1338年(延元 3) ~ (38K)

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底本の書名   香川県史 別編2 歴史年表 古代・中世
 底本の編集者   香川県
 底本の発行者   香川県
 底本の発行日   平成三年三月二十日
入力者名    渡辺浩三
校正者名    渡辺美智子
入力に関する注記
      ・文字コードにない文字は『大漢和辞典』(諸橋轍次著 大修館書店刊)の
       文字番号を付した。
      ・JISコード第1・2水準にない旧字は新字におきかえて(#「□」は旧字)
       と表記した。

登録日    2004年5月20日
      


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1338 暦応1 8・28 延元3 (戊寅)
 県内  6・18 長勝寺(現,池田町)蔵宝篋印塔が願主沙弥恵□によって建立される.
     7・22 善通寺宥範,那珂郡櫛無保内漆谷寺(#「漆」は旧字)寺務職を遠照
         上人に譲る(善通寺文書)
     12・- 征西大将軍懐良親王,讃岐に下着し,ついで,伊予に赴く(阿蘇文書)
 県外  8・11 北朝,足利尊氏を征夷大将軍に任じる.
     9・- 南朝花園宮,土佐に下着する(元弘日記裏書)

1339 暦応2 延元4 (己卯)
 県内  3・16 佐々木信胤,南朝を奉じ小豆島に拠る(肥土荘別宮八幡宮縁起)
 県外  8・16 後醍醐天皇,没する.

1340 暦応3 興国1 4・28 (庚辰)
 県内  2・16 祗園社顕増,阿野郡潮入新開田内1町を顕賀に譲る(八坂神社文書)
     2・- 蔵人所,石清水八幡宮臨時祭につき,香西郡円座保に保役として円座
         の調進を命じる(石清水臨時祭之記所収文書)

1341 暦応4 興国2 (辛巳)
 県内  3・22 足利尊氏,二位家・右大臣家法花堂領寒川郡造田荘別当職を随心院に
         寄進し,同寺の管領を認める(善通寺文書)
     4・4 北朝文殿,随心院と大覚寺の相論を裁定し,大覚寺末寺となっていた
         善通寺を随心院に返すことを注進する.ついで5月28日,光厳上皇,
         随心院の善通寺管領を認める(善通寺文書)
     7・20 守護細川顕氏,尊日僧都(宥範カ《#「カ」はカタカナ小文字》)に
         善通寺誕生院住持職を安堵する(善通寺文書)
     11・- 興福寺衆徒,同寺領鵜足郡川津郷並びに二村荘における仁木弥二郎の
         濫妨停止を別当に訴える(興福寺別当次第紙背文書)

1338~42 暦応年間
 県内      善通寺誕生院宥範,善通寺五重塔などの諸堂を再興する(贈僧正宥範
         発心求法縁起)

1342 康永1 4・27 興国3 (壬午)
 県内  1・- 讃岐国里海荘・三野郡三崎荘などの摂〔ロク〕渡荘(#「ロク」は文
         字番号26734)の目録が作成される(九条家文書)
     4・- 脇屋義助の伊予下向に当たり,讃岐の羽床氏と阿波の大西氏が相計っ
         て国中に南朝勢力を興し,讃岐の十河十郎・三谷八郎・神内右兵衛尉
         ら,南朝方に服する(南海通記)
     6・- 随心院門跡雑掌祐乗,善通寺領弘田郷地頭飽間斎藤三郎入道並びに萱
         原村地頭押乗四郎知基代官の濫妨停止を朝廷に訴える(善通寺文書)
     7・- 細川頼春,伊予に攻め入るのに先立ち羽床氏を足利方に招き,羽床氏
         これに応じる(南海通記)
 県外  4・23 脇屋義助,四国・西国大将に任じられ,伊予国今治に着く.佐々木信
         胤,備前児島より義助を護送する(太平記)
     5・1 征西将軍宮懐良親王,伊予より薩摩に着く(阿蘇文書)
     5・11 脇屋義助,伊予国府にて病没する(太平記)
     7・14 細川頼春,伊予国川之江城を陥れ,ついで南朝軍を同国新居郡千丈原
         で破る.詫間・香西・橘家の一族らこれに従う(太平記)

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1344 康永3 興国5 (甲申)
 県内 (2)・1(#「2」は丸付き数字) 院評定において備前国櫃石島に関する熊野長
         床衆と南滝院増仁との争いを議する(園太暦)
     8・7 足利直義,随心院領寒川郡造田荘雑掌の訴えを裁決し,大井高綱・寒
         河七郎・造田新大夫・柞原孫二郎・佐竹侍従房・庄十郎四郎・佐藤冶
         部左衛門尉らの同荘押妨を停止する(善通寺文書)
     11・12 信濃守護小笠原貞宗,那珂郡塩飽荘などの所領を嫡子政長に譲る(勝
         山小笠原文書)
     この頃 善通寺一円保,康永2年分の年貢算用を本所随心院に注進する(随心
         院文書)

1342~45 康永年間
 県内      善通寺誕生院宥範,善通寺利生塔の供養導師を勤める(善通寺文書)

1345 貞和1 10・21 興国6 (乙酉)
 県内  2・- 大水上神社(現,高瀬町)蔵石燈籠,願主藤原定村によって造立され
         る.
     7・17 足利直義,伊東安芸入道證観の相伝所領阿野郡南条山西方地頭職を細
         川顕氏家人宇佐美又三郎が押領したとの訴えを裁決し,證観領掌を下
         知する(伊東文書)
     8・22 興福寺,同寺領那珂郡柞原野荘における守護代粟島八郎の押領を,守
         護細川顕氏に訴え.返付させる(東金堂細々要記)
     10・24 北朝文殿,善通寺管領に関する随心院僧正経厳雑掌と道仁上人との争
         いを裁決し,僧正経厳雑掌の知行とする(善通寺文書)
     11・10 守護細川顕氏,興福寺領那珂郡柞原野荘における春日部義淵の濫妨停
         止を,守護代月成太郎兵衛尉に命じる(東金堂細々要記)
 県外  2・6 光厳上皇,幕府の奏請により,国毎に建立の寺を安国,塔を利生と名
         付ける(三国地志)

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1346 貞和2 正平1 12・8 (丙戌)
 県内  2・17 光厳上皇,文殿の注進に任せ,随心院僧正の善通寺管領を安堵する(善
         通寺文書)
     6・8 近江三井寺,円満院故二品親王の意向により,那珂郡金蔵寺に袈裟を
         寄進する(金蔵寺文書)

1347 貞和3 正平2 (丁亥)
 県内  3・26 備前国小豆島北浦保山百姓弥三郎男,石清水八幡宮領肥土荘淵崎八幡
         宮神人を殺害する.これにより神人蜂起する.佐々木信胤,これを鎮
         撫する(肥土荘別宮八幡宮縁起)
     4・11 秋山泰忠・経長兄弟,三野郡高瀬郷伊予大道下地頭職を秋山泰長と和
         与中分する(秋山家文書)
     5・3 淡路守護細川師氏,淡路・阿波・讃岐・備前4か国の兵を率い,小豆
         島の佐々木信胤を攻める.ついで6月3日,佐々木信胤,細川師氏に
         降服する(肥土荘別宮八幡宮縁起)
     7・2 足利尊氏,那珂郡小松荘地頭職を金蔵寺に寄進する(金蔵寺文書)
     8・25 祗園社,感神院別当得分として讃岐瀧上社(滝宮社)ほかを注進する
         (八坂神社記録所収文書)
 県外  11・26 細川顕氏・山名時氏,楠木正行と摂津国住吉・天王寺で戦い敗れる(和
         田文書)

1348 貞和4 正平3 (戊子)
 県内  1・10 守護細川顕氏,由佐秀助の太田遠忠誅伐の戦功を賞する(由佐家文書)
     4・1 南朝方伊予の忽那義範,塩飽島の城を攻め落とす(忽那家文書)
     5・27 守護細川顕氏,日吉社領豊田郡柞田荘における地頭岩田頼国・同顕国
         らの濫妨停止を,守護代秋月太郎兵衛に命じる(根岸文書)
     8・6 賀茂御祖社,同社領多度郡葛原荘に,立柱上棟の儀の道々輩料として,
         酒を進納することを命じる(賀茂社諸国神戸記)
     8・13 守護細川顕氏,鵜足郡土器保田所職を宇多津宇夫階歓喜寺に寄進する
         (徴古雑抄所収文書)
 県外  1・5 高師直,楠木正行と河内四条畷で戦う.正行敗死する(園太暦)
     5・14 南朝後村上天皇,忽那義範の戦功を賞する(忽那家文書)

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1349 貞和5 正平4 (己丑)
 県外 (6)・11(#「6」は丸付き数字) 足利直義と執事高師直の不和により,京都騒
         擾する(園太暦)
     8・13 高師直,足利直義襲撃を計り,直義は尊氏の第に逃れる(園太暦)
     10・2 足利義詮,直義と政務をかわるため鎌倉より上京し,直義,錦小路堀
         川の細川顕氏の第に移る(建武三年以来記)
     12・8 足利直義.出家する(園太暦)

1350 観応1 2・27 正平5 (庚寅)
 県内  3・20 藤原資光,香東郡冠尾社上司惣官両職その他の所領を嫡子千代鶴丸に
譲る(由佐家文書)
     8・26 興福寺別当孝覚,同寺領那珂郡柞原野荘における秋野新左衛門霊舜の
         濫妨停止を,守護細川顕氏に求める(御挙状等執筆引付)
     11・2 醍醐寺三宝院賢俊,同寺清滝宮護摩料所阿野郡陶保を観心院僧正俊性
         に譲る(醍醐寺文書)
     12・17 守護細川顕氏,賀茂御祖社領三野郡内海蔦島供祭所における軍勢甲乙
         人の濫妨を禁じる(常徳寺文書)
 県外  7・- これ以後10数年問,三木・小屋平・菅生などの阿波国山岳武士,南
         朝方として活動する(阿波国徴古雑抄所収文書)
     11・16 細川顕氏,足利尊氏に背き足利直義に属する.尊氏,追手として細川
         頼春・清氏を差し向ける(園太暦)
     11・- 細川顕氏,内藤弥六を土佐に派遣し,守護代佐脇太郎入道の高岡荘松
         風城を攻める.翌年1月,松風城陥落(雑録)
     12・13 南朝,足利直義の帰順を許す(観応二年日次記)

1351 観応2 正平6 (辛卯)
 県内  1・22 足利直義方の石塔頼房,守護細川顕氏に戦況を報じて上京を勧める.
         また,島津貞久所領那珂郡櫛無保における顕氏の部下の押領停止を求
         める(島津家文書)
     4・15 守護細川顕氏,由佐秀助に香東郡安原・鳥屋・岡城の警固を命じる(由
         佐家文書)
     4・17 興福寺別当孝覚,同寺領那珂郡柞原野荘における秋野新左衛門霊舜の
         濫妨停止を,守護細川顕氏に求める(御挙状等執筆引付)
     7・7 守護細川顕氏,由佐秀助の安原城警固の功を賞する(由佐家文書)
     8・17 守護細川顕氏,由佐秀助に安原城警固の賞として番東郡井原荘内鮎瀧
         領家職を預け置く(由佐家文書)
     8・23 散位某(細川頼春カ《#「カ」はカタカナ小文字》),秋山泰忠に兵粮
         料所として三野郡高瀬郷領家職を預け置く(秋山家文書)
     9・5 守護細川顕氏,由佐秀助に嗷訴の輩誅伐のため出兵を命じる(由佐家
         文書)
     10・2 守護細川顕氏,由佐秀助に対し,一族および香東郡井原荘の名主・荘
         官を率い,安原・鳥屋城を警固し所々の敵軍を追い払った戦功を賞す
         る(由佐家文書)
     11・2 足利義詮,鎌倉右大臣家・二位家両法花堂別当職を醍醐寺三宝院賢俊
         に安堵する(醍醐寺文書)
     11・2 足利義詮,寒河次郎太郎に対し,細川顕氏に属しての上洛を賞し,本
         領を安堵する(東寺百合文書)
     11・20 細川頼春,醍醐寺三宝院賢俊に寒川郡造田郷を返付する(醍醐寺文書)
     12・15 足利義詮,細川頼春の注進により,香西彦九郎の四国における忠節を
         賞する(細川家文書)
 県外  2・14 細川顕氏,播磨書写山の尊氏軍を攻める(観応二年日次記)
     2・17 足利直義軍,摂津打出浜で尊氏軍と戦い,これを破る(太平記)
     2・20 足利尊氏と直義,和す(園太暦)
     8・11 足利尊氏,直義討伐を計り,直義は北国に逃れる.直義党であった細
         川顕氏は直義と行動を共にせず,京都にとどまる(園太暦)
     10・24 足利尊氏,南朝に降る(園太暦)
     11・4 足利尊氏,直義追討のため京都を出発する(園太暦)
     11・7 南朝,北朝の崇光天皇を廃する〔正平の一統〕

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1352 文和1 9・27 正平7 (壬辰)
 県内  2・- 祗園社前執行静晴,三野郡西大野郷ほかの所領知行の綸旨を与えられ
         んことを南朝に請い,執行顕詮と争う(八坂神社記録)
    (2)・20(#「2」は丸付き数字) 香西家資,細川頼春に従い,鳥羽縄手におい
         て戦死する(南海通記)
     3・24 足利義詮,細川頼有に,四国の兵を率い,山城国男山八幡の南朝軍攻
         撃に発向することを命じる(細川家文書)
     4・13 長尾保守,醍醐寺三宝院領寒川郡東長尾荘領家方の年貢を300貫文で
         請け負う(醍醐寺文書)
     4・20 足利義詮,細川頼有の注進により,有田隼人佐・羽床十郎太郎・羽床
         和泉・太田雅楽左近将監・牟礼五郎次郎入道・大庭次郎太郎の男山八
         幡における戦功を賞する(細川家文書)
     5・- 三野郡詫間荘家浦の住人定円,田畠・家・牛等を嫡子ひこ五郎に譲る
         (仁尾賀茂神社文書)
     6・19 足利義詮,浄金剛院領大内郡大内荘内白鳥・与田・入野3か郷を軍勢
         に預け置くことを止め,下地を寺家雑掌に打渡すよう,守護細川顕氏
         に命じる(讃岐志所収文書)
     6・20 足利義詮,細川頼有の注進により,箕田八郎の男山合戦での戦功を賞
         する(細川家文書)
     6・21 興福寺別当孝覚,同寺領多度郡藤原荘における地頭代須田資広の濫妨
         停止を,守護細川顕氏に求める(御挙状等執筆引付)
     6・25 善通寺誕生院宥範,宥源律師に安祥寺流等の密教諸流を付嘱し,誕生
         院住持職以下の所領を譲る(善通寺文書)
     7・1 善通寺誕生院宥範,没する(贈僧正宥範発心求法縁起)
     7・5 守護細川顕氏没し,子繁氏あとを継ぐ(園太暦)
     8・30 南朝後村上天皇,香西郡飯田郷公文職を紀伊国南朝方野川太郎兵衛尉
         ・同二郎兵衛尉に宛行う(野川文書)
     9・3 足利義詮,日吉社領豊田郡柞田荘における飽間斎藤三郎・豊嶋一族ら
         の濫妨停止を,守護細川繁氏に命じる(思文閣古書資料目録所収文書)
 県外  2・26 足利尊氏,鎌倉で直義を殺害する(太平記)
    (2)・19(#「2」は丸付き数字) 南朝後村上天皇,山城男山八幡に到る(園太
         暦)
    (2)・20(#「2」は丸付き数字) 南朝軍北畠顕能・楠木正儀ら,足利義詮と京
         都で戦い,近江に追う.細川頼春,戦死する(園大暦)
     3・15 足利義詮入京し,北畠顕能ら,男山八幡に退く(八坂神社記録)
     3・- 細川頼之,阿波の兵を率いて上京する(阿波国徴古雑抄所収文書)
     4・10 この頃 伊予の南朝軍蜂起し,河野通盛と戦う(築山本河野家譜)
     4・25 細川顕氏ら,男山八幡を攻撃する.顕氏の子政氏,戦死する(太平記)
     5・11 男山八幡陥落し,後村上天皇,賀名生に移る(太平記)
     6・27 足利義詮,細川頼有に,細川頼之と協力して阿波の南朝軍を討つこと
         を命じる(永源師檀記年録所収文書)
     7・24 幕府,武士の寺社本所領狼籍を禁じ.近江以下3か国の半済を命令す
         る(建武以来追加)

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1353 文和2 正平8 (癸巳)
 県内  3・5 秋山泰忠,又二郎・孫七などの子息らに高瀬郷地頭土居給・新浜塩浜
         ・百姓名などの所領を譲り,置文を作成する(秋山家文書)
     5・16 興福寺別当孝覚,同寺領多度郡藤原荘における押妨停止を幕府に求め
         る(御挙状等執筆引付)
     8・15 北朝後光厳天皇,三野郡西大野郷・阿野郡萱原神田を祗園社執行顕詮
         に安堵する(八坂神社文書)
     10・19 幕府,祗園社領三野郡西大野郷・阿野郡萱原神田における新宮三位房
         の濫妨停止を,守護細川繁氏に命じる(八坂神社記録所収文書)
     この年 山城国妙法院,香東郡野原荘・林荘などの門跡領知行地の目録を作成
         する(妙法院文書)
 県外  6・9 南朝方楠木正儀.・石塔頼房ら入京し,足利義詮近江に逃れる(園太
         暦)
     9・21 足利尊氏・義詮,後光厳天皇を奉じて入京する(園太暦)

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1354 文和3 正平9 (甲午)
 県内  2・10 秋山泰忠,再び置文を作成する(秋山家文書)
     3・5 興福寺別当孝覚,同寺領多度郡藤原荘における豊嶋一族の濫妨停止を
         幕府に求める(御挙状等執筆引付)
     4・2 北朝後光厳天皇,三野郡西大野郷・阿野郡萱原神田を祗園社執行顕詮
         に安堵する(八坂神社文書)
     6・23 北朝記録所.豊田郡姫江新荘の相論議定のため,寿成門院庁と大覚寺
         宮庁に出頭を命じる(記録所文殿関係文書)
     8・4 幕府,祗園社領三野郡西大野郷・阿野郡萱原神田における新宮三位房
         の濫妨停止を,守護細川繁氏に命じる(八坂神社記録所収文書)
    (10)・22(#「10」は丸付き数字) 足利尊氏,守護細川繁氏に祗園社領三野郡西
         大野郷・阿野郡萱原神田に違乱のないよう命じる(八坂神社文書)
     12・9 北朝後光厳天皇,鵜足郡七条村・二村の知行を泉涌寺に安堵する(泉
         涌寺文書)
     12・25 秋山泰忠,高瀬郷新浜の畠地3段を本門寺に寄進する(秋山家文書)
     この年 椙尾神社(現,高松市)鰐口造られる.
 県外  12・24 足利直冬・桃井直常ら京都に迫り,足利尊氏,後光厳天皇を奉じて近
         江に逃れる(田代文書)

1355 文和4 正平10 (乙未)
 県内  2・6 香西資邦,細川頼之に従い摂津神南で南朝軍と戦い,戦死する(南海
         通記)
     7・1 守護細川繁氏,祗園社領三野郡西大野郷・阿野郡萱原神田の下地を祗
         園社執行顕詮に打渡すよう,守護代秋月兵衛入道に命じる(八坂神社
         文書)
     7・4 近藤国頼,祗園社領三野郡西大野郷の年貢半分を請け負う(八坂神社
         記録所収文書)
 県外  2・6 細川繁氏・頼之,足利義詮に属し,摂津神南で南朝軍と戦う(太平記)
     3・12 足利軍,京都で南朝軍を破る.翌日,足利尊氏・義詮,入京する(園
         太暦)
     8・22 幕府,戦乱の国々以外の寺社本所領の半済を停止する(建武以来追加)
     9・- 細川繁氏,分国土佐に入り,南朝軍と戦う(薩藩日記)

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1356 延文1 3・28 正平11 (丙申)
 県内  8・6 足利義詮,那珂郡櫛無保などの所領を島津貞久に安堵する(島津家文
         書)
 県外  9・14 伊予目代十河遠久,細川頼之の命を奉じ,伊予国分寺に田地1段半を
         祈〔トウ〕(#「トウ」は文字番号24852)料所として寄進する(伊
         予国分寺文書)

1357 延文2 正平12 (丁酉)
 県内  6・11 醍醐寺三宝院賢俊,鎌倉二位家・右大臣家両法花堂別当職ほかの所領
         を権僧正光済に譲る(醍醐寺文書)

1358 延文3 正平13 (戊戌)
 県外  4・30 足利尊氏,没する(公卿補任)

1359 延文4 正平14 (己亥)
 県内  6・6 守護細川繁氏,没する(延文四年記)

1360 延文5 正平15 (庚子)
 県内  5.7 南朝後村上天皇,紀伊国花園侍従房に多度郡吉原郷地頭職を勲功の賞
         として宛行う(脇文書)
     11・14 沙弥某,祗園社領萱原村領家職の下地を社家雑掌に打渡す(八坂神社
         記録所収文書)

1361 康安1 3・29 正平16 (辛丑)
 県内  4・5 某姓時光,多度郡鴨荘南方内金蔵寺御油畠より,当年以後7升7合の
         燈油を金蔵寺に納入することを請け負う(金蔵寺文書)
 県外  9・23 足利義詮,執事細川清氏を討とうとし,清氏は若狭へ逃れる(柳原家
         記録)
     10・- 細川清氏,南朝に降る(柳原家記録)
     12・8 細川清氏・楠木正儀らの南朝軍京都に迫り,足利義詮,後光厳天皇を
         奉じて近江に逃れる(愚管記)
     12・27 足利義詮入京し,南朝軍京都を退く(愚管記)

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1362 貞治1 9・23 正平17 (壬寅)
 県内  3・8 藤原長景,道隆寺に花会田3段350歩を寄進する(道隆寺文書)
     6・27 北朝後光厳天皇,阿野郡北山本新荘内4か名を西園寺家に安堵する(西
         園寺文書)
     6・- 島津貞久,那珂郡櫛無保における中国大将細川頼之の押領停止を,幕
         府に訴える(島津家文書)
     7・24 細川清氏,細川頼之と阿野郡白峯山麓で戦い,敗死する.また,中院
         源少将の拠る鵜足郡西長尾城も陥落する(太平記)
     10・- 細川頼之,讃岐守護となる(島津家文書)
     11・2 足利義詮,守護細川頼之に,那珂郡櫛無保地頭職を島津貞久に返付す
         るよう命じる(島津家文書)
 県外  1・13 細川清氏,四国に赴く(興福寺略年代記)
     3・14 足利義詮,伊予国河野通盛に,細川頼之と協力して細川清氏を討つよ
         う命じる(古簡雑纂)
     4・2 細川頼之,河野通盛に,伊予守護職および旧領の返還を約する(築山
         本河野家譜)

1363 貞治2 正平18 (癸卯)
 県内  4・6 守護細川頼之,宇多津西光寺に禁制を出し,軍勢甲乙人の濫妨等を禁
         じる(諦観山西光寺略記)
     4・10 島津貞久,那珂郡櫛無保内上下村・公文名・光成名・田所名を嫡子師
         久に譲る(島津家文書)
     8・24 足利義詮,祗園社領三野郡西大野郷における近藤国頼の押領停止を,
         守護細川頼之に命じる(八坂神社文書)
     9・28 守護細川頼之,鵜足郡土器保田所職を宇夫階歓喜寺に安堵する(斑島
         文書)

1364 貞治3 正平9 (甲辰)
 県内  8・5 道挺上人,賀茂御祖杜領多度郡葛原荘公文職を竹夜叉丸に譲る(細川
         家文書)
 県外  11・6 細川頼之,伊予国世田山城に河野通朝を攻め,通朝敗死する(予章記)

1365 貞治4 正平20 (乙巳)
 県内  2・3 足利義詮,石清水八幡宮領三野郡本山荘公文職の返付を守護細川頼之
         に命じる(石清水八幡宮旧記抄所収文書)
     4・23 守護細川頼之,香東郡安原合戦での由佐秀助の戦功を賞する(由佐家
         文書)
     12・13 足利義詮,守護細川頼之に,賀茂御祖社領多度郡葛原荘・掘江津両所
         公文職についての違乱を退け,下地を竹夜叉丸に打渡すことを命じる
         (細川家文書)
 県外  2・5 足利義詮,讃岐・阿波・伊予・土佐の春日社造替料棟別銭の徴収を細
         川頼之に命じる(春日神社文書)
     4・16 細川頼之,河野通朝の子通堯を攻め,伊予国高縄山城を陥落させる.
         通堯,能美島に逃れる(予章記)
     5・10 河野通堯,征西将軍懐良親王に帰順する(河野文書)

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1366 貞治5 正平21 (丙午)
 県内  8・9 無量寿院(現,高松市)の板碑,造られる.
     9・23 守護細川頼之,小豆島肥土荘代官矢野遠村を造営奉行として,荘内別
         宮八幡宮若宮・若皇女殿を造営する(肥土荘別宮八幡宮縁起)
     12・30 守護細川頼之,香東郡井原荘内寺方半分を由佐行秀に預け置く(由佐
         家文書)

1367 貞治6 正平22 (丁未)
 県内  2・18 三野郡詫間荘浪打八幡宮の年中行事勤仕の番帳定まる(宝寿院文書)
     3・5 島津師久,那珂郡櫛無保などの所領を嫡子伊久に譲る(島津家文書)
     7・25 守護代細川頼元,善通寺興行のため,寺領への守護使入部禁止など9
         か条の条規を定める(善通寺文書)
 県外  11・25 足利義詮,細川頼之を執事(管領)に任じ,義満の補佐とする(愚管
         記)

1368 応安1 2・18 正平23 (戊申)
 県内 (6)・17(#「6」は丸付き数字) 守護細川頼之,祗園社領三野郡西大野郷の下
         地を領家雑掌に打渡すよう,守護代細川頼有に命じる.ついで8月6
         日,守護代細川頼有,大庭六郎左衛門入道・田村弥三郎入道に施行す
         る(八坂神社記録所収文書・八坂神社文書)
     9・20 守護代細川頼有,重ねて祗園社領三野郡西大野郷における近藤国頼代
         官の違乱を止め,下地を領家雑掌に打渡すよう,守護使田村弥三郎入
         道・大庭六郎左衛門入道に命じる(八坂神社記録所収文書)
     12・11 北朝後光厳天皇.崇徳院御影堂領阿野郡北山本新荘における林田入道
         らの押領停止を,幕府に要請する(柳原家記録所収文書)
     12・12 北朝後光厳天皇,大覚寺と争いのあった那珂郡買田郷を園城寺に安堵
         する(柳原家記録所収文書)
 県外  6・17 幕府,皇室領・殿下渡領・寺社一円領を除いて半済を施行する(建武
         以来追加)

1369 応安2 正平24 (己酉)
 県内  4・14 北朝後光厳天皇,三木郡氷上郷・香西郡中間郷を後鳥羽院御影堂に寄
         進する(水無瀬宮文書)
     4・25 沙弥宝教,浄金剛院大内郡大内荘内与田郷下村半分を請け負う(讃岐
         志所収文書)
     9・12 守護細川頼之,祗園社領三野郡西大野郷所務職を近藤国頼に宛行うよ
         う口入する.ついで12月13日,祗園社.社領三野郡西大野郷所務職
         を近藤国頼に宛行う(八坂神社文書)
 県外  8・- 細川頼有,河野通直(通堯)と伊予で戦い,11月におよぶ(予章記)

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1371 応安4 建徳2 (辛亥)
 県内  3・6 勘解由小路兼綱,鷹司家御恩地香東郡井原荘半分その他の所領を嫡子
         仲光に譲る(広橋家文書)
     3・15 善通寺誕生院宥源の申請により,故誕生院宥範に僧正号が贈られる(善
         通寺文書)
     8・- 守護細川頼之,石清尾八幡宮境内における殺生を禁じる(石清尾八幡
         神社文書)
     この年 守護細川頼之,石清尾八幡宮の社殿を造営する(讃岐国大日記)
     この年 三野郡西大野郷,大旱魃となる(八坂神社記録)
     この年 地頭十河千光,蓮華王院領山田郡十河郷を年貢50石で請け負う(鎌
         田博物館蔵写真帳所収文書)

1372 応安5 文中1 4・- (壬子)
 県内  3・2 沙弥日高(秋山泰忠),三野郡本門寺のために置文を作成する(本門
         寺文書)
     3・8 秋山泰忠,惣領職を孫の孫四郎(泰久)に譲り,置文を作成する(秋
         山家文書)
     3・17 石清水八幡宮領小豆島肥土荘の神人百姓の妻子,長浜村百姓に殴打さ
         れる.これにより神人蜂起する(肥土荘別宮八幡宮縁起)
     7・- 祗園社執行顕詮,社領阿野郡林田郷内潮入新開田について,権長吏隆
         晴・詮晴と争い,9月におよぶ(八坂神社記録)
     12・21 祗園社執行顕詮,鷹司冬通より同家領香東郡井原荘を給され請文を提
         出する(八坂神社記録)
     この年 伊予勢(河野軍)侵入し,讃岐勢(細川軍),三野郡西大野郷付近に
         布陣する(八坂神社記録)

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1374 応安7 文中3 (甲寅)
 県内  4・25 沙弥源通・源顕泰・僧日源,父秋山泰忠より譲られた三野郡高瀬郷新
         浜地頭職の領有について契約を交す(秋山家文書)
     9・28 守護細川頼之,金蔵寺塔婆造営の勧進につき,馬一匹を奉加する(金
         蔵寺文書)
     11・8 秋山泰忠,重ねて泰久に惣領域を譲る.また先に孫七に譲った所領を
         違乱あるによって悔返し,泰久に譲る(秋山家文書)

1375 永和1 2・27 天授1 5・27 (乙卯)
 県内  4・11 法勝寺領那珂郡櫛無保について,法華堂公文実祐と禅衆相争う(愚管
         記)
     11・13 阿波の南朝方細川正氏,多度郡生野郷領家職・那珂郡郡家郷内公文職
         を兵粮料所として忽那重氏に宛行う(忽那家文書)

1376 永和2 天授2 (丙辰)
 県内  10・7 藤原長景,一切経料足として田地2段を道隆寺に寄進する(道隆寺文
         書)
     12・12 秋山泰忠,高瀬郷伊予大道下地頭職について,先に譲った孫七分を悔
         返し,惣領泰久に譲る(秋山家文青)
     12・22 秋山泰忠,高瀬郷収納使職ほかを惣領泰久に譲る(秋山家文書)
     この年 西教寺(現,大川町)六面石幢,建立される.

1377 永和3 天授3 (丁巳)
 県内  3・15 阿波の南朝方細川正氏,多度郡弘田郷地頭職を兵粮料所として因嶋村
         上氏に預け置く(因嶋村上文書)
     11・1 大覚寺宮寛尊法親王,同寺覚勝院に香西郡坂田勅旨の知行を安堵する
         (狩野亨吉氏蒐集文書)
     この年 細川頼之,宇多津江(郷)照寺を再興する(讃岐国大日記)

1378 永和4 天授4 (戊午)
 県内  9・2 預所左衛門尉某,善通寺塔婆領鵜足郡井上郷公文職新土居を安堵する
         (善通寺文書)
     11・- 橘某,三野郡仁尾浦鴨大明神免田1段半を原新兵衛尉に宛行う(仁尾
         賀茂神社文書)
     12・- 興福寺,寺領那珂郡柞原野荘預所塩田禅門を改易し,楢津入道に宛行
         う(東金堂細々要記)
     この年 勝造寺(現,高瀬町)層塔〔石の塔〕,建てられる.
 県外  3・10 足利義満,室町の新第(花の御所)に移る(愚管記)

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1379 康暦1 3・22 天授5 (己未)
 県内 (4)・16(#「4」は丸付き数字) 細川頼之,一族被官を率い,讃岐に下る(後
         愚昧記)
     7・- 幕府,興福寺領那珂郡柞原野荘を兵粮料所として借り上げ,楢津入道
         を給主とする.前預所職塩田入道,同荘を押妨する(東金堂細々要記)
     11・2 権少僧都某,観心院坊領阿野郡陶保ほかを春徳丸に譲る(醍醐寺文書)
 県外 (4)・14(#「4」は丸付き数字) 諸将,足利義満に細川頼之討伐を請い,義満
         は頼之の管領を罷免する(後愚昧記)
     9・5 足利義満,伊予守護河野通直に細川頼之討伐を命じる(花宮三代記)
     11・6 細川頼之,河野通直と伊予国佐志久原で戦い,敗死させる(迎陽記)
     この年 香東郡大田郷の連歌師周阿,細川頼之の招きにより上京し,足利義満
         に仕える(讃岐国大日記)

1381 永徳1 2・24 弘和1 2・10 (辛酉)
 県内  7・20 香川景義,多度郡葛原荘内鴨公文職を建仁寺永源庵に寄進する(永源
         記所収文書)
     この年 正覚院(現.丸亀市本島)蔵鰐口、造られる.
 県外  11・15 細川頼之,伊予守護亀王丸の弟鬼王丸と会見して和議をととのえ,伊
         予国新居・宇摩西郡の割譲を約束させる(予章記)

1382 永徳2 弘和2 (壬戌)
 県内  6・18 守護細川頼之,志度寺領天野村の課役を免除し,仁王経を寄進する(志
         度寺文書)
     10・19 白峯寺焼ける(白峯寺縁起)

1383 永徳3 弘和3 (癸亥)
 県内  3・12 守護細川頼之,賀茂御祖社領三野郡仁尾浦供祭人にあてて,文書(内
         容不明)を発する(仁尾賀茂神社文書)
 県外  6・26 足利義満,准三后となる(後愚昧記)

1384 至徳1 2・27 元中1 4・28 (甲子)
 県内  2・7 熊野社執行法印道賢,姫女分として讃岐の檀那職を譲る(熊野那智大
         社文書)

1385 至徳2 元中2 (乙丑)
 県内  7・- 守護細川頼之,絶海中津を讃岐に迎え.普済院に住まわせる(仏智広
         照浄印翊聖国師年譜)
 県外  この年 細川頼之,阿波国秋月に宝冠寺を創建し、絶海中津をその開山とする
         (仏智広照浄印翊聖国師年譜)

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1386 至徳3 元中3 (丙寅)
 県内  2・30 南禅寺僧曇周,蓮華王院領山田郡十河郷半済所務職を請け負う(鎌田
         博物館蔵写真帳所収文書)

1387 嘉慶1 8・23 元中4 (丁卯)
 県内 (5)・21(#「5」は丸付き数字) 天龍寺,那珂郡柞原野荘・三木郡原郷など当
         地行地について年貢注文を作成し,幕府に提出する(天龍寺文書)
     11・26 細川頼有,嫡子頼長に寒川郡鴨部東方・山田郡東本山荘・那珂郡柞原
         荘・同郡木徳荘・三野郡豊福荘・豊田郡山本荘・同郡柞田荘・同郡姫
         江本荘・粟島などの諸職・所領を譲る(細川家文書)

1388 嘉慶2 元中5 (戊辰)
 県内  8・5 守護細川頼之,讃岐禅勝庵に阿波高越寺荘公文職三分の一を寄進する
         (永源師壇紀年録所収文書)
     10・- 幕府.讃岐国西方に段銭を賦課する(金蔵寺文書)
     この年 幕府,祗園社領三野郡西大野郷・阿野郡萱原神田の役夫工米の段銭を
         免除する(八坂神社文書)

1389 康応1 2・9 元中6 (己巳)
 県内  3・7 守護細川頼之,厳島参詣途上の足利義満を宇多津の守護所に迎える(鹿
         苑院殿厳島詣記)
     3・8 足利義満,大刀を宝蔵院に奉納する(紫雲山極楽寺宝蔵院古暦記)
     3・22 足利義満,厳島参詣の帰途,多度津に上陸.宇多津に到り,細川頼之
         と会談する(鹿苑院殿厳島詣記)
 県外  3・11 足利義満,厳島に参詣する(鹿苑院殿厳島詣記)

1390 明徳1 3・26 元中7 (庚午)
 県内  8・3 丹波国の武士中沢信明,香東郡多配郷内うなさかのやしろ他の所領を
         中沢信実に譲る(中沢文書)
     この年 総蔵神社(現,坂出市)に鰐口が奉納される.
 県外 (3)・25(#「3」は丸付き数字) 幕府,土岐康行を討つ〔土岐氏の乱〕

1391 明徳2 元中8(辛未)
 県内  8・9 三野郡詫間荘浪打八幡宮の社務供僧・神人等が会合し,放生会駕與丁
         の次第を定める(宝寿院文書)
 県外  4・3 細川頼之,足利義満の招きにより上京する.同月8日,養子頼元,管
         領に任じられる(武家年代記)
     8・28 細川頼元,相国寺供養に参列する.十河兼重・安富盛衡・那珂氏宗・
         香川頼景ら随兵を勤める(相国寺供養記)
     12・- 山名氏清・満幸,叛き氏清敗れる〔明徳の乱)

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1392 明徳3 元中9 (壬申)
 県内  3・2 守護細川頼之没し,養子頼元あとを嗣ぐ(尊卑分脈)
     12・11 善通寺誕生院宥源,本所随心院に対し,善通寺奉行並びに多度郡弘田
         郷を30貫文で請け負う(善通寺文書)
 県外 (10)・-(#「10」は丸付き数字) 後亀山天皇,京都に還幸し,神器を後小松天
         皇に譲る〔南北朝合一〕

1393 明徳4 (癸酉)
 県内  2・21 守護細川頼元,善通寺誕生院宥源に,善通寺奉行・弘田郷所務職・院
         主職を本所随心院の補任に任せて安堵する(随心院文書)
     9・6 足利義満,祗園社領三野郡西大野郷・阿野郡萱原神田における善通寺
         誕生院・麻近藤入道の濫妨停止を,守護細川頼元に命じる(八坂神社
         文書)

1394 応永1 7・5 (甲戌)
 県内  2・13 細川頼長,鵜足郡宇水を建仁寺永源庵に寄進する(細川家文書)
     2・25 納所法橋某,善通寺領多度郡弘田郷及び一円保の年貢のうち50貫文
         を,4か年、東寺御影供執事費用として納めることを約する(善通寺
         文書)
     7・- 金蔵寺,幕府に段銭を納入する(金蔵寺文書)
     9・4 足利義満,重ねて祗園社領西大野郷・萱原神田における善通寺誕生院
         ・麻近藤入道の濫妨停止を,守護細川頼元に命じる(八坂神社文書)

1396 応永3 (丙子)
 県内  2・19 安富盛家,醍醐寺三宝院領寒川郡造太荘領家職を200貫文で請け負う
         (醍醐寺文書)
     2・19 石河浄志,醍醐寺三宝院領寒川郡長尾荘領家職を200貰文で請け負う
         (醍醐寺文書)
     4・25 醍醐寺三宝院領寒川郡長尾荘の百姓・沙汰人,同荘領家方を年貢400
         石・公事物夏麦62石ほかをもって請け負う(醍醐寺文書)
     4・29 足利義満,醍醐寺報恩院領阿野郡陶保を安堵する(醍醐寺文書)
     10・28 幕府,祗園社領三野郡西大野郷・阿野郡萱原神田の役夫工米催促を停
         止する(八坂神社文書)
     12・17 足利義満,醍醐寺報恩院領陶保の諸役を免除する(醍醐寺文書)
     この年 若狭堅円法眼,醍醐寺三宝院領寒川郡長尾荘沙汰人・百姓等にかわり,
         同荘領家方を請け負う(醍醐寺文書)

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1397 応永4 (丁丑)
 県内  5・7 守護細川頼元没し,子満元あとを嗣ぐ(尊卑分脈)
     8・22 足利義満,醍醐寺報恩院領陶保における守護被官人の押領を止め,下
         地を寺家雑掌に打渡すよう,守護細川満元に命じる(醍醐寺文書)
     12・- 醍醐寺三宝院領長尾荘の給主相国寺僧昌緯,同荘の地頭・沙汰人・百
         姓等が除田・寄進・守護役などと称して給主の所務に従わぬことを注
         進する.なお,4年・5年両秋の年貢は,百姓逃散などにより未納と
         なる(醍醐寺文書)

1398 応永5 (戊寅)
 県内  2・15 醍醐寺三宝院領長尾荘の百姓宗定・康定,上洛して給主昌緯の年貢押
         取・苅田等を訴える(醍醐寺文書)
    (4)・18(#「4」は丸付き数字) 足利義満,醍醐寺報恩院領陶保内三職並びに
         猿王原における守護被官人の押妨を止め,下地を寺家雑掌に打渡すよ
         う,守護細川満元に命じる(醍潮寺文書)

1399 応永6 (己卯)
 県内  2・13 醍醐寺三宝院領長尾荘地頭寒川常文,同荘領家職を300貫文で請け負
         う(醍醐寺文書)
     4・13 足利義満,醍潮寺三宝院領長尾荘・造太荘を三宝院門跡雑掌に渡し付
         けるよう守護細川満元に命じる(醍醐寺文書)
     12・23 山城大報恩寺英尊,幕府に鵜足郡栗熊郷などの寺領目録を提出し,安
         堵を請う.足利義満,これを保証する(大報恩寺文書)
 県外  3・22 足利義満,醍醐寺三宝院満済に,同門跡領・醍醐寺以下管領の諸寺社
         ・座主・別当職などの所職並びに所領を安堵する(醍醐寺文書)
     10~12 大内義弘,足利義満の命により和泉堺に来る。幕府軍,義弘を敗死
         させる〔応永の乱〕