり(生きながら仏の弟子になる儀式)してもろうたらよかろう」ということで、おこぞりをしてもらうことになった。
 門跡さんがおこぞりをしにかかった。そしてそうまの上へくると、そうまは門跡さんの手を握ったそうな。そして言うことには、
「おい兄貴、覚悟ができとるか」と突然言ったそうな。御門跡さんは黙ってその場はおこぞりをしてしまってひっこんだ。ところがそこにいあわせた他の人たちは、
「御門跡さんの手や握ったりして」と言って心配しておった。そうしたところ門跡さんの方から、
「そうまというお同業が参っとるんであったらおれの部屋までちょっと来い」と言って、門跡さん

―178―

のお付きの人が言ってきた。そうしたところ、人々は心配して、
「ああこれどうしょうに。ここへそうまを連れて来るんでなかった」と思ってみんな色を青くして心配しておった。そしてそうまに言うことには、
「そうまはん、門跡さんのところへ行くか」と言ったところ、そうまは、
「行く」と言って答えた。そして出かけた。そうしたところ御門跡さんのいる次の間に行った時、そうまはんを案内している者が、そうまはんの腰にぶらさげているまっ黒い手拭(ルビ てのごい)
を見つけて、
「そうまはん、このてのごいはのけとけ。ここに置いとけ。誰れっちゃとる人ないんじゃけんここへ置いとけ。門跡さんの側へ行たらきたないけに」そう言うたところ、
「おらぁ、もういかん」そう言って、どうしても行こうと言わなかったそうな。案内の者は、門跡さんは待ち受けとるのに行こうとしないので心配して、
「どうして行かんのいや」と言ったところ、
「このてのごいがきたないのであったら、おらの糞(ルビ くそ)ぶくろはどなんせるんや。おらの糞袋は腹の中にあるのに。おら、これを持って行かないかんのに。おら行かん。てのごいさい(さ
え)きたないんだったらおら行かん」と言って、なんぼうにも行こうとしなかったそうな。
 そうしたところ門跡さんが待ちきれず、
「どうしよるんや」と言うたところ、「こうこうしかじかじゃ」とそのわけを話した。すると、

―179―

「そんなら、それ持って来い」
「そんなら行く」と言って門跡さんの前へ行った。すると門跡は、
「おれは今までこうして生きて来たけど、『兄貴、覚悟がでけとるか』と言うた人はおまえ一人じゃ」と言って喜んだ。そしてさらにつけ加えて言うことには、
「さあけに(だから)兄弟分の盃をせる」と言って、そうまはんは門跡からじきじきの盃をもらったという。そうして京参りからもどって来た。連れて行った大勢の人達も安心したという。

 3 火事
 そうまはんはほっこ(馬鹿者)であったそうな。昔、京都のご本山が焼けた時分のことであった。近所のお婆はんが子を負うて遊びに行っていた。 そうしたところ、 そうまはんが褌ひとつになっ
て、つぶれ(つるべ)で水を汲んで花畑へ水をかけていた。お婆さんは不思議に思って、
「そうまはん、それなにのまねいや」
「なんどころでない。京のご本山が焼けよるのに。子供なんかそこへつき落としといて、ちとてつなえ(手伝え)」と言った。あまりにも手伝えというので、お婆さんははだしで水を畑へ持って行っ
て手伝うた。なおもそうまはんは、
「本山で焼けてしまいよる」と言っては水をかけていた。そうしているうちに、

―180―

「ああ、もうとうど(ついに)焼けてしもうたわいな」言うた。お婆さんは不思議で、
「そいで、そうまはんわかるんかい」
「わかるとて(わかるとも)、くそ。ご本山が焼けてしもうた」と言った。お婆さんはそれを不信に思いながら帰り、仏前にお礼をした。それから二日がたった。するとご本山が焼けたという便りが
寺にあったそうな。
 こうして、そうまはんという人は遠く離れていても、ちゃんとわかる人であったという。ほっこであったけれどそういうぐあいであった。

 4 愚かさ
 もう一つ、そうまはんの話がある。そうまはんは何をしても下手(ルビ へた)であった。それはもう草履(ルビ じょうり)もよう作らなかったそうな。作っても、鍋つかみにもならないようなじ
ょうりを、毎日毎日藁を打って作っていたそうな。
 ところがそういう人ではあったが、外から帰って来るとまず仏前へ行って、
「ああ、親さん暑かったしょ」と言ってはお掛図をのけたそうな。そして裏の松の木にひっかけたりしたそうな。またある時は、「暑かっただろう」と言って戸を開けて涼ましたりしたそうな。
 そうした跡は説教場になって、今も参る人がたくさんいるそうな。      (香西コスエ)

―181―

一〇一 狸の大学校
 ある時にこういう話もあるそうな。
 というものはただひとりでには人を化かすことができないそうな。狸は沢山いても全部が全部化かせるものではない。
 狸の世界は一年が六か月であった。その六か月の間に、一文銭が落ちているのを六人がそこを通っている間じっとそれを待って、 それを拾わなかったところをその狸が拾う。 それを六十文寄せ
る。それで狸の大学校へ行くそうな。
 その大学校というのがどこにあるかと言えば、それは屋島にあった。そこへ行ってないと化かせないそうな。六十文寄せたのを持って行て、学校へ入って卒業する時分に化かすものをくれるそう
な。
 ところがある狸がその学校を卒業して化かすものをもらって家へ住んだそうな。旦那の屋敷にその狸がおったそうな。するとその旦那が狸に言うことには、
「そんならおまえ卒業してもどったんやけに(だから)化かすんなら化かしてみい」と言ったところ、
「そんなら化かして見せてあげます」言うて、頭の上へ紫の葉をのせると鬢(ルビ びん)ができ、ここへの

―182―

せたら髱(ルビ つと)ができて、それからここへのせたらふたい髪(額髪)がきれいにできる。上へのせると丸髷(ルビ まるまげ)が出来て、きれいな嫁さんになったそうな。そして狸は、
「こういうふうに化ける免状をもろうた」と言うた。そして、
「これは免状やけに、大事なものだから開けずに預かってくれえ」言うて預けたそうな。そうしたところ、見るなというものはよけいに見たい。それで主人がそれを開けて見たそうな。すると中を
開けて見るとピカッと光った物(ルビ もん)だけやったそうな。その他のものはなにもなかったそうな。
 それから狸がその免状を主人に、
「出してくれ」と言った。すると旦那は知らん顔をしてその免状を出した。狸は何にも見ないで、
「開けてみたな。旦那さん」
「おれは開けて見ん」
「いや開けて見た」
と言ってお互いに言いあったが、その狸はそれから化かすこともできず困ってしまった。そうかといってもう一度学校へ行くわけにもゆかず、「困ったもんじゃ」と言うてその狸は舌を食いちぎっ
て死んだそうな。                             (香西コスエ)

―183―

一〇二 泥鰌を買いに行った小僧
 おもしろい小僧がおっての。
ある時その主人が泥鰌(ルビ どじょう)汁が欲しうておれずにおったそうな。昔は真言のお寺では魚類は絶っておったそうな。それなのに院主さんは小僧に泥鰌が欲しいので、
「行って泥鰌を買って来い。泥鰌言うなよ。言うたらいかんのぞ。言うたらこのお寺におれんのやけに。魚は食べられんのやけに言うなよ」と言って、小僧に泥鰌を買いにやらしたそうな。そした
ら小僧は言いつけどおり、
「言いまへん」言うて小僧は一升徳利持って買いに行った。そして、町から買うてもどっていたところ道を通るみんなが、
「小僧はん、何買うて往(ルビ い)んによるんや。何買うて往によるんや」言うた。小僧は、
「言わんぞ、言わんぞ。なんちゃ言わんぞ。言うな言うたけに言わんぞ」と言いながらお寺へもどっておったそうな。みんな黙っておったので、小僧はしまいには、
「これ言いあてたら、この中の泥鰌二、三匹やるわ」と言って、全部言うてしもたそうな。小僧はお寺へもどって院主におごかれ(叱られ)たそうな。              (香西コスエ)

―184―

一〇三 継子と笛
 昔、一人の継子がいて、お父さんは江戸へ仕事に行っていた。継母はその子が憎うて、風呂の湯をわかしてその中へ入れて殺したそうな。そして殺したあと裏の庭に掘り込めておったそうな。ち
ょうどそこから竹の子が生えたそうな。そしていい竹になったそうな。そこへ虚無僧(ルビ こむそう)が来て、
「その竹をわけてくれえ」 と言った。 そしてその虚無僧は竹を売って貰った。その竹で笛を作った。ところがその継母はその笛を江戸へ持って行って吹いてはならないと言った。それなのにその
虚無僧は江戸へ行った。
 そしてその父親のいる家とも知らずにその家の前で笛を吹いた。すると、
  江戸のととさんに逢いたいわ、ぷぅ
といって鳴ったそうな。すると家の中から父親が出て来て、
「その笛をまあいっぺん聞かしてくれ」それでもう一度聞いたところ、
  江戸のととさん逢いたいわ、ぷぅ
と鳴った。それを聞いた父親は「これは不思議な」と思うて家へ帰ってみた。すると家には子供がいない。父親は母親に「どこへ行ったら」といってたずねたが、「どこへ行たやらもどらん」と言

―185―

った。父親は不思議に思い捜した。すると裏の庭に掘り込めてあったそうな。その子供の口から竹が生えていたことがわかったそうな。                    (香西コスエ)

一〇四 千円の仏壇
 それから、ある町に千円の仏壇を買うとる買うとると言うてな。それが名高うての。昔の千円だからの。
「まあ、千円もの仏壇なら拝みに行かないかん」言うて、ある人がわざわざ仏壇拝みに手間ひまかえて行ったんやそうな。そうしたところ、その家は留守であったそうな。そこで帰るまで待ってい
たところ、山仕事へ行っていたのがもどって来たそうな。
「一度拝ましてくれぇ」と言うたところ、その主人は、
「まあおそいけに泊まれ」と言って、その人は夜泊めてもらうことにした。泊めてもらったのであるが、その家はあまり大きな所でない。千円もする仏壇だからさぞきれいで大きな仏壇だろうと思
って家の中を捜したそうな。ところがどこを捜しても、仏壇らしきものはなく、拝む所さえ見つからない。そうしたところ、家の主人は山からもどるなり、物も言わずに向こうの座敷の所へお掛図
の粗末なものを置いて、それを拝んでおったそうな。そこで、

―186―

「こうこう言うわけで仏壇拝みに来たから拝ましてくれ」と言ったけれども、主人は「拝め」と言わなかった。その人がそこに泊まっておってもな。そこで無理に「拝ましてくれ」と言うたところ、
「拝む心がありゃ参ってくれ」言うて行ったところが、下へ俵を一枚敷いてその上の壁に阿弥陀さんを迎えて拝んでいたそうな。そして言うことには、
「いやここが仏壇じゃ。だけどこの仏壇にはいわくがある。毎朝早く起きて俵一枚ずつ編む。その編んだ俵を敷いて仏壇に参る。それを毎日続けてそれが十日たつと十枚になる。それが十枚になる
とそれを二階へあげる。
 そして、朝は起きるとおしょしん経をあげて、晩にもおしょしん経と御文章さんあげる。毎日それをする。その俵が一年分たまると、あちこちから買いに来る。その俵には不思議なことに虫が入
らない。それにお米を入れるのに、その米に虫が入らないという。そして一年が中には千円のお金になる。そのお金は御本山へ持って行ってあげる。そうするとこれは千円の仏壇になる」そういう
わけでこの千円の仏壇が有名になったそうな。                (香西コスエ)

―187―

一〇五 孝行な息子
 ある所に親孝行者があったそうな。その人が孝行な孝行なと言って名を売っているので、どのように孝行なのかと思うて、ある息子がたずねて行くことになった。
「おら見に行く」と言うて、手間ひまかえて行ったそうな。
 その家へ行ったところ、その孝行息子は山へ木を伐りに出かけてまだ帰っていなかった。
「まあ、晩がきたら帰ります」と言うたので、
「そんなら待つ」と言うて待っていたそうな。
 そうしているうちに晩がきた。すると木を伐りに奥山へ行っていたのがもどって来た。
 それまでそのお母さんは、
「もどるのが遅いが、遅いが」と言って湯を沸かして盥(ルビ たらい)に移せるようにしてちゃんとして待っていた。
 ところが、息子がもどりかけるとちょうど雨が降りかけた。そこで息子は雨に濡れて帰って来た。
「おまえ、今日寒かっただろう。雨が降るのに早ようもどらんけんじゃわ」
「早ようもどろうと思うとったけど仕事がたくさんあったけにようもどらなんだ」

―188―

 すると母親は盥に湯を移しこんで、
「はい、ここへ腰かけ」言うて腰かけさして、そのお母さんが息子の足を洗うてやったそうな。
 そうしたところ、それを見に行った息子が言うことには、
「親孝行、孝行と言うたって親に足を洗わすんならおれもできる。こいさ(今夜)からおれも親に足洗わす。親が足を洗うてやるのが親孝行か」と言ったところ、孝行な息子が、
「親孝行といっておたし(私)はしたことはない。だけど親が言うことをよく聞いてやっている。足を洗うてやろかと言えば、はいはいと言う。それは、こうして親に足を洗うてもろうたらすまんと
は思う。そして心のうちでは嬉し涙が出ての。それで洗うてもらいよる。だけど、親の慈悲を喜ぶ」と言うたそうな。
 だから親の親切は素直に受けとれということを言っているんや。       (香西コスエ)

一〇六 虎の恩返し
 ある人が山を越えて行ったそうな。するとそこには年に一度だけ虎が出る所があった。ところがその虎がぐあいが悪く(病気のこと)なっとったそうな。それを見たその人は薬をつけたりして助け
てやったそうな。その虎は病気がなおった。その虎は山の奥深く隠れてしまった。それから一年
ェ
―189―

たった。そしてまた山へ出かけて行たところ、その虎が出て来たそうな。その男は旅の疲れで倒れかかっていた。するとその虎が、
「これはおれが世話(ルビ しょわ)になっとった人じゃけに」そう言って深い山の中で世話をした。
食べるものがないということで、わが足をねぶらした(なめさせた)。そして自分が抱いて丈夫にしたそうな。こうして虎はその男を世話して助けたそうな。
 そのことを聞いた隣の男が、
「そういうことがあるんだったらおれも行く」と言って、前の男と同じように出かけた。すると前と同じように虎が倒れておったそうな。その男は助けてやった。前の男がしたようにまねをした。
そしてその虎の病気はなおり、また一年がたった。そして再びその虎に会った。その男は急に恐ろしくなってその虎を殺しにかかった。そうしたところ虎が怒ってその男を食ってしまったという。
だから親切にするのも人のまねであったのではいけないということだそうな。
                                     (香西コスエ)

一〇七 蛇の化け物
 ある時、山の中で山子(木樵)が木を伐っていた。そして弁当を食べておったそうな。足を投げ出したままで、ちょっと横になれと思うて横になっていた。すると一尺ばかりのくちなご(蛇)の小さ

―190―

いのが来て、ちょいちょいと足をねぶっていたそうな。その山子が自分の足をなめているので、
「あ、こらくちなごのこんまいやと(やつ)が人の足ねぶるが。あれどなんせるんだろうに」と言ってじっと寝もせずに見ておったそうな。そうしたところ、親指からそろそろと呑みかけたそうな。
山子は驚いて、「あ、これはいかんわ」と思うた。そこで山の草をとって煙草のやにをその草でとり、呑み込んでいる所を口の端へ持って行ったところ、その蛇が倒れた。その場では小さい蛇であ
ったが、倒れると大きい正体を現わしてしまった。それはそれは大きい石を転がしたような音がした。そんな音がしたからと思って、その山子が谷をおりて行って見ると、大きな蛇が死んでおった
そうな。                                 (香西コスエ)

一〇八 水が酒になった話
 ある所に親孝行があったそうな。その男の親が酒を好いておった。
 ところがその男は酒を買うてやれんようになる。それまで酒を少しずつ買っていたけれども、もう買いに行くお金がなくなった。どうしたらよいのかと途方にくれていた。ところがひょっと思い
出した。谷あいに行て水を汲むことにした。その谷あいの水を汲んで家へ持ち帰り、
「おとうさん、これお酒を買うてもどったから飲めいや」と言っておとうさんにさしあげた。とこ

―191―

ろが、その水がおいしいお酒になっていたそうな。おとうさんは、
「まあ、これはおいしいお酒だ」
と言って喜んだ。
「あななお酒を買うてもどってくれ」と言った。
 男は父親のためにその谷へ行き水を汲んだ。ところがその男が汲むと水が酒になる。そしてその酒をいつもいつも父親に運んでおったそうな。
 ところが、それを聞いた隣の欲の深い男がその水を汲みに行った。ところが欲が深いものだから酒にならなかった。どうしたものだろうかと考えたが、どうしても酒にならなかった。親孝行な男
はその水を汲んで父親に与えておったそうな。ところが、その男の心に欲が出て来た。そしてその酒を汲んで帰り売ろうと思った。そこで沢山汲んでもどってみんなに売りかけたそうな。そうした
ところその水は酒にならずに水のままであった。そしてついに酒は出ないようになった。
                                     (香西コスエ)

一〇九 お四国さんの訪問
 ある所へお四国遍路のおへんど(「おへんど」に傍点)さんがやって来た。そして「宿を貸してくれ」と言うた。そこの

―192―

家にはまだ主人が帰っていなかったが、親切な奥さんは風呂を焚いてさきに入れた。ところがそのあとで主人がもどって来て、やかましく言って怒った。
 おへんどさんは大変恐縮して風呂を焚きなおすことにした。水を入れかえてへんどさんは自分の杖を燃やしたところ、一本の杖で風呂がわいたそうな。そこで主人に、
「おさきに入れてもろうて申し訳ない。沸いたからお入りになってくれ」と言うと、
「ほんなら入る」と言って入った。ところが下水板(ルビ げすいた)が主人の尻にひっついたそうな。どうしてものかなかったそうな。主人はこれは自分が悪かったと思い、自分もお四国遍路に出
かけた。お尻に下水板がひっついたままお四国さんに廻って行った。お四国さんを廻らないと、その板がのかんのやそうな。ところがその下水板が大きかったので小さく切って、おんば車(乳母車)
に乗せてお四国を廻ったそうな。                      (香西コスエ)

一一〇 風呂焚きそうま
 ある時、大尽が家へ来ることになった。その時そうまはんは風呂焚きの役があたったそうな。その大尽が風呂に入った。そこでそうまはんは、
「風呂の湯加減はどうか。焚きましょうか」と言うたそうな。そしたところ焚く物がない。そこで

―193―

そうまはんは「焚く物がない」と言ったところ、
「焚くもんがなけりゃ、そこらにあるもんなんでもなぜくえ(くべなさい)。そしたら沸く」と言うたん。
「へい」と返事して、そうまはんは言われたとおり、その辺にあるもの大尽の着物から何もかも風呂に焚いてしまった。そこで大尽が出ようとすると着物がない。
「そうま、服はどこへ置いたん」
「そこないにある物焚け、焚いたら沸くと言うたので、そこにあったもの全部焚いてしまいました」そう言ってすましていたそうな。                     (香西コスエ)

一一一 鳩の恩返し
 ある所に猟師がいて、山へ行っておったそうな。すると山に鳩がいて、木にとまっていた。それをその猟師が撃とうとしておったそうな。そこで、その猟師がもうトンと言わそうとするところへ
蟻が猟師の足にかみついたそうな。猟師は足をかまれたものだから、ねらっていた的がはずれてしまった。そのおかげで鳩は死なずに助かった。
 そうしたところ、今度は蟻がお寺参りをしに出かけておったそうな。すると雨が降って蟻は水に

―194―

流され池の中にいた。その時に鳩が木の葉を摘んで蟻の流されているところへ放りこんでやったそうな。すると蟻はその木の葉の舟に乗って助かったそうな。          (香西コスエ)

一一二 蟻の目にどんぐり
 昔々、蟻の目にどんぐりがはまって、錘(ルビ つむ)で掘っても針で掘っても出いで、立(ルビ たつ)臼で掘ってしたらころりとまい出た。                (香西コスエ)

一一三 猫又の話
 ある所に、猫はあまり飼うものではないと言うのに飼っておったそうな。まあ、大事にして飼っていたそうな。
 そうしたところ、その家にお仏飯をあげてあるのが、いつの間にやらきれいになくなっている。
そいでさあ、お仏飯がなくなるから、こりゃ不思議なと思うていた。今夜は何がとっているんだろうかと思うてじっと見ておった。眠ったふりをして次の間で見ておったところ、猫がそうっとはま
って(入って)来た。そして仏さんの扉と障子とをそうっと開けて、中のお仏飯を食べていたそう

―195―

な。そしてきれいに食べてしまって、自分のうしろうしろへお障子をたて(閉じて)、それからまた戸をたてて出て行った。
 それからどうするのかと思っていたところ、箒とうちわとを持って踊るんやそうな。その家の主人は猫が踊るものだから、
「うちの猫は踊るんじゃ」と言うたところ、人々は、
「そななことはない」と言うた。だけど主人は、
「そんなら、まあ来て見てくれ」と言うて近所の人に、
「もう猫又になっとるげな」言うて、来てもらった。
「そんなら見とどけてやる」と言って、近所の人々は見とどけに来た。
 そうしたところ、主人の言ったとおり猫は踊ったそうな。そして、ごはっつぁん(「ごはっつぁん」に傍点)(御飯さん)食べると箒とうちわとを持って踊るそうな。立って踊るそうな。
 そこでその猫にみんなが言うことには、
「おまえはの、修業がどうもでけたようなけにもう家を出てくれ」と言って手拭(ルビ てのごい)にお揚(ルビ わ)げと豆のごぜん(「ごぜん」に傍点)(赤飯)を炊いてそれを猫の首にひっかけてやっ
た。すると猫は涙をほろほろとこぼしながら、三べんまいまいして出て行ったそうな。
 猫は修業ができると、お仏飯を食べて踊るという話。            (香西コスエ)

―196―

一一四 猫又
 ある所に猫を飼っていた。その猫はきたなげな猫であった。そこで親戚の人がその猫をくさしたそうな。そうしたところその猫が怒った。ちょうどその親戚の人はその家に泊まっていた。その猫
は普通の猫とはちがって猫又であった。そこで「ああ、こりゃ猫でないわ」と思いながら泊まっておった。すると、夜になって家の煙出しから目が光ったのが見えた。これはただごとではないと思
い、じっと蒲団から出て隅の方で寝ころんで見ていた。そうしたところその猫又がその蒲団をめがけておそって来た。そして、蒲団ごて煙出しから出て行った。ちょうどその蒲団の中にはだれもい
なかった。
 このように猫又になると、家の煙出しから出入りするようになるという。    (香西コスエ)

一一五 灯台もと暗し
 金毘羅の人が大阪へ旅をしていたそうな。そして宿屋に泊まっておった。すると宿屋の亭主が、
「あんたどちらで」と言った。

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「四国の金毘羅さんじゃ」
「ほんだら、金毘羅さんのきざはし(階段)はなんぼあるんな」と問われたそうな。ところがその金毘羅の人はそれを知らずにあずった(窮した)そうな。
 そこで金毘羅の人は、こと何ぞで宿屋の亭主を困らせてやろうと思った。そしていい考えはないかと思っておった。朝起きて泉へ行て顔を洗おうとした。すると昔は竿で水を汲んでいたので、そ
の長い竿があった。そこでその男はこの竿の節をよめと思うて、つるべの竿の節の数をよんで宿屋の亭主に、
「ここのつるべ竿の節はなんぼあるんや」と言うたところ亭主は、
「さあ、知らん」言うた。
「知らん言うて、ここの主人でちがうんか」と言ってこらしめた。亭主はまいって断りしたそうな。
 だから、金毘羅へ参った時にはきざはしを数えていなければならないという。 (香西コズエ)

一一六 石堂丸の話
 昔の殿さんが妾(ルビ めかけ)と本妻と置いてあった。その二人は非常に仲が良かった。その殿さんが遊びに行て、

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「うちの二人は仲がええ」と言よったそうな。そしてその遊びから帰ってみると、二人は碁を打っていた。両方ともねむとうになって寝ておったそうな。そうしたところ妾と本妻との髪の毛が蛇に
なってもくいもくい(からみつくさま)になっていた。
 殿さんはそれを見て、もうここにはおれないと思い高野山の上へ登った。 そして坊さんになった。
 本妻には子供がなかった。妾には子供が生まれた。その子を石堂丸と名付けた。おとうさんは高野山へ登って坊さんになっている。その寺の弟子になっていっておる。そこで石堂丸をその妾が
連れて、高野山へおとうさんをたずねてあがることになった。ところが高野山は女(ルビ おな) ごがあがれないので、子供だけ上がらせて、自分はその下にいることにした。女ごの親はその間病気になった。そこで母親は、
「おまえは男の子だからあがって行け」と言うた。子供は一人であがって行た。すると坊さんがいたのでたずねた。すると、
「そういう人は死んだ」と言ったが、実はその人が父親であった。
「それならその墓を教えてくれ」と言った。そうしたところその坊さんは墓を教えるのだが、どの墓にしようかと捜していると、新しい墓があったので、これがおまえのおとうさんの墓だと言って
教えると、その子供はそこへ寄って、

―199―

「墓の下からでも一言名のりをしてくれぇ」と言っても、父の返事はなかった。父は死んでいないとはいったものの、その姿があまりにかわいそうなので、その父親は自分が父親だと名のりをしよ
うと思ったけれど、もし名のりをすると今までの修業がむだになると思いやめてしまった。そして、「いつまですがりついたとて死んだ者はものを言やせんわ。おかあさんが下でおるんなら、往(ル
ビ い)んでそのわけを話してもとへたち帰れ」と言うと、子供が、
「あなたが親ではないか」
「違う」と言った。親は名のろうと何度も思ったけれども名のれずにいた。そして石堂丸が山の下の宿屋までもどって見ると、女ごの親が死んでいた。そこで石堂丸は父親にも死なれ、母親にも死
なれして悲しみにくれていた。そこで宿屋の主人に泣きついた。すると主人が、
「それならあの出家さんに引導(ルビ いんど)を渡してもらえ」と言うてまた山へ行った。その出家した父親が来て引導を渡した。父親はその子を見て可哀想だと思ったが、
「もうここからおまえは往ね。もう引導を渡してやったのだから」
「往なん」と言った。
 その父親はしかたなくお勤めをするため上へあがって行った。
石堂丸は親の弔いをし終えて、とぼとぼ山へあがって行った。そのお弟子にしてもらおうと思

―200―

ってあがって行った。そして、
「お弟子にしてくれえ」と言って頼んだ。石堂丸はその出家さんを見て、
「だけどあなたが父のように思われる」
「いや父親ではない」
 こうして二人は親子の名のりをあげずに、石堂丸はついにお弟子になり、そこで過ごしたという話。                                   (香西コスエ)

一一七 長い話
(子供に長い話をせがまれた時には次のように言って語る)
 長い長い長崎のこわめしや。                       (香西コスエ)

一一八 信田の森の狐
 信田(ルビ しのだ)の森に狐がいた。その狐が猟師に撃たれてけがをした。それを貧しい人が助けた。するとそのけががなおったので、助けた男は「もう帰れ」と言って森へ帰らせた。

―201―

 その狐は恩おくりのためにきれいな嫁さんに化けて来た。そして、
「どうしても嫁にしてくれ」と言うので、しかたなくその貧しい男は嫁にして置いていた。しばらくしてその女に子供が生まれるようになった。そして男の子が生まれた。
 狐は恩おくりができたので男に黙って帰ることにした。子供には三十節の竹をやった。その竹はなんでも自分の思うことがかなえられる竹だと教えてやった。
 いよいよ狐が自分の家を去る時に障子に、
  恋しくばたずねて見よや信田の森へ……(忘却)
の三十一文字を書いて出て行った。
 しばらく時がたった。 子供は母親恋しさにその三十三節の竹を振って信田の森へたずねて行った。
 途中、町中でその竹を振って歌を歌って歩く。次々とその竹を振ると不思議なことが起こる。そのことが人から人へと伝わって、 しまいには殿さんの耳に入る。 殿さんはその子を呼びいれて、
「どうやったんや」とたずねる。すると子供は「こうやったんや」と言って殿さんに見せる。殿さんはその父親を呼び、二人に出世の道を開いてやった。こうして、貧しい男もその子も出世したそ
うな。                                 (香西コスエ)

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一一九 白峰さんとほととぎす
 白峰さんの根来寺(ルビ ねごろじ)は継(ルビ まま)親がかりであった。その子が十歳くらいの時、ほととぎすを大変かわいがっていた。ところがある時、継親がそのほととぎすを籠から逃がし
てしまった。その子はそのほととぎすをつかまえるために足に何もはかずに庭に出て行った。
 昔は人が黒土を踏むと、その家のあとがつげなかった。そこでその子供ははだしで出たので、家を追い出されて白峰さんにやって来たという。                 (香西コスエ)