第一部 武田 明編 1~35話(69K)

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底本の書名    全国昔話資料集成 32 東讃岐昔話集 香川
 底本の編集者名 武田 明 谷原博信

    責任編集 臼田甚五郎
         関 敬吾
         野村純一
         三谷栄一
    装幀   安野光雅
 
 底本の発行者  岩崎徹太
 底本の発行日  1979年10月5日
入力者名     松本濱一
校正者名     平松伝造
入力に関する注記
 文字コードにない文字は『大漢和辞典』(諸橋轍次著 大修館書店刊)の文字番号を付した。

登録日   2003年3月20日
      


― ―

 第一部  武田 明編




―16―
一 七夕さんの話
 昔、男前の悪い牛飼さんがいた。男前が悪いので嫁さんが来ない。嫁さんを捜したがどうしても来てくれぬ。そこで神や仏に願掛けをしたそうな。ところがある夜に夢告げがあった。
「ここから三里ぐらい東に行ったら浜辺がある。そこへ行くと天人が三人ぐらい降りて来て水あびをするからその中のきれいな天人の衣をかくして壺の中に入れよ」という夢告げだった。
 牛飼は牛を早うに飼ってから東へ三里歩いて行った。本当に言われたとおり浜辺があった。
 大きい松の木があったので松の木に上って隠れていた。天人が三人降りて来て松の木に衣をかけて泳ぎはじめた。そこで一番きれいな天人の羽衣を取って、持って来ていた小さい壺の中に入れた。
やがて水あびがすんだので三人は松の木のところへ来て衣を着ようとした。
 二人は衣があったので帰ることが出来たが、その中の一番きれいな天人は衣が無いので天に昇ることが出来ない。二人が天に帰ってから一人で泣いとった。そこで牛飼は松の木から降りて行って
泣くわけをきいた。衣がなくなったので天に昇れぬと言うので、牛飼は天人を家に連れて帰った。衣を入れた壺は小さいので腹巻に入れとったが、家に持って帰ると縁の下にほりこんでおった。
 やがて牛飼は天人を家内にして暮しとった。

―17―

 そのうちに女の子が生まれた。天人は糸ひき車をひいて機を織って牛飼と仲好く暮していた。
 ある日、女の子がまる (「まる」に傍点) (手まり)を作って遊んでいたら、まる(「まる」に傍点)がコロコロと転って縁の下まで転がって行った。縁の下まで拾いに行くと小さい壺があった。それを
持って帰ってお母さんに見せた。天人が壺の中をあけると自分の衣が出て来た。天人はそれを見ると、「わたしはもう帰るけにお父さんと一緒に暮らせ」と言った。そして「星を拝んでいてよく
光った星があるとそれをお母さんと思え」と言った。やがてお母さんは羽衣を着て天に昇って行ってしまった。
 子供は一人で泣いていると、そこへ牛飼がもどって来た。子供が泣いているのを見て「どうして泣くぞ」とわけをきいた。子供は「まる(「まる」に傍点)を拾いに縁の下へ行くと小さい壺があった
ので、それを拾ってお母さんに見せると、壺の中から羽衣を取り出して天に昇って行った」と言った。
 牛飼はこれはとりかえしのつかぬことをしたと言って悔んどった。
 子供はお母さんに会いたいので神さんにお祈りをした。そしたところがこんな夢の告げがあった。
「これから西へ三里ばかり行くと一軒の家がある。その家の破れ障子の中でお婆さんが糸引車をビューンビューンとひいとるけに、そのお婆さんに空へ昇る工夫は無いかときくがよい」という夢の
告げであった。
 夢の告げのとおりに、子供が西へ三里ばかり行くと、言われたとおりに一軒の家があって、破れ障子の中でお婆さんが糸をひいとった。子供が天に昇る工夫が無いかときくと、お婆さんは三枚の

―18―

鳥の羽をくれた。「何でも望むことがあったら懐(ルビ ふところ)の中でこの三枚の羽を振るがよい。何でも思いどおりになる」とお婆さんは言った。そこで子供は天に昇ってお母さんに会いたい
と思って懐の中で三枚の羽を振った。するとずんずんと天に昇って行った。白い雲や銀の雲や金の雲があったが、それを通り越して行って天の世界に昇ってしまった。
 天の世界では天人のお母さんやお爺さんやお婆さんがいた。お母さんは子供がやって来たので大層喜んだ。しかし下界の人間じゃけに置くことはならぬと言う。もしここでいつまでもおりたけり
ゃこれから東へ行った所に神様があるから、二十一日の間丑三つ刻に参って来いと言った。そこで子供は丑三つ刻が来ると参りに行ったが、怖ろしゅうて仕方がない。三頭の大きい牛がおるのをつ
んまたいで行ったり、色々な恐ろしいものがいたが、二十一日の間参って来た。そこで天上界においてもらうことになった。
 牛飼は子供も天へ昇ってしまったので空を眺めては泣いていた。神様に一所懸命にお祈りすると夢のお告げがあった。「これから西へ三里ばかり行くと一軒の家があってお婆さんが糸引車をひい
とる、そのお婆さんに天に昇る工夫は無いかときくがよい」というお告げであった。そこで牛飼はお告げのとおりに西へ三里ほど行くと、言われたとおりにお婆さんがいた。
 天に昇る工夫は無いかときくと、お婆さんは三枚の鳥の羽をくれて「これを懐の中で振ると天に昇ることが出来る」と言った。そこで牛飼は懐の中で三枚の羽を振るとじゅんじゅん天に昇って行

―19―

った。白い雲や金銀の雲の上に出て天上界に出た。天上界では家内であった天人もお爺さんもお婆さんも子供もいた。しかし天上界には下界の人間は置くことは出来ぬと言う。これから言うことが
出来たら置いてやると言った。
「ここからさきの方に大きい池がある。その池の中に鯉がおるがそれをみんなすくうてしまえ」と言った。そこで行って見ると、大きい池があって鯉がたくさん泳いどった。そんなことは出来るは
ずが無いと思ったが、そうそうこんな時にあの羽を使えばよいと思って三枚の羽を振ると、池の中から大蛇が出て来て、池の水をみんな吸うてしまった。そこで鯉をみんなすくうてしまった。
 ところが今度は六斗入りの南京袋を三つ持って来た。その中は大豆が一杯入っていた。牛飼の見ている前でその大豆をみんなふりうつして、これを一日の間に拾ってしまえと言う。
 牛飼はこれは困ったと思ったが、懐の中の三枚の羽を振ると、羽は懐から飛び出して三羽の鳩になった。鳩は大豆をみんな拾って三つの袋の中に入れてしまった。三つの羽が三羽の鳩になったの
で、牛飼はもう羽が無くなったらこれからさきどうしようかと心配していると、鳩は大豆と一緒に袋の中に一羽ずつ入って、また一つ一つの羽になってしまった。牛飼はその羽をまた懐の中に入れ
ておいた。
 今度は三反ぐらいの広さの山の木を全部伐ってしまえと言う。牛飼は今度も懐の中の三つの羽を振ると、コロコロコロコロと木はみんな伐れてしまった。すると今度は一日のうちに火をつけてみ

―20―

んな耕してしまえと言う。
 今度も懐の中の羽に頼むと一日のうちに火をつけてみんな耕してくれた。
 その畑に胡瓜(ルビ きゅうり)の種を全部蒔いてしまえと言う。また三つの羽に頼むと胡瓜の種子をうまく蒔いてくれた。すると今度はその胡瓜を一日のうちに実(ルビ な)らせと言う。これも
また三つの羽のおかげでうまく実った。すると、「胡瓜畑に番に行け」と言う。そこで牛飼は胡瓜畑へ番に行くことになった。天の川は雨が三粒降
っても大水になるのじゃそうな。一つの胡瓜の水で洪水になって何でも流れてしまう。牛飼が胡瓜畑へ番に行ったのを聞いて、家内の天人はこの事を知らせておけばよかったと思ったが、今さら仕
方がない。牛飼は食いしん坊だから胡瓜をちぎって食べるに違いない。そうすれば流されてしまうと思ったので、流れて来る夫を網ですくおうと思って、機をカランコロンカランコロンと織って網
を作ろうとしていた。
 ところが網が出来ないうちに夫は胡瓜を食べたのか大水が出て夫は流されて来た。そこで家内の天人は、
「月の七日に逢おうぜ」と大声で叫んだ。牛飼は耳が遠かったので機のヒを投げつけて、また、
「月の七日に逢おうぜ」と言うと、
「七月七日か」と言って、流れて行ってしまった。そこで天人と牛飼さんは今も七月七日に天

―21―

の世界で逢うのじゃそうな。
                      (大川郡長尾町多和 木村ハルエ〔六十一歳〕)

二 半殺しにするか
 昔々、山の中の一軒家でお爺さんとお婆さんが火を焚いとった。道に迷ったお遍路さんがそれを見つけてやって来た。そして泊めてくれと言った。
 お爺さんとお婆さんは遍路を泊めてやることにした。
 遍路が寝ていると、夜ふけてからお爺さんとお婆さんが何かひそひそと話をしとる。じいっと聞いていると、「半殺しにするか、手打ちにするか、まる殺しにするか」と相談をしとった。
 これは大変だ、ここでいては殺されるかも知れぬ、と遍路はあわてて逃げ出そうとした。
 すると、お爺さんとお婆さんが追いかけて来て、「あれは明日のご馳走の相談をしとったのじゃ。
半殺しは牡丹餅のことじゃ。手打ちはうどんでまる殺しは餅のことじゃ、心配せんでもええ」と言うので遍路はまたお爺さんとお婆さんの家へ引き返した。すると二人は何かこっそりと話をしとっ
たが、「実はうちの娘が死んだので葬礼(ルビ そうれん)が出来たから村の衆へ知らせに行かにゃならん。この辺りは狸が出るので婆さん一人の留守では心もとない。ついては婆さんと一緒に娘の
番をしてくれ」と

―22―

言った。そこで遍路が承知をすると爺さんは一人で出て行った。
 ところが寝とる娘の死骸が起きたり寝たりする。お婆さんが狸が向うの部屋でしとるのじゃと言うので、お遍路さんがじっと見ると、狸が障子の穴から手を出しとる。お遍路さんはそこで狸の手
をつかまえてぎんぎりもくに(がんじがらめに)しばりあげた。そして柱にしばりつけておいた。
 やがてお爺さんが村の人と一緒にもどると狸が柱にしばりつけられとる。狸はもう二度と悪いことはせぬ、どこそこの木の下に死人の骨があると言う。そこで掘って見るとたくさんの骨が出て来
たそうな。村の人はお遍路さんに大層礼を言うたそうな。
                                     (木村ハルエ)
三 狼さんの恩返し
 1
 昔々、おじいさんが山へ行(ルビ い)てはいまわりよったら狼さんがたたいて殺したのか山道に兎がころがっとった。お爺さんはそれを拾って帰って食べたそうな。ところが夜になって狼さんが
やって来て家のまわりで大きな声でいがる(叫ぶ)のじゃそうな。
 そこでお爺さんはお返しに鮒の大きなのを殺して家の外に放り出しておいた。狼さんはそれを持って帰った。

―23―

 お爺さんが節分の晩に五升樽を持っておみきを買いに行った。ところが帰りがけに髪の元結(ルビ もつとい)が切れた。そこで関札をこよりにして結わえて五升樽をかたいでよぼよぼともどり
よったら向うの方から片目のヤギョウサンが、シャンガラ、シャンガラと恐ろしい音をしながらやって来た。
 お爺さんは恐ろしいので傍の溝の中へとびこんで体をふせた。ところがどこからともなく狼さんがやって来てお爺さんの両方の肩をおさえつけたそうな。
 ヤギョウサンは、
「狼さん、ええ猟をしとるなぁ」と言うて、通りすぎてしもうたそうな。
 狼さんがおさえとる両手をのけてくれたので、お爺さんはわが家へ無事にもどって来たそうな。
 お爺さんは五升樽の鏡を抜いてわれも飲み狼さんにも飲ましたそうな。そいで狼さんは山へもどった。
 あくる日起きてからお爺さんが外へ出て見ると兎を一匹おいてあったそうな。
 これは狼さんが恩返しをしたのじゃなぁ。
                                     (木村ハルエ)
 昔は狼さんが時々家のまわりまで来た。小便桶(ルビ たご)の小便を飲みに来たのだという。
 2
 昔、村のそばの山で狼さんが、ウオンウオンと鳴いとったそうな。

―24―

 誰も恐ろしいのでよう近寄らぬ。
 お爺さんが近寄って見ると、狼さんは涙を流しながら泣いとったそうな。のどに何かが刺さっている様子なので、お爺さんはのどに手を突っこんでとげを抜いてやった。
 狼さんは喜んで山の奥へ行てしもうたそうな。
 あくる日になって狼さんはお爺さんのところへ兎を持って来てくれとった。
                                     (木村ハルエ)
 狼さんは萱の穂が三本あっても身をかくすという。
 話者の祖父さんが言うのに、便所の小便桶が朝起きて見ると空になっていたので、狼さんがゆうべ来て食べたのだというので大騒ぎになったという。

四 猿聟入り
 とんと昔があったそうな。ある所にお爺さんとお婆さんと三人の娘があったそうな。
 お婆さんが死んだそうな。お爺さんは日にも日にも山へ仕事に行って木を伐っとったそうな。
 ところが猿が出て来てよう手伝いをしてくれるのでお爺さんは、「娘のどれか一人を嫁さんにやるわ」と言うたそうな。
 お爺さんは家に帰ってから上の娘さんに、「猿のところへ嫁に行ってくれんか」と言うと、上の娘は、

―25―

「猿の嫁さんに誰が行くもんか」と言うたそうな。そこでお爺さんは二番目の娘に、
「猿のところに嫁に行てくれんか」と言うと、二番目の娘も、
「猿の嫁さんに誰が行くもんか」と言うたそうな。
 お爺さんは困ってしもうて三番目の娘さんに、
「猿のところへ嫁に行てくれんか」と言うたそうな。すると三番目の娘は、
「私が猿のところに嫁に行て上げる。その代りに嫁入道具を買うてくれ」と言うた。そして、
「六斗入りの五郎八がめ(「五郎八がめ」に傍点)とかんざしと嫁入衣裳一切を買うてくれ」と言う。お爺さんは末娘が行てくれると言うたので安心して言うとおりのものを買うてやったそうな。
 いよいよ猿が迎えに来たそうな。そこで五郎八がめを背中に結わえつけようとすると、猿は、
「これを持って行てどうするのか」と言う。末娘は、「この中で寝るのじゃ」と言うた。そこで綱でかめを猿の背中に負わせて山を登って谷の奥へ行った。そこに大きな池があったそうな。娘はそ
こまで来るとかんざしを池の中にとばしこんだそうな。そして、「早う取ってくれ」と言うたそうな。猿はかわいい嫁が言うことじゃけにドブンと池の中にとびこんだそうな。するとかめの中に水
がゴボゴボと入って猿はおぼれて死んでしもうたそうな。
 末娘は無事にわが家にもどって来たそうな。
                                     (木村ハルエ)

―26―
五 蛇聟入り
 昔から山へ行ったら女は帯をといてはならぬという。それは蛇につけられるからじゃそうな。
 山へ行て帯をといた娘がいたそうな。山へ行て帯をといたので蛇につけられて蛇が毎夜毎夜娘のところへ通うて来たそうな。人間に化けているので娘はそれが気がつかぬ。ところがどうも体がつ
めたいので不思議なことじゃと思うとった。そこでお母さんに相談すると、それは蛇が通うて来るに違いないと言う。
 朝になって見ると縁側が濡れとる。
 お母さんが「今夜来た時に針にすみ糸を通して男の体に刺せ」と言うた。娘はお母さんの言うとおりに男の体にすみ糸を通した針を刺した。
 あくる朝になって糸をたどってお母さんが行くと糸は池の中に入っていた。
 池の中で何か話し声がするのでお母さんが耳をすまして聞くと、蛇の親子が話をしとる。
 親が子に言うのに
「針を刺されたからお前の命は無いぞ」と言うた。すると子が、
「私の命は無しになってもかまわぬ。人間の娘にわが子を持たせたから」と言うと、親は、

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「三月三日の桃の酒と五月五日の菖蒲酒、九月九日の菊の酒を飲めば子種は降りてしまう」と言うた。お母さんはこれはよい事を聞いたと思って帰って来た。
 そこで三月三日の桃の酒、五月五日の菖蒲酒、九月九日の菊の酒を飲ますと、娘はたらいの中に蛇の子をようけ産んだ。三荷もあったという。
                                     (木村ハルエ)
六 飯食わぬ女房
 とんと昔もあったそうな。
 ある所にけちんぼの若衆があった。年頃になったので嫁を取りたくなった。そこで向いの山に上って三日三夜さ、「飯食わぬ女房無いか」といがっりよった。
 三日目の晩が来るときれいな嫁さんが来て、「飯を食わぬから置いてくれ」と言った。そこで置いてやると、飯を食わないでものすごくよく働く。これはよい嫁さんが来たと若衆は喜んでいたが、
どうも不思議だと思ったので、ある日のこと神さんへお参りに行たふりをしてこっそりと二階へ上って下を見ていた。
 嫁はお米を何杯もバケツに入れて米をとぐ。それから米を大釜の中に何杯も入れてからゴトコト

―28―

と炊いた。そしてご飯が出来ると、わが髪をたて真ん中にさっと割って大釜の飯をあっちからもこっちからもすくいこんでしまった。
 それから髪を前のとおりに結い上げて知らぬ顔で仕事をしていた。若衆はこれは化物じゃと思ったが、夕方になってこっそりと二階から下りて来て、今もどったぞと言った。
 嫁は若衆に、
「さき風呂に入るか」とたずねるので、
「さき風呂に入るわ」と言うてテッポウガマの風呂に入った。若衆が風呂の中に入って、
「ええあんばいじゃ」と言うと、化物は大きい石を取って来て風呂の蓋にして、下の柱から湯を抜いてそれを縄でくくって、風呂釜を負うて、
 やれ、こらしょ やれ、こらしょ
と、尾越え山越えて行く。ある山の尾のところで、「ああ、ほんどり(非常に)えらかった」と言うて化物は一服して寝てしまった。
 若衆は急いで石の蓋をおしあけて、松の木に上って外を見ると、その化物の子か知らん女や子供が向うの山にいっぱいおった。そこで風呂の中に石ころを
入れておくと、化物はそれを知らずに向うの山にもどってしまった。
 向うの山で、

―29―

「今日はええ獲物がかかったぞ」と言って、蓋をあけると石ころばかりで若衆の姿は見えぬ。ええ、しまった、逃がしたわいと思って化物は、「明日の晩に煙突から入って食い殺してやるわ」と大声
でいがった。若衆は松の木から降りてわが家にもどって来たが、近所の人をよんで来てわけを話して火床(ルビ ひどこ)の火をカンカンとおこして化物の来るのを待っていた。明日の晩になると煙
突がガアッと鳴ると、煙突から大きな蜘蛛が降りて来た。そこで皆でたたき殺してしまったそうな。夜の蜘蛛は親に似とっても殺せ、朝の蜘蛛は親に似とっても殺すなというのはそれから言うのじ
ゃろうな。
                                     (木村ハルエ)

七 粟の飯
 昔もとんとあったげな。
 大けな長者に一人娘があった。娘が年頃になったので養子をきめねばならぬ。
 長者の旦那はもりもりの粟のご飯を一粒もこぼさんと食べる者があればそれを養子にきめると言った。大勢の若者がわれこそ養子になろうと思ってやって来た。しかしどの若者も粟飯をこぼして
養子になることが出来なかった。
 その娘さんに好いた人があった。それは近所に住んでいる貧乏人であった。娘さんはこれを養子
―30―

にもらいたいと思って、「あなたも粟飯を食べに来い」と言った。私は粟の飯をこぼさないではよう食べぬと言うので、娘さんが入れ智恵をした。「あなたが粟の飯を食べている時に私が門の外で
歌をうたうから、その歌のとおりにして食べるがよい」と言った。そこで男は粟飯を食べに来た。
 娘さんは門口に立って、
  粟の飯、めし上る時ゃ
  中にちょっぴり 穴あけて、
  かっこみ、かっこみ、上らさんせよ
と歌うた。
 男は粟飯の中にちょっぴり穴をあけてかっこみかっこみ食べたので、粟は一粒もこぼれなかった。
 そこで、その人は貧乏人だったが、長者の家の養子になった。何でもよく出来て庄屋のよい跡取りになったそうな。
                                      (木村ハルエ)

八 話の好きな長者
 昔々、話の好きな長者があった。われにいつまでも話をする者があったら養子にすると言った。

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 そこで、話をよくする若者が次から次と長者の家へやって来た。何ぼ話をしても二日か三日すればつきてしまう。そこで誰も養子になることが出来なかった。利巧な人があって、跡取りになろう
と思って、長者の家へ出かけて行った。長者に向って話をはじめた。
 昔のことだが、大きな倉が何百棟もあって、その中にはお米が何十万俵も入っていた。その中へ鼠が入って一粒ずつ米をくわえて倉から倉へ運び入れようとした。また一粒くわえた、また一粒く
わえた、とくりかえして三日三夜さ話しつづけた。
 長者はもう何俵ぐらい運んだかな、ときくとその男は、
「さて、十俵ぐらいかな」と言った。三日三夜さ、まっつい(全く同じ)の話ばかりなので倉が何十もあるのにこれは三年も五年もかかると思うて、もう負けてしもうて、その利巧な男を長者の家
の聟にしたそうな。
                                     (木村ハルエ)

九 安珍と清姫
 昔、一人の坊さんがあった。その坊さんの名前は安珍といった。西国を廻っていて、ある木賃宿に泊った。そこに清姫というかわいい娘さんがいた。安珍は「今度自分が廻って来てよい娘さんに
なっとったら、わしの嫁さんにしてやるわ」と言った。そして宿を出た。

―32―

 何年かたって安珍が来て見るとますますきれいな娘さんになっていた。
 清姫が嫁さんにしてくれと言ったが、今度はするわけにはいかぬけに、しばらく待ってくれと言った。そして夜のうちに宿を出て大急ぎで逃げて行った。日高川のところで渡し舟に乗って向う岸
に渡ろうとした。
 清姫は安珍が逃げたのを知って大急ぎで追わえて来た。安珍が舟に乗って渡ったのを見て、自分の着物を脱いで蛇になって追って来た。安珍は道成寺という寺の中へ逃げた。貧乏寺なので安珍の
身をかくすところはどこにも無い。ひょっと見ると鐘撞き堂があって鐘がつるされていた。安珍は和尚さんに頼んで、その鐘を降してもらって鐘の中に入って隠れていた。
 清姫は追いかけて来て方々を捜したが、安珍はいない。ふと見ると鐘撞き堂の鐘が下に降されていた。これは不思議じゃと思ってよく見ると、釣鐘の下から草鞋のひもが見えた。そこでこの中に
入っていると思って鐘を七巻半巻いた。そこで尻尾で鐘をたたくと、鐘はとけてしまい中にいる安珍も死んでしまったという。                        (木村ハルエ)

一〇 関札の話
 昔々、ある男の所へ女が通うて来る。夜が来るとやって来るのだが、どうも肌がつめたいので、

―33―

これは何者だろうかと思うとった。
 男はじゅんじゅん痩せて来た。そこで、これは化物に違いないと思うた。坊さんに頼んで家のまわりに関札をはりつけて、その女が入って来んようにしとった。
 ところがある晩盗人がその家に入ろうとして田の中へ座っとった。女がやって来てその家に入ろうとしても、関札があるので中へ入ることが出来ん。盗人が田の中に座っとるのを見つけて、盗人
に頼んで関札を一枚はいでもろた。そこで女は家の中へ入って男の命を取ってしもうたそうである。
                                     (木村ハルエ)

一一 竹のはじける音
 昔、あるところにお父さんとお母さんと子供が一人おったそうな。
 ある時、お父さんとお母さんがよそへ行くことになった。子供に夜早う戸締まりをしておけと言って二人は行てしもうたそうな。
 ところが子供はうっかりしとって戸を締めるのを忘れとったそうな。夜が更けてから馬鍬(ルビ まんが)のコのような歯がある男が来て、家の戸口のところへ立ちはだかったそうな。子供はこ
れは化物に違いないと思うて、そばにある薪をくべて、どんどんと火を燃やしたそうな。化物は火を焚いとると入っ

―34―

て来んもんじゃけに次から次と薪を火にくべたそうな。
 化物は子供にむかって、
「わしが恐ろしいと思うか」と言うた。子供は恐ろしいと思うとったのに、化物がそのとおりのことを言うのでびっくりしたそうな。そこで、早よう戸を締めとったらよかったと思うとると、今度
は、
「早よう戸を締めとったらよかったと思うとるじゃろが」と言う。子供はお父さんやお母さんが早よう帰って来てくれたらええのにと思うとると、今度は、「早よう帰って来てくれたらええのにと
思うとるじゃろが」と言う。こちらの思うとることは何でも言いあてるので恐ろしゅうでしようがない。子供は夢中で火を燃やしとったが、もう薪がなくなって来たそうな。そこでそばにあった竹
をくべたそうな。すると竹がパァンとはじけて鳴った。
 化物は鉄砲で撃たれたのかと思うて、あわてて逃げて行てしもうたそうな。
                                     (木村ハルエ)

一二 女中と棺桶
 正月の元日は何にもせんが、二日の朝は家中の神さんや仏さんに万燈みたいに火をつけるものじゃそうな。そうすると福が来るということじゃ。

―35―

 昔、ある分限者(ルビ ぶげんしゃ)に一人の女中がおったそうな。二日の朝早ように起きて外を見ると、葬式の行列が来たそうな。じいっと見とると、行列は家の前まで来てとまって、葬式の人
が棺桶を預ってくれと言う。正月に縁起が悪いことと思うてことわると、明日にでも取りに来るから預ってくれと言うたそうな。そこで女中は仕方がないので、ニワの隅の唐臼の上へ筵(ルビ む
しろ)に巻いて置かしたそうな。葬式の人は礼を言うて行てしもうたそうな。
 朝になって旦那が起きて来て、ニワの隅に妙なものがあるのに気がついたそうな。
「あれは何なら」と女中にきくので、女中は棺桶を預ったことを話したそうな。
 ところが明くる日になっても棺桶を取りに来ぬ。二日たっても三日たっても取りに来んので、旦那は、
「このまま置いとくと死人(ルビ しぶと)が腐ってしまうぞ」と言うて、巻いとった筵をのけて見ると、棺桶じゃのうて、みんな小判じゃったそうな。旦那は、
「お前が日頃正直なけに神さんがくれたんじゃ」と言うて、旦那の家ののれんを分けてもろうて、女中は大きい家の主人になったそうな。
                                     (木村ハルエ)

―36―

一三 大窪寺の石の香炉
 昔、大窪寺の坊さんが葬式の帰りに猫を助けた。猫を連れて帰って飼っていたが、何年かしてから猫が大勢の仲間を連れて来て本堂の中で踊りまわった。そこでこれは猫又になったと思って、坊
さんは豆御飯を重箱に入れて猫に食べさせた。そして、「これを食べると出て行け。うらむなよ」と言った。猫はしおしおと出て行った。
 その晩に坊さんは夢を見た。猫が出て来て坊さんに恩返しをするという。「今から二、三日たつとこれから東の石田村の分限者に葬式が出来る。その時に簑笠を着て草鞋(ルビ わらじ)を穿いて
行け」と言う。
 坊さんはこれは妙なことを言うものだと思うたが、言われたとおりに雨具の用意をして出て行った。
 石田村に来て見ると、どこにも雨雲はなく空はよく晴れていた。他の坊さん達は、
「大窪寺の山猿めが」と言って嘲ったそうな。ところがいよいよ葬式が出る頃になると、急に一天かきくもって大粒の雨が降り出した。
 印導渡しのために棺桶を外に出して外行(ルビ そとぎょう)をすることになったが、大雨のためにどの坊さんも外行が出来ないで困っていた。すると大窪寺の坊さんは簑笠を着ていたので、外へ
出て印導を渡すこと

―37―

が出来た。そこで葬式は無事に出来たそうな。
 石田の分限者の人は大層喜んで、お天気を見抜いたえらい坊さんじゃと言うことで大窪寺の檀家になった。そしてお寺の本堂の前に立派な石の香炉を寄付したそうな。
                                     (木村ハルエ)

一四 切幡寺の話
 昔、貧乏な母と娘があった。娘も母も正直な気だてのよい者じゃった。娘さんはいつも機織りをしていたそうな。
 ある日のこと、一人のお遍路さんが来て布をくれと言うたそうな。娘さんはやさしい人じゃったので、機にかかっている布を外して真ん中のもっともよいところを切ってお遍路さんにあげたそう
な。
 お遍路さんは明くる日も来て布をくれと言う。そこでまたも機から布を外して真ん中の一番ええところを切って上げた。お遍路さんは大層喜んで帰ったそうな。
 ところがお遍路さんは三日目にもまたやって来たそうな。そしてまた布をくれと言う。娘は今度も機にかかっている布を外して、真ん中のよいところを切ってお遍路さんに上げたそうな。すると
お遍路さんは大層喜んで、

―38―

「これは大層心がけのよい娘さんじゃ」と言うて、娘さんを生き仏さんにしたそうな。そいでこの娘さんが切幡寺の観音さんになったんじゃそうな。今でも切幡寺は女の神様であるという。
                                     (木村ハルエ)

一五 化物屋敷
 昔々、遍路が諸国を廻りよったそうな。ある村へ来て見ると大きい屋敷があった。誰も人がおらぬ風なので中へ入ってじいっと座っとったそうな。
 村の人が来て「ここは化物屋敷じゃけに入ってはならぬ」と言うたそうな。遍路は「わしはそんなことはかまわぬ」と言うて中へ入って、絹蒲団を出して来て寝とったそうな。夜中頃になってき
れいな娘さんがどこからともなくすうっと出て来た。
 遍路は恐ろしいのでふるえとると、娘さんは、「あいてわたし あいてわたし」と言う。遍路はこれは一体何事かと不審に思うとると、娘さんは遍路の前へ来て手をついてお辞儀をしたそうな。
そして、
「どうぞ私を助けてくだされ」と言うたそうな。遍路は恐ろしいので、
「わしこそ助けてくれ」と言うと、娘さんは次のように話をするのじゃそうな。

―39―

「実は私はこの屋敷に奉公していた女中です。この家の旦那さまに見そめられてしもうて、わしの言うことを聞けと言う。しかし私は奥さんにすまぬけにどうしても旦那さまの言うことを聞かなん
だら、とうどう斬り殺されたしもうた。そして戌亥(ルビ いぬい)(北西の方角)の隅の柱の下へ小判と一緒に埋められてしもうた。私は成仏出来んで困っとるけにどうぞ私を助けてくだされ」
と言うのじゃそうな。
 そこでお遍路さんは戌亥の隅の柱の所を掘ったら、その女中の死骸があって下に小判の一杯つまったかめがあったそうな。それでお遍路さんは女中の死骸を丁寧に葬ってあげて、かめの中の小判
を取り出したそうな。それで村の人にこの小判の金はわしが貰ってもよいかと言うと、村の人もそれはあなたの運(ルビ ぶに)じゃというので、その金を貰って大金持になった。
                                     (木村ハルエ)

一六 うば棄て山
 昔々、六十になったら、お爺さんでもお婆さんでも山へ持って行て棄てないかんことになっとった。ところがある所に大層親孝行な息子が住んどった。
 お婆さんが六十になったので、どうしても棄てないかんことになったそうな。親孝行な者じゃけに、お婆さんを棄てるのが辛うて辛うてならんのじゃそうな。畚(ルビ ふご)に乗せて連れて行く
ので、お婆さんが畚を編んでくれた。そしてこの畚はお前がまた年が寄ったらこの畚に乗って、親捨山へ連れて

―40―

行かれるのじゃけに、この畚は腐らさんように置いとけよと言うたそうな。
 そしていよいよ行くことになって朝早ように起きてお婆さんを畚に乗せて行くのじゃが、お婆さんは曲り角が来ると、そこに生えとる木の枝をちょこんと折って、こよりを結わえつけまたちょこ
んと折って、こよりを結わえつけて行くんじゃそうな。大分登って来たところでもうなま暗うになったけにお前はもう帰れと言うたそうな。
 そいで早よういねよ、遅うになったら道が分らんけにと言うたそうな。息子は今ももう道が分らんと言うと、大事にその畚をかたいでいね、二十年か三十年さきになると、お前がまたかたいで来
てもらわないかんのじゃけにと言うたそうな。そいで持って帰ると納屋の上の高いところへ吊しておけよと言うたそうな。それから道には曲り角曲り角に木の枝を折って、こよりを結わえつけてあ
るけにそれをあてに帰れよ、と言うたそうな。
 それを聞くと息子は、お婆さんが可哀そうでならんようになって、無理に負うていぬと言うて、お婆さんを負うてもどったそうな。そして屋根の棟に二階をこしらえてそこへお婆さんを隠しとっ
たそうな。そいでご飯はこっそりと運んで養うとった。それから何年かたって大名が触れを国中にまわして、「火を紙に包んで来い。灰の縄を持って来い。それから叩かん太鼓を持って来い」と
言うたそうな。そしてそれが三つ出来たらどんな褒美でもやると言うた。息子はお婆さんにこななお触れがまわったんじゃと言うたそうな。お婆さんはそれを聞くと、それは易いことじゃと言うた。

―41―

息子がお婆さんそれはどないしたらええじゃろかと言うのでお婆さんは、「藁をトントントントンと叩いて、もう濡らして叩き濡らしては叩く。そして縄をくりにくりにのうて火に焼いたら、へち
(ヘリ)は灰になっていても中は縄のままじゃ」と言うたそうな。それから太鼓の方はときくと、
「こっちの方は太鼓の皮のままにしといて、こっちの方は紙に貼って、その中へ蜂の巣を入れて行くとええが」と言うた。息子は「ほいだら紙を火に包むのはどうしたらええか」ときくと、
「それは提灯に火をつけてそれを持って行け」と言うたそうな。そこで息子はお婆さんの言うたとおりにして持って行た。殿様はそれを見て、
「これはお前の智恵ではあるまいが」と言うた。そこで息子は、
「へえ、わたしの智恵ではございません」と言うと、殿様は、
「それではお前はどこからこの智恵をとり出したぞ」と言うたそうな。すると息子は、
「私はもう殺されてもかまわぬけに言うが、実はお婆さんをおば棄て山に連れて行たんじゃ。それでもどろうとしたが帰りの道が分らんようになった。ところが親はありがたいもんで、行く道々木
を折ってこよりを結わえつけておいてくれた。それから畚(ルビ ふご)はお前がまたうば棄て山に連れて行かれる時にいるから大事にして納屋の上へ吊っておけと言うてくれた。そこで親は大事な
者じゃと連れて帰って家の棟のところに二階をこしらえてそこの上に親をかくしといた」と言うたそうな。そい

―42―

で息子は、
「殺されるのならわしを殺してくれ」と言うた。すると殿様は、
「殺すどころか、お前は親を大事にしとったから褒美を取らすぞ」と言うて、物すごう褒美をくれたそうな。
 そこで殿様はそいでどなにして灰縄をこしらえたのかときくので、藁を濡らしては叩き、濡らしては叩いて作ったと言うたそうな。そして提灯に火をつけて行ったから、ぐるりは紙でも中は火が
消えざったと言うた。叩かん太鼓に鳴る太鼓は太鼓のふちをぐるりとまわしたら、太鼓の中から蜂がいっぱい出て来て殿様やみんなを刺したから、叩かん太鼓に鳴る太鼓、ヒュウヒュウ袖のしぶか
みづらになってしもうて大騒ぎになってしもうたそうな。
 ほいだけど、殿様はお前は親孝行者じゃけにと言うて褒美をしっかり取らせて、親を大事にかくもうておけよと言うたそうな。                       (木村ハルエ)

一七 運定め話(水に溺れて死ぬ)
 昔、お遍路さんが四国をずっと廻りよるうちに山ん中へ迷いこんでしもうたそうな。夜になってもどこっちゃ家が無いけに困っとると、金毘羅(ルビ こんぴら)さんの屋形があった。そこで何ん
ちゃないけどここ

―43―

で寝ないかんと思うてとろとろと寝よった。すると、
「金毘羅さん今晩は、金毘羅さん今晩は」と言うて戸を叩く音がしたそうな。ほんだら、
「どしたんなら」と言うて金毘羅さんが返事をしたそうな。すると、
「今晩庄屋のうちに子が出来るけに行きまへんか」と言うた。すると、金毘羅さんは、
「今晩はわしの内には客があるから行けぬ。お前やがいてええようにしてくれ」と言うた。すると、
「観音さんも行きよる。誰やらさんも行きよる」と言うて、どうも多勢そろうて行きよるらしい。
「しかし、わしは行けんけに」と言うと、皆は多勢で行ったが、やがてしばらくしてもどって来た
ので、金毘羅さんが、
「それでうまいこと出来たか」と言うと、
「ええ、うまいこと出来ました。それが丸々と太った男の子ですが、その子はなぁ七つの年の何月の何日の日になると水に溺れて死ぬということになっとる」と言うたそうな。それを聞いてしばら
くして、その遍路は今のは夢じゃったか、ほんまじゃったのかと考えて見たが分らぬ。まあ行て見いと夜が明けて山の下へ降りて行くと、庄屋のうちに丸々と太った男の子が出来とったそうな。
 そこで遍路はその家へ行て、
「うそかほんまかは知らんけど、ゆんべ金毘羅さんの屋形でこの子は七つの年の何月の何日に水に

―44―

溺れて死ぬという卦(ルビ け)が出とる。ほいだけに七つの年の何月の何日は気をつけておけ」と言うたそうな。そこで庄屋の家ではその子が七つの年の何月の何日になると、子供のまわりに戸を
立てて、その子を中に入れとったそうな。子供は外へ出してくれ、出してくれと言うて、騒いどったが、しばらくすると静かになったので、中へ入って見ると、水と書いた唐紙にもたれて死んどっ
たそうな。                                (木村ハルエ)

一八 左甚五郎の話
 昔、左甚五郎というえらい大工がおった。諸国を歩いとったが、金がなくなってしまった。
 ある宿屋へ来て酒を飲んでいると、宿の婆さんが出て来て、「お前さんはもう金も無いのだから出て行てくれ。ここはもうすぐ大名が来て泊るから」 と言う。すると左甚五郎はそれならお婆さん
にもうけさしてやると言うた。殿様の泊る座敷の床柱を切ってそれで鳩を作った。それから雑巾を
金屏風にぶつけた。
 お婆さんが座敷へ来て見ると、床柱は切られ金屏風は雑巾をぶつけているのでびっくりしてしまった。ここへ殿様が来るからお叱りをうけると言うて、それでびくびくしとった。
 甚五郎は「心配するな、金もうけをさせてやるから」と言って平気でいた。そこへ殿様がやって

―45―

来て座敷の中へ入ると、甚五郎は右手で自分の作った鳩を指さした。すると鳩はバタバタと飛んだ。それから金屏風の方へ向いて雑巾のあとをさすと、そこのところが下に落ちて蟹になって這うた。
 殿様はびっくりしてお婆さんに金をやったので、お婆さんは金持になって安気に暮したそうな。
                                     (木村ハルエ)

一九 茶栗柿麩
 昔々、あるところにお母さんと阿呆な息子があった。
 ある時、息子が茶と栗と柿と麩とを町へ売りにいたそうな。
  茶っ栗柿麩(チャックリカキフ)、茶っ栗柿
と大きな声で売って歩いたが、どうしても売れぬ。そこで帰ってお母さんに言うと、
「茶は茶でべつべつ 栗は栗でべつべつ 柿は柿でべつべつ 麩は麩でべつべつ と言わぬけに売れぬのじゃ」と言う。
 そこで二日目はお母さんに言われたとおりに、
  茶は茶でべつべつ 栗は栗でべつべつ
   柿は柿でべつべつ 麩は麩でべつべつ

―46―

と言うたがやっぱり売れぬ。
 三日ぶりも行ても一つも売れぬ。そのうちに日も暮れて来たので帰りよったら、お地蔵さんが一人きりで立っとった。息子は、
「お地蔵さん、お前に売って上げるわ」と言うて、茶と栗と柿と麩とをお地蔵さんに結わえつけた。
そして家に帰って来ると、お母さんが今日は売って来とるが誰に売って来たぞと言うた。すると息子は、
「お地蔵さんに売って来た」と言う。お母さんは、
「お地蔵さんなら銭はくれんじゃろ」と言うと、息子は一文だけくれたと言うてお地蔵さんに上げてあったお賽銭を見せたそうな。阿呆の息子はしようが無いわと思うて、お母さんがお地蔵さんに
結わえつけた茶と栗と柿と麩とを取って来いと言うたそうな。
 そこで息子が明くる日にお地蔵さんのところへ行て見ると小判が一杯あった。そこでその小判を持って帰ったので、お母さんはびっくりしてしもうた。そいで阿呆の息子とお母さんは安気に暮す
ことが出来たそうな。                           (木村ハルエ)

―47―

二〇 お遍路さんと化物
 昔、お遍路さんが四国の山道を歩いていたが、日が暮れてしまった。どこかで宿を借ろうと思っていると一軒の家があった。泊めてもらおうと思って宿を貸してくだされと言うと、一人のおっさ
んが出て来て、
「宿は貸すが、実はわしの所に死人が出来た。うちの嫁が死んだのじゃ。お前が一里ぐらいさきの村まで知らせに行てくれるか」と言う。お遍路さんは、
「暗い山道を行くのは困る」と言うと、
「それならば死人の番をしとってくれるか。化物に死人を取られたら困るけに」と言う。
 そこでお遍路さんは死人の番をすることになったそうな。おっさんは村の方へ行てしもうた。
 お遍路さんが番をしとると、死人が小さい手を出して枕もとに供えているマクラダンゴを手にとって食べる。これは不思議だと思って見ていると、またマクラダンゴを食べる。じいっと見ている
うちに小さい手が何度も出て来てとうどうマクラダンゴを食べてしまった。
 お遍路さんはこれは化物の仕業に違いない。化物が来た時は火を切らさぬようにしなければならぬと思ったので、あわてておかんす(茶釜)の下の火を焚いた。火をどんどんと燃やしていると、湯

―48―

が湧きまけて(あふれて)くる。そしてそのたびごとに白い足が湯の中からとび出て来る。
 そこで怖ろしゅうになって逃げようとして、死人の枕もとのマクラメシも何もかもけとばして外へ出た。すると今度は小さい手がいくつも出て来てマクラメシを取ろうとした。
 これはたまらんと思うてお遍路さんが一目散に逃げると村へ行って帰って来るおっさんに会うた。
「どうしたのなら」と言うので、
「わしはもう化物が出たけに逃げるわ」と言うので、おっさんがわけをきくと、お遍路さんは白い手の化物や白い足のこと、マクラメシをつかもうとした手のことを話した。
 すると、おっさんは、
「その白い手は三つになる子供を死人のそばで添い寝させておいたがその手じゃ。白い足は茶袋のかわりに白い足袋をつかったのが湧きまけるごとにとび出たのじゃ。マクラメシを取ろうとした手
は猿の手じゃ。わしは猿回しじゃけに猿をようけ飼うとる。その猿がひもじゅうでマクラメシを取ろうとしたのじゃ」と言うた。そこでお遍路さんはやっと安心したそうな。
                                     (木村ハルエ)

―49―

二一 鶴の恩返し
 昔々、お婆さんと一人の息子が住んどった。
 山の中で鶴が矢で射られて苦しんでいたのを連れて帰った。お婆さんが膏薬をつけてやったので傷も大分なおって来た。そしてそのうちに鶴は飛んで行ってしまった。
 それから何日もたってある日のこと、一人の娘さんがたずねて来た。そして帰ろうとしない。息子はまだ嫁をとっていなかったので、とうどうその娘さんが嫁になったそうな。
 お婆さんは機織りの名人だったので嫁さんに機織りを教えた。嫁さんも大層上手になった。そのうちにお婆さんは死んでしまった。
 息子と嫁さんは二人で仲好く暮していた。ある日、嫁さんは一枚の布を織ったが物すごく上手できれいなので息子は町へ売りに行った。物すごくよい出来ばえだったので評判になった。それから
嫁さんはもう機を織らずにいた。ところが嫁さんが機織りの名人であることを聞いて、殿さんのお姫さんが金(ルビ きん)とおしの布を織ってくれと言って来た。嫁さんはあまり織りたくはなかっ
たのでことわろうとしたが、たってのお望みなので仕方なく織ることになった。織屋へ入る前に嫁さんは、
「私の機を織るところを見てくれるな」と言う。そして織屋へ入ってしまった。

―50―

 息子はいつまでも嫁さんが織屋から出て来ないので心配してそっと中をのぞいて見ると、一羽の裸の鶴が金とおしの布を織りさしにしたまま機の上で死んどったそうな。これは鶴が恩返しに来た
のじゃなあ。                               (木村ハルエ)

二二 あわて者の金毘羅参り
 昔はこのあたりから金毘羅参りに行くのは、ここから塩の江まで出て、それから山伏峠を越えて行きよったもんじゃ。朝とうに(朝早く)起きて行くと、金毘羅さんに着くと昼すぎになったという。
 村に一人のあわて者があったが、金毘羅参りに行くことになった。よいのうちに家内に弁当をこしらえさせて枕元においた。家内には朝とうに起きるから起きんでもええぞと言うて寝た。あくる
日になってとび起きて急いで家内の腰巻をぱっとひろげて、木枕を腰巻に包んで出かけた。金毘羅へ着いて弁当を食べようと思うてあけて見ると、腰巻に包んだ木枕が出て来た。これはしもたこと
をしたと思うたが、あとの祭りでひもじい目をしながら帰った。
 家内の方は起きて見ると、弁当を包んだ風呂敷がそのままおいてあった。ひもじい目をしているじゃろと思うていたが、そのうちに日が暮れて夫がもどって来た。

―51―

 昔の弁当行李は木枕と似とったけに、こんなこともあったのじゃなあ。     (木村ハルエ)

二三 二人の金毘羅参り
 昔、村に一人の信心者がいた。いつも金毘羅さんに月参りをしとった。近所に住んでいる男が、
「今日はおらも一緒に行くぞ」と言うて二人で連れ立って出かけた。ところが途中の道で日頃はめったに参らぬ方の男が、金が一杯入っとる袋を拾うた。男は、
「おらはもう参るのはやめたぞ」と言うて引き返してもどってしもうた。
 月参りの男は金毘羅さんに行って、
「わしは月参りをしとるのに何のご利益(ルビ りやく)もくれぬ」と文句を言うた。すると金毘羅さんが出て来て、
「お前は前の生は軒端に住んどる雀じゃった。そこで毎日毎日稲の穂を食べて楽をしとったけに、今も月参りをしなければならぬ。ところがあの男は前生は牛で家を建てる時にえらい目をしたもの
じゃ。それで楽をさせてやろうと思うて金の袋を拾わせたのじゃ」と言うたそうな。
                                     (木村ハルエ)

―52―

二四 柳のおりゅう
 昔、ある村へ殿様が家来を連れて鷹狩りにやって来た。柳の木の上に鳥がいたので家来が弓に矢をつがえて射た。ところが何にひっかかったのか鳥が落ちて来ない。そこで殿様はあの鳥を殺さず
に捕って来る者は無いかと言った。
 村に一人の木こりが住んでいた。なかなかの弓矢の名人であったそうな。殿様のお触れがあったので木こりは殿様のご前に出て来た。
「私があの鳥を殺さずに射落しましょう」と言う。それでは「柳の木を伐らずに射落せ」というので、木こりは弓で鳥を射た。鳥は足に少しのけがをしたが生きたまま落ちて来た。
 殿様は大層喜んで、「何でも欲しいものを取らせよう」と言った。木こりは「私は独り者だから嫁をもらいたい」と言うと、殿様は「これはやさしいことだ」と言ってお帰りになった。
 その夜、木こりの家へきれいな娘さんがやって来た。そして置いてくれと言うので置いてやったが、何日も滞在していてとうどう木こりと夫婦になってしまった。二人の間には男の子が生まれた
ので童子丸という名をつけた。
 童子丸が八歳か九歳になった頃に京の町で三十三間堂を建てることになった。仏様には柳の木が

―53―

ご馳走だというので、方々へ人をやって柳の大木を捜させた。この村へも役人がやって来て以前に木こりが矢を放った柳の大木を見つけた。そこでその木を伐ることになった。
 木こりは召し出されて柳の木を伐るのだが、木こりの家内はその日から病気になってしまった。
山へ柳の木を伐りに行くと、毎日毎日家内はしんどい、しんどいと言って苦しそうにする。一方、木こりの方は柳の木を大鋸でひくのだが、あくる朝になって行くとひいた筈のおがくずが元のとお
りにくっついて、木はなかなか伐れないでいる。そこでオガクズを焼きながらひくと、とうどう木は倒れてしまった。ドシンと大きい音を立てて倒れると、柳の木の葉がヒラヒラと散って、その中
の一枚はどうしたものか木こりの家の窓から中へ入って来た。そしてその日以来、木こりの家内はどこへ行ったのか分らなくなってしまった。
 木こりの伐り倒した柳の木を、舟に乗せるところまで運ぶことになった。ところが柳の木は何人かかっても動こうとしない。どうすればよかろうかと心配した役人は、この木を引いた者には褒美
を取らせると言った。
 ある夜、木こりが寝ていてうつらうつらとしているうちに夢を見た。夢の中で家内が出て来て、
「実は私のあの柳の魂じゃ。あなたが柳の木を伐らないで鳥を生け捕りにしてくれたので、恩返しをしようと思ってあなたの家内になったのじゃ。あなたと童子丸を出世して京へ上らせたい。それ
が私には出来る。床の間に私の髪の毛を置いてあるから、あの髪をねじりあわせて縄にして引くと

―54―

柳の木は動く。その時にあなたが歌って童子丸に引かせてくれ」と言う。
 木こりは夢からさめて床の間を見ると、本当に黒髪が置いてあった。これは夢の告げだと思ったのでその髪で縄をのうた。そして童子丸と一緒に柳の木を引くことにした。
 木こりが木の上に上って音頭を取り童子丸が黒髪の縄で引くと、木はすっとびすっとびしてやがて船のところまで行った。 そこで船に乗せて京の町まで行った。 やがて三十三間堂の棟木になっ
た。
 木こりと童子丸は取り立てられて出世したが、しまいには三十三間堂の中の仏様になったそうな。
                                     (木村ハルエ)

二五 大滝寺の猫又
 昔、大滝山の隠元さんが葬式に行って小僧を連れて帰りよった。途中、大勢の者がガヤガヤと騒いでいるので見ると、婚礼の向付の肴をくわえた猫を皆で殺そうとしとった。隠元さんが魚代はわ
しが払うから猫をこらえてやれと言う。そこで猫をもらいうけてお寺で飼うとったそうな。利巧な猫でおじゆっさんが出て行く時は、早うお帰りなさいませと言う風に両手をついて挨拶をする。帰
って来た時も挨拶をするし、おじゆっさんが風呂に入ろうとするとユテ(手拭)をくわえてくる。そ

―55―

こでおじゆさんは大層気に入って猫を大事にしとったそうな。
 ある日、おじゅっさんが七曲りのところをもどって来ると、猫が多勢集ってぐたぐたと話をしとる。一匹の大きいのが、
「早よう来ようと思うたがお客さんが来とったので来れなんだ。急いでユテをかぶって来たので冷とうてならぬ」と言う。それから猫は多勢で踊り出したそうな。
 おじゅっさんは、これは不思議なことじゃ、と思うて、わが寺へもどって来ると、小僧がいたので、
「小僧、お客さんが来たか」と問うた。小僧が、
「はい、お客さんが参りました」と言うと、
「風呂に入れたか」とおじゆっさんが聞いた。小僧が、
「はい、風呂に入れました」と言うので、
「ユテを使うたのなら、ユテを見て来い」と言うたそうな。
 小僧がユテを見に行くと、今まであった筈のユテが無かった。そこでおじゆっさんにそのことを言うと、おじゆっさんはそれでうちの猫も猫又になったのじゃと思うたそうな。
 夜中すぎて猫がもどって来たけに、おじゆっさんが、
「お前はどこに行とったのか」ときくと、猫は黙ってあっちへ行てしもうたそうな。

―56―

 それから何日かしておじゆっさんも小僧も法事があって出かけたそうな。ところがお寺へ帰って来ると本堂の中で猫が多勢で踊りをしよる。
 おじゆっさんはこれを見て、うちの猫にはもう暇を取らせねばならぬと思うたそうな。そこで豆ご飯を炊いて重箱に入れて猫に食べさせたそうな。そして猫にむかって、
「お前はもう出て行(ルビ い)てくれ」と言うたそうな。
 猫は豆ご飯を食べてはおじゆっさんの顔を見ていたが、とうどうおらんようになってしもうたそうな。おじゆっさんは猫に暇を出したが、猫がかわいそうでならぬ。あれだけわしのためにつくし
てくれていたのに追い出してかわいそうなことをした。置いてやればよかったのにと思うとったそうな。
 おじゆっさんはある夜夢を見た。その夢の中に猫が出て来て、おじゆっさんには世話になったけに恩返しをすると言う。そして、
「ここから三里ばかり下の安原の村に庄屋さんの家があるが、もう間もなく庄屋さんの嫁さんが死ぬ。おじゆっさんは墨染めの衣を着てひちじゅうの袈裟を肩にかけ托鉢を持って行たらよい」と言
う。
 それから向うの家へ行たら、
「今日は晴れればよいがなあ」と言うと、向うの人が「何の証拠があってそんなことを言うか」と

―57―

言うので、「その時は衣の右の袖を上げるとよい。そうするとわれが猫の姿をして裃を着て座っとるから」と言うたそうな。
 二、三日して安原の庄屋の家の嫁さんがほんとうに死んだ。おじゆっさんは猫に言われたとおりに墨染めの衣を着てひちじゅうの袈裟を肩にかけて托鉢を持って庄屋の家へ行たそうな。そして、
「今日は晴れるとよいがなあ」とひとり言を言うと、それを聞きつけた庄屋の人が何を証拠にそんなことを言うのかときいたそうな。そこで衣の右袖をたぐり上げると大きい猫が裃を着て座ってに
らんどった。
 それを招かれて来ていた住職が見て、庄屋に向い、この人でなければ送りはできぬと言うたそうな。今まで三日もの間、送りをしようとすると、一天俄かにかき曇って雨が降って送りが出来ない
で困っていたので、庄屋は墨染めの衣を着ていた大滝山のおじゆっさんに送りをしてくだされと頼んだそうな。その時どこからともなく猫がやって来て、
「おじゆっさんよ、わしが雨を降らすけにその時は数珠の一の玉をくりぬいてくじを切ってくれ」
と言うた。
 大滝山のおじゆっさんは、庄屋から頼まれたので墨染めの衣を脱いで上からひちじゅうの袈裟を着た。そして野辺の送りを行った。すると空が俄かに曇って真暗となり、火車(ルビ かしゃ)が下
りて来て棺桶をうばおうとしたそうな。

―58―

 大滝山のおじゆっさんはあまりのことにあわててしもうて、一の珠を抜かないであわててくじを切った。しかしそのために空は晴れ上って無事に送りをすますことが出来たそうな。
 おじゆっさんが寺へ帰ってくると、 猫が片目になってやって来たそうな。そしておじゆっさんに、
「あれほど言うてあったのに、 一の珠を抜かなかったので、 わしは片目になってしもうた」と言う。
 おじゆっさんは、
「わしはあわてとったので忘れてしもうた。こらえてくれ」と言うたそうな。
 それから二、三日もして安原の庄屋が礼に来たそうな。そして庄屋をはじめ安原の村の者四十七軒がみんな檀家になると言うた。猫が恩返しをして檀家をつけたのじゃなあ。
 昔は阿波へ魚を持って行く行商人も、寺へ油揚げを持って行く人も、みんなあの七曲りを通って行たが、あしこまで行くとカタッと音がして魚も揚げも取られていたという。それは猫又の仕業じ
ゃったという。
 今から八年ばかり前に猟師が大滝山で猫を撃った。ところがそれが目方で八貫目もある猫で片目じゃったという。あの猫又に違いないと村の人は噂をしたという。       (木村ハルエ)

―59―

二六 手を切られた娘
 昔、村に一軒の料理屋があった。そこの嫁さんが死んであとから嫁さんが来た。さきの嫁さんには梅という子があったが、あとの嫁さんにも女の子が出来て、それを花子と名をつけたそうな。継
子も本子も大きゅうになったが、本子の花子はおべちゃさん(醜い女)で、継子の梅はきれいな娘じゃったそうな。継母は花子にはきれいな着物を着せて、お客が来ると座敷に出したが、梅子には汚
ない着物を着せて下働きをさせてこぎ使っていたそうな。
 ある時、隣村の名主の息子が酒を飲みに来たそうな。それはそれは立派な若旦那であった。若旦那は水仕事をしている梅子を見染めて、座敷に通るとあの娘にお酒をつがせてくれと言った。継母
はうちのお酒をつぐのは花子じゃと言って、花子に酒をつがせようとした。
 すると若旦那は、
「いやこの娘ではない。汚ない着物を着て台所で働いていた娘じゃ」と言うので、継母はしぶしぶ梅子に酌をさせると、若旦那は満足して帰って行った。それからしばらくして若旦那はまたやって
来て、
「今度は梅子をわしの嫁にくれ」と言う。すると継母は花子さんによい着物を着せてかざりたて

―60―

て、
「これがその娘でございます」と言って若旦那の前に出した。
 若旦那は、
「もう一人の粗末な着物を着た方の娘じゃ」と言うので、継母は仕方なく梅子を顔だけ洗わせて、絣の着物のままで足袋もはかさせずに前へ出したそうな。 梅子は畳を七足半で歩いて若旦那の前
へ来ると、半歩下ってお辞儀をして酒をついだ。若旦那はそれを見てすっかり気に入って、
「どんなことがあってもその子をくれ、 何月何日に迎えに来る」 と言っていったん帰ってしまった。
 継母は梅子にむかって、
「お前がおるために花子が嫁に行けんのじゃ」と言って、梅子を連れてクマガタケという山の中の大きい崖のところまで連れて行き、両方の手をサッと切って崖から下へまくしこんだ(転がし落し
た)。梅子は両手がないのでコロコロと転がって、大きい穴の中へ落ちて行った。気絶したままでいると、そこは熊の棲み家だったので、熊が帰って来て傷あとをなめてなめてなおしてくれる。梅
子が気がつくと熊は心配せんでもよいと言った顔つきで梅子の顔をじいっと見ている。そして熊はわが手を何度も何度もなめる。梅子も熊の手をなめて見るとええ味がする。熊はわが手で蟻をすり
つぶしているのでうまいわけじゃ。梅子は熊の手のひらをなめて、そこで暮していたそうな。

―61―

 しかし大分元気になったので梅子は熊の穴を出て山の下へ下って行った。大きい川が流れているので、そこでじっとたたずんでいると、向うから荷舟がやって来た。ひとつこの舟に乗ってやれと
思って、舟に積んどる箱の下にもぐりこんだ。船はやがて向うの村に着いた。
 梅子はこっそりと舟から抜け出して歩いて行くと、それはわれを見染めてくれた名主の若旦那の屋敷じゃった。坪の内(庭)に入りこんでゆくと梨の木があって実が一杯なっていた。両手が無いの
で食べることが出来ぬから下の方の実をかぶって(かじって)食べた。その家の下男が梨の下へ来て見ると、下になっている実がみんなかぶられとる。これは何かがおるに違いないと思って捜してみ
ると、目だけが光っている黒い化物のような者がいた。
 人間のような化物じゃ。しかしひょっとすると、人間かも知れぬ。殺してしまえと言うとその者は「わたしを殺す前にこの家の若旦那に会わしてくれ」と言う。そこで若旦那に会わすと、
「わたしは梅子じゃ。あんたに見染められたばかりに継母さんに手を切られた」と言った。そこで若旦那は急いで顔を洗わさせきれいな着物を着せて、とうどう梅子を嫁さんにしたそうな。
 しばらくして若旦那は兵隊にとられることになった。 そして梅子と別れて兵隊に行ってしまった。ある時に名主の家の下男は隣村の料理屋で、うちの嫁さんは両手が無いけど、仕合せな者じゃ
と言うので、それを聞いた継母は両手を切ってまくしこんだので死んでしまったと思っていたのにこれは腹立たしいことじゃ。何とかしてやっつけてやろうと考えた。

―62―

 そのうちに梅子さんに子供が出来た。若旦那の親がそのことを兵隊に行とる息子に知らせてやろうと思って手紙を書いた。そして下男に持たせてやった。下男が酒好きなのを知っている料理屋の
継母は、下男が何か手紙を持っているのを見て呼びとめて酒を飲ませた。下男がすっかり酔って寝ているうちに、手紙をあけて見ると子供が生れたと書いてあった。  継母はこれは憎らしいことじ
ゃ、と思って村の中の字を書く人に頼んで、
「手が無い親じゃけに手の無い子が生れた。どうしようか」と書きかえておいた。やがて下男は目がさめてその手紙を兵隊になっとる若旦那のところまで持たせてやった。
 若旦那はその手紙を見て不思議に思った。手が無いと言っても切られたから手がないので、子供にまで手が無いのは合点がゆかぬ。しかしこれも何かの因縁かも分らぬと、大事にしてやってくれ
よと手紙を書いた。下男はその手紙を持って帰ったが、途中でまたも料理屋に立ち寄った。料理屋の継母が手紙を見ると、大事の育ててくれよと書いてある。これは憎らしいことじゃと下男に酒を
いっぱい飲ませて今度はこんな手紙を書いた。
「わしはもうええ人が出来たけにその嫁も子も追い出してくれ。もし追い出さぬのならわしは家へはもどって来ぬ」という手紙であった。
 下男は酔いがさめてからその手紙を持って名主の家へ帰った。 
 名主の両親が見ると、嫁も子も追い出せと書いてある。両親はびっくりしたが、一人息子が言う

―63―

ことだし、追い出さねば家へはもどって来ぬと書いてあるので、泣く泣くわけを話して梅子を追い出そうとした。
 梅子は覚悟をきめて、「それではわたしは今から高野山へ行く。子供もわたしももう死んだものと思ってゆくから白装束にしてくれ」と言う。
「わたしの背中から前には袋をさげさせてくれ。そうすると中に入っているお金でも何でも口にくわえて出せるから」と言い、子供を背中に負うてもらって、袋の中にはお金を入れてもらい、皆の
者に見送られて高野山へ出かけて行った。ところが高野山の麓で子供があんまり泣くので傍にいた人にお金をあげて子供を背中から降してもらうと、その人はお金を全部盗んで逃げて行ってしまっ
た。お金もなくなってしまった。もうこれまでと思っていると、子供がころんで下へ落ちようとした。さぁ大変と思わず手をのばそうとすると、手が二本ともはえてもとのとおりの体になった。そ
の時に罰があたったのか、継母の手は二本とものいてしまった。
 梅子はそれから長い髪を切って尼になり、その髪を売ってかわらけと燈芯と油を買った。そして火をともしてお大師さんに供えて、もしこの火が消えたら自分は死のうと思っていた。しかしその
火は貧者の一燈でなかなか消えない。
 一方、若旦那は兵隊のつとめがすんでわが家にもどると妻も子もいない。どうしたのかと両親にきくと、玉のような男の子が生れたが、お前が追い出せと言って来たので白装束をつけて追い出し

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たと言う。どこへ行ったのかときくと、高野山へ行ったというのでわれも白装束をつけて高野山に行った。
 梅子が子供に乳を呑ませているのに出会い、二人は抱きあって喜んだ。若旦那が梅子に一緒に帰らんかと言うと、梅子は私はもう黒髪を切って尼になったから帰らぬと言う。そこで若旦那もわし
も髪を剃って坊さんになろうと言って、高野山にいることにした。若旦那はお大師様に燈火を万燈あげたが、それが長者の万燈じゃそうな。継母と花子は乞食遍路になってしもうたそうな。
                                     (木村ハルエ)

二七 俊徳丸
 昔、京のお公卿(ルビ くげ)さんの奥方が死んだ。その奥方には俊徳丸という名の男の子があった。
 お公卿さんは後妻をもらったが、後妻にも男の子が生れたそうな。
 後妻はどうにかして俊徳丸を亡き者にしてわが子を跡取りにしようとしたそうな。そのうちにお公卿さんは死んでしもうたそうな。
 隣村にもお公卿さんの家があって、そこにけっこい(きれいな)娘さんがあったそうな。後妻がうちの息子の嫁にくれと言って来ると、兄さんの俊徳丸の嫁さんにならなると言う。そこで後妻はど

―65―

うぞして俊徳丸を殺そうと思うたそうな。
 そこで後妻は白装束で一反の白木綿を頭に巻いて後に垂らした。頭の上にやぐらを作って四本の蝋燭を立てた。そして櫛をくわえた。後妻が北枕になって寝ていると丑三つ時になってカチャンと
音がした。そこで後妻はこの時とばかりに起きて出て、俊徳丸と書いた藁人形の四十九節(ルビ ふし)のところに釘を一本あて打ちこんだそうな。それから俊徳丸は病気になって体のふしが腐っ
て来て、眼も見えず耳も聞えなくなってしもうたそうな。こんな病人は家(ルビ うち)に置くことはならぬと言うて、とうどう俊徳丸は追い出されてしもうたそうな。
 俊徳丸が追い出されると、俊徳丸をしたっていた隣の村のお公卿さんの娘も俊徳丸の跡を追うてついて来た。
 そこで二人は清水の観音様の縁の下までやって来たそうな。二人は観音様に願かけをして、どうぞ俊徳丸の病気を治してくれと頼んだそうな。「もしも病気を治してくれぬのなら、おん蛇めん蛇
となって参詣に来る人を食い殺してしまうぞ。今から火もの絶ちをするから」と言うて、昼はじっとお堂の下にこもっていて夜が来ると、音羽の滝の水を飲んで二十一日の間祈願をこめたそうな。
 いよいよ満願の夜の夢に、「俊徳丸を治してやるぞ。明日の朝になると鶴が飛んで来て、羽を一枚落すから、その羽で俊徳丸の体の悪いところを撫でよ。そうすると病気がきっと治る」と言うた
そうな。

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 二人は夜が明けてから待っていると、本当に鶴が飛んで来て一本の羽を落したそうな。これこそ夢のお告げのとおりじゃと喜びいさんで、その羽で俊徳丸の体をなでると本当に病気が治ってしも
うたそうな。それから二人は妻の家の方に帰って精を出して働くと、家はめきめきと大きくなって分限者になったそうな。
 ところがそれに反して俊徳丸の家の方は何事もうまくゆかず、後妻と後妻の子は遍路乞食となってさまようとったそうな。後妻は盲になって、わが子に手をひかれて方々を歩いとったが、ある時
にきれいな屋形の前に出たそうな。
 これはどこの屋敷ぞと盲目の後妻がきくと子は俊徳丸と書いてあるという。それを聞いて後妻は腹立たしさのあまりに庭の石のこぶち(縁)に噛みついて鬼になってしもうたそうな。今も俊徳丸の
屋敷の石には大きい歯形がついとるそうな。                 (木村ハルエ)

二八 継子の栗拾い
 昔々、ある所にお母さんとお父さんがあった。一人の女の子供があったが、お母さんは死んでしもうた。そこで新しいお母さんがやって来たそうな。新しいお母さんにも一人の女の子が生れたそ
うな。子供が大分大きゅうなってからお母さんは、二人に山へ栗拾いに行けと言うたそうな。

―67―

 継子には穴のあいた袋、本子には穴のない袋を持たせてやった。二人は山で栗を拾うたが、本子の袋はすぐ一杯になったが、継子の方はなかなか一杯にならぬ。継子は妹にむかって、お前の袋は
一杯になったのじゃから、もう帰れと言うたそうな。そこで妹は山を降りてもどったそうな。
 姉娘はこうこうこうと歩きよったら山のつじ(頂上)まで来たそうな。日は暮れてしまって下にちょろちょろと火が見えたそうな。行って見ると一軒の家があった。姉娘が、
「今夜一晩泊らしてくれ」と言うと、お婆さんがいて、
「ここは鬼の家じゃ。もう少ししたら鬼がもどってくる。静かにして音をせずにおれよ。もし音を立てれば鬼に食われてしまう」と言うて、お婆さんは姉娘を大きな車櫃(ルビ くるまびつ)の中に
入れたそうな。
 しばらくすると鬼が帰って来て、
「お母ぁ、人間くさい、人間くさい」と言う。
 お婆ぁが、
「人間はおるけど黙って寝えや。今日明日はお父さんの命日じゃけに黙ってこらえて寝えや」と言うたそうな。そこで鬼達は黙って寝ていたがやがて朝になった。鬼はゴトゴトしながら山へ行てし
もうたそうな。
 姉娘が車櫃の中から出るとお婆ぁは、
「今日は逃げていねよ。わしの頭のしらみを取ってくれ」と言う。

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 そこで姉娘がお婆ぁの頭を見ると山んばじゃけにしらみやむかでが頭に一杯ついとる。それでも姉娘は一つ一つしらみをつぶして取ってきれいに櫛でといてやったそうな。
 お婆ぁは大層喜んできれいな箱をくれて、この箱を大切にせよと言うた。帰る道すじまで教えてくれたので、姉娘は山を降りてわが家へ帰った。途中の山道で鬼がおったが、鬼は親の命日じゃと
言われているので、姉娘を食べなかったそうな。
 継母は姉娘がもどって来たのでびっくりして、
「お前はもどって来たのか。いったいどこへ行とったぞ」ときいたそうな。そこで姉娘は山で鬼の家にいてお婆ぁのしらみを取った話をしたそうな。それでこんな箱を貰うて来たと言うと、
「それをあけて見い」と言うので、あけて見ると、金銀や宝物が一杯出て来たそうな。
 継母は今度は姉娘に底のある袋、妹娘には底に穴のあいた袋を持たせて山へ栗拾いにやった。姉の方はすぐに一杯になったが、妹の方はいつまでも一杯にならぬ。姉娘は一杯になったので帰っ
たが、妹娘は鬼の家に行こうと思うて山のつじまで行たそうな。そいで下を見ると、ちらちらと火が見えるのでそこへ行て、
「今夜一晩、宿を貸していた(ください)」と言うたそうな。すると恐ろしい顔のお婆ぁが出て来て泊めてくれたそうな。お婆ぁはここは鬼の家じゃけに音を立てるな。音を立てると鬼に食われてし
まうぞと言うたそうな。妹娘は姉娘と同じように車櫃の中で寝とったが、あくる朝になって起きて

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見ると、お婆ぁが頭のしらみを取ってくれと言う。そこで頭を見ると、しらみやむかでやら虫がうじうじと這うとったそうな。妹娘が、
「うわっ、大変じゃ」と大きい声を出すと、鬼が出て来て、妹娘を庖丁で切って食べてしもうたそうな。
 継母は娘が帰って来るのを待っていたが、いつまでももどって来ないので、とうどう継娘と一緒に仲好う暮したそうな。                          (木村ハルエ)

二九 継子と本子
 昔あるところに継子と本子があった。お母さんは本子ばかりかわいがっていた。
 本子には米のご飯を食べさせ、継子には麦飯ばかりを食べさしとった。
 村に子とりがやって来るという評判が立った。どの家でも大層心配した。そこで、お母さんは本子を米の中へ、継子を麦糠の中へ隠したそうな。
 ところが、朝になって行て見ると、本子は冷とうなって死んどったが、継子はすり糠の中でぬくぬくとしとったそうな。米の中は冷たいし、本子には米の飯ばかり食べさしとったけに体が弱かっ
たのじゃなあ。                              (木村ハルエ)

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三〇 八栗山参り
 昔々、阿波の山分(ルビ やまぶん)の人が、讃岐の八栗山へ参りに来たそうな。その人は木びきじゃったそうな。
 讃岐へ来て宿屋へ泊ったそうな。章魚(ルビ たこ)のたいたのが出たそうな。木びきさんも連れの者も章魚というものを知らぬけに汁ばかりチュウチュウと吸うてから、章魚を外へ放ったそうな。
すると犬が来ておいしそうに食べたそうな。二人は「あのだしがらは美味しいと見えて犬が食いよるわ」と言うたそうな。
 讃岐のうどんがうまいというのを聞いていたので、ひとつうどんを食べてやろうと思うたそうな。しかし、うどんの食べ方がわからぬので、どうしようかと考えていたが、二階から下を見ると、板
場さんが襷(ルビ たすき)をかけて鉢巻をしてうどんを打っちょる。どしこどしこと打って出来上ると、うどんのひとすじを肩から上の方まで上げてチュウと食べた。ははぁうどんの食べ方はあれ
じゃなあと思うて、うどんが来るのを待っとったそうな。しばらくしてうどんが来たけに、越中褌を脱いで、それを襷にかけ、手ぬぐいで鉢巻してうどんを肩より高うに上げて食べとったそうな。
 女中がお代りはどうですかと二階に上って来ると、越中褌を襷にして、鉢巻をして立てって食べ

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とったそうな。女中はびっくりして二階から下へまくれて(転がり落ちて)しもうたそうな。
 宿の主人がびっくりして二階へ上って見ると、奇妙なかっこうでうどんを食べよるので主人も驚ろいて、
「そんな仇討ちのようなかっこうでうどんは食べるものではございません。座ってお食べなされ」
と言うたそうな。何でもよその土地に行って分らんことがあると、よく人に聞いてからするもんじゃ。
 その木びきさんに宿の主人が、「あなたは何の仕事をする人か」ときいた。すると木びきさんは
「わしは呉服屋で、この連れの者は呉服屋の小僧じゃ」と言うた。すると宿の主人が、「紅(ルビ もみ)(赤い無地の絹布)は相場がいくらか」ときいた。すると木びきさんはもみと樅の木を間違
えて、「もみは間(ルビ けん)ではかるが、今一間束でいくらしとるかなあ」と言うたそうな。
                                     (木村ハルエ)

三一 盲と大工
 昔、大工さんが家を建てよったそうな。
 盲が来て、
「大工さん、これはええ家じゃなあ。どれくらいありますか」ときいたそうな。すると大工さん

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は、
「五間に十間じゃ」と言うたそうな。
「ええ木じゃなあ。いつ頃切ったんですか」ときくと、大工さんは盲のお尻の中へ錐をつっこんだそうな。
「あとげつのさきぎりでござんすなあ」と盲は言うたそうな。
「何の木ですか」ときくと、今度は木切れについた火を盲の項(ルビ うなじ)の毛のところへ持って行たそうな。すると盲は、
「ははぁ、けやきの木じゃなあ」と言うた。盲というても利巧な者はこんな調子じゃ。盲じゃつんぼじゃと言うても利巧な者もおるけにほうけんに(馬鹿に)してはならぬ。    (木村ハルエ)

三二 樟の木の下の小判
 昔々、あるところに盲のお母さんと息子があった。息子はお母さん思いであったそうな。
 お母さんは盲で体も弱かったので、仕事もせずに毎日ぶらぶらしとったそうな。
 息子は日に日に山へ行て何か金目(ルビ かねめ)のものを取って来ては町へ売りに行く。そしてお金にすると、それでおいしいものを買って来てお母さんに食べさしとった。お母さんは息子がい
つもうまいもの

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を買うて来るので、息子はひょっとすると何ぞ盗んで来とるのではないかと心配しとったそうな。
そこで息子にむかって、
「わしがあるために苦労をかけるのう。わしがいっそのこと死んだらよいのに」と言うたそうな。
すると息子は、
「わしはお母さんがあるけに一所懸命に働くのじゃ。お母さんが死んだら何にもならぬわ」と言うたそうな。
 ところがその晩息子は夢を見たそうな。その夢はこれから東へ三里先のところに樟(ルビ くす)の大木がある。その樟の木の枝さきに小判が埋(ルビ い)かっとるという夢じゃったそうな。そこ
で息子は、夢告げのとおりに東へ三里行くと大きい樟があった。枝さきは少し窪地になっていて、掘って見ると小判が埋かっとった。息子は夢告げのとおりじゃと思ってびっくりしたが、その小判
をみんな殿様のところへ届けたそうな。
 殿様は息子の正直なのに感心して、小判は全部息子に取らせ、息子を家来として取り立てたそうな。それから殿様のところの医者に診せて、お母ぁの目もよくなるし、体も丈夫になったそうな。
                                     (木村ハルエ)

―74―

三三 蛇と酒屋
 昔々、あるところに酒屋が二軒あったそうな。向うがわは大きい酒屋でようはやっとった。こっちの方は小さい酒屋で、お爺さんとお婆さんと二人きりで商売しとった。
 小さい酒屋の方は商売がうまくゆかぬので、もう店をたたんで遍路にでも行こうかと、お爺さんとお婆さんは相談しとったそうな。
 ところがある日のこと、若い男がやって来て、
「お爺さん、お婆さん、売れんのかい。わしが手助けしてやるわ」と言うた。お爺さんもお婆さんも遍路にでも行こうかと思うとったので大層喜んだそうな。
 若い男は一所懸命に働くので、よい酒が出来てどんどこどんどこと売れて店が栄えて来たそうな。あんまりよい酒が出来るので、お爺さんとお婆さんが不思議に思って見ると、若者はわが目をくり
ぬいて壺の中につけとったそうな。
 お爺さんとお婆さんがそれを見てびっくりしとると、若者は、
「わしは本当は蛇じゃが、お爺さんとお婆さんがあんまり困っとったので助けに来たのじゃ。正体を見られたからにはもうここにはおれんけに、大槌・小槌の海までわしを連れて行てくれ」と言う

―75-

たそうな。それから若者は、
「わしは体が長いけに、お爺さんが連れて行くとみんながびっくりしてしまう。ほいだけに、わしはこよりになるから、そのこよりを錦の布で巻いて、三宝にのせて、神棚に供えてから持って行て
くれ」と言うた。そこでお爺さんが三宝を持って来ると、見よる間に若者はこよりになってしもうた。そこでお爺さんは錦の布で巻いてから神棚に供えた。そして言われたとおりに大槌・小槌の海
まで持って行って流して来た。
 お爺さんとお婆さんの店はやっぱり栄えとったが、ある日のこと、酒壺に入れとった目玉を盗まれてしもうたそうな。それでよい酒が出来んようになって、また貧乏してしもうた。そこで店をし
もて、お遍路にでもなって行こうと相談をした。しかし行く前に一度大槌・小槌の海へ行ってあの蛇と別れを告げて来ようと思うて、二人で大槌・小槌の海まで出かけて行たそうな。
 すると、海の中から蛇がぽこんと浮いて来て、明日の晩にどこそこの浜へ来いと言うてくれた。
 そこで、お爺さんとお婆さんが明日の晩になって言われた浜へ行て見ると、またぽこんと蛇が浮いて来たそうな。そしてお爺さんとお婆さんに、
「わしはもう一つの目玉を上げるけに、これを持って帰って酒をつくれ」と言うた。「しかしこれでわしは盲になってしもうたわ」と言うたそうな。
 お爺さんとお婆さんはその目玉を持って帰って、それを酒の壺の中に入れた。すると今度もよい

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酒が出来るようになって店が栄えて来た。そいで遍路に出んでもよいことになったそうな。
 お爺さんとお婆さんは、蛇に礼を言うために大槌・小槌の海へまた出かけて行た。すると盲になってしもうた蛇が出て来た。そして二人にむかって、「何でも困ったことが出来たら頼みに来い」
と言うた。「わしは雨を降らすことが出来るのじゃ」と言うた。そして「雨が降らぬ時はここへ来て四斗樽を沈めてくれ。もし四斗樽が沈んでそれが穴になってぽこっと浮いて来たらかならず雨が
降る。もし四斗樽が沈んでしもうてそのまま出て来んかったら雨は降らぬのじゃ」 と言うたそうな。
 それで今も志度の成行の村の人は今も雨乞いの時には大槌・小槌の海へ四斗樽を持って行くという。                                   (木村ハルエ)
 この話は当願と暮当の話をすると言ってから語ってくれた。しかし当願と暮当は一向に出て来ない。しかし当願と暮当の話に出て来る志度町の成行部落と雨乞の習俗は出て来る。どうも蛇報恩の
話と混同しているようである。

三四 海の水はなぜからい
 とんと昔、百姓と豆屋さんと塩売りとが一緒に旅をしとった。

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 途中まで来ると川があったそうな。ほいだけど橋が無いので渡ることが出来ぬ。どうしたらよいかと思案していると、百姓が、「わしがまじないで藁をあんで橋をかけてやる」と言うたそうな。
「そりゃええ思案じゃ」と豆屋と塩売りが賛成すると、百姓は藁を編んですぐに橋をかけてくれたそうな。そこで橋を渡ることになってはじめに百姓が、つぎに豆屋が、しまいに塩売りが渡りよっ
たそうな。
 橋の真ん中まで来ると、百姓は煙草を吸いだしたそうな。すると煙草の火が落ちて橋が燃えたそうな。そいで百姓も豆屋も塩売りもみんな落ちて死んだ。その時に豆屋の大豆は火にはじけてポン
と飛んで、それから大豆をいると腹がさけるようになった。
 塩売りのかたいでいた塩は、川の中に入ってそれが海の方に流れてしもうた。そいで海の水は辛うになったそうな。                            (木村ハルエ)

三五 お釈迦さんの臨終
 昔々、お釈迦さんが病気になってもう死ぬまぎわになった。蛙も蛇も犬も猫もみんながお釈迦さんの周りに集った。
 弘法大師さんはそれを聞いて早ようお釈迦さんを助けに行こうとした。しかしどうしても間に合

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いそうもなかったので、手に持っていた独鈷(ルビ どつこ)をお釈迦さんに投げつけて、
「これで助かれよ」と大声でさげんだ。ところが独鈷は途中の枯木にあたった。お釈迦さんは間に合わんので死んだが、枯木にはパッと花が咲いたそうな。           (木村ハルエ)