前編 (102K)


底本の書名    全国昔話資料集成 9  岩崎美術社
         西讃岐地方昔話集 香川  武田 明編

         責任編集
         臼田甚五郎
         関  敬吾
         野村 純一
         三谷 栄一

         装幀
         安野 光雅
     
 底本の編者名  武田 明
 底本の発行者  岩崎美術社    
 底本の発行日  1975年1月30日  
入力者名     松本濱一
校正者名     織田文子
入力に関する注記
   文字コードにない文字は『大漢和辞典』(諸橋轍次著 大修館書店刊)の文字番号を付した。

 登録日 2003年1月22日
      


―13―

前  編

―  ―

―15―



                                       一 桃太郎
 桃太郎は爺と婆と三人一緒に住んでゐる。ある日の事桃太郎は近所の友達と山へ柴刈りに行く約
束をした。二、三日して友達が誘ひに来て「桃太郎さん<(#「<」は繰り返し)、山へ柴刈りに行
きませんか」と言ふと桃太郎は「今日は草鞋の作りかけしよるけん明日にして呉れ」と言ふ。翌日
になつて友達が「桃太郎さん<(#「<」は繰り返し)山へ柴刈りに行かんか」と言ふと「今日は草
鞋のひきそ(たての細縄)を引つきよるけん明日にして呉れ」また翌日になつて友達が行くと「今日
は草鞋の緒をたてよるけん明日にして呉れ」翌日になつて誘ひに行くと「今度はさあ行かう」と連
立つて二人で山へ登つた。友達は一所懸命に柴を刈るが桃太郎は一本の大木にもたれて昼寝ばかり
してゐる。友達は一荷こしらへたので帰らうとすると桃太郎は凭れてゐた大木を抜いて家に還つて
来る。家のおだれ(庇の柱)へたて掛けると木が余りに大きいので家は崩れて仕舞ひ、爺と婆は下敷
になつて死ぬ。桃太郎は爺と婆を助けようとして家の中を捜し歩いてゐると大きな盥(ルビ たら
い)があつた。それに乗つて川を下つて行くと海の真中の島に流れ着いた。島では青鬼と赤鬼が相
撲をとつてゐるので見てゐると赤鬼が負けたので「赤鬼ウワハイ」と囃したてると赤鬼は怒つて「
赤い豆やるきん黙つとれ」と言つた。今度は青鬼が負けたので囃すと「青い豆やるきん黙つとれ」
と言つた。今度は見てゐると赤鬼と青鬼が一緒に転んだ

―16―

ので囃したてると、桃太郎にうつてかゝつたので桃太郎は二匹の鬼を束にして海中へ投入れ、鬼の
住家の宝物を取つて家へ還る。            (話者 三豊郡麻村 農 白川惣三郎)

   桃から生れる奇端の誕生の条は無い。この桃太郎は力太郎系の昔話が讃岐にも存在すること
  を証拠だてるものであり、「寝太郎」も同系の話であることを暗示するものである。なほ『安
  芸国昔話集』の桃太郎はこの話の破片であらうか。



                                       二 瓜子姫
 あまんじやくは爺と婆が留守の時にやつて来る。(瓜子姫機織りの条も無く)あまんじやくは瓜子
姫を柿取りに誘ひ、行くと藤の蔓で姫を吊し下げたとある。あまんじやくは姫に化けて殿様の処へ
行かうとするが、柿の木の下まで来るとアーン<(#「<」は繰り返し)と瓜子姫が泣く声がして化
の皮が剥(ルビ は)がれて仕舞つた。瓜子姫は御殿に召されて幸福に暮した。(話者は丸亀市在住)

   存在を知り得たのみである。略に過ぎ特徴が無い。即ち娘の名は他地方と同じく瓜子姫であ
  る。この話の結尾は他地方の多くの例ではあまのじやく制裁の条のみ詳しく、瓜子姫が幸福に
  なつたことを説くのは極めて少いが、この話はその点は本格説話らしいお終ひになつてゐる。

―17―

   しかしたゞこれだけではこの話の分布を吾々は知り得たに過ぎない。瓜子姫はもう二話集つ
  てゐたが国民童話に入つた九州の話に近く、あまのじやくの名が無理助となつてをり、信用出
  来ないから割愛した。



                                      三 子育幽霊
   頭白上人地中誕生などと言はれてゐる話であるが、今度の採集でも十一話集つた。児童の読
  み本の中にも入つてゐると言ふが、確かにそれで無いと信ずるに足るものだけでも五話集つ 
  た。中には民俗資料を含んでゐるものもある。地中から生れた子が成長して高僧になつたと語
  るのは三話で(裕界・勇海)和尚となつたと言ふのが一話ある。長者の跡取りになつたとかその
  子が生れて以来その家は栄えたと語る例がおのおの一つ宛あるが、要するにこの話の興味は異
  常誕生にあつたと見える。二話を代表として簡単に書く。

 イ
 夫婦が仲好く暮してゐて二人の間に子供が生れるやうになつてから妻が急死する。夫は悲しみ、
出来れば子供を生ませたいと思つて自分のはま下駄をお尻に敷かせて棺の中に入れる。それから後
にある菓子屋へ毎晩々々定まつた時刻に一文銭を持ち子供を背負つて飴(ルビ あめ)を買ひに来る
女がある。不思議に思つてゐると六日目は泣きながら買ひに来た。跡をつけると寺の中のある墓の
前まで来ると姿が消えて仕舞ふ。その墓の上を払ひ除けて見ると真瓶(ルビ まがめ)の中で女の死
骸が子供を抱いてゐた。その

―18―

子は寺の住職がひきとり養つたが、後に徳のある立派な僧になる。しかし瓶(ルビ かめ)の側で磨
つたので一生涯頭の横の磨つたところには髪が生えなかつたと言ふ。(話者は香川郡仏生山の青木
の婆様とある。)

   なほ臨月の女が死んだ時には夫のはま下駄をお尻に敷かせて葬ると身二つになると言ふのは
  民俗資料である。

 ロ
 ある長者の嫁が産月に死ぬ。棺桶の中で子供が生れたので幽霊は飴を買つて来て子供を育てゝゐ
る。少し子供が大きくなつたので夫の枕元へ行き子供の為に穴返し(「穴返し」に傍点)(墓を掘る
こと)をして呉れと言ふ。夫は驚いて行き見ると大きな男の子が生れてゐた。その子を連れて帰り
育て長者の跡取りとした。



                                      四 一寸法師
 五分一は親の言ふことを聞かない小さい子供であつた。親に出て行けと言はれたので家を出て歩
いて行くと大きな長者の屋敷がある。
 風呂焚きでも何でもいいからと頼んで置いて貰つた。ある日お前は何が好きかと尋ねられたので

―19―

おちらし(「おちらし」に傍点)が好きだと答へると沢山作つて持つて来てくれた。食べてゐると横に
いとさんが寝てゐたので口のわきへおちらし(「おちらし」に傍点)をつけて、「五分一のおちらし
を、いとさんが食べた」と泣いてゐると、いとさんの母が「いとよ<(#「<」は繰り返し)、そん
なに行儀が悪いのなら今日からお椀とお箸をあげるから出て行け」と言ふ。五分一はいとさんが出
て行くのなら私も出て行くと言つて一緒に家出をする。段々歩いて行くと川があり、いとさんはお
椀に乗つて箸を櫓にして漕いで行くが、五分一は小さいから柴の葉に乗つて行く。川の真中頃に来
るとどぶんと落ち込んだが向岸に流れ着いた。向岸では相撲が出来てゐた。五分一は松の木の上で
見ながら「あつちが勝つた、こつちが勝つた」と囃したててゐると相撲取りが誰がどこで囃してゐ
るのかとぷん<(#「<」は繰り返し)怒つて来る。五分一は相撲取りの鼻の中に飛び込んで仕舞つ
た。相撲取りは嚏(ルビ くしゃみ)をしてもなかなか出て来ないので困つてゐると五分一はお米と
倉とお金を呉れたら出ますと言ふ。それならやるから出て呉れといつたので嚏をしたら飛び出し
た。そこで五分一はお米と倉とを貰つていとさんと二人楽しく暮した。(話者は丸亀市在住の生徒
の母)



                                     五 寝太郎聟入
 無精者の寝太郎が長者の家の嫁(#「嫁」は底本のママ)に縁が無いのを知つて長者の庭の松の
木に昇り「我は出雲の神ぢやがこの家の娘の聟は村の寝太郎より他には無い」と言ふ。長者は神様
のお告と信じて寝太郎を聟

―20―

に貰つた。寝太郎は大いに出世をした。   (話者 三豊郡荘内村大浜 黒沢きぬ〔七十四歳〕)

   これは破片であるがこの昔話の讃岐に於ける存在のみは知る事が出来た。寝太郎が大木に上
  つて神のお告を言ふ時に豊前築上郡の如く野鳩に鈴をつけたり、沖縄の唯老説伝の如く爆竹の
  火をあげる条は、四国では三好郡の例に火をつけた白鷺を飛ばすとあるが、この点も残念なこ
  とに脱落してゐる。



                                     六 嫁の輿に牛
 長者の嫁入の輿(ルビ こし)をかつぐ者が、途中で酒屋の前へ行くと酒が欲しくてたまらず、酒
屋の横へ輿を置き中へ入つて酒を飲む。そこへ子牛を引いた男が通り掛り輿の中の娘を連出し、代
りに子牛を入れて置く。酒を飲んでゐた男はそれを知らず輿を聟の家へかつぎ込むと輿の中から牛
が出て来た。びん(お嬢さん)かと思うたらぼう(牛)だつた」と言ふ話。
   後段は小話になり切つて仕舞つてゐる。



                                      七 山田白滝
 三人の召使ひの望み事。杢蔵は長者の娘を嫁に欲しいと言ひ歌ひ競べをする。娘が

―21―

  天より高う咲く花に
    思ひかけるな杢蔵よ
と詠むと今度は杢蔵が
  天より高う咲く花も
    落ちらもくぞの下となる
と歌ひ、娘は負けて杢蔵の嫁となつた。        (話者は仲多度郡善通寺町の母とある)
   参照『昔話採集手帖』八番。(『昔話採集手帖』柳田国男・関敬吾編 昭和十一年刊) 



                                      八 天人女房
   この昔話は東北では笛吹聟の型となつてゐるが、国の西から南にかけては七夕系の話として
  弘く分布してゐる。今度の採集でも三話集つたが、第一話は純粋に七夕系のものである。第二
  第三も恐らくは七夕系であるが七夕の事には触れてゐない。三話共に乙式の記述法によつた。

 イ         
 昔浅草の観音様の廊下へ十七人の天人が降りて来て舞を舞つてゐた。山で木を伐つて来た木樵が

―22―

通りかゝつてあまり美しいのに驚いて、天人に気付かれないやうに縁の下へ入つて隙間から見てゐ
た。天人は羽衣を脱いでゐたので、木樵はその中の一枚を取つて懐中へ入れる。
 舞が終つたので天人はそれぞれ羽衣を着たが一人は羽衣がないので天へ帰る事が出来ぬ。
 十六人の天人は天から下りて来た紫の雲に乗つて昇天する。残された天人が泣いてゐると木樵は
縁の下から出て来て泣く訳を尋ね、色々と慰めて自分の家へ連れて帰る。やがて二人は夫婦となり
一年余りたつと女の子が生れる。天人は生れる子の為に町へ着物を買ひに出た。その留守の間に木
樵はあの羽衣はどんなになつてゐるかと思ひ、秘密にしてしまつた行季の中をあけて見る。羽衣は
色があせてゐるが矢張り美しいので手に取つて眺めてゐると、子供が来てそれは誰のかと尋ねる。
お前のだが、母親に言つてはならぬと言ふ。しばらくして町から天人が着物を買つて来て子供に見
せると、そんな汚い着物よりもつと綺麗な着物があると言ひながら例の羽衣を持つて来る。天人は
それを見て喜び、女の子を連れてすぐに天へ昇る。木樵は山から帰つて見ると、二人の姿は見えず
書き置きの手紙があるので読むと、自分等は天に昇つたから貴方も左に書いてある歌を詠んで後か
ら天へ来るやうにと書いてあつた(その歌はどんな歌か落ちてゐる)。木樵が歌を詠むと紫の雲が下
りて来たのでそれに乗つて天に昇る。余り広いのでうろ<(#「<」は繰り返し)してゐると、天人
と子供は高い二階の上で機を織つてゐる。そこで三人一緒に暮す事になる。遊んでばかりゐてはい
けないと思ひ、天の川の向ふのなし瓜の番をする事になる。天人がお弁当を持つて行く途中、木樵
は余りお腹が空いたの

―23―

で「なし瓜をちぎつても良いか」と聞くと天人はお弁当を持つて来たのかと聞かれたと思ひ「は
い」と返事をした。そこで木樵はなし瓜をちぎり、天の川には大水が出る。天人は向岸へ渡る事も
出来ず、その後二人は七月七日の晩だけ天の川が水が干くので逢ふ事が出来るさうである。
                      (伝承者 仲多度郡白方村 塩田つた〔七十歳〕)
   この昔話では発端に浅草の観音様が出て来ることを注意したい。讃岐に於ける七夕話は三豊
  郡志々島の採集記録が『昔話研究』にある。

 ロ
 昔、木樵が山中で木を伐つてゐると鹿が走つて来て、猟師に追はれてゐるから木の切株へ隠して
呉れと言つた。木樵は鹿を隠して木を伐つてゐると猟師がやつて来て鹿を知らぬかと言つたので、
そんなものは向ふの坂へ走つて行つたと言ふ。猟師は坂の方へ行く。鹿は木の蔭から出て来て命拾
ひをした礼を述べ、よい事を教へると言ひ、これから少し行くと池があるがそこでは天女が羽衣を
かけてあるから一枚隠して置け、さうすると天女を嫁にする事が出来る。しかし天女に子供が二人
以上生れるまでは羽衣を見せてはならぬと教へた。木樵は教へられた通りに池へ行くと、鹿の言ふ
通りであつた。一枚の羽衣を隠して見てゐると、多くの天女は水浴びがすんで天へ帰つたが、一人

―24―

は羽衣が無いので泣いてゐる。木樵はその天女を連れて帰り夫婦となる。子供が二人出来たが、木
樵は鹿の言つた事を忘れて、羽衣を箪笥から出して天女に見せてやる。天女は羽衣を着、子供二人
をかゝへて天へ上つて行つた。木樵は家の中で泣いてゐると再び前の鹿があらはれて言ふのには、
あれから天女達は下界へ水を浴びに下りて来ないで空から釣瓶を下げて池の水を汲んでゐる。汲み
上げた釣瓶の水を全部捨てゝ貴方が入るとよからうと教へる。木樵は言はれた通りにして釣瓶の中
へ入つてゐると、天女は水かと思つて引き上げた。木樵はそれから後は天で天女と一緒に暮す事が
出来た。                           (話者は仲多度郡琴平町の人)

   この話は『朝鮮童話集』五十五頁に極めて近い。この話末尾は略されたのかも知れぬ。

 ハ
 芥子(ルビ けし)の花を見てゐる間に羽衣が無くなり、天人は天に帰る事が出来ないで困り、土
地の人と夫婦になつた。実はその人が裏の庭を掘つて瓶(ルビ かめ)に入れ隠したのであつた。そ
の中に子供が生れ成長して、ある日庭を掘つてゐると瓶があつた。不思議に思つて家の婆に聞く
と、母が来て瓶をひらき羽衣をとり出して天へ帰つたと言ふ。(丸亀市在住の人より話を聞いたと
ある)

―25―



                                       九 鶴女房
 山で鶴をうつて来た猟師から近所の猟師がその鶴を買ひ受け介抱する。鶴は達者になつたので御
恩返しに何か作りたいから糸を呉れと言ふ。これから一週間の間は私の室を覗いて呉れるなと言つ
たがどうも不思議なので覗くと、鶴は自分の羽で機を織つてゐた。鶴はまう自分は姿を見られたか
ら織ることが出来ない。まだ充分出来てゐないがこれで何か作りなさいと言つたので羽織に仕立て
たと言ふ話。                       (丸亀市の婆様より聞いたとある)
   羽織の由来となつて破片が一話採集された。破片ではあるが鶴女房の分布を知る事が出来
  る。羽織の由来になつてゐるのは新しいのであらう。


                                      一〇 蛤女房
 昔、長者に蛤汁を上手にたく女中があつた。蛤汁とは言ふが蛤は一つも入つてをらない。しかし
舌が落ちる程美味しいのである人が不思議に思ふて見ると、女中は鍋の中へ小用を足してゐるので
あつた。皆の者はそれを聞いて驚き、蛤汁に実がない事も初めてわかつたと言つたさうである。
                             (話者 三豊郡麻村の老人とある)

―26―

   題は蛤汁となつてゐる。破片であるがこれも分布を知る上から言つても大切な資料であるこ
  とは争へない。余りにも略に過ぎ、蛤報恩の条が無いので、これだけでは蛤女房とは言ひ難い
  ほどである。


                                      一一 蛇女房
    三話集つたが破片ばかりである。他日の採集を期したい。

 イ
 蛇を助けた事がある山里の木樵の家へ蛇が人間に化けて嫁に行く。よく働くので喜ばれるが、あ
る日木樵が仕事の都合で早く帰ると、大蛇の姿になつて子供に乳を呑ませてゐたとある。そこで木
樵は女房が大蛇であつた事に気がつく。女房は目玉をくりぬいて置き、これを子供に嘗めさせるが
よいと言つて出て行く。

 ロ
 ある貧しい男が嫁を貰ふ。その嫁が来てからは米櫃の中には何時も米が満ちてゐる。子供が出来

―27―

ることゝなり、嫁は男に産がすむまでは覗いて呉れるなと言ふ。男がこつそり覗くと座敷の中に大
蛇がうづくまつてゐた。そこで嫁は自分はもう正体を見られたから居る訳にはいかぬと言ひ、子供
の為に眼玉をくり抜いて山へ帰る。

 ハ
 蛇の命を助けた武士の家へ嫁が来るが、子供を産む時に覗いて見ると大蛇であつた。正体を見ら
れたからと言ひ去つて、帰る途中眼玉を呉れる。その蛇の目から蛇の目傘と言ふものが起つたのだ
と言ふ。
   蛇の目傘の由来譚となつてゐる。新しいものであらうが載せた。


                                      一二 蛇聟入
   四話採集された。その中の一話は蟹万寺の縁起譚となつてゐる極く普通の型である。他の三
  話を載せる。

―28―

 イ
 片田舎に一人の爺と三人の娘が住んでゐる。
 爺が自分の田へ水を入れに行くと、川向ふでは一匹の蛙が蛇に呑まれようとしてゐる。爺は蛙を
助けてやる。翌日になつて爺が田へ行くと田へ水を入れる桶が無い。村の子供が悪戯をしたのかと
思つて見ると足元から一間先ぐらいの所に転がつてゐる。爺は桶を拾つて田に掛け、家に帰る。翌
日行つて見るとまた桶が無くなつてゐる。如何したのかと思つてゐると一人の背の高い男が出て来
て桶を外さうとする。
 そこで爺が怒ると儂は先日の蛇だ。蛙を助けた仇に邪魔するのだが、お前の娘を一人寄越せと言
ふ。爺は家へ帰り心配でたまらぬので床の中で寝てゐる。三人の娘が見舞ひに行くと蛇の処へ嫁に
行つて呉れと頼む。姉二人は不承知だが、妹娘は行くことになる。畳切りの刃物を用意して持つて
ゐると蛇が若者の姿になつて迎へに来たので一緒に出掛ける。娘は若者に刃物を持たせる。しばら
く行くと大きな河がある。蛇は大層困つて蛇の姿なら訳は無いが、若者の姿ではとても渡れないと
言つてゐたが、刃物を口にくはへて河を跳び、その拍子に水の中へ落ち沈む。娘は一所懸命に逃げ
て一軒の大きい白壁の家に入り、下男に助けて貰つた。下男は主人に事情を告げ娘を奥へ通した。
その時蛇の男が追ひ掛けて来たが、下男はそんな者は知らないと言ひ遠い道を教へる。
 娘はその家の息子の嫁となり幸せに暮せる身となる。その下男は爺が助けた蛙であつたと言ふ事

―29―

である。                          (話者は仲多度郡多度津町在住)

   この話惜しい事に姥皮の条が落ちてゐる。いはゆる蛙の報恩型である。

 ロ
 爺が川を耕してゐると沼の中から美しい侍が出て来る。三人の娘の中で一人を呉れなければ、こ
の村に大水を出すと言ふので、爺は心配して家に戻つて来る。気にかゝるので酒も飲まず青い顔を
して寝てゐると三人の娘が如何したのかと聞きに来るので、爺は涙を流して沼の侍の処へ嫁に行つ
て呉れと頼む。姉二人は嫌がるが、末娘は行くことゝなり、千本の針を縫ひこんだ着物を作つて貰
ふ。間もなく武士が迎へに来たのでその着物を着せて出掛ける。しかし武士は着物の針に刺されて
死んで仕舞ふ。そこで無事に娘は帰る。

   これも終りが甚だ心もとない。しかし話の型がくづれ落ちる傾向がわかるやうな気がする。

 ハ
 昔かうばる村(村名不詳、少くとも讃岐には現在はかゝる村名は無い)に大きな屋敷があり美し
い娘が

―30―

住んでゐる。毎夜若衆が通つて来るので母に相談して白い糸をつけた針を袴に刺す。翌朝になつて
白糸をたどつて行くと山の洞穴の中へまで続いてゐる。娘が行つて見ると中では大きい蛇がゐる。
娘が刺した針が喉笛にたつて苦しんでをり、自分は実は若衆の姿をして通つたがもう命がない。こ
こに三つの箱があるがそれをあげるから百日置いて開けると貴方は幸福になると言つて死んで仕舞
ふ。娘はその箱を持つて帰る。その箱を置いて寝ると箱の中で大きな音がするので不思議に思ひ開
けたくて仕様がないので百日目を待ち切れず九十日目に開けると中から美しい男の子が出て来る。
 三人の男の子は背中に鱗がついてゐる。その後三人の男の子の血統は顔は非常に美しいが背中に
は鱗がついてゐたと言ふ。                       (話者は丸亀市在住)

   この話はいはゆる三輪山式である。伝説化してゐるが簡単に載せる事にした。大神氏の祖
  先を語る伝説である。四国では阿波及び土佐の山村で緒方氏の祖先の話となつて弘く流布し
  てゐる。この話後半はやや童話的傾向を帯びてゐる。


                                      一三 猿聟入
   破片を加へて五話採集されたが、内容はいずれもよく似通つてゐる。二話を選んで書き残す
  事にした。

―31―

 イ 
 猿が田を荒して困るので爺が何故かと聞けば、三人娘の一人を呉れるとこれから後は悪い事はし
ないと言ふ。爺はそれならわれの娘を一人やるから貰ひに来いと言つて家へ帰つて来た。しかしそ
れが苦になつて仏様の前で一人泣いてゐる。姉の娘が来て何故泣くのかと尋ねると、猿との約束を
話して是非猿の処へ行つて呉れと頼む。姉は嫌だと答へて向ふへ行つた。今度は次の娘が爺の処へ
来て、何故泣くのかと訳を尋ねるので、猿の処へ行つて呉れと頼むとこれも嫌だと言つて向ふへ行
く。今度は三番目の娘が来て泣く訳を尋ねそんな事は心配ない。私が嫁に行きましよう、その代り
に大きな臼と扇子が欲しいと言ふ。爺はそこで臼と扇子を揃へてやり別れの水盃をする。翌日が来
て真白の白裝束で待つてゐると猿は若者の姿で迎へに来る。村の人に見送られて出掛けて行く。娘
は臼を猿に背負はせ、これは私の大事な道具だからと言つて用意してゐた荒縄で背中にくゝりつけ
る。さうして自分は扇を持つて一緒に山の中へ歩いて行く。ごう<(#「<」は繰り返し)と流れる
谷川の崖の上へ来ると娘はその扇子を川の中へ投げこみ「あれは大切な父親の形見だから取つて来
て呉れ」と言ふ。そこで猿は水の中へ飛びこみ、背の臼の中へ水が一杯入つて沈んで仕舞ふ。娘は
山を下りて里へ帰ると村の人々は大層喜んで呉れる。この事が庄屋の耳に入り、娘は庄屋の嫁とな
つて幸せに暮した。
                               (話者は仲多度郡榎井村の人)

―32―

   人身御供の系統の話を想ひ起さしむ。

 ロ  
 (出て来るのはひひ猿で)畑を耕す爺を手伝ひ代りに娘を嫁に呉れと言ふ。姉娘二人は行かず妹娘
のおもよが行く事となり水瓶と扇子をひひ猿に持つて来るように言つた。翌日ひひ猿は大きな水瓶
と扇子を町で買つて来た。おもよはひひ猿に瓶を背負はせ自分は扇子を持つて一緒に山へ行く。
 途中大きな池の淵へ出たが、おもよは扇子を故意に投げ込みひひ猿に取つて呉れと言ふ。ひひ猿
は水の中に入り瓶の中に水が入つたのでごぼ<(#「<」は繰り返し)と沈む。その時ひひ猿は
  わたしやかまんけど  おもよが可愛い
 と言ひながら沈んで行った。                      (仲多度郡広島村)

   この話では嫁入道具の臼と扇子を狒(ルビ ひひ)猿が持つて来た事が注意される。おそらく
  はこの島の民俗の無意識の伝承であらう。
   猿聟入五話の中で臼と扇子になつてゐるのが三話、水瓶と扇子が一話、他の一話は臼と桜の
  花になつてゐる。猿が手伝つた仕事の種類は(イ)(ロ)以外の三話では日照り続きの日に田
  の中へ水を入れたと言ふのが二話、他の一話は大根抜きの手伝ひとある。いずれにしても猿と
  水とのつながりを説く条は興味が深い。

―33―


                                     一四 お月お星
   継母の実子が腹違ひの姉を庇(ルビ かば)ふと言ふ美しい姉妹の情のこもつた昔話はお月お
  星と言ひ、あるひはお銀こ銀、朝日夕日等と言つて各地に分布してゐるが、当地方では朝日夕
  日、お銀こ銀が一話づつ集つた。両話とも採録する。

 イ 
 父の留守に母は朝日を殺さうと思ひ人に頼んで泉の中へ投げ込まうとするのを夕日が聞いて朝日
に知らせ、二人共に連立つて家を出て父を捜しに出掛ける。山の山のおんごく(奥山)に入つて行く
とどこからともなくけん<(#「<」は繰り返し)鳥が飛んで来て「お父さんに手紙出したれば筆が
無ければ指で書け、墨が無ければ血で書け」と啼いて向ふへ飛んで行つて仕舞つた。朝日は萱で指
を切つて血を出し、その血でお父さん早く帰つて来るやうにと書いた。さうしてゐる内にまたけん
<(#「<」は繰り返し)鳥が来てその手紙を持つて飛んで行つて仕舞つた。けん<(#「<」は繰
り返し)鳥はその手紙を父の所へ持つて行つたので、父親はその手紙を見てびつくりして家へ帰る
と二人ともゐない。母親は知らないと答へるので「朝日はどこぢや、夕日はどこぢや」と声を限り
に叫んで歩いた。山の山のおんごくの中で「朝日はここぢや、

―34―

夕日はここぢや」と言ふ声が聞えて来たので声の方へ近づいて行くと二人に出会つた。三人は手を
取り合つて喜び、家へ帰つて母親を追ひ出して三人仲好く暮した。後にお月もお星も出世をした。
                         (話者 仲多度郡善通寺町生野 秋山こう)

 ロ
 父の留守に継母がお銀を殺さうとするが、こ銀はお銀を庇ひ寝床に藁人形を置いて身代りとさせ
る。母は今度こそは殺さうと思つて、村の祭の日に駕籠屋に頼んで、山のつじ(頂上)で殺させよう
とする。こ銀はこの事を知り、お銀に今度の祭の日には炒豆を持つて行けと教へる。祭の日にお銀
もこ銀も揃ひの着物を着て出て行くが、途中でお銀こ銀は離れ<(#「<」は繰り返し)になつた。
こ銀は、お銀は駕籠屋の為に捕へられたのだらうと思ひ、急いで山の峠まで来て見ると、炒豆が落
ちてゐる。豆の落ちてゐる跡を歩いて行くと、姉さんが駕籠屋に捕へられてゐた。どうぞ助けて下
されと頼み代りに金を与へる。お銀とこ銀の二人は峠から下りて家へ帰らずに父を捜しに出掛けた。
峙(#「峙」は底本のママ)を下りる途中に綺麗な竹が生えてゐる。一人の男がその竹を買つて笛に
作つてゐる。お銀こ銀はその笛吹く人と一緒に歩いて行つた。ある一軒の家の前へ来ると笛が如何
したものか「こ銀恋しお銀恋し」と鳴る。不思議に思つてゐると中から父が出て来た。お銀こ銀は
父に会つてその後は幸福に暮したと言ふ。                (話者は丸亀市居住)

―35―

   後段に「継子と笛」のモチーフが結合してゐるのは「糠福米福」から「継子の栗拾ひ」が
  派生して独立した如く、「継子と笛」の昔話も本来は長い一続きのものであつたことを暗示
  する。


                                     一五 継子と笛
 二人の継子を残して父が伊勢参りに行く事となり土産の相談をする。太郎は刀を花子は羽子板を
買つて来るやうに頼む。父の留守に継母はどうかして二人の子供を殺さうと思ひ難題を言ふ。その
一つは笊(ルビ ざる)で水を風呂に入れよと言ふのであつた。困つてゐると、そこへ旅僧が来て笊
に漆を塗るがよいと教へる。石で火を焚けと言はれた時には、また旅僧が来て、石に油を降りかけ
よと教へる。風呂がよく沸くと、母は風呂のふちへ上ると伊勢の父の姿が見えると偽り、二人を風
呂の中へ突き落す。そこで二人は焼死んで仕舞つたので、川の底に埋めると二本の竹が生えて来た。
ある日笛作り師が通りかゝつてその竹を欲しいと言つたので、笛に作つても東の方へ向いて吹かな
いのならと言ふ約束で貰つた。笛作り師がある日東の方へ向いて笛を吹くと「お父さんもう刀も羽
子板もいりません」と響く。父は伊勢でゐてその笛の音を聞き郷里に帰るが子供はゐない。そこで
継母が殺したのがわかり継母はお上の命令で殺されたと言ふ。

―36―

   今度の採集で数多く集つた話の一つである。
   十四話あつたが並べて見ると話が新しくなる順序がよくわかる。父が旅立ちの日に約束した
  土産物が櫛、鏡であつたり、笛、太鼓であるのはやや素朴であるが、中には子供の機関銃だと
  かと言ひ「父さん機関銃はいりません」等と笛が鳴つたと語る例もある。母に無理な難題を出
  されて困つてゐる処へ来て、援助をするのは旅僧となつてゐるのが二話、ただの旅人だと説く
  のは一話であつた。継子を埋めた跡に生えた竹を笛にして吹いたと言ふのは虚無僧になつてゐ
  るのが多いが、中には笛作り師だと言ふのがある。その竹を掘つて見ると埋められた子の口か
  ら生え出てゐるので口割竹と言つたと言ふのがあるが、名称のみ面白いものがある。ここには
  やや整つてゐるものとして一話載録する。
   継子と笛の殺された子供二人は復活しないのが普通の型であるが、中には父の血をかけてや
  ると埋められて骨になつてゐる子供が助かつたと話すのがある。あるひは父が帰つても子供等
  がゐないのでどうしたのだらうかと思つてゐると、裏の籔に竹が生えてゐる。その竹を切ると
  切口から血が出てゐる。そこで掘つて見ると始めて我子が継母の為に殺されたのがわかつたと
  語る条もあるが、こんな語り方もあつたと見える。


                                     一六 皿 々 山
  三つの採集されたが、二話はほとんど同じ内容の話であり、他の一話のみが若干異つてゐる。

―37―

 イ
 継母は継子のおゆきを冬の寒い日に川へ洗濯にやる。本子には毎日綺麗な着物を着せて可愛がつ
てゐる。おゆきが洗濯をしてゐると殿様が橋の上を通りかかつて
  この谷に衣洗ふ娘が顔の美しさ
    も少し顔が綺麗なら儂(ルビ わし)の嫁にするものを
 と歌をお詠みになる。継娘はこれを聞いて
  殿様よつつじ椿を御覧じろ
    背は低けれど花は咲きます
 と答へた。殿様は橋の上でお聞きになり感心して召し出せと言ふ。家来が連れて行くと母は無理
に妹娘を差出さうとする。どうも娘の顔が汚ならしいのでもう一人の娘がある筈だと言ひ、おゆき
を連れて来させて二人を召し、盆の上の皿に塩を盛り松を立てゝこれを歌ひ詠めと言ふ。本子は
「盆の上に皿、皿の上に塩、塩の上に松」と詠んだ。今度は継子のおゆきに詠ませて見ると
  盆皿や八皿が嶽に雪降りて
    雪を根にして育つ松かな
と詠む。そこで姉娘は殿様に仕へる身となる。          (話者は仲多度郡榎井村の人)

―38―

   この話は西洋にもある「物洗ふ女」の話に、名高い皿々山の秀歌が結合したものか、どこへ
  行つてもほとんど同じ型のものを採集し得る。参照 『昔話採集手帖』十九番 

 ロ 
 小福が「盆皿や」の歌で殿様の奥方になる時に継母が怒つて箒を投げつけると小福は
  今までは小福<(#「<」は繰り返し)と言はれたが
    因幡伯耆の国を取りけり
 と詠み、箒をお駕籠の中に入れて行つて仕舞ふとある。     (丸亀市の母より聞くとある)

   前段はイに同じ。継子の名は小福であり、この話では本子の名がおゆきとなつてゐる。この
  末段は新しい改良であり格別面白くもないが九州にも、山口県、兵庫県での採集例にもこの末
  段が付加されてゐるのは何かに隠れたる理由のある事と思はれる。


                                   一七 継子の椎拾ひ
 継母と姉と妹の三人が住んでゐる。姉は継娘であり妹は本子である。裏の山に行き袋に松毬(ル
 ビ まつかさ)を拾

―39―

つて来いと姉には穴のあいた袋を持たせ、妹には穴の無い袋を持たせて出す。姉は日が暮れても一
杯にならず、妹の袋はすぐ一杯になつたので妹は先に帰る。姉は日が暮れて困つてゐるとお地蔵が
立つてゐるので今夜一晩とめて下さいと頼む。地蔵様は夜になると鬼が来るから後の編笠をたゝい
てコケコツコウと〔ニハトリ〕(#「ニハトリ」は文字番号42124)の啼き真似をするがよい。しかし
笑つてはいけないと教へる。夜中になると鬼が来たので、娘は言はれた通りにすると鬼はお金を残
して去つて仕舞ふ。姉娘はそのお金を持つて帰る。継母はもう娘は死んでゐるだらうと喜んでゐる
と金を持つて帰つたので驚き、今度は本子の妹娘に穴のあいた袋を持たせて松毬拾ひにやる。日が
暮れて歩いて行くと地蔵様が立つてゐるので泊めて貰ひ、夜中頃に鬼が来たので編笠をたたき〔ニ
ハトリ〕(#「ニハトリ」は文字番号42124)の啼き真似はしたが、鬼の姿がおかしいので笑ふと、鬼
は妹娘を食べて仕舞ふ。
 
   糠福米福即ちシンデレラ説話の栗拾ひの条から派生して独立した昔話ではあるまいか。今度
  の採集では十二話集つた。継子の栗拾ひとなつてゐるのが八話、椎の実拾ひが三話、松毬拾ひ
  が一話である。面白いのは継子が行き暮れて宿を求めた家に老婆がゐるのと地蔵様がゐるの
  が、前者は七話、後者は五話と言ふ風に分布してゐる事である。後者は即ち地蔵浄土の昔話の
  最も興味ある部分である。笑つてはならぬと戒められてゐるが、本子は笑つて失敗すると言ふ
  趣向は二話しか集らなかつた。他はいずれも笑ひの条が落ちてゐる。姉が宝物を得たのに妹は
  鬼に喰はれたと話されてゐる例が矢張り多いが、中には妹娘は何も貰はずに帰つて来たので先
  に姉が帰つた時に長者のお嬢様お帰りと啼いた〔ニハトリ〕(#「ニハトリ」は文字番号42124)
  が、今度は乞食の娘のお帰りと啼いたとある例もある。こゝには先づ筋のとゝのつてゐるのを
  簡単に書く事にした。

―40―


                                     一八 手無し娘
   三話採集されたが、二つはほとんど共通した内容である。柳田先生は、古来の手無し娘を種
  にして近世風に脚色した語り物があり、それから出てゐると言はれた。即ち昔話そのものでは
  無いが、簡略に書き残す事にした。他の一話は、脱落が多く継子話の体裁も備へてゐないので
  あるが、矢張り載せて置くことにする。

 イ
 お杉は姉娘、お玉は妹娘、ある宿屋の姉妹であつた。姉娘は心が素直で良く働くが、継子である
から母親の気に入らぬ。大名がお泊りになつた晩、妹娘には絹の着物、姉娘には粗末な木綿の着物
を着せて殿様のおそばに差し出した。姉娘は殿様のお気に入つて三日三晩お仕へしてゐた。殿様は
参覲(ルビ さんきん)交代の為に江戸へ行かれ、江戸へ着けば必ず手紙を出すからそれを楽しみに
待てと言つて立去つて仕舞ふ。二、三ヶ月して娘が姙(ルビ みごも)つてゐるのを継母が知り、下
男に言ひ付けて山へ連れ出して両手を切り落させて家から追ひ出した。それから二、三日後殿様か
らお手紙があつたのでお杉によく似た筆ざまの人に頼んで偽手紙を出す。一方お杉は身重の体で四
国巡礼になつて仏にすがりながら歩いてゐる。幸ひに子供は安産したが、両手が無いので乳を飲ま
せることも出来ず困つてゐる。殿

―41―

様は江戸からのお帰りに再びその宿屋に泊つたが、お杉の行方がわからない。継母はお杉は悪事を
したから棄て子にしたと言ふ。どうぞお玉を貰つて下さるようにと頼むが、殿様はなかなかお杉が
悪事をしたとは信じない。そこで継母はお杉を殺せばお玉が殿様に召されると考へ、お杉を殺さう
と思ひお杉の行方を捜すやうにつけ人をつけた。つけ人が山道でお杉を殺さうとすると、私は殺さ
れても良いが子供の命だけは助けて呉れと頼む。するとつけ人は子供を谷底へ蹴落して仕舞つた。
お杉は身も世もあらぬ思ひでこの手があればと歎いてゐると、崖下から弘法大師が現はれて俄かに
両手を授けて下さつた。やれ有難い事だと手を合せて喜び、旅人の手を借りて松の根にかかつてゐ
る子供を助け上げた。継母の方へは丁度その時弘法大師が現れて両手を奪つて仕舞ふ。その上にお
玉は病気で死んだので継母は巡礼となつて旅に出て行く。お杉は殿様に召されて子供もろとも出世
をして栄えた。               (話者は仲多度郡多度津町の人、及び丸亀市の人)

   お杉お玉の名前からも以前の語り物の名残りであることが推察し得る。再びその手が生へた
  と言ふ奇蹟が弘法大師の功徳譚となり、四国巡礼にお杉が出たと言ふのは如何にも四国産らし
  い。それだけに昔話の手無し娘とは隔りが大きくなつてゐる。しかし手紙をすり替へる条が形
  をかへてなほ残つてゐるのは興味が深い。
   もう一つの話もほとんど内容は同じだが手が生えた奇蹟は日頃信仰する神様の報いだと言ふ
  事になつてゐる。

―42―

 ロ
 兄と妹が住んでゐる。兄に嫁が来たが悪人で妹を海岸へ連れて行き鉈(ルビ なた)で両手を切り
落して仕舞つた。妹は両手が無いのに毎日<(#「<」は繰り返し)働かされてゐる。ある日殿様が
お馬に乗つてお通りになり、その妹の可哀さうな姿を御覧になつてお召しになつた。妹娘はよく働
くので皆の者から可愛がられる。ある日、海辺を散歩してゐる時に大きな波に魚が浜へ打寄せられ
てばた<(#「<」は繰り返し)ともがいて苦しんでゐる。娘は気だてが良いのでその魚を助けよう
とした。魚をお礼を言ひ、この潮水をつけたら手が生えますと言つて海中へ泳いで行つた。娘は言
はれた通りすると綺麗な手が生えた。殿様は娘が情深いことを賞(ルビ め)でて娘を奥方にされ
た。                              (話者は丸亀市の人とある)

   この話は筋が通り難いが原型は継子話であつたらう。余程多くの脱落があるのは残念であ
  る。魚報恩のモチーフが結合したのは何故だらうか。今後の採集を期したい。


                                   一九 取付く引付く
 昔正直な木樵が山へ行くと道端の松の木から
   取付かうか引付かうか

―43―

 と言ふ声がする。木樵は何も悪い事をした覚えはないから怖いことは無いと思つて
  取付かば取付け 引付かば引付け
 と言つて見た。すると松の木の幹から金銀が出て来て、その木樵の体にくつついた。体ぢゆう金
銀だらけになつたので山へ働きに行けず家へ帰つて身体や着物の金銀をはたいて計つて見ると三闘
三斗升(#「三闘三斗升」は底本のママ)三合の金銀があつた。その木樵はその口(#「口」は底本の
ママ)から大金持となる。隣に根性の曲つた木樵があり、隣が金持になつたのを見てその訳を聞き自
分も山へ出掛けて行く。松の木の処まで来ると不意に取付かうか引付かうかと言ふ声がしたのでし
めたと思ひ
  取付かば取付け 引付かば引付け
 と言ふ。すると今度は松脂がとび出て来て、この男の体じゆうについた。頭から足まで松脂だら
けになつて泣いて帰つた。            (話者は仲多度郡高篠村の農古川ヤスとある)

   二話集つたが内容は共通してゐる。もう一つの話し方では良い婆と悪い婆になつてゐる。森
  の中で大判小判がとんで来たと言ひ、悪い方には松脂がとんで来た。家に帰つて燈明の火で見
  てゐる中に松脂に火がついて焼け死んでしまつたとある。

―44―
                                      二〇 鳶長者
 昔ある処に炮烙(ルビ ほうろく)を売つて歩く男がゐた。家で草鞋(ルビ わらじ)を作つて藁の
毛の出てゐる所を手でむしつて除けてゐると、親が来てその毛はむしるなと言ふ。こんな長い毛が
あると歩いてゐると踏んで転ぶのにと言つても親はなかなかきかないので、長い毛のついたまゝの
草鞋を履いて炮烙を隣りの村へ売りに出掛ける。炮烙を頭にかついで山路にかかると案の定長い毛
を踏んで転んで仕舞ひ、炮烙まで割つて仕舞つた。これでは商売にならない、同じ帰るなら一寝入
りをしてやらうと思つてごろりと横になつて寝てゐる。夢に多くの鳶(ルビ とんび)が来て自分の
周りをとりまいて、その中に何かあるやうな恰好をするのでどうしたのかと思つてゐると、その中
の一羽が自分の所へ来て指さしをする。暫くして眼が覚め、どうも妙な夢を見たものだと思つてゐ
ると、すぐ傍の土が盛上つてゐる。そこを掘つて見ると金銀小判が沢山出て来て大金持になつたと
言ふ話であるが、だから親の言ふ事には背(ルビ そむ)くなと言ふ教訓がついてゐる。
                           (話者 仲多度郡広島 大石角太郎老)

   瀬戸内海の島々では昔話の主人公が炮烙売りになつてゐる例が不思議に多いが、恐らくはあ
  る時代の説話の運搬者の役目をなしてゐたのではあるまいか。この話はだんぶり長者の一異伝
  の如く考へられる。
   珍しいので詳しく書く。

―45―


                                     二一 炭焼長者
 小五郎は玉田と言ふ人の拾ひ子だが、故あつて奥山で炭焼をしてゐる。都の大内大納言(ルビ 
だいなごん)の一人娘が良縁が無いので三輪の明神に七日七夜の断食をしてお籠りをした。満願の
夜に、お前の亭主は九州豊後の宮内山に藁で髪結た炭焼小五郎だと教へられる。九州へ下り臼杵の
城下で人に尋ねると、丁度その人が炭焼小五郎であつた。それではと言ふ訳で、是非嫁に貰つて呉
れと頼み一緒に山へ行く。ある日女がこれでお米を買つて来て下さいと小判を渡した。小五郎は山
を下つて町へ行く途中の池で、鴛鴦(ルビ おしどり)が二羽並んでゐるので小判を鳥に投付けた。
小判は池の中へ沈んで仕舞つた。小五郎は買物に行かないで家へ帰ると女はお米はどうしたのかと
聞く。池の中の鴛鴦へ投げて仕舞つたと言ふと、あれは世に大切な物で金銀から出来てゐると教へ
る。小五郎はあれが金銀であるならば儂(ルビ わし)の炭焼場には何ぼでもあると言ふ。二人はそ
こで宮内山へ登ると、あちらの谷もこちらの谷も金銀で埋まつてゐた。小五郎と女はその金銀のお
蔭で大金持となり一生を安楽に暮したと言ふ。
   二話採集されたが語り物らしい痕跡がある。一は塩飽の広島に伝承されてゐるものである
  が、主人公の名は「九州豊後の宮内山に藁で髪結た炭焼小五郎」と言ふとあるが、安芸国の賀
  茂郡の盆踊歌に於ても主人公の名は小五郎であり、おそらくは塩飽の諸島にも炭焼長者の物語
  が盆踊歌として残つてゐるのであらう。

―46―

   もう一つの炭焼長者は主人公の名は小二郎である。押掛けて嫁に来た女は矢張り貴い身分の
  方の姫君であるが、この方は前の話のやうに誰それの娘だとは言つてゐない。小二郎が小判を
  投げつけるのは池の鴨となつてゐる。姫が歎くとあんなものは炭焼場の隣の山に幾らでも有る
  と言ひ二人は金持となる。
   これは丸亀市に於ける採集であつた。いずれにしても二話ながら語り物だつたらしい。



                                   二二 ものを言ふ亀
 昔、爺と婆があり子供が無いので池の淵で困つた<(#「<」は繰り返し)と話してゐると、ここ
ぢや<(#「<」は繰り返し)と言ふ声が聞えて来た。あたりを見廻すと一匹の亀がゐる。さてはこ
の亀がものを言つたのかと喜んでそれを殿様の御殿へ持つて行き、亀にものを言はせて沢山の褒美
を頂いて帰つて来る。隣に欲深の爺さんが住んでゐて是非その亀を貸して呉れと言ひお殿様の所へ
持つて行くが、亀は一寸もものを言はない。散々殿様からこらしめられて追ひ出されて仕舞つた。
欲張り爺は立腹して亀を殺す。一方では亀を何時までも戻して呉れないので聞きに行くと殺したか
らと言つて死体だけ呉れた。それを泣く泣く持つて帰つて裏の畑へ埋めて置くと立派な雄竹と雌竹
が生えて来た。爺がふとその竹を振るとお金が沢山降つて来た。それを聞いた欲張り爺も内緒でこ
つそり竹を振ると、上から一杯糞や尿が落ちて来たとは汚い話である。  (話者は東讃岐の老人)

   参照『昔話研究』二巻、佐賀昔話「ものいふぐうずう(「ぐうずう」に傍点)」。隣の爺型にな
  つてゐる。

―47―

                                     二三 味噌買橋
   二話集ったがいずれも味噌買橋の名は無い。しかし類型の話である事は疑ひ無い。二話共に
  伝承者は近所の老人とある。
   參照 味噌買橋『民間伝承』四の五 柳田先生。

 イ 京の五条の橋
 佳作と言ふ貧しい百姓が、京の五条の橋の袂に行くと金持になると言ふ夢を見た。早速京へ上つ
て橋の袂で待つてゐると一人の男が来て、一体何をしてゐるのかと聞くので夢の話をする。男は実
は私も五日程前に田舎の佳作と言ふ百姓の家の庭に樫の木があり、その木の根元に金が埋めてある
と言ふ夢を見たがそんな馬鹿な筈は無いと思つてゐる。貴方も夢の事などは信じないで早く帰れと
言ふ。そこで佳作は大急ぎで帰り樫の木の根元を掘つて見ると古い瓶が出て来た。中からは黄金が
ざく<(#「<」は繰り返し)と出たので佳作は金持となる。  (話者は丸亀市在住の老人とある)

―48―

 ロ 
 茂作は貧しい百姓であつたが、ある夜の夢に枕元に白髪の老人が現れて隣村との堺にある橋の所
に立つてゐるとよい事があると言はれる。言はれた通り待つてゐると一人の男が来て、誰を待つて
ゐるのかと聞く。実は昨夜夢を見たのだと話してやるとその男は、私もまた昨晩夢を見た、貴方の
お家の左の木の根元に黄金があると言はれたが、そんな馬鹿な事は無いから今から商売に出掛けて
行くのだと言ふ。茂作は喜んでお宮へ行き左の木の根元を掘ると沢山の黄金が出たので大金持にな
つた。                       (話者 仲多度郡垂水村 藤田佐次郎老)



                                      二四 笠地藏
   二つが採集された。大体の話は共通してゐるが簡単に載録した。

 イ 
 昔正直な老人夫婦があつた。爺が大雪の日に白木綿の商(ルビ あきな)ひに行くと途中の辻にお
地蔵様が雪で真白になつてゐる。「まあ<(#「<」は繰り返し)寒いのにお気の毒だな」と言つて
持つてゐた白木綿を地蔵様の体にまきつけて、頭には自分のさしてゐた笠をお着せ申して商ひには
行かずに帰つて来る。婆にこの話を

―49―

すると婆も情深い人なので善い事をして呉れたと言つて喜び合ふ。その晩寝てゐるとエンヤラ<
(#「<」は繰り返し)と大勢の声がするのを先ず婆が聞きつけて「爺さん<(#「<」は繰り返
し)、この大雪に何か困つて重い物を引いて来るよ」と起すと、爺もどうしたことかと外へ出て見
ると庭にお米や玩具や絹の反物、お餅を一杯積重ねてあつた。二人が情深いので地蔵様がお恵み下
さつたのであつた。             (話者 綾歌郡宇多津町 谷沢キク〔七十四歳〕)

   各地の例では婆が織つた布を爺が売りに行き、笠と取換へて地蔵様にお着せ申したと語る例
  が多いが、この話の如く白木綿をまきつけたと語るのは興味深い。大抵は大晦日の話になつて
  ゐるが、この話ではその点脱落してゐるが、雪の降る日と言ひ持つて来た物の中にお餅がある
  ことからして、前の型はほぼ推察し得るのである。

 ロ
 昔、ある処に正直で貧しい老人夫婦が住んでゐて大雪の日に爺が笠を売りに行く。売残りが五つ
出来た。帰りに村境まで来ると地蔵様が雪だらけになつてゐる。五つの笠をかぶせて戻つて寝てゐ
ると夜中頃に表が騒々しい。昼の地蔵様が笠をかぶつて来て、お礼の印にと言つて大きい袋を置い
て立去つて行く。翌朝見ると黄金が一杯入つてゐた。二人は金持になつて幸せに暮した。
                         (話者 仲多度郡垂水村 藤田佐次郎老人)

―50―

   この話は『昔話研究』二巻、邑智郡昔話の笠地蔵に甚だ近い。六地蔵が立つてゐて五つの笠
  をかぶせ、後の一つは爺の褌をといて巻くと語るのは座頭の悪戯れであるが、その条は既に脱
  落してゐると見える。



                                     二五 地蔵と酒
 正直な爺が雪の降る日に地蔵様が余り寒さうにしてゐるので家へ背負つて帰り、囲爐裏の火へあ
たらせて置く。すると地蔵様の鼻のさきからぼた<(#「<」は繰り返し)と雫(ルビ しずく)が垂
れるので嗅(ルビ か)いで見ると大層良い香である。不思議に思つて嘗(ルビ な)めて見ると上等
のお酒であつた。爺は地蔵様を座敷へお移し申し、毎日毎日鼻から垂れるお酒を頂いては楽しんで
ゐる。婆は欲深なので爺が留守の日にもつと沢山のお酒を出して貰はうと思ひ、火箸で鼻の穴を大
きくあけようとすると鼻がぼろりと欠けて何にも出なくなつて仕舞つた。爺は帰つて来てから婆を
大層叱りつけた。

   この話の発端は笠地蔵に似てゐる。この話は矢張り『聴耳草紙』の豆子噺及び甲斐国西八代
  郡の昔話と比較されるべきものだが、鼠の穴からお酒が出たと言ふ条はその二話には無く、鼻
  の穴から出るものは多数の竜宮童子系の昔話でも、財宝であり黄金でありあるひは米であると
  語るのが常である。ひよつとすると新しいものかも知れないが、鼻かけ地蔵になつたと言ふの
  は古い話の名残ではなからうか。

―51―

                                     二六 黄金の餅
 昔、三郎と言ふ正直な男が道を歩いて行くと乞食が短い棒の尖に長虫(蛇)をくゝりつけて来るの
に出会つた。逃がしてやれと言つたが聞かぬので、羽織と着物と帯を与へてその長虫を貰ひ、池の
中へ逃がしてやる。翌日三郎が山へ行くと若い綺麗な女がゐて三郎を呼びとめ昨日の礼をのべ、私
は龍宮界の姫だからと言つて三郎を龍宮へ連れて行く。龍宮では王様がゐて姫を助けたお礼の印に
黄金の餅を呉れた。その餅は使ふ時には少しずつかいで使へと教へられる。三郎は家へ帰つてから
その餅はかいでも<(#「<」は繰り返し)減る事がないので大金持となつた。 (話者 丸亀の人)

   この話は竜宮入系である。一話集つてゐる。
   蛇報恩の条に竜宮入りが結合してゐるのは珍しい。



                                  二七 黄金を産む黒猫
 二人の姉妹があり、姉は町の金持の家へ嫁に行くが、妹は気だてがよく貧しい山番の嫁となる。

―52―

妹は毎日山から柴を刈つて来て町へ売りに行くが、売残りの品は海へ棄てゝ帰つて来る。龍宮のお
姫様がその妹娘の気だての良いのに感心して美しい乙女に言ひ付けて妹を迎へにやる。その乙女は
龍宮へ行く途中で、龍宮のお姫様がもし何が一番欲しいかと聞いた時には黒猫を頂き度いと申すが
よいと教へられる。龍宮へ着くとお姫様は、何故金持の家へ嫁に行かずに貧しい山番の所へ嫁に入
つたかと聞き、お前は気だてが良いから宝物をやると言つた(とあるが話が新しく教訓的である)。
妹娘はそこで黒猫を頂き度いと答へるとお姫様はこの猫には毎日小豆を五合ずつ食べさせよと言つ
た。妹娘はやがて龍宮界から暇乞ひをして我が家に帰り、毎日五合ずつの小豆を食べさせて黄金を
産ませ、大金持になつたと言ふ話である。それで目出度し<(#「<」は繰り返し)となつてゐる
(姉の真似損ひの条は既に脱落してゐる)。               (話者は丸亀市在住)

   竜宮から頂戴して来た黒猫が金の小豆を生み、貧しい妹娘を富ました話になつてゐる。九州
  中部で鼻たれ小僧と言ふのに近いが、金の小豆を猫が生んだと言ふのは珍しい。
   他地方の竜宮童子系の昔話では、もう少し金を多く産ませようとして小豆を沢山食べさせて
  失敗したと言ふ風に、通例は欲張り親爺を戒める如き話方をするのだがこの昔話にはその条は
  なく、また姉の失敗もなくただ妹は竜宮からの援助によつて致富の家となり富み栄えたではい
  ささか物足りない。姉妹にしたのも新しい趣向であらう。
    
―53― 

                                       二八 聴耳
 若い猟師が山中を歩いてゐると、蟹が出て来て足を挟んだので殺さうと思つたが助けてやる。歩
いて行くとまたも同じやうな蟹が出て来て足を挟むがまた逃がしてやつた(とある)。そんな事がも
う一度くり返されたが、猟師は情深いのでまたまた逃がした。その蟹は猟師に少し待つてゐるよう
にと言つて去る。待つてゐると赤い小さい珠(ルビ たま)を持つて来、この珠を耳に入れると木の
話声が聞えると言つた。早速猟師が耳に入れると近くの松の木が、向ふの川岸に鹿が二匹ゐて楽し
さうだと話してゐる。猟師は早速川岸へ行き鹿を捕へる。このやうにして猟師は後に長者となる。
                           (話者 綾歌郡宇多津町 農木戸キヌ)

   東北地方で美しい発達を遂げてゐる聴耳頭巾は、近畿から中国四国にかけては安部の童子丸
  の語り物となつてゐる。この地方でも安部の童子丸が二話採集された。よく知れ渡つてゐるし
  以前の語り物の圏外から一歩でも出てゐないので略す事にして、やや型が変つてゐる聴耳を載
  せる。少しこはれてゐるが今に完型を採集出来るだらうと期待してゐる。
   『昔話採集手帖』四一番参照
  
―54―

                                      二九 舌切雀
 爺と婆が住んでゐる。爺は一羽の雀を飼ひ大事に育ててゐる。ある日爺が山へ働きに行つて
  おほさぶや こさぶや、山のむーこになりたや、さぶ<(#「<」は繰り返し) 
 と言ひながら帰つて来た。大事な<(#「<」は繰り返し)雀がゐないので婆に「雀はどうしたの
か」と聞くと「糊を食べたから舌を切つて逃がした」と言ふ。爺は可哀さうなので杖をついて「雀
のお宿はどこぢやいな」と捜しに行く。一人の人に山の中で会つたので尋ねると「牛の小便三杯飲
んで行くと雀のお宿へ行ける」と言はれる。爺はその通りして歩いて行くとまた一人の人に出会つ
た。「もし<(#「<」は繰り返し)雀のお宿はどこですか」と尋ねると「馬の小便七杯飲んで行け
ばよい」と教へられる。今度もその通りにして歩いて行くと
  ギーツコ バツタリコ ボーンヨ泣クナ
   オツテミシヨ カチ<(#「<」は繰り返し)
 と機(ルビ はた)を織る音がする。その音の聞えて来る家が雀のお宿であつた。雀が出て来てよ
く来て呉れたと言はれ、御馳走になつたり雀の踊りを見せて呉れる。爺は一晩泊つて帰らうとする
と土産に葛籠(ルビ つづら)を呉れた。途中ではどんなことがあつても開けてはならないと言はれ
たので、その通りにして帰つて

―55―

開けて見ると大判小判がざく<(#「<」は繰り返し)と出て来た。欲の深い婆はそれを聞いて雀の
お宿へ行つたが、帰りに呉れた葛籠を途中で開けて見たくなつて開けて見ると、蛇や蛙や三つ目の
化物が一杯出て来たので婆は腰を抜かしてしまつた。 (話者 三豊郡神田村 農業 白川三郎老)

   いはゆる五大御伽話の一であるが、不思議に読本の影響を受けてゐない。比較的素朴な形ら
  しいので載せる。



                                   三〇 見るなの座敷
 昔、旅人が道に迷つて困つてゐると日が暮れて仕舞つた。向ふを見ると燈が見えるので歩いて行
くと大きな屋敷があり、まはりは梅の樹が植ゑてあつた。中から一人の美しい娘が出て来たので宿
を求めると、娘は色々のもてなしをして呉れ、翌朝になつて、一寸用事があつて外へ出て来るから
貴方は退屈になつたらこの鍵で倉の中を御覧下さいと言つて鍵を渡したが、倉は二つあるから後の
倉はどんなことがあつても見てはならぬと言つて、何処へともなく出て行つた。旅人は家の裏に行
くと倉があるので急いで扉を開けて見ると、今を盛りと桜が咲き揃ひ下の方にはれんげ草や蒲公英
(ルビ たんぽぽ)が風に吹かれて、蝶々もあちらこちらに飛んでゐる。これは不思議な事だと思
ひ、もう一つの倉が

―56―

どうしても見たくて仕方がない。そこで後の倉の扉を開くと真白に雪の降り積つた景色で池の辺の
木には鶯がホーホケキョと啼いてゐる。旅人はあはてて戸を閉めて何食はぬ顔でゐると娘が帰つて
来て、何故二つ目の倉を見たかと咎め、ふつと娘の姿が消えたかと思ふと鶯が一羽すつと飛んで行
くのが見えた。旅人は広い野原の中で一人坐つてゐた。       (話者は丸亀市の母とある)

   「見るなの座敷」の昔話は善玉悪玉が出て来る例が『昔話採集手帖』に載つてゐるが、多く
  の場合にはあの例は少ない。この地は山形県最上郡の鶯の内裏に近い。最上郡の例では十二座
  敷をあけてはならぬと言はれるがあけて見ると正月から十二月までの風物が豪華に目の前に展
  開するのである。



                                    三一 七福神の夢
 昔ある処に貧しい太郎作と言ふ百姓があつた。畑で働いてゐると一人の汚い裝(ルビ みなり)を
した坊さんが通り掛つて、私は長福寺へ参り度いが道を教へて呉れと言つた。太郎作はわざ<(#
「<」は繰り返し)長福寺へまで連れて行く。坊さんは喜んでお礼の印にと言つて一文銭を呉れる。
家へ帰つて、一文銭を妻に渡すとまあほんとによかつた。明日から正月だと言ふに家では餅一つ買
へなくて困つてゐたと言ふ。そこで妻がその金を持つて町へ餅を買ひに行く。餅を二つ買つて帰る
途中一人の哀れな婆様に会ふ。婆様

―57―

は昨日から何も食べてゐないと言ふので、懷から餅を一つ取り出して婆様にあげる。さうして家に
帰り妻はこの事を太郎作に話す。太郎作はそれはよい事をしたと言つて喜び、明日の朝は二人で仲
好く三(ルビ み)ケ月形に切つて食べることにしようと言つて寝てしまつた。その晩、昼間道を教
へた坊さんが布袋(ルビ ほてい)和尚の姿となり、その他大黒、恵比寿がついて来た。七福神は車
座となり、大黒様は大きな槌を振上げて、この家の夫婦は来年はまたと無い運が来るぞと言つた。
太郎作はびつくりして眼を覚すと妻も目をさまし二人共にこんな夢を見たと言つて話合つた。元旦
に二人は三(ルビ み)ケ月形に餅を食べお祝ひをする。その後太郎作の家は村一番の物持となる。
                               (話者は綾歌郡川西村とある)
 
   この話は他の地方に余り聞かないが、矢張りこの地に行はれてゐた昔話であらう。笠地蔵等
  に近い趣向のものであるが後半は新しい改作のあとがある。この話興味ある条は一文銭と三ケ
  月形の餅は後の秀句話の以前の形であらう。     



                                      三二 猫壇家
   『昔話採集手帖』六番。三話集つたが伝説となつて土地に根を下してゐる。猫報恩の条は無
  く年老けた猫又を和尚が発見したと言ふまでである。

―58―

 イ 猫山由来
 大川郡長尾町の慈泉寺に飼つてゐた猫が年を取つて猫又となつた。慈泉寺の院主があぜだという
ところから帰る途中猫又同士が集つて話をしてゐるのを聞く。「慈泉寺はまだ来ない」と言つてゐ
る。院主は寺へ帰つて衣桁(ルビ ゆこう)に衣をかけて寝んだ。翌日起きて見ると衣の裾が濡れて
ゐる。寺の猫が猫又になつて自分の法衣を着て行くのだと気が付き、小豆飯を炊いて猫によく言ひ
聞かせて暇を出した。猫は慈泉寺を出て山へ上つたが、その山を猫山と言ふ。

 ロ
 多度津町多聞院ではおきく狸と呼ばれた狸を飼つてゐる。和尚が夜寝てゐると枕元へおきく狸が
来て明日の葬式には田町の喜八猫が邪魔をするから雨傘、合羽(ルビ かっぱ)、高足駄の用意をす
るやうにと教へる。和尚は狸に教へられた通りにして行くので、他の人はこの上天気だのにどうし
たのかと言つてゐる。葬式の列が途中の大きな松の木まで行つた時に俄かに空が曇つて雨が降つて
来た。松の木の下で休んでゐると天から赤黒い物が下りて来て棺桶の上へ降りた。多聞院の和尚は
珠数(ルビ じゅず)でピシャピシャとその物を叩き落した。さうして雨は止み上天気となつた。葬
式に行つた人や檀家の者は多聞院の和尚を誉めたたへた。和尚は寺へ帰るとすぐに田町の者を呼び
にやり田町の者が来ると、お前の町の喜八猫を見て来い。もし猫又になつてゐたら追出せと言ふ。
田町の者が帰つて見ると喜八猫

―59―

は手で自分の頭を押さへてうめいてゐる。そこで猫又になつてゐるのに気がつき、小豆飯を炊き油
揚げを食べさせて棄てゝ来たとある。                   (話者は多度津町)

   猫の報恩譚がこの地方によくある、狸が和尚を富ます話と混同して仕舞つたものらしい。

 ハ 
 三豊郡弥谷(ルビ いやだに)寺の檀家に死人があつた。猫又が和尚の処へ来て、明日の葬式は雨
霧山の猫又と弥谷山の猫又が死人を取ることになつてゐたが、都合で雨霧山の猫又は来られなくな
つたので私が取る番となつた。明日は夕立を降らすから雨具の用意をして来るやうに講中の者に伝
へて欲しい。さうして夕立の最中に棺桶の端を珠数で叩いて下さい。さうすると夕立も晴れ棺桶も
取らずに帰るからと言ふ。いよいよ当日になつて講中の人は和尚に言はれた通り雨具の用意をして
来たが空は晴れてなかなか降りさうでないので笑つてゐた。お経を上げる時になつて急に雨が降り
出した。講中の人は雨具の用意があつたので喜んでゐると和尚は桶の端を叩き雨は止んで仕舞つ
た。講中の人は皆喜んだが猫又は可哀さうに片目になつて仕舞つたと言ふ話。         
                       (話者 三豊郡吉津村 丸岡喜市〔七六歳〕)

   前の二話は猫報恩の条は無いが、この話はやや報恩の形を備へてゐる。この話も和尚がその
  手柄で檀家

――

  がふえたと言ふ事は落ちてゐる。

                                     三三 鼠の浄土
   『昔話採集手帖』四九番。全部で四話であるが、三話は隣の爺型となつてゐる。他の一話は
  後段が『昔話採集手帖』四〇番打出の小槌に近い。
 イ
 爺が柴刈りに握飯をして山へ行くと腰の握飯が落ちてころ<(#「<」は繰り返し)と転つて行
く。握飯の後をつけて行くと穴の中へ入つて仕舞つた。爺も穴の中へ入ると大勢の鼠が
  鼠百まで猫の声はいやじやよ
 と声を揃へて歌ひながら餅を搗いてゐる。爺が見てゐると餅を呉れたり色々と舞を見せて呉れ
た。金を貰つて帰つて来ると隣の婆は羨み爺に、お前も一つ金を貰つて来いと言ふ。爺は初めは人
の真似はせぬものぢやと言つてゐたが、無理に行けと言ふので、握飯を拵へて貰つて出掛けて行
く。山へ行つたがなかなか握飯が転つて呉れないので弁当を腰から下へ落し杖の先でついては、弁
当よ待て<(#「<」は繰り返し)と言つて追はへて行く。穴があつたのでその中へ転し込み入つて
行くと、鼠は歌を歌うてゐたので猫の声を真似ると、あたりはがたぴしや<(#「<」は繰り返し)
と音がして鼠はをらなくなり、爺だけが真暗な

―61―

中に取り残された。爺は手探りで外へ出ようとするがどうしても行けぬ。一方爺の家では婆が今日
は家の爺さんがお土産を持つて帰つて来るだらうと待つてゐるがなかなか帰つて来ない。裏の畑へ
菜葉を取りに行くと土がむく<(#「<」は繰り返し)動いてゐる。何だらうかと思つて鍬で掘ると
爺は鍬の三つ目の所にささつて引張り出されて来た。人の真似はだからするもんで無い。    
                          (話者 仲多度郡広島 大石角太郎老)

 ロ
 隣の欲深爺は真似をして出掛けて行き猫の啼き真似をして失敗する。正直隣(#「隣」は底本のマ
マ)は隣の爺はまだ帰らぬがどうしたのであらうかと思つてゐると、庭の隅の方でうなり声がするの
で掘つて見ると爺さんが出て来た。                   (話者は琴平町の人)

   イの話にほとんど同じだが鼠の臼搗きの歌は
    今年は豊年猫の子は居らぬ
   となつてゐる。

 ハ 
 おむすびが転つて行くので爺は後を追つて行くと

―62―

  むすびころりんすつてんとん
 と言ふ声がするのでもう一つ落すと
  も一つころりんすつてんとん
 面白いので次のを落すと
  まだ<(#「<」は繰り返し)ころりんすつてんとん
 と歌ふ声がした。爺は面白がつて五つのおむすびを皆転したと言ふ(のはなかなか念入りであ
る)。鼠の浄土へ行くと、おどりを見せて呉れ御馳走をして呉れた。(が鼠の臼搗きの歌はこの話に
は落ちてゐる)鼠の座敷では天から小判が降つて来る。その小判を貰つて帰り今度は隣の爺が登場す
るが、失敗をして家へなかなか帰らない。婆が竈(ルビ かまど)の前まで行くと爺は、黒くなつて
死んでゐた。                            (話者は丸亀市の人)

   以上の三話を見ると鼠の異鄕は地底の世界であり、それも自分の家の地下である事が注意さ
  れる。ハの話は臼搗きの歌は脱落したがこの歌の文句は御伽草子の鼠の米歌
    早苗の葉には蝗も付きそ
    虎毛の猫は声をもいやよ
  と同系統のものであり鼠浄土の昔話の一の目標とも考へ得られるものである。

―63―

 ニ 打出の小槌 
 一人の男が山へ行つて薪や草を刈る。昼になつておむすびを食べてゐるとむすびが転つてある家
の倉の穴へ入る。男もその後を追つて中へ入ると、鼠がゐて御馳走をして呉れ帰りには一つの槌を
呉れた。これは自分の欲しいものゝ名を三度言つてから振ると何でも出て来る宝の槌であつた。男
は喜んで家へ帰り、先ず御馳走を出し次には立派な家がたつやうにと言つてその通りすると、たち
まち家が出来た。今度は米に倉を出さうとコメクラ<(#「<」は繰り返し)と振ると盲が沢山あら
はれて何の御用ですかと男を取り巻き、責め殺されて仕舞つた。     (話者は丸亀市の人)

   座頭の坊の話し方の一端が米倉の条から察し得られる。



                                     三四 地蔵浄土
   『昔話採集手帖』五〇番。極めて省略されたものが三話集まつて来た。その中の二話は普通
  の型だが既に「笑の咎」と言ふこの昔話の最も素朴な条は落ちてゐる。他の一話は後段がやや
  変つてゐるが、これもこの土地の独創ではなく甲斐国にもあり、『聴耳草紙』にも豆子噺とて
  団子浄土と鼻たれ小僧のモチーフが結合したものがある。この地のは『聴耳草紙』の豆子噺に
  最も近く兎に角珍しい。

―64―

 イ
 爺が追掛けて行くと地蔵様は既に食べて仕舞つて、その代りに夜中に鬼の博奕があるから合図を
した時に〔ニハトリ〕(#「ニハトリ」は文字番号42124)の啼き真似をせよと教へる。言はれた通り
にすると鬼は驚いて逃げ、爺は鬼の宝物を持つて帰る。(一話は後段が脱落してこれでお仕舞ひだ
が他の一話は)隣の爺が出現し山へ行つておむすびを故意に転し、お地蔵様のお口の中へ無理に押
しこみ勝手に後に隠れてゐる。鬼が来て博奕を打つ時に〔ニハトリ〕(#「ニハトリ」は文字番号42
124)の啼き真似をしたが、鬼は人臭い<(#「<」は繰り返し)と言ひ爺の姿を見付け苦しめて殺し
て仕舞ふ。                             (話者は丸亀市の人)

   爺が山へ薪を取りに行つたと言ひあるひは山の畠へ働きに行くとなつてゐる。両話とも握飯
  を持つて行つたのだが昼になつて食べようとするところ<(#「<」は繰り返し)と転げて暗い
  洞穴の中に入つた。山を下りて道端の地蔵様の所まで行つたと言ふのは既に新しい。

 ロ
 昔爺と婆があつて山へ草刈りに行く。お昼になつたので弁当を食べようとすると握飯がころ< 
(#「<」は繰り返し)と転つてお地蔵さんの口へ入つて行つて仕舞つた。その日はそれで帰り、次
の日も大きな握飯を持つて山へ行く。握飯を見てゐると、煙草が喫みたくなり煙草を吸うてゐる内
に、握飯がころ<(#「<」は繰り返し)と

―65―

転んで行く。さうして地蔵の口へ入つて仕舞ふ。次の日も<(#「<」は繰り返し)同様なので五日
目にはお握りを沢山作つて山へ持つて行く。お地蔵様は美味しさうにして皆食べて仕舞ひ、私を背
負つてお爺様の家へ連れて行つて呉れと言つた。そこで重いお地蔵様を言はれた通り背に負つて帰
ると今度は、私の鼻の穴へ紙で栓をして呉れと言ふ。ある日地蔵様は爺様に御恩返しをするから右
の鼻の栓を抜いて呉れと言つた。爺様が今度も言はれた通りにするとお米が滝のやうに鼻の穴から
流れ出て来た。お爺様はそこで大層な金持となるが、段々欲深くなつて、ある日左右一度に栓を抜
くともつと沢山の米が出るだらうと思ひ両方を抜いて見ると、米では無くて水が滝のように流れて
来た。さうして家も米も爺さんも流れて行つて仕舞つた。  (話者 仲多度郡琴平町 今田ハル)

   地蔵浄土よりも地蔵の報恩と竜宮童子系の話の末段とに近いが便宜上ここに記載した。
   今度の採集ではこれにやや近いものが今一話あるが「地蔵と酒」として別記した。



                                      三五 猿地蔵
   今までこの話は四国には存在してゐることが公表せられてゐなかつた為にどうであらうかと
  思つてゐたが編者が去冬高松付近で採集し今度の採集では二話を得た。イの話は登場する者が
  猿では無く狸であり、川渡りの際のおどけた文句が他地方との同じやうに付いてゐるが、ロは
  残念な事に川渡りの条が落ちてゐ

―66―

  る。しかしこの話は発端を見るとイの話よりも素朴な気がする。イロ共に簡略に記す。

 イ
 貧乏な爺と婆が住んでゐる。爺は毎日山へ柴刈りに行くが貧乏なのでおちらし(麦粉)を紙に包ん
で持つて行く。山でおちらしを半分程食べてから残りを枕元に置いて昼寝をしてゐると風が吹いて
おちらしを散らし爺の顔から頭からおちらしもぶれになる。狸が来て爺を地蔵と間違へ、お地蔵が
寝てゐるからかついで行かうと言ひ、爺をかついで川の中を渡る。爺は目をさましてゐたが知らん
振をしてゐた。おかしくて堪らぬのをこらへてゐると屁がぷつと出た。狸共は「今鳴つたん何ぢや
な」「お噺の太鼓」「臭いのなあに」「御香の煙」「お地蔵様えつへのえ」
 と言つてかついで行きお供物(ルビ くもつ)を沢山供へて呉れた。爺は夜になつてそのお供物を
持つて帰って婆と一緒に食べる。毎日<(#「<」は繰り返し)その事をして貧乏な爺は段々金持に
なつて来た。近所の欲張り爺がその事を聞いておちらしを持つて山へ行き、おちらしを枕元に置い
て寝てゐると、また風が吹いて来て爺はおちらしもぶれとなつた。黙つて寝てゐると狸が大勢やつ
て来てお地蔵様が寝てゐる」「お地蔵様えつへのえ」と言つてかついで行く。爺はおかしくてたま
らぬので笑ふと、狸は此奴(ルビ こいつ)は偽者(ルビ にせもの)だと爺をそこへ投出して仕舞つ
た。                              (話者は丸亀市の人とある)

―67―

 ロ 麦粉長者          
 爺と婆が麦粉をひいて山の畑に働きに行く。昼になつて畑に腰かけて麦粉を練つてゐると、何時
の間にか眠つて仕舞つた。風が吹いて来て麦粉は二人の頭の上にかかり真白となる。そこへひき猿
が三匹やつて来て、こんな所へ白峯さんが御座つてゐると言ひ、ひき猿は沢山のつれを連れて来て
大判や小判を投げて行つた。二人はやがて目をさましこれから仕事に取り掛からうとすると大判小
判が自分等の身のまはりに沢山転つてゐるので、これは二人が正直だから神様がお惠み下さつたの
に違ひ無いと思つて持つて帰つた。隣の欲深い爺と婆は壁の穴からそれを見て同じやうに麦粉を持
つて畑へ行く。畑で寝てゐてもなかなか風が吹いて来ないので、東の風よぶいと吹けと叫んだが矢
張り吹いて来ない。仕方がないから爺が婆の頭へ麦粉をふりかけ、婆が爺の頭へ麦粉をふりかけて
狸寝入りをしてゐると、やがてひひ猿が来て、今日も白峯さんが寝て御座ると言ひ、大判小判を沢
山投げ付けた。爺と婆は余りの嬉しさに目をちょこ<(#「<」は繰り返し)あけて見るとひき猿が
それを見付けて、偽者だ喰ひ殺せと言つて大判小判を取り戻されたばかりか命まで取られやうとし
たが、やつと逃げて帰つた。               (話者 仲多度郡白方村 塩田つた)

   麦粉長者と言ふ名前はあるひはこの土地のものかも知れない。そこでこの題のまま出す事に
  した。

―68―


                                     三六 鎌倉海老
 昔、怠け者があつて懐手をして山中をぶら<(#「<」は繰り返し)と歩いてゐると天狗が博奕を
打つてゐる所へ来た。この男は不精者(ルビ ぶしやうもの)で逃げるのも面倒臭く天狗の博奕打つ
を見てゐたと言ふのだから余程の怠け者であつたに違ひない。天狗が貴様は誰だときくので、鎌倉
権五郎だと言ふと天狗はかまものごんごらうと聞いて肝をつぶして逃げた。逃げた後には宝とお金
はどつさり残つてゐたのでそれを拾つて自分の家へ帰る。今度は隣の家の怠け者が自分も一度天狗
の博奕に行逢つて金を儲けて来ようと欲張つて山中へ出掛ける。丁度天狗が博奕を打つてゐる所へ
出たが、男は恐くて<(#「<」は繰り返し)たまらない。しかし辛抱をして木の根に腰を掛けて見
てゐると天狗が貴様は誰だと聞いた。「鎌倉海老だ」と威張つて答へたので天狗は男を引裂いて食
べて仕舞つた。                     (話者 仲多度郡高篠村 古川ヤス)

   この話は隣の爺型になつてゐる。鎌倉権五郎を題材にしたのは九州南部の鼻利きの六平も同
  様であるが何の故であらうか。參照『昔話と文学』二七七頁。

―69―



                                    三七 竹の子童子
 昔々、桶屋の小僧の三吉が裏の竹山へ桶のたがにする竹を伐りに行く。どこかで虫が鳴くやうな
声が聞えて来たのであたりを見廻すと、三ちやんここだ<(#「<」は繰り返し)と言ふ声がする。
どうぞ竹の節と節との間から出して呉れと云ふので竹を伐り倒すと一番下の枝の節から身の丈が五
糎位の小人が出て来た。三吉の前でぺこんとお辞儀をしたので、お前は何者かときくと、自分は七
夕姫の家来だが七夕の晩にお姫様の使ひでこの人間の世界に下りて来るとこの悪い竹に捕つて竹の
中に入れられて仕舞つたのだが、お蔭で命を助かり竹の中から出して頂いてこんな嬉しいことは無
い。自分の名は竹の子童子であり世界中の事は何でも知つてゐる。歳は千二百三十四歳だと語る。
助けて呉れた御礼に三ちやんの望みを五つだけ叶へると言ふ。それではお菓子を出して貰はうと、
竹の子菓子を出せと三度言ふとちやんと菓子が出て来た。今度は侍にして貰はうと思ひ三度となへ
ると侍になる。そこで武者修行に行き、ある国で手柄をたてゝ大名に召抱へられる。竹の子童子は
天人になつて天まで帰つて行つたと言ふ。  (丸亀市の人から聞いたとある。あるひは雑誌からの
転載ではなからうか)

   この話は一話採集されたのであるが話し方が少し巫山戯(ルビ ふざけ)てゐる。竹伐爺の説
  話ひいては竹取物語と同じ

―70―

  脈をひいてゐることは既に丸山学氏が注意された如くである。ここにはずつと簡略に記載し
 た。參照竹の子童子、『球磨民話抄』『昔話研究』一の八号。



                                     三八 牛方山姥
   柳田先生を初め関敬吾氏の研究もあり天道さん金の鎖、喰はず女房、三枚のお札等と共に我
  が国の逃竄(ルビ とうざん)説話の代表的なものであるが、今度は二話集つた。若干異つてゐ
  るから二つ共に載せる。

 イ
 牛方が荷車に鰯をつけて山の麓を通つて行くとどこかで、牛方々々と呼ぶ声がする。牛方はあゝ
山姥だなと思つたが知らぬふりをして歩いて行くと「鰯一匹呉れんか」と言ふので一匹投げてやつ
た。まう一匹と言つて結局皆食べて仕舞ひ今度はお前の家へ連れて行かねば牛を食べるぞと言ふ。
牛方はこれは困つたと思ひ山姥を荷車に乗せて帰つて行つた。山姥がどこかへ寝させて呉れんかと
言ふので、大釜の中へ藁を敷いて山姥を入れ、上から蓋をして大きな石で押しをした。山姥がよい
気持だと言つて眠つてゐるので、牛方はカチ<(#「<」は繰り返し)と火打石で火をつけようとす
ると、山姥は牛方牛方まう夜明けかと言ふ。さうして
「カチカチ鳥が啼くぞよ」

―71―

 と歌つた。火がぼう<(#「<」は繰り返し)と燃えて来ると牛方々々まう夜明けかと言ひ
「ボウ <(#「<」は繰り返し)鳥が啼くぞよ」
 と歌つた牛方は火をどん<(#「<」は繰り返し)燃して夜明けになつて「山姥々々」と呼んで見
たがまう何の返事もしない。大釜の蓋をあけて見ると山姥は真黒に焼け死んでゐた。
(これから先がこの昔話は他地方と変つてゐて)牛方は山姥を箱の中に入れて「山姥の黒焼」を売
りに出掛ける。村中の人が山姥の黒焼きは薬になると言つて買ふので牛方は大金持になつた。
                                   (話者は丸亀市在住)

   この昔話で牛方が山姥を連れて帰るとは新しい趣向である。さうして山姥の黒焼きに至つて
  はなかなか珍奇であるが何故こんな話になつたのであらうか。しかし牛方が後に金持になつた
  と説くのは比較的に古い型式を保有してゐると言へる。カチカチ鳥が啼き出したボウボウ鳥が
  啼き出した、と言ふ条が最も興味ある部分であつた。
        
 ロ 
 太郎が車に俵を積んで山路を通り掛ると鬼婆が出て来て、俵を取り牛を取り、果ては車まで取つ
て行つて仕舞ふ。(ここまではどこの話でも同じだが次に天道さん金の鎖のモチーフが結合し)ある
日太郎が使ひに出ると鬼婆がゐたので恐しくなつて傍の木に登ると追掛けて来て、太郎どうして登
つ

―72―

たかと言ふ。足に油をつけて登つたと言つたので鬼婆はその通りにして登り滑つて下の池の中へ落
ちる。太郎は急いで下りて走つてある家の中に隠れてゐると、丁度その家が鬼婆の家であつた。鬼
婆は濡れ鼠になつて帰つて来たので太郎が驚いて天井の中に隠れてゐると、あゝ今日は太郎の為に
えらい目に会うた。お餅でも焼いて食べようかと火鉢で餅を焼いてゐたがやがて焼けたので砂糖を
取りに行つた。太郎は急いでその餅を取つた。しばらくすると鬼婆はそこへ現れて
  あゝお袋さん(鼠のこと)に取られて仕舞うた
  今晩は釜の中に寝ようか畳の中に寝ようか
 と言ふと、太郎は釜の中に寝よと言つた。鬼婆はお袋さんが釜の中に寝よと言つたのだと思ひ釜
の中に寝た。太郎は天井から下りて来て釜の蓋の上に大石を置き下から火を付けた。火がほろ<
(#「<」は繰り返し)と燃ゑてくると鬼婆は
「ほろ<(#「<」は繰り返し)鳥が啼くぞよ、あゝえゝ気持ぢや、あゝ痛い<(#「<」は繰り返
し)」
 と言ひながら焼け死んだ。太郎は鬼婆の家の中を捜し自分の奪(ルビ と)られた俵や牛車を初め
他の人々から奪つた品々を取り出して村へ持つて帰つた。      (話者は丸亀市の人である)

   この話は前段に天道さん金の鎖のモチーフが結合してゐるが、話の継目は無理無く続いてゐ
  る。八戸地方の昔話の牛方山姥「鬼婆と鱈助サアブ」の話にも後段に天道さん金の鎖のモチー
  フが結合してゐる。現

―73―

  在伝承されてゐる逃竄説話のあらゆるモチーフを含んだ昔話が前には存在してゐたのであらう
  ことを暗示する。鬼と人間との葛藤の長い歴史は民間説話にまで深い影響を与へてゐる。


                                  三九 天道さん金の鎖
   この話は小学校の先生の改作らしいものを加へて都合十一話集つた。内容は共通してゐるが
  末尾に於いて兄弟二人が二つ星となつたと説く条があるのと無いのとある。この条を目標にし
  て比較的に筋が纏つてゐるのを一つづつ採録し、それに終りが蕎麦の根は何故赤いとなつてゐ
  るものを付記した。

 イ おとどひ星
 (この昔話の定型として)父は無く母と二人と赤坊が山中の一軒家に住んでゐる。母は用事があつ
て家を留守にするので、子供達に山婆が来るかも知れぬから母が帰つたと言つて来ても戸は開(ル
ビ あ)けるでは無い。窓から手を出すから手のざら<(#「<」は繰り返し)してゐるのは山婆だ
と言つて出掛けて行つた。夜になつて山婆は来て母が帰つたから戸を開けて呉れと言ふ。しかし子
供達が手を出させるとざら<(#「<」は繰り返し)してゐる。そこで戸を開けない。山婆は畑へ行
つて葱を取り葱の皮を手に巻いて再びやつて来た。今度は手がつる<(#「<」は繰り返し)してゐ
るので戸を開けて中へ入れると、赤坊を抱いて寝たがボリ<(#「<」は繰り返し)と何かを食べて
ゐる様子である。二人の子供は母に何を食べてゐるかと聞くとお香コだと言つて小指を呉れた。

―74―

これは山婆だと気が付いて二人は便所へ行くふりをして外に出、井戸端の柿の木に上り油を上から
下へ流してゐると、山婆は二人の子供を捜しに来る。井戸を覗き二人の影が映つてゐるのを見て池
の水を汲み出そうとする。山婆は一所懸命に水を汲んでゐたが、腰が痛くなつて来たので腰を伸し
て上を見ると柿の木に二人の子供が上つてゐるのに気が付いた。木に登らうとするが油に滑つてな
かなか登れない。出刃包丁を持つて来て木を刻んで登つて来た。子供は天道さん金の鎖と叫ぶと天
からふご(わらかご)の付いた金の鎖が下りて来た。子供達はそれに乗つて天へ昇り、おとどひ星と
なつた。山婆には天から腐つた縄が下りて来たのでそれに伝つて昇つてゐるうちに中途で縄が切れ
て落ちて死ぬ。                         (話者は香川郡仏生山の人)

   二人の兄弟がおとどひ星あるひは二つ星となつたと説くのはこの話を含めて全部で四話集つ
  た。妹が星姉が月となり、後から家に帰つて来た母が天国の殿様になつたと言ふ話し方もあ
  る。

 ロ 
   星になつたといふ条が無いだけがイの話と異つてゐる点である。イと同様に四話集つてゐる
  が子供達が母の声をそんなにどら声で無いと言ふと油を飲んで来、今度は手がざら<(#<」
  は繰り返し)してゐると言へば手にうどん粉をつけて来た。手はつる<(#「<」は繰り返し)
  してゐるが着物がボロ<(#「<」は繰り返し)だと言ふと今度は本当の母が町から帰つて来る
  のを途中で待ちかまへて殺し、その着物を着て家の中へ入つて来たと語るのは珍しい。なほ子
  供達が手が

―75―

  ザラ<(#「<」は繰り返し)してゐると言へば牛の毛を一本づゝ抜いて手につけて来たと話す
  のもある。                         (話者は丸亀市の者が多い)

 ハ 蕎麦(ルビ そば)の根は何故赤い 
   これは二話集つた。その中の一つは塩飽(ルビ しわく)の本島に於ける採集である。山姥が
  腐れ縄から落ちたのが丁度蕎麦畑の中で、傍の大石に頭を打ちつけて血が流れ、その血が蕎麦
  の根についたと話してゐる。



                                    四〇 口無し女房
   口無し女房即ち食はず女房の昔話は七話採集された。この話の末段は端午の節句の菖蒲と蓬
  の由来になつてゐるものと、夜小蜘蛛になつて化けて来たのを退治するのと二通りの型がある
  のだが前者は一話、後者は五話集つた。他の一話は何の関係もない耳切り藤平の昔話と結合し
  てゐる。主人公が桶屋であつたと語るのはこの昔話の著しい特徴であるが、当地方の例にはそ
  の点は無いけれども、風呂桶の中へ入つたまま山の中へさらはれて行つたと話されてゐる。

 イ 端午の菖蒲の由来
 昔一人の男が野風呂に入つてゐると隣の人が来て下を焚いて呉れた。いくら話をしようとしても

―76―

返事をしない。風呂から出ようとすると急に風呂桶が動き出し山の方へ登り始めた。ふと桶の下を
見ると魔物が桶をかついでゐるのだつた。驚いて逃げようとするが逃げられない。松の枝がつき出
てゐるのがあつたのでやつとそれに〔ツカマ〕(#「ツカマ」は文字番号12572)つて下り、菖蒲のか
げに隠れた。魔物は気が付いて山から下りて来たが気が付かずに通り過ぎて仕舞つた。帰つて暦を
見ると五月五日であつた。それから後五月五日を端午の節句と言ひ菖蒲湯をたてる事になつた。
                             (話者 綾歌郡宇多津 木戸きぬ)

   惜しい事に破片である。口無しの女房が来たと言ふ条は既に落ちてゐる。

 ロ 夜の蜘蛛
 欲の深い人が飯食はぬ嫁を山へ捜しに行くと、私は食はぬしよく働くから置いて下されと言つて
一緒に家に来た。一月たつても二月たつても飯を食はずよく働くので少し薄気味悪くなり、ある日
こんぴら参りに行くと欺き近所の二階へ行き、自分の家の中を覗いて見ると、髪はおんぼろ(「おん
ぼろ」に傍点)にして手には長い爪が生えてゐて一斗の麦を抄(ルビ い)つてそれを髪にすり込んで
ゐる。知らぬ顔をして家へ帰り、家から出て行けと言ふと土産にするから風呂釜と縄一把を下さい
と言ふ。亭主が風呂釜をやると山姥の姿となりすぐ蓋をあけて亭主を中へ押し込んだ。さうして縄
でくくり山の中へ連れて行く。山のおんごくへ来ると風呂釜を木の間に据ゑて山姥はその子供を捜
しに行つた。亭主はその隙

―77―

に釜を割つて外へ逃げた。山姥は子供と一緒に明日の夜は蜘蛛になつて行つて男を捕へて来ようと
話をしてゐる。男はそれを聞いて逃げ帰り村の人を集めて、火をかん<(#「<」は繰り返し)に起
し鍬や火箸やとんぐわを真赤に焼いて、山姥の来るのを待つてゐる。夜になると大きな蜘蛛が家の
中に入つて来たので人々は鍬や火箸で蜘蛛を火の中に入れて焼き殺して仕舞つた。後で見ると大き
な山姥であつたと言ふ。

   山姥とは方言で蜘蛛の事である。この話の後段に於いて「夜の蜘蛛は親に似とつても殺せ、
  朝の蜘蛛は仇と思つても生かせ」と言ふ諺の由来に落ちてゐるのが一話あつた。男が山から逃
  げて帰る途中にとげの木があり、とげの木よどうか助けて呉れと言ふと人一人が入る位のすき
  まを作つて呉れた。山姥が追つて来てとげの木の傍で、人臭い<(#「<」は繰り返し)と言ふ
  と、とげの木の枝がばさつと弾ね返つて山姥の顔を打つ。そこで捜せないで山へ帰り、翌晩蜘
  蛛になつて男の家へ行つたと話してゐる例も集つた。化物の正体はどの話も蜘蛛であるが、山
  姥の姿であると言ひ、飯を頭の中の口へ入れたとか髪の中へすりこんだと言つてゐるが、手か
  ら足から頭から御飯をいれたと語つてゐる例は珍しい。
   なほ一つ変つてゐるのは男が二、三日の旅に出掛けて行くと欺き自分の家の屋根に上り煙突
  から覗いてゐると嫁は米一斗に〔ニハトリ〕(#「ニハトリ」は文字番号42124)三羽を頭の中に 
  つきこんでゐた。ある日の事嫁は男に何か歌つて呉れと言ふので、二、三日の旅に米一斗〔ニ
  ハトリ〕(#「ニハトリ」は文字番号42124)三羽と歌ふと嫁は初めて気がつき男を桶の中に入れ
  て山へかついで行つたとあるが、「米一斗〔ニハトリ〕(#「ニハトリ」は文字番号42124)三羽
  」と言ふのは改良童話らしく思はれてならない。 (丸亀市の生徒も郡部の生徒も書いて来た)

―78―

 ハ
 飯喰はぬ筈の女房が頭の中の大きな口へ御飯を入れてゐるのを近所の人が見付けて男に告げる。
男はそんな事はあるまいと言つたが、ある日仕事に出ると言つたまゝ家の屋根の大窓に上つて覗く
と成程その通りである。男はこれは蜘蛛の化物だと思ひ仕事にも行かずに家の中へすぐ帰つて来
た。丁度女房は爼板の上で卵を切つてゐたが急に主人が帰つて来たのであはてて持つてゐた庖丁を
縁の下へ投げ込んだ(とここから「耳きき藤平」の話となる。)しばらくして女房は庖丁をどこへ
投げたのか忘れてしまひ一所懸命に捜してゐる。男は庖丁は縁の下に有ると女房に教へる。女房は
驚いて自分の夫は失物(ルビ うせもの)捜しの名人だと方々へ触れて歩いた。
 丁度その頃殿様の巻物が紛失して困つてゐる。その男の事がお殿様の耳にも入り、召出される事
になつた。殿様の家来が迎へに来たので仕方無く御殿へ行く。殿様は男に、お前は世に名高い失物
捜しの名人だから巻物を是非捜し出せよと言ふ。男は二日間の猶予を乞ひ心配しながら家へ帰つて
来る途中道端に赤と白の餅が落ちてゐた。その餅を拾つて歩いて行くと狸の小屋があつて何かひそ
ひそと話をしてゐる声が聞える。その男は狸にもしも巻物の在処(ルビ ありか)を知つてゐるので
はないかと思ひ尋ねると狸は、その赤と白の餅を呉れたならば教へると言ふ。その餅を与へ巻物が
御殿より少し外れた溝の中に埋めてある事を教はる。男は忍術を使ふ如く見せ掛けて大勢の殿様の
家来と共に溝の中を捜し遂に巻物を捜し出す。そこで殿様から褒美を沢山貰つたと言ふ。
                                   (話者は丸亀市の人)

―79―

   この話は喰はず女房に鼻きゝ藤平の話が結合したもので柳田先生はかう言ふのは座頭話なる
  べしと説かれた。


                                     四一 山寺の怪
 宝蔵院には化物が出ると言ふので住職がゐない。在所の衆が代り番こに泊つてゐると、ある日旅
僧が来る。一宿を乞ふのでこの寺には化物が出ると断つたが、是非にと言ふので泊つて貰ふ事にし
た。旅僧が一人で泊つてゐると真夜中頃に表の戸を叩く音がする。「てい<(#「<」は繰り返し)
小坊主はお宿にか」と外から声をかけると寺の奥から、どなたで御座ると言ふ声がする。北山の白
狐で御座ると外の物が言へば中から、今夜はよき生き物が参つてゐるからと答へる。次から次へと
てい<(#「<」は繰り返し)小坊主はお宿にかと尋ねる物があり暫くすると旅僧の周りを白狐、西
竹林の三〔ケイ〕(#「ケイ」は文字番号42124)、東野の牛頭、南池の鯉魚、及びこの寺のてい<(#
「<」は繰り返し)小坊主がとり巻いて踊りを始め、旅僧に隙があつたら食べようとしてゐる。し
かし旅僧はお経を静かに唱へてゐる。夜が明けたので化物達は逃げて行く。村の人は旅僧の安否を
気遣つて来ると別段変つた事も無い様子である。村人が僧に夜中に何か変つた事がなかつたかと聞
くと一部始終を話し、この寺の主は昔寺を建てる時に大工が家の棟に椿で拵へた小槌を置き忘れた
のが化けて出るのだと語る。白狐は白山の白狐、三〔ケイ〕(#「ケイ」は文字番号42124)は西の和
仁川宮(ルビ わにがわのみや)の竹林の三本足の怪、東野(ルビ とうの)

―80―

の牛頭は牛を殺して棄てた頭が化けて出るもの、南池(ルビ なんち)の鯉魚とは南の宮池の主の大
鯉であると語り、それぞれ弔つたのでその後は化けて出ぬやうになつた。 
                                (話者は近所の老人とある)

   これは怪譚の一種であるが、住む人とて無い化物が出ると言ふ噂の寺へ旅の僧が来て宿るが
  夜中に怪物の正体を見る。村の者は多分昨夜の旅僧は化物に命を取られたらうと思つてゐると
  無事である。その後化物は出なくなつたと話すのが普通の例のやうだが、本来は化物退治の話
  でなかつたらうか。化物の名が面白いので記録して置く。
   この話は大川郡長尾町に於ける採集である。


                                    四二 一つ目小僧
 一人の魚屋が朝暗い時分に起きて寂しい道を歩いて行くと、大きい一つ目小僧が出て来たので夢
中で走つて、ある一軒の家に飛びこむと家の人が出て来た。「あゝ恐ろしかつた。大きな一つ目が
出ましてなあ」と言ふとそこの人がそれぢやこんなもんぢやろがと言つてたちまち今見て来た化物
の一つ目小僧になつた。魚屋は急いで家へ逃げ帰り重い病気なつた。 (話者は仲多度津郡豊原村)

―81―


                                     四三 金の茄子
 昔、薩摩の国の殿様が肥後の国の殿様の姫君を奥方にした。ある時奥方は殿様と一緒に御飯を食
べてゐたが過つて屁を放(ルビ ひ)る。殿様は怒つて奥方を手討にしようとするが、子を妊つてゐ
るのでうつろ舟(中がからっぽの舟)に乗せて流すことにした。うつろ舟は流れ流れて故郷の肥後
の国の港に漂着した。姫が流れ着いたのを見たのが姫の乳母であつた。姫君を連れて帰り、家の中
へ縁台四つを置いてその上に畳を敷きそこで暮させ三度の御飯も御馳走をして大事に養つた。やが
て姫君は子供を生んだ。子供が大きくなり寺小屋へ行つた時に皆の者から、父無し子と卑(ルビ 
いやし)められたので帰つて母に昔のことを聞く。息子はそこで薩摩の国へ行き、小判のなる木は
いらんか<(#「<」は繰り返し)と城下中をふれまはる。殿様は家来に言つて早速それを買ふこと
にして御殿へ召された。殿様が小判のなる木は幾らかと御訊ねになると息子は一千両だと答へる。
さうして、この小判のなる木には肥料をやらねばなりません。女の人で放屁しない人の骨を埋めさ
へすれば小判は何時まででも実りますと答へた。そこで殿様はお笑ひになり、女で屁を放らないも
のが世の中にあるものかと言つた。息子はそこで昔の母の事を語つた。殿様はそこで奥方を前の通
り引き取つた。子は縁のつなぎと言ふのはこの事を言つたものださうな。
                       (綾歌郡宇多津町の大久保老より聞いたとある)

―82―

 『昔話採集手帖』七八番參照 


                                   四四 仁王の力競べ
 仁王が天竺へ力競べに行く時に観音様が鑢(ルビ やすり)を呉れたとある。仁王は天竺の強力の
者の家へ行くとその者は居らず、妹がゐて大きい石の茶碗にお茶を入れて来た。庭には大きな石の
下駄があるのでこれぢやとても勝つ見込みは無いと逃げる。あとへ天竺の大力が追掛けて来たので
一本の大きな藤の木に上り、木の下の井戸へ石を投げ込んで隠れてゐる。天竺の大力は仁王は井戸
へ入つたと思ひ中を覗くと影が映つてゐる。そこで井戸の中へ入らうとする。仁王はその間に逃
げ、舟を漕ぎ出す。そこへも追掛けて来て重い分銅を鎖のさきにつけて舟の中へ投げ付け、舟を引
戻あ(#「あ」は定本のママ)うとする。観音様から貰つた鑢で八度磨つて鎖をたち切つたので逃げ
る事が出来た。それよりやすり(「やすり」に傍点)と言ふ名前が起つた。仁王は藤とやすりで命が助
つたので今でも鑢を手に持ち、藤を体に巻付けてゐるのはその為だと言ふ。 (話者は丸亀市の人)

   昔話『採集手帖』には無いが弘く分布してゐる大話である。一話しか集らなかつた。

―83―


                                 四五 慢心は怪我のもと
 片羽拡げると千里、また片羽拡げると千里の大きな鳥がゐた。われ程大きなものは無からうと思
ひ、世界漫遊に出掛ける。飛んでゐる内に大洋の真中に出て羽が苦しくなつたので、止る処は無い
かと思つて見ると材木が二本海の中に出てゐるので止つて休んでゐると下から、儂(ルビ わし)の
髭に止る奴は誰だと大きな声がする。一体お前は誰だと問返すと、大海老だと言ふ。儂は二千里の
長さがあるがお前の大きさはどれ位だと聞くと、海老は五千里だと言つた。そうして海老は自分が
大きいのに気が付き、今度は海老が世界漫遊に行く。海の岩でくたびれたので休んでゐると下から
大亀が、儂の背中で休むなと言ひ儂の体は一万里あると言ふ。さうして今度は亀が漫遊に行く。途
中蛤(ルビ はまぐり)を小山と間違へて蛤の上で休むと、儂は二万里ある蛤だと言ふ。蛤は自分が
世界で一番大きいものだと思ひぞろり<(#「<」は繰り返し)と浜辺をはつて行くと小さい子供が
蛤を籠の中へぽーんと入れたと言ふ話。                 (話者は丸亀市の人)

   これは今迄の採集例は少いが明らかに各地に残つてゐる筈の昔話である。『川越地方昔話』
  の海老の腰は何故短い及び北宇和郡の伊勢蝦の腰等と同系のもので慢心を戒める教訓を添へて
  話される。面白い話で

―84―

  ないが一種の大話として発達したものらしい。


                                 四六 蟻の目にどんぐり
 昔はとんとあつたげな。蟻の目にどんぐりがはいつて針で掘つても<(#「<」は繰り返し)取れ
なかつた。杵で掘つたらぽーんと取れた。
                  
   当地方の昔話の語り始めの文句はこの話の如く「とんと昔もあつたげな」である。『安芸国
  昔話』の「なんの昔があつたげな」、『三好郡昔話』の「とんとん昔もあつたさうな」が近隣
  の例として注意される。なほこの話の末尾の文句は越後蒲原に近いものがある。


                                     四七 運定め話
 (立聴きの条は無く)男の親は子供が五歳の年に水難の相があると言ふ事を他の人から聞く。妻
にに(#「に」は底本のママ)心配させるといけないからと思つて話をせず五歳の年に、子供を家の
柱にぐる<(#「<」は繰り返し)巻きにして刃物を持つて待つてゐる。近所の人々は気が違つたの
かと思つて縄をほどいてやらうとするが、傍へ近寄せない。そこへ一人の老婆が通り掛り可哀さう
にと言つてほどかうとしたので、刃物で斬りつ

―85―







け殺して見ると海のガーラ(河童)であつた。その子供は後に長生をした。  (話者は丸亀市在住)

   讃岐では運定め話は三話共に分布し、芦刈型は三豊郡志々島の採集例が『昔話研究』二巻に
  あり、その他水のものに取られる話、虻と手斧型も既に採集したが、今度の採集では水のもの
  に取られる話が集つた。破片に過ぎないのは残念である。


                                     四八 親 捨 山
 丹後の姥捨山の麓に老母と若者が住んでゐるが、殿様が八十歳以上の老人は棄てよと言ふ命令を
出した。若者は老母を月夜に山へ負ふて捨てに行く。捨てた帰り途に葉を折つて迷はぬようにして
呉れてあるのを見て親の恩を知り、連れ戻つて床下に匿す。隣の国の大名から色々な難題が来るの
で殿様は困り難題を解かせる。一は毛色や大きさの一寸も変らぬ白馬二匹の親子を見分ける事であ
つたが、若者は老母に二匹に枯草を食べさせて早く食べる方が子だと言ふ智恵を教へられて殿様に
申し上げる。第二は灰縄千束、第三の難題は蟻通しであつた。いずれも母に教へられて殿様に申し
上げ何でも望みの事を言ふがよいと言はれる。若者は老人を棄てるのを取止めて頂き度いと言ひそ
の通りになる。

―86―

   多く集つたが話の筋が乱れて存在してゐる。この昔話は更級(ルビ さらしな)型(即ち捨て
  る心算で山まで連れて行くが枝を折つて息子の帰る道を失はぬようにしたので捨てるのを止め
  て連れて帰るとか、あるひはふご(「ふご」に傍点)の中に乗せて山まで運んで行くと、今度お前
  が年寄つて捨てられる為にいるからふご(「ふご」に傍点)を持つて帰れと言はれて初めて捨てる
  心を飜(ルビ ひるが)へした)と棄老国の難題型に分れて存在するのであるが、この地方では
  両話が混在してゐる為に首尾が一貫してゐない。しかしこれも説話変化の一傾向だらうと思 
  ひ、最も筋のとほつてゐるのを記載する。
   孝行の教訓譚として殊に枝を栞る条は「奥山に枝折る栞は誰が為ぞ」等と言ふ歌が近世の絵
  本の類には入つてゐるのであるが、何時頃から教訓譚の形式を備へて来たか興味ある所であ
  る。


                                     四九 山伏と狐
 一人の山伏がお四国(へんろ)の山の道を歩いて行くと子狐が道端で寝てゐるので、面白半分に
法螺の貝を吹きかけた。しばらく行くと急に日が暮れかけて来た。これは困つた事だと思つてゐる
と向ふから葬列がやつて来る。暫くよけようと思ひ傍の木に上つた。葬礼はその木の元を三返廻つ
て死人を埋めて人々は去んで仕舞つた。さうすると今度は桶の割目から幽霊が出て来て山伏の足の
所まで登つて来て足を引ぱつた。山伏は驚いて木から落ち目を廻してゐた。通りかかつた樵夫が見
付けて助かる。その後山伏は悪戯をしなくなつたと言ふ。

―87―

                      (話者は三豊郡吉津村及び仲多度郡豊原村の老人)

   三話集つたがほとんど内容は共通してゐる。悪戯をした山伏に狐が仕返しをすると言ふ単純
  な話だが、何故どこにでも分布してゐるのであらうか。しかし曽呂利物語にも見えてゐるので
  あるから来歴は古いものらしい。『日本昔話』集七十二頁參照。
   他の二話では村の人の為に山伏が縛り付けられたと話すのと山伏が一軒家の婆に頼まれて爺
  の棺桶を見てゐる内に桶が傍へ寄つて来たと言ふのがある。後者は末段が混同して山伏は近よ
  つて来る桶を避けてゐて野つぼ(肥溜)の中へ入り風呂だと思つて浴びてゐたなどと話されて
  ゐる。


                                   五〇 うそつき小僧
 寺に院主と小僧があるが虚言(ルビ うそ)ばかりつくのでうそつき小僧と言はれてゐた。ある
朝、院主が今日は雨が降るけん葬式もないやろと思ふから、のるかそるかの嘘を言へと言つた。そ
の内の晴れて葬式があつたので院主は小僧を連れて行く。小僧は途中で腹が痛いと言つて院主を騙
し、先に帰つて、院主は死んだから尼になれと言つて院主の妻の頭を剃つて仕舞ふ。暫くして院主
が帰つて見ると妻は尼になつてゐる。びつくりして聞くと小僧は、これがのるかそるかの嘘だと言
つたとある。                         (話者は綾歌郡土器村とある)

―88―

   『昔話採集手帖』七十六番俵薬師參照。この話は狂言記の中に近いものがある。近世作では
  あるが、柳田先生が説かれてゐるやうに悪の技術を説いて何の制裁も反省も付加しない一群の
  昔話の中に入る。
   多数は和尚が小僧に乗ぜられるのであるが、うそつき小僧の話などはまだ笑話化してゐない
  その前の形だと言ひ得る。


                                   五一 二反の白木綿
   嫁と姑のたわいの無い口争ひ。この地の話では「ひがん」か「ひーがん」かをどちらでも良
  いやうであるが争つた話。勿論聞きに行くのは寺のお住持様の処へである。結局二反の白木綿
  を和尚がせしめるのである。この話は相当数多く集つてゐる。中には二升の初穂米を和尚がせ
  しめる事になつてゐるのが一話あつた。
      (書いて来た生徒の中には丸亀市の者もあるし、仲多度郡、三豊郡の者等もあつた)


                                      五二 尼裁判
 昔、京都の京極に初めて鏡屋が出来た。田舎の親爺が京へ買物に行きそこを通り掛つて「かゝ見
所」とあるので嬶(ルビ かか)を見ようと思つて中へ入つて見ると死んだ父がゐた。早速買つて帰
り、毎日覗いてゐるので娘が不思議に思つて見ると美しい女がゐる。そこで嬶が怒つて夫婦喧嘩を
してゐると、

―89―

尼が通りかゝつて、これは鏡と言ふもので人の顔を映したり、人の心を映し出すものだと教へる。
(女は改心して尼になつたと言ふ条は無い)。         (話者 広島 大石角太郎老)

   『昔話採集手帖』八十七番。田能久と尼裁判は数ばかりが大層多く集つた。落語の知識から
  来てゐるのでどれもこれも面白くない。何故田能久話と尼裁判の民間説話が落語に作為された
  かが注意されるべきである。ここにはさういつた潤色が加はつてゐない本物を採録する。仲多
  度郡広島に於ける採集である。
   座頭話である事は明らかである。


                                        五三 旅 学 問
 昔、庄屋の息子が大阪へ学問に行く。宿屋へ来て泊ると女中が上落に致しませうか下落に致しま
せうかと言ふ。何の事かと聞くと上落は二階で下落は下だと言はれる。成程と思つて帳面に書付け
て置く。二階に上ると今度は茶菓子と干柿を持つて来たので、これは何かと聞けば茶菓子だと答へ
る。これも帳面に書く。今度は膳に朱椀をつけてきたので、これも何かと尋ねると朱椀だと教へら
れる。さすがに大きい町へ来ただけあつて学問をしたと思つて宿を出ると、大きな牛の死んだのを
人がかついで来る。何かと聞くとおなめ牛だと答へる。三月位ゐて村へ帰へると父の庄屋はよく帰
つたと言つて喜び裏の柿の木に登り実を取らうとして落ちて血を流し死にさうになる。その時息子


―90―

は医者へかう言ふ手紙を書いた。
 茶菓子の上に上落し中程に下落仕り候、朱椀たら<(#「<」は繰り返し)薬一服ときまにおなめ
になり候。                         (話者は多度津町の人とある)

   柿の木と上落、下落、朱椀はこの昔話に不思議によくくつついてゐる。何故だらうか、いず
  れにしても座頭話には違ひない。


                                      五四 愚か村
   二話集つたが、どこにでもある話で格別珍しい趣向のものは無い。はしごそばの話と琴三味
  線指南所の話である。はしごそばは蕎麦が長いので二階の上から下まで垂らして食べたと言ふ
  話である。琴三味線指南所の方は京見物に行つた田舎者が、ある家の前を通り掛ると今迄聞い
  た事もないやうな音が聞えて来たので何だらうかと思ひ中へ入らうとすると「今年しや見せん
  死なん所」と書いてあるので、成程今年は見られないが来年までは生きてゐるだらうと思つて
  帰つて行つたと言ふ話である。職業の徒が持歩いたのであらうが、どこからもたらされたかは
  容易にわかるやうな気がする話である。    (仲多度郡善通寺町の母より聞いたとある)

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                                     五五 愚か聟
   笑話までが種類を少くしてゐる。東日本には殊に多い愚か聟すらこの通りの有様である。
 
 イ 団子の名
 嫁の里で団子の御馳走になつた馬鹿聟が帰る途中川を渡る拍子に団子の名を忘れ、ピントコショ
などゝ言ひながら帰る。嫁に作らせようと思つたがどうしても名前が出ないものだから腹を立て、
嫁を火吹竹で叩いて、頭に団子のやうな瘤が出来たと言はれて初めて名を思ひ出したと言ふ話。

   これは数多く集つたが中には餅になつてゐる場合もあるが、餅ではちつとも面白くない。

 ロ 糸引き合図
 馬鹿聟が親類の婚礼に出掛けるが嫁が、心配して人に見えないやうに手に糸をつけて合図をする
事にした。先方へ行つて初めの挨拶は巧く言つたので親類の者達は、これは馬鹿だと言ふが何もそ
んなことは無いと思ふ。いよいよ席についた時にその家の猫が糸に戯れついたので聟はきつと何か

―92―

の合図だらうと思ひ、おかしな真似をして失敗する。

   これは一話しか集らない。

 ハ ほつこに入智恵すな 
 聟が嫁の里へ正月礼に行く事になつたが嫁が、入智恵して里の親が何か相談をかけるだらうが、
多分今度普請をするからどの位のを建てようかなどゝ聞かれるに違ひない。二間に三間のがよから
うとお言ひなさいと教へる。聟が里へ行くと舅が、今度頭巾を拵へようと思ふがどの位のがよいか
と聞いた。聟は二間に三間のが宜しいでせうと言つたと言ふ話。


                                  五六 グツとシンの話
 グツとシンは婆が寺へ和尚を迎へに行つた留守を頼まれたので、御飯を炊いてゐたのを見てゐ
る。グツ<(#「<」は繰り返し)と煮える音がし、シン<(#「<」は繰り返し)と湧きだしたので
グツとシンは自分等の名前を呼ばれてゐるのかと思ひ返事をしたが、一向呼ぶばかりするので怒つ
て御飯の中へ灰を入れて仕舞つた。今度は甘酒の壺を棚から下す時に婆が壺の尻を持てと言つたの
を間違へて自分の尻を持つたので壺を落

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して割つて仕舞ふ。次には和尚の法衣を風呂の火に燃して仕舞ひ、和尚は裸になつて帰る。(ここ
まではどこにでもあるグツの話だがこの話はまだ続き)グツが道を歩いてゐると大人が角力を取つ
てゐるのを見て喧嘩かと思ひ中へ入つて止めて呉れと言つて叱られ、今度は子供の喧嘩を見て角力
かと思ひ、まう少しやれと言つてゐると他の人に怒られる。    (話者は仲多度郡琴平町の老人)

   グツと言ふ物の煮える音が何故笑話になつて全国的に流布されてゐるのであらうか。極めて
  単純な笑話すらも方々にあると言ふのは、この種笑話の伝播者は極く最近まで国内中を旅行し
  てゐたのであらうか。いずれにしても不思議である。


                                     五七 雨降れ蛙
 昔々、蛙は塩売りの女房であつた。故あつて離縁されたが、雨が降ると塩がとけるので喜び雨降
れ<(#「<」は繰り返し)と鳴く。 

   水乞鳥の話が蛙となつてゐる。胸毛の赤いあの赤しようびん(川せみ)を見た事が無い農民
  の文芸では蛙に変化するのも当然である。
  塩売りの女房とは讃岐産らしく面白い。

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                                      五八 鳶不幸
 昔々、鳶は親不孝で親の反対ばかりするので母が死に際に「死んだら墓を川の中へ作つて呉れ」
と言ふ。母はさう言へば山の中へ墓を作つて呉れるだらうと思つたからである。子は親の死後始め
て自分の悪かつた事に気が付きつ(#「つ」は底本のママ)親の言ひつけどほり川の中へ葬る。と
ころが雨が降つて川の水が増す毎に母の墓が流れはしまいかと心配して雨の降るごとに鳴くと言
ふ。

   「雨が降つたら鳴く鳶」と題を付けてゐる。この昔話はまう一話採集されたが、それは鳶と
  は言はず親不孝な息子の話となり母の死骸を海の中に投げこんだとあるが、かう言ふ鳥の前生
  譚も遂には笑話化してゆく傾向が見られるのである。


                                     五九 尻尾の釣
   採集されたのは一話。騙されたのは熊で騙したのは狐となつてゐる。日本ではよく猿の尾は
  何故短いの話になつてをり、この話の如きは主として外国に多いものである。生徒は祖父から
  聞いたと書いてゐるが、怪しく思はれて仕方がない。

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                                     六〇 弟子恋し
 和尚が可愛がつてゐた小僧が川に流れて死んだので、和尚は弟子恋し<(#「<」は繰り返し)と
言つてゐる内に時鳥となつたと言ふ話である。           (伝承者は丸亀市在住の人)

   中国から四国にかけては時鳥と兄弟の話が鍛冶屋と弟子とか和尚と弟子の話になつてをり、
  いずれも山薯の条を説くのは諸国の時鳥の話に同じい。今度採集された一話は惜しい事に破片
  である。
   參照 『昔話採集手帖』八十八番。『昔話研究』二巻北宇和の昔話。    


                                     六一 猿蟹合戦
 猿と蟹があつて山で遊んでゐると、蟹がおつきよい(大きい)むすびを一つ拾ひました。それか
ら猿は柿の種を一つ拾ひました。猿はそれを見て欲しくてたまらんもんぢやから智惠を出して言ふ
のには
 「蟹さん<(#「<」は繰り返し)、そのむすびを食ふてしもうたらもうそれぎりぢやけんど、儂
が持つてをるこの柿の種は今すぐには食べられへんけんど、これを植ゑて置いたらおつきよいむま
い実がなるんぢやか

―96―

ら儂の種とお前のむすびと一つかへことしようじやないか」
 と言ふと蟹はたうとうかへました。悪い猿はこれはむまい事やつたと思うて見よる間にぷちやぷ
ちゃと食べて仕舞ひました。蟹はすぐ家へいんで、裏のあいた所へ播いて日に<(#「<」は繰り
返し)水をかけてゐると、その明くる年びつくりする程よう実がなりました。蟹は嬉しくてたまら
んもんぢやけに毎日木の下へいてじつと見てゐました。しかし木に上る事が出来んもんぢやから怨
めしげに見てゐると、猿がやつて来て
 「これはうまげな実ぢや、お前はちぎれんきに、儂が上つてむまいのをちぎつてやる」
 と如何にも親切げに言ふてする<(#「<」は繰り返し)と上つてように熟れたむまげな分を手当
り次第にちぎつて食べました。そこで自分のおなかがおきる(満腹する)ごろになると下から蟹が
一つちぎつて呉れと言ふと自分はむまい柿をむしや<(#「<」は繰り返し)歯をむいで目をまるう
にして食べもつてよしと言ふて、青い渋いのを二つも三つも上からぶつけました。すると親蟹の背
中に当つて、たうとう死んでしまひました。子蟹はこれを見て大変悔んでおん<(#「<」は繰り
返し)泣いてゐると、そこへ隣の臼と栗と蜂がやつて来て、どうしたんかと言ふて泣くわけを問ふ
と、子蟹はそのわけを泣きもつて言ふと、三人はそれこそ目をむいで怒つて、おのれ憎い猿め、今
に敵を討つてやると言ふて猿をやりつける相談をしたのです。そんで臼は蟹の家の屋根の上で待つ
てゐるし、栗はちやんと火鉢の灰の中に隠れてゐるし、蜂は自分の槍をとぎすばいて水がめの裏へ
ぢつと隠れてをつて、別に使ひの者をやつてまた柿をちぎつて

―97―

呉れと頼んでやると賤しいて欲な猿ぢやけにまたむまい柿が食べられると思うてすぐやつて来まし
た。そんで火鉢のとこへ座ると待ち構へて居つた栗はぽーんと言ふてそれこそ力一杯はりさけたの
です。なんとて思ひがけない不意をやられたもんぢやから痛つと言つてあはてゝ水がめの水をつけ
に行くと、またそこに隠れて今か<(#「<」は繰り返し)と待ち構へてをつた蜂が細い長い槍の針
で力一杯にさしたもんぢやから、もういよいよあはてゝ今度はたうとう戸口から外へ逃げようと思
うて飛び出さうとすると、またそこに待つてをつた大きな立臼がどすんとおつきよい音をして屋根
の上から落つて来、憎い猿を押へ付けました。それで子蟹は、おどれ憎い奴め親のかたけぢや覚悟
せよと言ふて自分のよう切れる鋏で憎い猿の首をちよん切つてたうとう目出度く親の敵を討ちまし
た。
(話者は農、年齢六二とあるのみで氏名は明記してゐない。恐らくは三豊郡麻村のこの生徒が方言
で書いた猿蟹合戦の作文であらうが面白いから載せた)
   話の筋は教科書に似てゐるが話し方が、素朴で真面目に書いてゐるので甲式で原文のまゝ出
  す。

                                     六二 片足脚絆
   『昔話採集手帖』八九番參照。この片足脚絆は讃岐の特産であらうか他地方で余り聞かな
  い。五話集つたがいずれも継子話と結合してゐる。しかしそれもよく注意して見ると二つに分
  れ、イは発端が本子が継

―98―

   子に同情した話即ちお銀こ銀などに近い話が始まるもの、ロは両方とも継子である。イは一
  話、ロは四話集つた。

 イ
 昔おてつとおかつの姉妹があつたが、おてつは継子でおかつは本子であつた。ある時継母がコツ
プ二杯の甘酒を作つたので妹が何の為に作つたかと尋ねると、一方はお前の為に他方は姉を殺す為
に毒を入れたのだと教へる。そこで妹は姉にその事を教へ一緒に家出をして仕舞ふ。父が外から帰
つて来ると二人の姿が見えないので妻に尋ねると、貴方の帰りが遅いので見に行つたのだと答へ
る。それを聞くと父は脚絆を片一方だけつけて捜しに行き、どうしても見付からないで死んで仕舞
つた。しかし思ひ切る事が出来ないで今でも「てつちょ、かつちょ」と啼いてゐる。その鳥の足は
一方が黒く他は白いと言はれてゐる。              (話者は仲多度郡筆岡村の人)

 ロ
 ある所になお鉄と言ふのとなお勝と言ふ継子がをつたんぢや。ある日継母がな、夕方頃二人を薪
取りに出したんぢやと。ほいで二人はしよが無いけに取りに行たんぢやけどなかなか一杯にならん
けに山の方まで遅うまで取つて迷ふてな。晩が来たのに帰らなんだんぢやがな。家では夕方父さん

―99―

が帰つて来て足の脚絆を片足のけた時「お鉄とお勝はどうしたのかい」と言ふんぢやわい。そした
ところがな「木取りに行て未だ帰つて来んので」と言ふんぢやと。ほんだところがお父さんが脚絆
片足の儘、そらいかん言ふて山へ行て「鉄ちよい勝ちよい」「鉄ちよう勝ちよ」と呼び歩いたんぢ
やけど返事がなんぼにも無いんぢや。その中にお父さんはたうとう倒れて仕舞ふんぢやわい。それ
が死んでな、鳥になるんぢやがな。その鳥は足が片足白で片方は黒の脚絆みたいなんぢやと。ほい
でな「鉄ちよい勝ちよい」言ふてな啼きよんぢやと。それが郭公ちゆう鳥ぢやわい。
                            (話者は綾歌郡宇多津町在住の老人)

   四話の中から筋がよくとほつてゐるものを甲式で書く。これは郭公の前生譚となつてゐる。

 ハ
 お鉄とお勝は継子であつた。夜遅くなつて父が帰つて来ると二人共にゐないので母親に尋ねると
母は山へさゝぎを取りに行つたのだと嘘をついたが、実は殺したのであつた。父親は片方の脚絆だ
けしかのけてゐなかつたがすぐ山へ捜しに行き鉄ちよ勝ちよと呼んでも<(#「<」は繰り返し)返
事をしないので遂に倒れて鳥となる。それが世に梟と言ふ鳥ださうである。
                              (話者は仲多度郡四箇村の老人)
―100―

   中には梟の話になつてゐるものがある。


                                      六三 長い話
 イ
 昔、大名屋敷の米蔵の中へ鼠が沢山入つてゐた。それが一匹づつ外へ出て来た。チューチュー
チューと言つて初めのが跳び出して来た。次のもチューチューチュと鳴きその次のもその次のも
チューチュチュー……………。

 ロ
 山中の池の傍に団栗の木が生えてゐた。風が吹いて来ると一つづつ木から落ちては池の中へ落ち
る。池の中には岩があつたのでドブンカツチリ<<(#「<」は繰り返し)と次から次へと落ちる。
(といつて何時まででも聴手が聞き飽きるまで話すのである)。

 ハ
 長崎からおこわめしを持つて来た。天から褌が下りて来た。