近 代   1868年(明治 1) ~ (76K)


入力に使用した資料
底本の書名   香川県史 別編Ⅱ 年表 近代
 底本の編集   香川県
 底本の発行   香川県
 底本の出版   四国新聞社
底本の発行日  平成三年三月二十日
入力者名    渡辺浩三
校正者名    渡辺美智子
入力に関する注記
    ・文字コードにない文字は『大漢和辞典』(諸橋轍次著 大修館書店刊)の
     文字番号を付した。
    ・JISコード第1・2水準にない旧字は新字におきかえて(#「□」は旧字)
     と表記した。

登録日   2003年2月14日
      


近代

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1868 (慶応4年・明治1年)〈慶応4年9月8日改元〉
  政治・経済
   1・2 高橋源吾らが豊田郡で赤心報国団を結成.翌年,朝命により五稜郭で戦う
       (香川県近代史)
   1・3 鳥羽街道で高松藩兵が薩摩藩兵と,4日には長州軍と交戦し退却(戊辰役
       戦史)
   1・10 朝廷,高松藩主松平頼聰の官位を剥奪.薩摩・安芸・長門・因幡・土佐・
       津藩に高松・松山・大垣・姫路藩討伐を命じる(高松県史)
   1・10 朝命により薩摩藩等が高松藩大阪蔵屋敷,京都屋敷没収を通告(香川県近
       代史)
   1・11 藤澤恒太郎(南岳),山崎周祐が,薩摩藩士を通じて小松宮征討総督に陳
       謝を嘆願.別に長谷川宗右衛門も嘆願書を提出(高松市史年表)
   1・14 藤澤恒太郎,山崎周祐が高松に帰国,朝敵事件の解決は重役の伏罪に依る
       ほか無しと進言(香川県近代史)
   1・16 興正寺門跡の直書が高松藩へとどき,松平頼該(左近)の意見もあって,
       重役伏罪による赦免嘆願を決める(香川県近代史)
   1・17 多度津藩に御所の車寄せ前御門警備を命じられたとの通知(富井泰蔵覚帳)
   1・17 高知藩使者片岡健吉が丸亀藩に高松征討の勅命を伝達(戊辰戦争関係資料)
   1・18 高松藩家老小夫兵庫正容(43)小河又右衛門久成(27)が,朝敵事件の責
       任を負って切腹(高松県史)
   1・18 高松藩主松平頼聰が朝廷に赦免の嘆願書を提出(高松県史)
   1・19 朝廷が多度津藩に高松征討を仰せ付ける(富井泰蔵覚帳)
   1・19 高松征討の土佐藩兵が丸亀に到着.多度津藩では服部喜之助が足軽30人
       を率い,夜九ツ半(午前1時)高松へ向
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       けて出発(富井泰蔵覚帳)
   1・19 高松藩主松平頼聰が城を出て浄願寺に入り謹慎する(香川県近代史)
   1・20 丸亀藩兵が土佐藩岡正記の指揮下に入り,土肥大作を参謀として高松へ
       進軍(戊辰戦争関係資料)
   1・20 土佐藩兵が高松に入る.総督深尾丹波から高松藩大老大久保主計に勅命を
       伝達,市中3か所に「当分土佐預り地」の高札を立てる(内・香川県史)
   1・20 塩飽諸島が土佐藩預り地となり,高松藩征討総督が八木彦三郎に事務を命
       じる(丸亀県史)
   1・21 多度津藩兵帰還のため,高松城下を出発(富井泰蔵覚帳)
   1・24 高松藩が大小政所を当分の間庄屋と称するよう触れ(十河家文書)
   1・25 直島・女木島・男木島3島が土佐藩預り地となる(丸亀県史)
   1・25 朝廷,高松藩の謝罪を聞き届け,後日,関東追討の命には忠勤を励むよう
       にとの達し.翌日,藩主頼聰は寛大な処置に恩謝状を提出(高松県史)
   1・27 金光院寺領(那珂郡4か村)が土佐藩預り地となる(丸亀県史)
   2・15 朝廷,松平頼聰に赦免の御沙汰書を伝達するよう土佐藩に示達(高松県史)
   2・15 朝廷,松平頼聰に入京を命じる.家来随従者100人とする(高松県史)
   2・20 征討軍総督深尾丹波が,松平頼聰に赦免の沙汰を伝達.同日,土佐藩預り
       地の高札を撤去(戊辰戦争関係資料)
   2・21 高松の土佐番所を閉じ,土佐藩兵が引き揚げる(戊辰戦争関係資料)
   2・25 松平頼聰が午後8時,水手御門から大阪へ出帆.川口に滞船,3月1日京
       都に着き興正寺に入り謹慎(高松市史年表)
   2・- 塩飽諸島で土佐藩が1小隊を編成し海援隊と名づける.のち梅花隊と改
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       称,明治3年7月解隊(丸亀県史)
   2・- 高松藩が朝廷に対し軍用費8万両(12万両のうち)献金を願い出る.3
       月10日聞き届けられる(高松県史)
   3・- 小豆島東部3か村(草加部・大部・福田)土佐藩預り地となる(丸亀県史)
   4・15 松平頼聰の謹慎が解かれる(香川県近代史)
   6・20 江戸九段坂から半蔵門周辺警備のため,高松藩(兵500人)に出兵が命じ
       られる(高松藩日記)
   6・21 高松藩が芦澤伊織・入谷権平を公務人に任命.7月4日弁事へ届け出る(高
       松藩日記)
   7・1 直島・女木島・男木島3島が倉敷県管轄となる(丸亀県史)
   7・4 高松藩は新政府御用向きを取り扱う議事処を,京都中立売通室町西入ル,
       諏訪登代次郎宅に置く(高松藩日誌)
   7・14 新政府会計官が各藩公務人に,藩内の郡毎石高を取り調べ,9月中に報告
       を命じる(高松藩日誌)
   7・- 土佐藩領地の那珂郡4か村2290石を倉敷県管轄とする(公文録)
   8・20 高松藩の京都四ツ塚関門,猿ケ辻の警衛を免除し,藩兵500人の東京出兵
       が命じられる.22日海路出兵のため,蒸気船の拝借を軍務所に出願する
       (高松藩日誌)
   8・25 高松藩兵286人が大阪表より海路東京へ向かう(高松藩日誌)
   9・7 高松藩,東京九段坂から半蔵門の巡邏警衛を命じられる(高松藩日誌)
   9・11 東京出兵の高松藩兵214人大阪表から出船.途中,遠州灘で烈風雨による
       船体修繕のため,14日豆州下田に着船,15日出船,16日品川着,17日東
       京着(高松藩日誌)
   9・29 新政府が高松藩4小隊に10月2日朝二本松を出陣,福島表への進軍を命
       令
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       (高松県史)
   9・- 多度津藩兵が京都鳥羽口警備に就く(丸亀県史)
   10・19 朝命により東都警備の高松藩兵500人のうち,100人は穂波三位の道中警
       護を,100人は西城消防方,残りは坂下門及び裏門警衛を命じられる(高
       松藩日記)
   10・25 山口弥八死去(69)小豆島麦と称される麦の新品種を開発(讃岐人名辞書)
   10・28 政府が藩治職制を布告し,各藩に執政・参政・公議人を置く基準を示す
       (府県制度資料)
   11・12 高松藩「藩治職制大意」を定め,議政・施政の二堂と執政・参政・公議人
       を置く(高松県史)
   11・17 高松藩,役所名・役名を改称(御用場を政庁,奉行所を参政署,御用所を
       公務署,御船手を船艦署,御町奉行処を司市局,郡方を司郡局,郷会処を
       農政局.また,御大老を元老,年寄中を執政,奉行中を参政など)(草薙
       氏文書)
   11・- 高松藩が兵制をオランダ式(慶応2年7月12日採用)からイギリス式に
       改める.時の士族7組は誠意・守城・霧豹・風虎・応宜・任勢・錦花の7
       隊(高松県史)
   11・- 多度津藩が藩治職制を定め,理事局に民政・監察・会計の3寮を置く(丸
       亀県史)
社会・文化
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   1・10 節分,金毘羅初十日のうえ所々に御札が降り,お陰参りの群衆で参道は大
       混雑(富井泰蔵覚帳)
   1・15 高松藩が御家中・地方牢人に異変がない間,軍装禁止を触れ(十河家文書)
   1・16 高松藩が村々に,朝敵事件につき心得違い等起こさぬよう諭達(田中家文
       書)
   1・17 高松藩が村々に,朝敵事件のため門戸を閉じ,商売を控える旨の高札を立
       てる(田中家文書)
   1・18 高松藩征討の土佐藩先兵1500人が丸亀に入り,丸亀藩家中四方の門を閉
       め,往来を差し止め城下大混雑(十河家文書)
   1・20 塩飽本島で18日から対立中の人名が小坂漁民を襲撃し,250戸破壊(百
       姓一揆総合年表)
   1・21 高松藩が人家は門戸を開け産業,商売などを早々に営むよう通達(十河家
       文書)
   1・28 土佐藩兵が高松城内外で刻の合図に空砲を撃った場合,見物したり,動揺
       しないよう高松藩布達(十河家文書)
   1・- 昨年11月から讃岐国内(高松・金毘羅など)に広まった,ええじゃない
       かの騒ぎが鎮まる(高松県史)
   2・21 高松藩が村役人立会いで土佐藩預かり地の高札を取り除き,22日四ツ時
       (午前10時)までに役所へ差し出すよう触れ(十河家文書)
   3・28 新政府から神仏分離令(神仏判然令)が出され,以後,廃仏毀釈の運動が
       起こる(近代日本総合年表)
   3・- 榎井村の長谷川佐太郎が満濃池修築を弁事伝達所に嘆願(丸亀県史)
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   4・9 多度津藩に大塚新太郎から小銃代100両,町方の富商7軒から小銃70挺
       を献上(富井泰蔵覚帳)
   (4)・2(#「(4)」は丸数字) 津山藩が,小豆島6か村の大庄屋,庄屋,小
       前惣代らに,6か条嘆願の願目であった年貢一割増米免除を通達(乱暴後
       日聞書・近世小豆島の百姓一揆)
   (4)・7(#「(4)」は丸数字) この日から高松藩の辰年(1868)春大検見が
       行われる(十河家文書)
   7・19 高松藩は弁事所(新政府)から京都賀茂下社・上社行幸の御先警衛を命じ
       られ,20日これに応じる(高松藩日誌)
   8・6 松平頼該(左近)死去(60)高松藩第8代藩主頼儀の三男.宮脇村に隠居,
       詩文,戯作をよくし,勤王家を庇護した(高松市史年表)
   8・13 松平頼聰,朝廷から崇徳天皇御神霊(白峯御陵)の京都遷還御用を命じら
       れる(高松藩日誌)
   8・18 松平頼聰が白峯御陵の修繕願いを弁事あてに提出(高松県史)
   8・25 博徒で詩人・勤王家の日柳燕石(52)が官軍の北越征討に従軍中,柏崎で
       死去(金毘羅庶民信仰資料集)
   8・25 崇徳天皇御神霊遷還の勅使中院大納言,三条西少将が坂出浦に着船.26
       日白峯登山,遷還祭を執行.28日神輿坂出を出発,9月6日京都北野今
       出川の白峯宮に遷御(高松藩日誌)
   8・- 戊辰戦争や風水害のため,高松藩で米価が騰貴.庶民は生活に困窮(高松
       市史年表)
   9・17 琴陵宥常,従五位下に叙せられ,18日神祗官から事比羅宮社務職に任命
       される(高松藩日誌)
   9・19 今月4日以来脱藩中の高松藩士長谷川宗右衛門と次男孤三郎が帰国.訊問
       の後揚屋入り(高松藩日誌)
   9・26 京都白峯宮の祭典で,宮・堂上
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       ・諸侯・諸官人の参詣が許される(高松藩日誌)
   9・- 行政官から贋金銀使用者は厳重取り締りを通達(草薙氏文書)
   10・5 高松藩が町年寄へ諸事金札での取り引き奨励を触れ(草薙氏文書)
   10・6 高松藩から町方に,明治と改元(9月8日)した旨の触れ(草薙氏文書)
       同日多度津藩でも改元の触れ(富井泰蔵覚帳)
   10・24 多度津藩会計寮の富井泰蔵,庄村の綿作を検分.稲は豊作,大豆は不出来
       (富井泰蔵覚帳)
   10・27 政府,学校取調御用掛を置く.箕作麟祥を任命(法規分類大全)
   11・23 脱藩の罪で逮捕されていた長谷川宗右衛門が老衰のため揚屋入りの免除
       を,親類が藩公用人を通じて京都刑法所へ願い出る(高松藩日誌)
   11・25 多度津藩浜手番所遠山徳兵衛から,アメリカ船1艘港に着船.外人上陸と
       届け出る(富井泰蔵覚帳)
   11・- 多度津藩,市中に自明館を置き,漢学を教える(内・丸亀県史)
   11・- 弘化2年(1845)以来丸亀藩に預けられていた鳥居甲斐守忠耀が赦免され
       て江戸へ帰国(香川県近代史)
   12・13 丸亀藩,神仏混淆廃止につき仏像仏具を取り除き,役人に預け置くように
       と達(佐伯家文書)
   12・- 日蓮宗へ,神仏混淆廃止以降も,諸神祗・神号を用いていることを禁止厳
       命する旨,行政官が示達(高松藩日誌)
   この年 細川林谷の印譜・帰去来印譜刊(香川県文学史年表)

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1869 (明治2年)
  政治・経済
   1・16 高松藩が議事局規則を定め,町方に触れ(草薙氏文書)
   1・25 高松藩,南新町秋田屋正五郎宅に議事局を置き,御政体に関する事を申し
       出るよう町方に触れ(草薙氏文書)
   2・14 高松藩主松平頼聰,版籍奉還を上表(公文録)
   2・18 高松藩,古新町佐渡屋実三郎持屋に市政弁達所を設置(草薙氏文書)
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   2・21 丸亀藩主京極朗徹,版籍奉還を上表(公文録)
   2・21 高松藩が金札相場改定(金札1両=正銀57匁)を触れ(草薙氏文書)
   2・26 丸亀藩の職制を改定.議政局に社寺・会計・郡治・市治・築造の五課と,
       執政・参政・行事の職を置き,軍防・刑法は各別に一局を設ける(丸亀県
       史)
   2・30 多度津藩主京極高典,版籍奉還を上表(公文録)
   2・- 多度津藩が兵制をイギリス式に改める(丸亀県史)
   3・2 土佐藩の松平与膳・前野敬次郎が丸亀藩を訪れ,四国会議の発起を説く.
       5日高松藩を往訪,6日高松藩もこれに同意する(金陵会議)
   3・15 高松藩が金札相場1両を正銀48匁とする触れ(草薙氏文書)
   3・- 丸亀藩が兵制を山鹿流兵式からイギリス式に改め,行雲・流水・蜂蟻の
       3隊を編成(丸亀県史)
   4・9 高松藩主松平頼聰が海路東京へ出発(草薙氏文書)
   4・10 四国13藩の第1回四国会議を丸亀で開催(金陵会議)
   4・13 高松藩司市署の頭(長官)を市尹,刑法局の頭を理官,司市署の与力を市
       掾,刑法局の与力を掾と改称(草薙氏文書)
   4・17 琴平で第2回の四国会議を開催.以降,四国会議は金陵会議と呼び,琴平
       で開催(金毘羅庶民信仰資料集)
   5・28 金札相場を停止し,兌換引替えを当分停止の触れ(草薙氏文書)
   6・17 諸藩の版籍奉還を許し,藩知事を任命(近代日本総合年表)松平頼聰が高
       松藩知事に任命される(高松県史では6月24日任命)(公文録)
   6・19 京極朗徹が丸亀藩知事に任命される(公文録)
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   6・24 京極高典が多度津藩知事に任命される(公文録)
   7・8 政府が職員令を布告し,各藩に知事・大参事・権大参事・少参事・権少参
       事を置くとの基準を示す(府県制度資料集)
   7・17 高松藩司市署から正楮(金札)引替えは20日までと布達(草薙氏文書)
   8・19 高松東浜町の相場は大麦1石につき261目,小麦1石につき400目(草薙
       氏文書)
   9・8 高松藩士堀多仲・鈴木勇・三浦譲らが謀議して藩執政松崎渋右衛門を殺害
       (高松県史)
   9・9 高松藩執政松崎渋右衛門を「発狂自殺」として,死体検視監察官青木覚平
       らが虚偽の検屍調査書をを月番執政大久保主計に提出(香川県近代史)
   9・27 松崎事件で京都弾正台が芦澤伊織を取調べる.以後翌年3月まで召喚取調
       べは約100名(香川県近代史)
   9・28 高松藩が松崎渋右衛門が自殺したと政府弁官へ届け出る(高松藩伺)
   9・- 多度津藩が兵制をイギリス式からフランス式に改める(丸亀県史)
   9・- 知藩事松平頼聰が城を出て,御林(栗林)を住居とする(草薙氏文書)
   10・20 金毘羅社領鎮撫の任務を土佐藩から倉敷県に移す(太政類典)
   10・26 丸亀藩が職制を改め,知事・大少参事・権大少参事・簿正・用掛・大監察
       ・会計従事・伝達・書記・筆生等を置く(丸亀県史)
   10・28 高松藩大参事に大久保頼均を,権大参事に下津権内・角田方忠・鈴木勇・
       芦澤伊平・岩島文吾を任命(高松県史)
   10・- 丸亀藩が官禄を1等から8等までとし,禄制を士族183石6斗から4石4
       斗まで,卒を9石4斗から1石6斗までと改める(丸亀県史)
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   12・5 新貨幣によって紙幣を交換し,諸藩が製造した紙幣の通用を停止する旨の
       布告が出される(太政類典)
   12・8 高松藩京都詰吉本和一から松崎渋右衛門は自殺ではなく藩士が謀議殺害し
       たと伝達所へ届け出る(高松藩伺)
   12・13 土佐藩預かり地の金光院寺領4か村が倉敷県管轄となる(丸亀県史)
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  社会・文化
   1・13 高松城下大工町の山川賀蔵方を学問所に定めたから町方の者は勉強するよ
       うにと丸亀町年行司が触れ(草薙氏文書)
   1・20 高松町方の神社神主の名前等調べ,市政弁達所へ報告するよう示達(草薙
       氏文書)
   1・- 町人に下駄往来を許可.但し丸形竹皮はな緒に限る(草薙氏文書)
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   2・1 漆芸家・玉楮象谷死去(64)(讃岐人名辞書)
   2・4 金毘羅を金刀比羅宮と改める(金毘羅庶民信仰資料集)
   2・6 医学館を開設(高松藩医学寮)
       柏原謙益が取り調べ御用を命じられる(高松市史年表)
   2・8 参政署は神体見分けのため松岡調を大内・寒川・三木・山田・香川東の5
       郡,吉成好信と黒木茂矩を香川西・阿野・鵜足・那珂の4郡,大宮兵部と
       原石見を三野郡,川崎出雲と真屋筑前を豊田郡に派遣を決める(香川県近
       代史)
   3・1 1町1村毎に家数・竈数・人数を取り調べの上,3日以内に弁達所へ報告
       の旨示達(草薙氏文書)
   3・27 町方に金毘羅大権現と記した幟等を早く取り除くように触れを出す(草薙
       氏文書)
   3・- 高松市中の自身番,木戸番を残らず廃止(草薙氏文書)
   3・- 多度津藩が窮民に金2728両2歩と銀3匁3歩3厘相当の米を救恤(丸亀
       県史)
   4・26 柏原謙益,久保方雲を教頭兼教授として高松藩医学寮を開設(高松市史)
   6・2 藤川山渓が戊辰戦争の功により賞を得る(高松市史)
   6・18 丸亀城内の火薬庫の火災で門番3人死亡,2人負傷(丸亀県史)
   7・3 高松藩司市署から町年寄を通じ,祭礼等で町方風俗を質素にするよう布達
       (草薙氏文書)
   7・4 高松の新井戸の藻屑,泥浚えを行うため井戸替えの手伝いをするようにと
       司市署から布達(草薙氏文書)
   7・25 高松町方へ八朔の獅子駒は華美にならぬようにと触れ(草薙氏文書)
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   8・9 満濃池の木樋営繕工事に着手(丸亀県史)
   9・3 高松藩が宮脇村の御屋敷を亀阜御屋敷とする(草薙氏文書)
   9・8 城内で異変(松崎渋右衛門変死)が起きたが市中の者は火の用心,動揺し
       ないよう高松藩司市署から触れ(草薙氏文書)
   9・8 14,15の石清尾八幡祭礼は例年通り町中から練り物が行われるが口論な
       どないよう藩からの達(草薙氏文書)
   9・12 脱籍人取り調べの行政官達(4月)を丸亀藩が村々に布達(佐伯家文書)
   9・- 日柳燕石の漢詩「呑象楼詩鈔」初編,大阪の擁万堂から出版(香川県近代
       文学史年表)
   10・1 フランス軍艦が淡路から讃州までを測量するにつき,上陸した場合,不都
       合がないようにとの触れ(草薙氏文書)
   10・22 高松藩がむやみに発砲することを禁じ,違反者は見付け次第逮捕すると布
       達(草薙氏文書)
   11・8 風雨洪水による凶作のため,万事質素に粗食を心掛けること,私利に走る
       者は処罰すると布達(草薙氏文書)
   11・- 高松藩が従来の学制を改革し,皇・漢・洋の三学を兼修,大中小教授・同
       助教・準少教授・少助教の職を置く(高松県史)
   11・- 高松藩が米・雑穀の川口出入り(輸出)を解禁.但し一時に過度な積出し
       をせぬよう注意(草薙氏文書)
   12・1 高松町方に目安箱設置につき粗相のないようにとの触れ(草薙氏文書)
   12・7 丸亀城内旧御殿から出火,御殿と公廨を全焼.藩記録を焼失(丸亀県史)
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   12・28 明晦日朝5ツ刻(8時)から極難渋人の救恤を行うから市中組頭各1人出
       頭し,切符を受け取るようにと司市署から達(草薙氏文書)
   12・- 明治政府が幕府時代に入牢していたキリシタンを21藩に分けて預からせ
       る.高松藩預かりの54名は高松城西方の営繕所に収容(香川県近代史)
   この年 四条村の一路庵田水の俳句集「白鳥紀行」を刊(香川県文学史年表)
   この年 島素麺の製造高は3万5000箱,87万5000貫(津山市立図書館文書)

1870 (明治3年)
  政治・経済
   1・14 丸亀藩が改革により農兵を廃止(佐伯家覚帳)
   6・- 丸亀藩が家禄を節減し,士族は90石から4石まで,卒は5石から2石8
       斗までとする(丸亀県史)
   8・8 四国会議で沿岸海賊取締りを議決.10月,海賊取締出張所を設ける.高
       松藩も3か所に設置(高松市史年表)
   9・10 太政官が藩制を布告し,藩庁に知事・大参事・権大参事・少参事・権少参
       事・大属・権大属・権少属・史生・庁掌・使部を置く基準を示す(府県制
       度資料)
   9・13 高松城郭,楼,櫓の廃毀を弁官に伺い,許可(4月9日鎮台分営の設置に
       より廃毀を中止)(高松県史)
   9・17 第4回四国会議の重役会を開き四国会議の廃止を決定(金陵会議)
   9・23 松崎渋右衛門事件で取り調べの芦澤伊織以下15名を京都から東京(刑部
       省)へ護送(高松藩日誌)
   9・25 勤王家の長谷川宗右衛門死去(68)(高松市史)
   9・- 高松藩下讃岐国鵜足郡宇多津浦他1か所,及び丸亀下海岸で塩田開発(太
       政類典)
   10・23 高松藩の職制改定.議政・施政二
-235-
       堂を廃し,政庁と民政・会計・軍務・刑法・議事・監察の6局と学校を置
       く(高松県史)
   10・- 高松藩が政庁規則・弁達・議事・民政・会計・監察・刑法・軍務・学校の
       諸規則を制定(高松県史)
   10・23 高松藩が役禄・役料を改定(例・大参事は役禄米100石,役料米200俵)
       (高松県史)
   10・- 高松藩が卒141人を解任し,合計9109両1朱の退職金(資産金)を支給
       (高松県史)
   (10)・16(#「(10)」は丸数字) 高松藩が会計局のうち,海塩砂糖方を物産方
       と改称(高松藩庁日誌)
   (10)・28(#「(10)」は丸数字) 高松藩が文武官禄を改定.但し,大参事以下
       は4歩引き,権少参事以下は3歩引き,権大属以下は2歩引き現石を支給
       する(高松県史)
   11・9 朝廷の布告通り,高松藩が13日から銃隊をフランス式に改編のため,諸
       隊をひとまず解隊免職(高松藩庁日誌)
   11・25 高松藩が献金12万両(明治元年8万5,000両納入)の残額3万5,000両を
       3か年賦とし,うち1万2,000両を弁官宛に上納(高松藩伺)
   12・- 多度津藩が禄制を改定し,士族は16石から10石まで,卒は8石から5石
       までとする.同月,文武官禄を定める(丸亀県史)
   この年 多度津藩の村吏を大荘屋・荘屋・組頭・五人頭に代えて,取締・荘屋・年
       寄と改める(丸亀県史)
-234-
  社会・文化
   1・5 阿野北条郡の農民4000人が村吏の不正に反対し,御趣意林など97町歩の
       濫伐を始める(高松県史)
   1・14 林田村民の山林濫伐に対し,高松藩は林田村西招寺を議事局にあて,綾竹
       太郎・中条澄靖に衆徒鎮静を申しつける.農民は白峯寺住職作成の嘆願書
       を提出(香川県近代史)
   1・17 山林濫伐事件で林田村民の嘆願書提出に対し高松藩が回答.18,19日に
       実地検分(香川県近代史)
   1・18 高松藩,町方の風儀が乱れているとして,婚礼・祭事・葬礼・雛飾り等の
       心得書を布達(草薙氏文書)
   1・22 難渋者救恤として1人1日白米1合給与につき,人数を調べ23日までに
       申し出るよう町方へ示達(草薙氏文書)
   1・22 丸亀藩が米価高騰による難渋人取り調べを示達(佐伯家文書)
   1・23 山林濫伐事件で,高松藩参政杉山直記が鎮静に務めたが成功せず,中心人
       物を逮捕(香川県近代史)
   1・- 榎井村の長谷川佐太郎が満濃池修築の促進を高松・丸亀両藩に掛け合って
       ほしい旨倉敷県庁に嘆願(丸亀
-235-
       県史)
   1・- 満濃池の堤防工事着手(満濃池通史)
   2・- 丸亀藩が市中窮民を救恤(米233俵3斗7升7合)(丸亀県史)
   3・- 鵜足郡東川津村の農民が代官・大庄屋の不正を訴える嘆願書を提出(西光
       寺文書)同じころ,鵜足郡西川津村農民が川筋田地所有の地主から竹木伐
       採を差し留められ,長百姓を襲う(香川県近代史)
   4・- 高松藩は,遍路が城下に入り込み托鉢することを禁止(草薙氏文書)
   5・13 徳島藩家老稲田九郎兵衛の家臣300人余が,高松藩へ越訴(6月21・22
       日帰国)高松藩から5月28日弾正台に届け出る(高松県史)
   5・- 日柳燕石の漢詩「皇国千字文」を岡山の僊松楼から出版(香川県文学史年
       表)
   6・- 榎井村の長谷川佐太郎が満濃池修築の功により餅米10俵を賜る(高松県
       史)
   7・3 満濃池修築完工(丸亀県史)
   7・27 丸亀の勤王家村岡箏子死去(56)(高松市史年表)
   7・28 丸亀藩が文武の制を改革.正明館を講文所と改め,新設の習武所とあわせ
       て明倫館と改称(日本教育史資料)
   8・9 丸亀藩租税方が丸亀浜町(取締方,片山輝之助)新名村(森鉄之助)和田
       浜(藤村篤蔵)西ノ村(内山保太郎)の4か所に駅逓所を開設(佐伯家文
       書)
   10・28 多度津藩で一宗一寺に縮合の達(香川県近代史)
   10・- 高松藩が校則十か条を選定.易・天文・習字・算・編修の諸科を置く(高
       松県史)
   (10)・19(#「(10)」は丸数字) 高松藩が切支丹宗門改めを従来
-236-
       通り遵守している旨を弁官に報告(高松藩伺)
   11・1 高松藩が士族は総髪,卒及び農工商は斬髪と布達(高松県史)
   11・8 高松藩が練兵のほか空砲といえども発砲を禁止(高松藩庁日誌)
   11・9 高松藩が考信閣を兵学校と改称(高松藩庁日誌)
   11・20 高松藩が鶴林寺内に医学所を開設(内・香川県史)
   11・29 卒でも准史生及び助教職の者は在職中総髪を許可(高松藩庁日誌)
   11・- 従来の伝説による神号を神道による神号に改める(例・妙見社を産巣日神
       社・皇子権現社を神櫛神社・金毘羅権現を琴平社・庚申社を猿田彦神社)
       (香川県近代史)
  12・12 森里謙造が執刀して高松御坊川で牡馬の解剖を行う(高松市史年表)

1871 (明治4年)
  政治・経済
   1・- 高松藩が武官禄を改定(高松県史)
   1・- 多度津藩知事京極高典,廃藩を上表(丸亀県史)
   2・5 多度津藩が廃止され,その領地は倉敷県の管轄地となる(太政類典)
   2・- 高松藩が兵制をイギリス式からフランス式に改める.時の士族7隊は尚風
       ・刺撃・唯機・唯神・守城・錦花・玉淵の諸隊(高松県史)
   2・- 政府の藩制布告に伴い,高松藩が「藩制改革条」を報告(松平家文書)
   2・- 京極高典が多度津藩知事を免ぜられ,東京府貫属を命じられる(公文録)
   3・27 丸亀藩知事京極朗徹,廃藩置県を上表(公文録)
   3・- 丸亀藩庁を那珂郡丸亀二番町の家老岡元旧邸内に新築する(丸亀県史)
   4・10 丸亀藩を廃し丸亀県を置く.京極朗徹を県知事に任命(太政類典)
-237-
   4・14 政府が高松藩に東京から帰藩の兵士にフランス式訓練を実施するよう通達
       (高松藩庁日誌)
   4・19 高松藩は従来の大小庄屋・組頭を廃し,大里正・小里正・保長・伍長を置
       く(高松県史)
   4・- 元多度津藩知事京極高典が,倉敷県三原政右衛門に事務を引き継ぐ(丸亀
       県史)
   5・22 高松藩が水練稽古場を士族・卒の区別なく使用するよう布達(高松藩庁日
       誌)
   6・8 高松城取り壊しにつき藩庁を移転する(高松藩日誌)
   6・28 高松藩では郷歩兵伍長及び同歩兵解散につき退職金を支給(郷歩兵伍長31
       両・同歩兵15両ずつ)(高松藩庁日誌)
   7・5 松崎渋右衛門殺害事件で松平頼聰以下61人の処罰が決定(高松県史)
   7・10 丸亀県士族中村弥吉郎ら51名が前参事土肥大作を襲撃(丸亀県史)
   7・14 廃藩置県を断行(近代日本総合年表)高松藩を廃し高松県を置く(高松県
       史では7月15日)(松尾正人・廃藩置県)
   7・15 松平頼聰の知藩事を免じる(高松県史)
   7・24 高松県庁を高松内町士族松平操旧邸に開庁.讃岐国9郡237村62市坊を
       管轄(高松県史)
   7・26 高松市街に戸長2名・副戸長2名を置く.各村は当分里正・保長のまま(高
       松県史)
   7・- 土肥大作襲撃事件につき倉敷県から捕亡手25人を出張させ鎮定(太政類
       典)
   8・15 京極朗徹の丸亀県知事職を解く(丸亀県史)
   8・- 丸亀藩領地の管轄替えが次のように認められる.高知県預かり地・倉敷県
       管轄の内大洲県元預かり地・元多度津藩支配地を丸亀県管轄地に,丸亀藩
       管轄中
-238-
       近江国は大津県に,播磨国揖東郡は生野県に,同揖西郡は兵庫県にそれぞ
       れ管轄替え(丸亀県史)
   8・- 倉敷県管轄の直島・女木島・男木島3島が丸亀県に編入(丸亀県史)
   8・- 土佐預かり地の小豆島東部3か村が丸亀県に編入(草加部・大部・福田)
       (丸亀県史)
   9・8 高松で旧知藩事留任を要求する民衆騒擾が起きる(高松県史)
   9・14 旧知藩事留任を求める民衆騒擾は高松県内の庄屋宅等の打ち壊しに発展,
       80戸を焼く(~18日)(百姓一揆総合年表)
   9・16 民衆騒擾を抑えるため第2分営(高松分営所)から兵士が出動(高松県史)
   9・20 高松藩兵の皇城守衛が解除されて帰国(高松県史)
   9・23 高松県が戸籍調査のため各郡3~5名の戸長・副戸長を置く(高松県史)
   9・- 高松城内に大阪鎮台第2分営を設置(11月13日城地図面提出,県庁西隣
       屋敷地建物を鎮台に貸与)(高松県史)
   9・- 倉敷県管轄の榎井・苗田・五条・七箇4か村が丸亀県に編入(丸亀県史)
   9・- 倉敷県管轄の塩飽諸島を丸亀県に編入(丸亀県史)
   10・28 太政官達により府県官制を定め,各県に知事(権知事)参事(権参事)典
       事・権典事・大属・権大属・少属・権少属・史生・出仕を置く(府県制度
       資料)
   11・15 高松県と丸亀県を合併し香川県を置く(内・香川県史)
   11・15 林亀吉を香川県大参事に,滋賀県士族田部密を権参事に任じる(内・香川
       県史)
   12・10 松平操旧邸へ香川県庁を,丸亀旧県庁へ同丸亀出張所を開庁(内・香川県
       史)
   12・10 旧高松,丸亀士族・卒は香川県貫属となる(内・香川県史)
-239-
   12・18 京極朗徹が事務を参事林亀吉に引き継ぐ(丸亀県史)
   12・24 小豆島・直島の諸願伺は香川県本庁へ,塩飽諸島諸願伺は丸亀出張所へ提
       出とする(内・香川県史)
   12・27 香川県が大年寄・年寄・組頭の制を廃止(内・香川県史)
   12・28 高松藩兵を解隊(高松県史)
   12・29 香川県庁に庶務・聴訟・租税・出納の4課を設ける(内・香川県史)
   12・- 丸亀県(香川県)の兵備を解隊(丸亀県史)
   12・- 津山県が北条県へ合併により小豆島西部6か村も北条県管轄となる(内・
       香川県史)
   この年 讃岐国経費概計は米5万7358石2斗3升9合.金11万6048円55銭3厘
       (内・香川県史)
   この年 高松城下の新井戸水道の業務を水元会所から後藤孫十郎へ委任する(草薙
       氏文書)
   この年 高松城下の大年寄・町役廃止に伴ない市中取締役を置く(草薙氏文書)
-236-
  社会・文化
   1・8 高松藩が四民通婚許可を布達(高松藩庁日誌)
   1・23 フランス人測量船が男木島に停泊中につき知藩事が出張面会(高松藩庁日
       誌)
   1・- 多度津藩の自明館を文武官と改称,学制を改め,皇漢学と習字を兼修させ
       る(丸亀県史)
   1・- 多度津と財田上ノ村に郷学を設置(丸亀県史)
   1・- 多度津藩が帰農士族で16石の者9名に資産金2万0681両を授与(丸亀県
       史)
   2・- 講道館寄宿舎規則13か条,同内規38か条を撰定(高松県史)
   3・3 高松藩が山田純吉・高原高蔵・松田周次の3名を英国に留学させる(高松
       県史)
   3・22 高松藩が諸売薬取締規則を制定
-237-
       (高松藩庁日誌)
   3・29 高松藩司農方が管内浮浪者の取り締まりを行い,当藩士族と称して民家へ
       合力等乞う者があれば密告するよう布達(高松藩庁日誌)
   4・4 土佐藩が金毘羅表警備につき事比羅宮参詣等の者は許可を得るようにと布
       告(4月22日に取締り廃止,土佐藩兵引揚げる)(高松藩庁日誌)
   4・10 三木郡池戸村組頭奈良専二を農事勉励により褒賞(高松藩庁日誌)
   4・15 高松藩内の諸職人作料定(製作料金表)を制定(例・上大工・指物師等
       米3升)(高松藩庁日誌)
   4・- 高松藩が学則大意・寄宿舎規則及び学科表・日課表を選定.また,大少舎
       長を置き,寄宿生等級を定める(高松県史)
   5・3 物価高騰につき高松藩内の融資・為替等は坂出浦商法質取会所で扱う(高
       松藩庁日誌)
   5・7 士族の子弟に帰農,帰商を許可(親は士族のまま)(高松藩庁日誌)
   5・14 田村神社(一宮村)を国幣中社に,事比羅神社を国幣小社に列する(高松
       県史)
   5・17 暴風雨・洪水により田畑・民家の損壊,死亡,怪我人,牛馬溺死,塩田流
       失多数(高松藩庁日誌)
   5・18 高松藩が卒・平民は剃髪のほか頭形の自由を認める(高松県史)
   5・18 高松藩が卒・平民に木履・晴傘の着用自由と達する(高松県史)
   5・25 高松藩が平民に乗馬を許可(高松藩庁日誌)
   5・25 高松藩が盆踊りを禁止(高松藩庁日誌)
   5・- 高松藩が講道館を増修,隣邸士族玉井旧宅を合併(高松県史)
   6・10 高松城東西御門を12日から締切
-238-
       り,通行禁止(高松藩庁日誌)
   6・14 高松城廃城につき,城内見物の日割表を発表.15日は官員士族,22日~
       7月10日一般民,堀端での小屋掛け商売も許可(高松藩庁日誌)
   6・19 神田村大坪に岩倉六二が郵便取扱所7等局を開設.月給は2円40銭,〔ロ
       ウ〕燭料(夜間取扱料)(#「ロウ」は文字番号33786)2銭,封書2銭,
       葉書1銭(山本町誌)
   6・29 高松藩が神式の葬祭を許可(高松藩庁日誌)
   8・22 那珂郡塩屋村民が塩屋塩田開拓に着手(丸亀県史)
   8・28 政府がえた・非人の称を廃し,身分・職業とも平民同様とする(太政官)
       (近代日本総合年表)
   9・11 士族の散髪・制服・略服・脱刀の自由を認める.但し礼服の節は帯刀とす
       る(高松県史)
   9・11 平民の襠高割羽織着用を許可する(高松県達・高松県史)
   9・30 丸亀県が解放令の告諭を管内に布達(佐伯家文書)
   9・- 松平家が松ヶ枝舎を設立(百十四銀行八十年史)
   10・1 赤心報国団の義兵直前を豊田郡原村野田片山方で会合中に検挙(観音寺市
       誌)
   10・23 従来の点時鐘(時刻)を改め,昼九時半を1時と定め,昼夜を24時に分
       ける(高松県史)
   10・23 松平頼讃を田村神社権宮司に任命(高松市史年表)
   11・8 高松県が市外での銃猟を解禁(高松県史)
   11・25 府県の学校を全て文部省の管轄とする(日本近代教育史事典)
   11・28 鍋島に燈明台(灯台)設置.5年11月15日点灯(丸亀県史)
   12・15 人馬継立所を引田・西村・石田
-239-
       ・池戸・高松・新居・坂出に置く.5年9月28日に丸亀・上高瀬・和田
       浜に増設,賃銭駕籠人足1人1里5銭(内・香川県史)
   12・19 氏子取り調べの太政官達に基づき,1月1日から15日までに神社の守り
       札を受取り,戸長の検印を受けるよう県が布達(佐伯家文書)
   12・24 士族・卒の郷居を許可(内・香川県史)
   この年 庄松死去(72)寛政11年土居村(大内町土居)生.浄土真宗の篤信者と
       して,人々を教化する(続・讃岐人名辞書)

1872 (明治5年)
  政治・経済
   1・12 大阪鎮台第2分営に宇和島県から壮兵2小隊を召集.既存と合わせて6小
       隊とし16番大隊と称す(歩兵第十二聯隊歴史)
   1・25 初めて取締組邏卒を置き,警邏大綱と警邏章程を定める(内・香川県史)
   1・25 北条県管轄の小豆島西部6か村を香川県に編入(内・香川県史)
   2・19 香川県が布令・達を広く管内に流布するため,活字板発行伺いを文部省に
       提出(公文録)
   2・- 県内の地方行政区画を88に分ける(内・香川県史)
   2・- 取締組を長尾西村・引田村・渕崎村・丸亀・多度津・観音寺・金毘羅・高
-240-
       松に設ける(佐伯家文書)
   2・- 旧高松藩内の砂糖問屋9名が,砂糖為替貸下金の長期年賦償還を県庁に願
       い出る(上野家文書)
   4・7 香川県丸亀出張所を廃止(内・香川県史)
   4・- 取締組邏卒に「取締ニ付フレ」を諭達し,出張所を高松・丸亀等県内18
       か所に置く(香川県御布告)
   5・3 大小里正・保長・村年寄を廃し,戸長・副戸長・村役人を設置.戸長職掌
       大概を定める(内・香川県史)
   5・3 各区戸長・副戸長の内1名と村役人1名を月番交代で県庁に出勤させる
       (内・香川県史)
   5・14 県が旧砂糖問屋に讃岐国産砂糖取扱所の設立を認可(上野家文書)
   5・24 元丸亀藩大参事,新治県参事土肥大作(36)が自決(讃岐人名辞書)
   6・24 勤王家の小橋安蔵(65)死去(高松市史年表)
   6・-6月中旬の当地物価上米1石につき3円98銭4厘,大豆同5円99銭7厘,
       種子油同33円10銭,白砂糖1斤につき21銭1厘,黒砂糖9銭1厘(抜
       萃新聞誌)
   7・4 明治天皇が軍艦龍驤で丸亀港にご到着.旧丸亀県庁を行在所とし,5日,
       林参事を召し管内の形勢をご下問される.6日神戸へ向かわれる(抜萃新
       聞誌)
   7・4 地券発行につき大蔵省達(明治初年地租改正基礎資料)
   7・4 県の官員数は奏任官2・判任官36・等外17人と政府へ報告(内・香川県
       史)
   7・13 県が管内の輸出入税廃止伺を大蔵省に提出.同年8月18日聞き届の指令
       (内・香川県史)
   7・23 取締に1等2等3等の等級を設け,伍長の上に組頭を置く(内・香川県史)
   7・- 清酒,醤油(#「醤」は旧字)等の醸造税は7月末の
-241-
       期限内上納が難渋と思われるので,8月末を期限とする旨布達(伏見戦争
       前後記事)
   8・10 明治6年3~4月金刀比羅宮で博覧会開催のため,同社務所が各方面に秘
       蔵の奇品古器の出展を呼びかける(年々日記)
   8・13 各郡1名の地券取調係を設置(香川県御布告)
   8・18 高松・丸亀両港出入運輸税を廃止(内・香川県史)
   8・23 県が地券取調諭文を布達(山下家文書)
   8・28 高松市中の境界を次のように定める.東浜村=西は丸亀町を境とし,常磐
       橋以内一円堀川まで,南はこれまで通り.西浜村=東は丸亀町中央まで,
       北は常磐橋以西堀川に至る堀をもって境とし,南は五番丁筋,西は従来通
       り.中ノ村=北は五番丁中央をもって境とし,東西南はこれまで通り(御
       布告留)
   8・- 地券係人別.大内郡米澤恒三郎,寒川郡国方甚吉,三木郡香西新四郎,香
       川郡瀧米五郎,阿野郡瀬尾景厳,鵜足郡小山健太郎,那珂郡河内新十郎,
       多度郡長谷川国次,三野郡高城近太郎,豊田郡高橋東四郎,小豆島紀雄次
       郎,塩飽島高島磯三郎(御布告留)
   9・17 諸上納金は旧藩札会所への納入を廃止.島田組銀行の預かり切手を以て県
       庁へ納入する旨の改定(香川県御布告)
   9・25 県庁の職制大綱を定める(内・香川県史)
   9・28 県が種子貸付利息米麦廃止を大蔵省に再伺いする(同年10月14日聞き届
       指令)(内・香川県史)
   9・- 県が夏成麦税収納法改正を大蔵省に伺い出る(同月20日聞き届)(内・
       香川県史)
   9・- 県庁庶務課に学務係を置く(内・
-242-
       香川県史)
   9・- 県の林参事,地券発行状況視察のため東讃を巡視(山下家文書)
   9・- 高松・丸亀・多度津の旧城下町に市街地地券を発行するため,地券発行地
       租収納規則を布達(大山家文書)
   10・17 香川県参事林茂平(亀吉)を豊岡県権令に,高知県参事中村貫一を香川県
       参事に任命(内・香川県史)
   10・17 銃砲弾薬類を密かに所持且つ取り持った者は,これを取り上げ,50銭の
       過料を科す旨布達(御布告留)
   10・18 米穀の計量は自今旧藩桝を一切廃止.京判桝を用い,4斗1升入り2俵半
       を1石として売買することを布達(御布告留)
   10・- 従来の土工法を改め,国役普請と区役普請の2種類とし堤防取締り心得を
       定める(内・香川県史)
   10・- 無鑑札で牛馬売買を発見の場合は牛馬を取り上げ,免許税の10倍の科料
       を申し付ける(御布告綴)
   11・5 香川県権参事田部密が依願免職.斗南県士族手代木勝任を権参事に任命(内
       ・香川県史)
   11・27 荷車小車税を設け,道路営繕費に充てる(内・香川県史)
   11・28 豊岡県権令林茂平を香川県権令に任命,参事中村貫一は石鉄県参事に転任
       (内・香川県史)
   11・28 今後,剃頭髪の廃止を覚悟するよう県が懇諭(御布告留)
   11・28 廃疾等で自力で生活不能の者を各区で調査の上,届け出るよう県が指示(御
       布告綴)
   11・28 20円・10円・5円・2円・1円及び50銭・20銭・10銭・5銭・の金銀
       貨幣の寸法改正と銀貨の量目増加を県から布達(御布告綴)
   11・28 正月元旦に門戸を閉める従来の風
-243-
       俗を止め,6年1月1日からは家毎に早起きして門戸を開き,神灯を揚げ
       て慶賀を表すよう布達(御布告留)
   11・- 県への諸願書等の文言に「広大ノ御慈悲」等,無用の文字を除き眼目のみ
       を簡単に記するよう県が指示(御布告綴)
   11・- 荒神松,門松と称して松の幹を伐るのを止め,枝松を用いることを県が告
       諭(御布告留)
   11・- 6年1月1日に神官・士族は礼服を着用して午前9時までに出庁,名刺を
       もって新年奉賀を申し出ること(御布告留)
   この年 明治5年香川県経費概計は金21万3840円3銭6厘(内・香川県史)
-239-
  社会・文化
   1・17 高松市中の時鐘を廃止(内・香川県史)
   2・5 旧高松藩の旧桝を廃止し,京桝に改める(内・香川県史)
   2・13 馬術未熟の者のむやみな乗馬を禁止(内・香川県史)
   2・20 県内旅亭箇所を引田・水主・白鳥・津田・志度・長尾・塩江・仏生山・高
       松・新居・坂出・宇多津・滝宮・丸亀・金毘羅・多度津・仁尾・観音寺・
       本山・和田浜の20か所に限る(内・香川県史)
   2・28 前年9月の高松藩知事帰京阻止事件で,邸宅等に放火のかどで権参事田部
       密から6名の絞斬首伺が司法省に
-240-
       提出(伺通りとの指令がある)(内・香川県史)
   2・30 権参事田部密から史官及び大蔵省に高松藩で預かった長崎キリシタン信者
       40名の取扱方法を伺い出る(諸伺届他)
   2・- 戸長・里正に親疎愛憎で事を処するを禁じる(内・香川県史)
   2・- 元高松藩仮医学所の鶴林寺を借りて柏原謙益が博済医院を開く(高松市史
       年表)
   3・4 香川県からイギリスへの留学生3名(山田純吉・松田周次・高原高蔵)の
       学資金公費支給を文部省に伺い出る(官省指令本書)4月9日大蔵省から
       1人当たり洋銀500ドル支給の指令(香川県史)
   3・15 松本貫四郎が香川郡西浜村字摺鉢谷1町6反歩の干拓に着手.同年9月竣
       工(内・香川県史)
   3・24 旧高松県設置の公費生徒を廃止(内・香川県史)
   4・12 県内の24神社は式内社の義につき,教部省に伺い出る(取調書の通りと
       指令)(内・香川県史)
   4・22 郷学校を開き,学問を奨励する県の学制を諭達(内・香川県史)
   4・28 琴陵宥常を事比羅宮宮司に任命(高松県史)
   4・- 学術持論試験を経ていない僧侶がみだりに説法勧戒することを禁止(内・
       香川県史)
   5・18 医学所を亀阜学校に合併(内・香川県史)
   5・- 丸亀郷校規則を定める(佐伯家文書)
   5・- 演劇は勧善懲悪を旨とし,実録と違わないようにと諭達(内・香川県史)
   5・- 長尾益吉・柏原謙益・高坂柳軒
-241-
       が共立病院を開設.6年5月高松公立病院,7年10月再び共立病院,9
       年4月19日更に高松公立病院と改称(高松市史)
   5・- 講道館を廃し,旧高松藩主松平頼聰の亀阜館を仮用して県学に備え,校則
       五か条を選定,学課を4等に分ける(内・香川県史)
   6・19 高松学校(旧講道館)の亀阜邸移転を文部・大蔵省に届け出る.旧校は仮
       医学校とする(内・香川県史)
   6・- 県が男女混浴を禁止(香川県御布告)
   6・- 横行する野犬の害を防ぐため,飼い主には姓名居所を記した札を首にかけ
       させる(抜萃新聞誌)
   6・- 県内の戸数12万5425戸・人口55万9712人(内・香川県史)
   6・- 香川県小学校が「抜萃新聞誌」を創刊.高松の塩屋町・西通町・田町・県
       庁前と小豆島・白鳥・志度・滝宮・坂出・金毘羅・丸亀・多度津で販売
       (抜萃新聞誌)
   7・1 郵便取扱所を引田・三本松・津田・志度・石田・高松(片原町)・丸亀・
       琴平・多度津・上高瀬・観音寺・和田浜に設置(内・香川県史)
   7・22 営業の自由を認める(内・香川県史)
   7・- 市街治安のために設置した波璃灯(街灯)を毀損することを禁止(内・香
       川県史)
   7・- 坂出村鎌田正平から崇徳院御神霊京都遷還の碑(片山直造撰「神輿奉迎奉
       送記」)建立の願いが出される(高松県史)
   7・- 川崎舎竹郎他4名から学校資本として770円を寄付(内・香川県史)
   7・- 鵜足郡第54区戸長片山高義・第56区戸長小山健太郎は郷校奨励の県達
-242-
       に伴い,早々に区内郷校を設立する(抜萃新聞誌)
   8・2 県が芝居・貸馬・その他雑芸に課税することを大蔵省に申請(内・香川県
       史)
   8・9 県から高松に建設する学校を当分中学校と定め,その他の郷校を漸次小学
       校に改組の旨を文部卿に伺い出る(翌10日小学校は認可.中学校は学則
       教科を提出するよう指令)(官省指令本書)
   8・15 田村神社・白鳥宮・屋島神社を県社に列する(高松県史)
   8・24 高松藩執政松崎渋右衛門を祀る満濃池小祠創建を県から教部省に伺い出る
       (内・香川県史)
   8・- 学制に基づき,学事大綱5か条を制定(内・香川県史)
   9・14 県が中学校新築費5000円中3000円の官費補助を文部省に願い出る(聞き
       届難いと文部省から回答)(官省指令本書)
   9・27 高松東浜新築地以外の芸娼妓の営業を禁止(内・香川県史)
   9・- 学区取締を置き,学区取締巡村条目を制定(内・香川県史)
   9・- 香川県学校(亀阜学校)を中学と小学に分け,高松に第一小学(亀阜)
       第二小学(古馬場町安養寺)第三小学(西浜町弘憲寺)の3小学を設置(高
       松県史)
   9・- 旧知藩事松平頼聰が県へ学校資本金として1500円を寄付.同じく京極高
       朗家扶大内義基300円寄付(内・香川県史)
   10・20 芝居定小屋以外の興行を禁止(内・香川県史)
   10・23 県学区取締8名を任命し,文部省へ届け出る(内・香川県史)
   10・- 県が新聞雑誌展覧所を引田・志
-243-
       度・高松・丸亀・金毘羅・和田浜の6か所に設置.東京発行の新聞を横浜
       から飛脚船で送り展読させる(香川県御布告)
   10・- 高松古馬場町十河要平他4名の発起により常磐橋の修築に着手.8年2月
       竣工(内・香川県史)
   11・8 参議大隈重信が同行して,イギリスの駐日公使アーネスト・サトウが事比
       羅宮に参詣(金毘羅宮庶民信仰資料集)
   11・9 太陰暦を廃して太陽暦を採用(明治5年12月3日を明治6年1月1日と
       する)(近代日本総合年表)
   11・13 事比羅宮の山号を象頭山と改める旨を県が布告(金毘羅宮庶民信仰資料集)
   11・28 県が鰥寡孤独廃疾者取り調べを示達(香川県御布告)
   11・- 塵芥・牛馬糞等が人家の軒下,溝の中,道路に投げ捨てられる状況を改善
       するため道路掃除規則を定める(香川県御布告)
   11・- 戸長は勧学が第一の主務,学制頒布の趣旨を体認し学区取締と協力して,
       庶民教育に尽力するよう県から各区長に達(青木家文書)
   12・- 高松天神前に中学校舎の建築に着手.6年7月18日竣工,工費7000円(内
       ・香川県史)
   この年 連梅の俳句集「朝よさ集」刊(香川県文学史年表)
   この年 新居政七が高松浜ノ丁に新居活版所を設立(大日本繁昌懐中便覧)
   この年 県人口55万7952人・所帯数12万5425戸(香川県人口移動調査報告)

1873 (明治6年)
  政治・経済
   1・5 戸長,村役人の県庁勤番詰を1月限りで廃止し,受付方戸長を置く(名東
       県
-244-
       史)
   1・9 鎮台14営所制が設置され,丸亀に第五軍管(広島鎮台)の営所を置く.
       これに伴い,高松の大阪鎮台第2分営は廃止(歩兵第十二聯隊歴史)
   1・17 田畑永代売買の解禁に基づき地所質入書入規則を定める(香川県御布告)
   1・- 県が集議所を設置.広く人民の意見や,建議を採り上げ行政を円滑にする
       のが目的(香川県御布告)
   2・20 香川県を廃し,讃岐国一円を名東県(阿波・淡路国)に併合(名東県史)
   2・20 旧香川県権令林茂平を名東県権令に任命(3月赴任)(名東県史)
   2・23 讃岐国の名東県併合に伴い元香川県庁に当分支庁を置く(名東県史)
   2・24 旧藩札の交換を,3月1日から15日までとし,高松は銀行・丸亀は宗古
       町の銀行出張所で行うと布達(御布告綴)
   2・- 海岸線から1里以外の海は自由な入会漁場にする旨を布達(名東県布達)
   3・7 広島鎮台第2分営を那珂郡丸亀城内に設置(名東県史)
   3・- 旧藩貸付金穀の棄捐に関する太政官布告を公布(上野家文書)
   4・6 名東県が大内・寒川・三木郡と小豆島の各村の新旧貨幣交換のため津田村
       に交換所を設置(大内町史)
   4・28 名東県権令林茂平が元香川県権参事手代木勝任から事務を交収(名東県史)
   5・23 戸長以外村役人の給料は管内平均米相場で毎月給与する(名東県史)
   6・11 徴兵制度をめぐる不穏な空気から,第25・26・27・28区(小豆島)の戸
       長等が名東県権令に徴兵検査の延引を嘆願(内海町史)
   6・28 西讃農民騒動の鎮圧に広島鎮台高松営所から出兵(公文録)
   7・24 諸漁網代場規則を定める(8年2月9日廃止)(名東県史)
-245-
   7・28 地租改正条例を布告(御布告綴)
   7・29 西讃騒動の殉職邏卒小島勝卦と宮崎瀧松に吊祭料及び家族扶助金各150円
       を賜る(名東県史)
   8・9 日照り続きのため,名東県高松支庁が田村神社・事比羅神社に対し,11
       日から17日まで降雨祈祷(#「祷」は旧字)を申し付ける(青木家文書)
   8・31 事比羅宮宮司深見速雄・権宮司琴陵宥常連名で,名東県権令に,金毘羅村
       を琴平村と改めたい旨を願い出る(金毘羅庶民信仰資料集)
   10・13 権令林茂平を免官し,参事久保断三に任命(名東県史)
   10・23 名東県権令に久保断三就任(名東県管内布達)
   10・30 支庁詰めの受付方戸長事務章程及び給米等を定める(名東県史)
   10・- 掲示場を高松3か所,丸亀2か所,その他は各区1か所と定める(名東県
       史)
   11・27 金毘羅村を琴平村と改称(諸官省御布達)
   12・18 右大臣岩倉具視の意を受けた伊東武重が,愛媛県経由で名東県を巡回,高
       松支庁で讃岐の景況を聴取,尋問の上,12日本庁に到着(地方巡回報知
       書類)
   12・19 村役人を村長と改称(名東県史)
   12・20 丸亀兵営建築地として5万9463坪4合9勺4才の用地を陸軍省に引渡処
       分を右大臣が認可(公文録)
   12・27 華・士族・卒で農工商を営む者に家禄奉還者へ資金被下方規則を布告(太
       政大臣)(御布告綴)
   12・27 次の日に日章御国旗を揚げてよいと県が達.1月1日.元始祭(1月3日)
       神武天皇祭(4月3日)神嘗祭(9月17日)天長節(11月3日)新嘗祭
       (11月23日)(御布告綴)
-243-
  社会・文化
   1・22 華・士族・平民の相互養子縁組は自由(太政官布告)(香川県御布告)
-244-
   1・22 華・士族の家督相続は総領以外でもよいとの布告(太政官布告)(香川県
       御布告)
   1・27 県が各区に学校資金取立につき2月5日までに学校係へ報告するよう達
       (香川県御布告)
   2・20 堤防保護のため川堤に柳等の植付概法を告諭(香川県御布告)
   2・24 県から高松学校へイギリス人教師ゼー・ピー・モリス(29)を6年4月か
       ら7年3月まで雇い入れにつき(給料月額150円)文部省へ伺い出る(28
       日聞き届指令)(官省指令本書)
   3・10 柏原謙好死去(66)長崎に遊学し,シーボルトに西洋医学を学び,讃岐に
       初めて種痘を伝えた(讃岐人名辞書)
   3・13 練り供養・稚児行列を禁止(御布告綴)
   3・16 外国教師ゼー・ピー・モリス着県.四民の見物雑踏を禁じる(名東県史)
   3・18 高松第一小学(旧亀阜学校)を中学と改称.同年7月18日,高松中学校
       (変則)となる(名東県史)
   4・20 市街及び郡村往還の不潔を禁じる(名東県史)
   4・28 路傍の野井戸等には全て囲いを設けるよう諭達(名東県史)
   5・4 家名相続願及び養子願の書式を定める(名東県史)
   5・9 各寺院の施餓鬼執行を禁止(名東県史)
   5・25 年始の門松,上巳の雛飾り,端午の旗幟,その他種々の旧例を廃し,努め
       て文明化につとめるよう諭達(名東県史)
   5・30 仏法に溺れた者が遍路等への施しや,接待等旧習慣を墨守することのない
       よう諭達(名東県史)
-245-
   5・- 高松病院改正につき,衛生上取締り条件を定める.(医を業とする者は検
       査の上鑑札下げ渡す)(名東県史)
   5・- 高松医学所を高松中ノ村旧講道館に移し,仮病院と改称(内・香川県史)
   6・9 鳥獣伝染病予防を布達(名東県史)
   6・26 三野郡下高瀬村で婦人が子供を連れ去ろうとしたのに怒った農民が群集.
       徴兵制の不平も爆発させて不穏な状況となる(香川県警察史)
   6・27 三野・豊田郡に端を発した徴兵令反対一揆(西讃竹槍騒動)は西讃6郡
       130か村に及び,599か所を破壊,処罰された者約2万人(~7月6日)
       (百姓一揆総合年表)
   6・- 高松に亀阜・西浜・糸浜・大浜・築地・内町・栗林の7小学校を設立(高
       松市史)
   7・5 月代(さかやき)禁止を布令(内海町史)
   7・15 高松中学校落成,18日に四民の縦観を許可する.2階の教室と3階八角
       塔にルネッサンス式建築を取り入れる(高松市史年表)
   7・18 高松中学校発足(名東県史)
   7・- 芝居定小屋から1里以外の地で臨時興行を認める(名東県史)
   8・19 葬祭の儀は神式・仏式いずれとも各人の自由(御布告綴)
   8・19 賭博に用いるサイコロ・カルタの売買を禁止(御布告綴)
   8・28 猟銃禁止の箇所を定める(高松市街・丸亀市街・多度津市街・国幣社・県
       社・その他各郡人家稠密の箇所)(名東県史)
   8・31 西讃竹槍騒動による学校毀焼は心得違いであり,速やかに学校を再興すべ
       き旨を告諭(御布告綴)
   9・9 家屋建築の際は雨滴が隣地に支
-246-
       障を及ぼさないよう配慮することを達(御布告綴)
   9・10 人力車営業は夜間必ず提灯をつけるよう通達(高松市史年表)
   9・29 山間の村々で猪・鹿の害を受ける場所は遊猟期外も願いにより狩猟を許可
       (名東県史)
   10・12 阿・讃・淡三国の人馬賃銭を一律に改正(駕人足1人1里につき4銭5厘
       など)(名東県史)
   10・23 洪水による家屋の修理には3~5円を5年賦で,農具流失の者には相当代
       価を県から貸し下げ,また溺死には5円の祭典料支給を達(御布告綴)
   11・17 阿讃国境大坂山往還の改修入費1万7000円の義金を県が有志から募集(御
       布告綴)
   12・- 室本村(豊田郡)に竹槍騒動で犠牲の邏卒小島勝卦・宮崎瀧松の招魂墓を
       建立(高松県史)
   この年 政府がキリシタンに対して信仰の自由を認めたため,高松藩預かりの54
       名も放免,帰村させる(香川県近代史)
   この年 名東県内の学事状況は,学校数,公立小学31・私立小学439・夜学6・総
       計476校.公私学生徒6万1747人,人口100人中就学生徒4,73人(文部
       省第一年報)

1874 (明治7年)
  政治・経済
   1・28 2月11日の紀元節には軒先に提灯を掲げ,産土神社に参拝して奉祝の意
       を表すこと.当日に限り歓楽のため相応の賑いはよろしいと県から布達(諸
       官省御布告)
   1・- 徴兵議員を設置(名東県史)
   2・13 讃岐国各郡並びに小豆島を大区と定め(讃岐国は第13~24区)区長を任
       命.第13大区大内郡区長並びに学区取締兼務
-247-
       工藤守豪・第14大区寒川郡同武井博暢・第15大区三木郡同木村浩蔵・第
       16大区山田郡同赤松渡・第17大区小豆島及び直島・男木島・女木島同溝
       渕久中・第18大区香川郡同松本貫四郎・第19大区阿野郡同山田政平・第
       20大区鵜足郡同片山高義・第21大区那珂郡同大塚一格・第22大区多度
       郡同石川宗一・第23大区三野郡同西岡豹太郎・第24大区豊田郡同畑平学
       (名東県史)
   2・14 第6代丸亀藩主京極高朗死去(75)20年を費やして「西讃府志」を編纂,
       琴峰と号し詩作もある(讃岐人名辞書)
   2・20 讃岐国の小区(57区)の区画を定める(名東県布告)
   3・2 高松・丸亀の両所に勧業授産所を設ける(名東県史)
   4・- 志度村に製糖場設置(農務顛末《#「顛」は旧字》)
   5・3 租税貢納期限を過ぎる者には,規則により身代限りまでの処分を行う旨を
       諭達(名東県史)
   5・27 区戸長・村長職務転免時の事務引渡規則を定める(名東県史)
   6・- 小豆島肥土山村字平見に炭坑4842坪の借区を許可(名東県史)
   7・13 教導職の者は布告を人民に解説し趣旨の徹底を達(名東県史)
   7・18 名東県県会(臨時会議)開会につき2名の名代人(議員)を選出(8月20
       日から5日間)(名東県史)
   7・31 名東県臨時会規則を定める(名東県史)
   7・- 小豆島馬越村湯谷に炭坑3410坪の借区を許可(名東県史)
   8・2 名東県県会の第18大区名代人に松本貫四郎と片山速太が選出される(名
       東県布告)
   8・7 県庁庶務課に警保係を設置.邏卒を廃して巡査を置き,巡査事務章程を定
-248-
       める(名東県史)
   8・20 割烹店貸座敷等賦金則を定める.歌舞伎役者その他遊技者並諸定小屋賦金
       則を定める(名東県布告)
   9・9 丸亀に兵営及び練兵場を新築,丸亀営所とし,初めての徴兵799名が入営
       (歩兵第十二聯隊歴史)
   9・20 名東県権令久保断三が度会県権令に転じ,大蔵省五等出仕大江卓を本県権
       令に任命.10月4日大江卓の権令任命を取り消す(名東県史)
   9・25 徴兵検査合格者のうち抽選により選抜者が丸亀兵営に入営する(名東県史)
   9・28 町村合併の布達.寒川郡東末村と西末村を末村に,三木郡東・西朝倉村を
       朝倉村に,東・西鹿庭村を鹿庭村に,東・西小蓑村を小蓑村に,東・西奥
       山村を奥山村に,山田郡庵治陸・濱村を庵治村に,東・西元山村を元山村
       に,春日村と富岡村を春日村に,木太村と夷村を木太村に,鵜足郡東・西
       川津村を川津村に,那珂郡買田村・宮田村・追上村・山脇村・新目村・大
       口村・後山村・帆山村・福良見村・生間村を十郷村に,豊田郡酒屋町・鍛
       冶分・上市浦・下市浦・大工分・中洲浦・仮屋浦・坂本村を観音寺村に,
       北岡村・黒淵村・山田尻村・大畑村を柞田村に,東・西高屋村を高屋村に
       それぞれ合併改称(名東県布告)
   10・- 丸亀の広島鎮台第2分営の建築が竣工し,12月4日までに高松営兵を移
       動させる(名東県史)
   11・3 名東県大小区会議事章程を定める(名東県史)
   11・24 古賀定雄を名東県権令に任命(12月赴任)(名東県布告)
   12・1 県庁内聴訟職務章程,断獄事務順序,高松支庁権限を定める(名東県史)
   12・2 県官出張し,8年度徴兵壮丁を調査(名東県史)
-249-
   12・22 新年・紀元節・天長節には正副戸長の惣代として区長が拝賀登庁を達(名
       東県史)
   12・- 阿野郡国分村字中尾に鉛鉱を発見,試掘願いを許可(名東県史)
-246-
  社会・文化
   1・19 華・士族・卒へ産業資本のため官林荒蕪地払下規則を布告(名東県布告)
   1・22 従来,芝居停止箇所の今後興行の許可を布達(名東県史)
   1・27 外国教師ゼー・ピー・モリス病気により雇入れを解約し帰国する旨を上申
       (名東県史)
   2・12 私塾開業願の書式を定める(名
-247-
       東県史)
   2・15 小豆島に郵便新線を開き,土庄・福田・草加部の3か所に取扱所を設置(名
       東県史)
   3・7 高松小学校開業.各小学生4級以上の有志を募り入校を許可(名東県史)
   3・- 高松西浜町の川崎舎竹郎が中学程度の共立義塾を設立(高松市史年表)
   4・18 西讃竹槍騒動(6月6日)の際,家屋焼亡破毀された者へ救助金を与える
       (太政類典)
   5・28 素人角力と称するものが木戸銭を取り本業と混同がましいことをするのを
       禁止(名東県史)
   6・24 芝居興行箇所を定める(名東県史)
   6・28 道路往還等での競馬興行を禁止(名東県史)
   6・28 毒を流して魚類等を殺生することを禁止(名東県史)
   7・17 柏原謙益が明七義塾を興し医学を教え,中桐絢海・飯山正秀らが講師とな
       る.毎月「明七雑誌」を発行(高松市史年表)
   8・6 高松病院内養生室建築が落成.工費2797円36銭(名東県史)
   8・10 盆踊りを禁止(名東県史)
   8・20 角力営業の者に札を下げ渡す旨を布達(名東県史)
   8・29 学校の種類を官立学校・公立学校・私立学校の3種類とする(文部省)(名
       東県布告)
   9・20 寄留人はその地の巡査屯所(警察)に届け出るを法とする(名東県史)
   10・2 高松変則中学校を成章学校と改称(名東県史)
   10・18 人力車の利用者が増加し事故多発につき,引き手を選んで乗車するように
       県が告諭(高松市史年表)
-248-
   10・22 芝居定小屋取締規則を布達(名東県布告)
   10・27 祝日及び氏神祭礼等の際,歓楽に託し風俗を乱すことがないよう諭達(名
       東県史)
   10・- 6歳以上小学学齢の者に就学を督励し,就学・不就学の別を月末までに報
       告させる(第18大区々長)(名東県布告)
   11・19 学校創立には,中学は1000坪,小学は500坪以内を無償下げ渡すにつき,
       申請するよう達(名東県布告)
   12・10 白峯御陵の陵長守戸を廃し,陵掌1名・陵長2名を置く(高松県史)
   12・26 高松築地町今橋の改修が竣工(長4間・幅3間)(名東県史)
   12・27 後々の証拠となるよう,小作証文の策定を布達(名東県布告)
   12・- 県が小学校経費を廃したため,高松の7小学校は亀阜・大浜・糸浜の3小
       学校を残し,他は廃止(高松市史)
   この年 旧高松藩士田中庄八が三港社を設立.大阪・神戸・高松・多度津間に汽船
       旅客荷物運送を開業(高松市史年表)
   この年 名東県内(阿波・讃岐・淡路)の公私立学校数は814校(うち7年の開校
       344校)(文部省第二年報)

-249-
1875 (明治8年)
  政治・経済
   1・14 巡査を邏卒と改称し,事務章程・服制・徽号を改める(名東県史)
   2・- 漁場開放に関する名東県達を取り消す(愛媛県水産例規)
   3・5 港湾取締仮規則を定める(名東県史)
   3・7 地所持主一筆限番号姓名を畝杭に記載するよう布達(名東県史)
   3・16 香川郡以東壮丁の徴兵検査を高松勝法寺で(623人),同月20~27日阿
       野郡以西壮丁の検査を琴平で(760人)行い,同年4月1日抽選,4月20
       日丸亀に入営(名東県史)
   4・8 太政官達により県治条例を改正し,県庁事務を庶務・学務・聴訟・租税・
       出納の5課とする(府県制度資料)
   4・9 村長の呼称を副戸長と改める(官省指令本書)
   4・15 県が邏卒勤方を達し,職務を人民の妨害を防護・健康を看護・放蕩淫逸を
       制止・国法を犯さんとする者を探索警防の4件とする(愛媛県布告)
   4・27 高松内町の高松営所を丸亀営所に引き渡し,跡地を当分警察掛出張邏卒屯
       所等に使用する願い(3月17日)を許可(公文録)
   5・10 歩兵第十二聯隊編成.陸軍中佐黒木為禎が聯隊長に任じられる(第五師団
       に属する)(歩兵第十二聯隊歴史)
   5・10 臨時県会規則を定める(政府諮問4か条を各小区会に付す事など)(名東
       県史)
   5・12 区戸長以下の提灯印を改める.一
-250-
       般人は区戸長役印に紛らわしい提灯の使用を禁じる(名東県史)
   5・15 地方官会議発令につき臨時県会を開く(名東県史)
   5・31 本日限りで太政官札・民部省札兌換証券の通用を停止(名東県布告)
   6・14 権令古賀定雄を五等判事に,参事西野友保を六等判事に兼任する(名東県
       史)
   6・22 那珂郡第5小区内七カ村を東カ村と,第6小区内東七カ村を七カ村と改称
       (名東県史)
   7・28 商業,諸会社目印のフラフ(旗)柱,看板等の設置基準を定める(名東県
       史)
   7・- 川崎舎竹郎・鈴木伝五郎らが博文社を設ける.新聞展覧所を高松兵庫町85
       番戸に設立(高松史)
   7・- 内海沿岸十州の塩業者が会合.参加者は13浜48人(十州塩田組合紛議始
       末概略)
   8・13 土地丈量間竿寸法について諭達(名東県史)
   8・29 名東県は「阿波・讃岐で地勢異なり,民情も一ならず管理上不都合」とし
       て,内務卿(#「卿」は旧字)から太政大臣に香川県再置を上申(公文録)
   8・30 名東県参事兼六等判事西野友保が依願免官.同月,国貞廉平を同県参事心
       得に任命(名東県史)
   9・5 名東県を割き香川県を置く.旧名東県権令古賀定雄を香川県権令兼五等判
       事に任命(内・香川県史)
   9・9 歩兵第十二聯隊に軍旗が親授され,勅語を賜る(歩兵第十二聯隊歴史)
   9・25 名東県分割,香川県再置により大区を改称.第13大区を第1大区とし,
       以下順次第24大区を第12大区とする(香川県布告)
   10・3 山口県士族梶山鼎介を香川県権参
-251-
       事に任命(内・香川県史)
   10・20 香川県権令兼五等判事古賀定雄を依願免官(香川県布告)
   10・24 内務少烝正六位新田義雄を香川県権令に任命(11月7日着任)(香川県布
       告)
   10・30 名東県から香川県に県治事務を交収(内・香川県史)
   11・2 高松内町旧名東県支庁跡に香川県庁を開庁(香川県布告)
   11・13 邏卒を巡査と改称(愛媛県布達)
   11・30 太政官達により府県職制及び事務章程を定め,県庁事務を第1課庶務・第
       2課勧業・第3課租税・第4課警保・第5課出納に分ける(内務省史)
   11・- 邏卒屯所・出張所を廃し,警察出張所及び出張分局及び屯所を置く(再置
       香川県史)
   12・22 巡査召募規則の達(愛媛県布達)
   12・28 本年の貢米石代相場を1石につき5円42銭3厘1毛2絲とする(香川県
       布告)
   12・- 海面官有宣言の太政官布告(大山家文書)
   この年 旧高松藩士族松本貫四郎らの発起により,商法貸借その他結婚相談に至ま
       での斡旋を目的とする信立社を設立(地方勧業上ニ関スル調査)
-249-
  社会・文化
   1・7 競馬興行規則を定める(名東県史)
   1・8 学齢を満6歳から満14歳までと定める(日本近代教育史辞典)
   2・2 訴訟手続きを定める(名東県史)
   2・12 種痘心得条件を定める(名東県史)
   2・- 高松市街丸亀町通りの常磐橋,長さ3間半・幅5間が竣工(内・香川県史)
   3・3 香川郡中ノ村の松平家別庭を栗林公園とし,同月16日開園,一般に開放
       する.18日公園取締3名を置く(名東県史)
   3・9 民事訴訟傍聴規則を定める(名東県史)
   5・7 名東県が小学校規則を達(全文19条・小学校課程を上下二等に分け,課
       業を明示)(内・名東県史)
   6・- 公立小学校の衰退を補うため,高松に東浜・義方・啓廸・光訓・立本・西
       浜・日新・育英・稽徳の9私立学校を設立(高松市史)
   6・- 7年10月9日着工した大坂山道(阿讃国境)2里47間6歩が竣工(名東
       県史)
   7・- 県内里程表を作るため,諸街道を測量(高松市史年表)
   8・9 著訳編纂等出版願い出の者は草稿を添えて提出させる内務卿(#「卿」は旧
       字)達を示達(名東県布告)
   8・17 日照りのため向こう7日間,田村・事比羅両国幣社で祈雨祭を執行
-250-
       (名東県布告)
   8・17 芝居興行箇所限定の達を取り消す(名東県史)
   8・20 柏原謙益が「明七義塾(一二衆医会議所)開校説」を刊行(高松市史年表)
   8・27 川渡賃銭を定める.背負い等で過分の賃銭をとることを禁止(名東県史)
   8・30 那珂郡下金倉村地先開拓が許可され,遠山道太郎外5名が開拓に着手
       (名東県史)
   8・30 香川郡西浜村地先開拓が許可され,松本貫四郎が自費で開拓に着手(名東
       県史)
   8・- 高松市街に高松病院を設立.地所・家屋は官有不用の分と有志の拠金から
       なる賦金を配付して維持する(県政引渡演説書)
   9・8 小学校は従前日曜日を休業としていたが,1と6の日(31を除く)を休
       業とする旨を布達(香川県布告)
   11・- 香川県が公園規則を制定.園内の遊歩は暁から日暮れまでとし,草木を折
       り,魚鳥を捕らない,みだりに火を使わないことを達(内・香川県史)
   12・27 定小屋以外での芝居その他の興行は差し止める(香川県布告)
   12・- 松本貫四郎により明治3年3月着手の西浜新開(反別8町6反歩うち塩田
       6町2畝歩)の開拓地が完成(高松県史)
   この年 香川県の学校数は公立小学18,私立小学323,師範学校1,学齢人員9万
       6004人,同就学3万1279人,同不就学6万4725人,日々出席生徒平均
       数2万9204人,人口100人中就学生徒5,48人(文部省年報)

-251-
1876 (明治9年)
  政治・経済
   1・8 新旧貨幣の交換は,8月12日までとされていたが,さらに9月12日まで
       の延期を布告(香川県布告)
   1・9 府県職制改正につき,第1課庶務・第2課勧業・第3課租税・第4課警保
       ・第5課学務・第6課出納とする(愛媛県布達達書)
   3・15 徴兵使が着県し,徴兵検査を実施.検査場は長尾村極楽寺・高松御坊町勝
       法寺・琴平村事比羅宮社務所,抽選事務は4月5日勝法寺で行う(~3月
       31
-252-
       日)(再置香川県史)
   3・22 香川県庁は狭隘のため,新築を政府に伺う(公文録)
   4・4 県庁を内町138・139番地(松平操旧邸)に移す(再置香川県史)
   4・8 地租改正に際し,実地丈量条款及び順道帳製図雛型を定める(再置香川県
       史)
   4・19 地租改正に関する県告諭大意を発布(地租改正報告)
   4・24 大蔵省へ申請中の県税賦課法が認可される(再置香川県史)
   5・3 県が初めて地租改正報告書を作る(再置香川県史)
   5・9 警察出張所分局及び各屯所を廃止し,配置法を改定(再置香川県史)
   5・10 高松・丸亀両藩製造の藩札を貨幣及び新紙幣と交換(期限は5月10日か
       ら7月8日までの60日間,交換場所は県庁内為替方・丸亀南条町・津田
       村.交換藩札数413万9525枚,金額4万2757円49銭7厘に達する)(香
       川県御布告)
   5・18 実地丈量上,区戸長の心得とする条款を布達(再置香川県史)
   5・- 地租改正に際し,地位等級表雛型及び調査方法を定める(再置香川県史)
   5・- 内務省に申請し,大小区長書記職制及び事務章程を定める(7月15日認
       可)(再置香川県史)
   6・7 鵜足郡下法軍寺村で,県最初の土地調査を開始(地租改正報告)
   6・19 県が地位等級調方心得書を布達(地租改正報告)
   6・28 官員巡回心得例規を定める(再置香川県史)
   6・- 高松で,内海沿岸十州の塩業者が会議(十州塩田組合紛議始末概略)
   7・1 改租官員の民間補佐役として顧問人を置く(地租改正報告)
   7・1 従前の賦金を廃し,新たな県税条
-253-
       目を制定(再置香川県史)
   2・22 地租改正総代人選挙法と総代人心得書を定める(再置香川県史)
   8・1 大区小区画を改編.県内を7大区56小区(高松市街は3小区)に分ける
       (再置香川県史)
   8・1 大小区戸長権限並事務章程を定める(再置香川県史)
   8・3 従前の区戸長を廃し,大区に大区長・小区に正副小区長及び戸長を置く(再
       置香川県史)
   8・16 本年夏納の麦石代相場を上裸麦1石につき2円69銭1厘5毛2絲と定め
       る(再置香川県史)
   8・21 香川県を廃し愛媛県に併合.愛媛県権令は岩村高俊(7年11月24日就任)
       (再置香川県史)
   8・- 小西甚之助が長尾名村に翼賛社を創立(小西甚之助実歴書)
   9・3 香川県廃止につき,事務受け取りのため権令代理として権参事赤川〔トウ〕
       助(#「トウ」は文字番号11525)が高松へ出張(5日帰庁)(愛媛県布
       達達書)
   9・5 土地丈量請負制度を制定(地租改正報告)
   9・14 愛媛県合併により,讃岐国の大区名称を改称.( )内は旧大区名.第1
       大区大内・寒川郡(6大区)第2大区三木・山田郡(5大区)第3大区小
       豆島(7大区)第4大区香川郡(1大区)第5大区阿野・鵜足郡(2大区)
       第6大区那珂・多度郡(3大区)第7大区三野・豊田郡(4大区)(愛媛
       県布達達書)
   9・15 高松に愛媛県庁出張所の設置を内務卿(#「卿」は旧字)から指令(愛媛新
       聞)
   9・21 金禄公債証書について,その使途を誤らないようにと布達(愛媛県布達達
       書)
   9・22 讃岐国第7大区2小区長藤田程吉が,讃岐に支庁創設を県権令に建言(愛
       媛県秘書雑書)
-254-
   9・30 受付副小区長の県庁詰任務を廃止(愛媛県布達達書)
   10・2 讃岐国(高松)の仮出張所を支庁と改称.中属藤野漸を事務統轄者とする
       (愛媛県布達達書)
   10・2 讃岐国からの諸願伺届のうち,高松支庁の委任科目を定める(愛媛県布達
       達書)
   10・13 権令岩村高俊が讃岐国巡回のため支庁へ出張(~11月23日)(愛媛県布
       達達書)
   10・24 国立銀行条例による銀行創立を志願する者に対し,条例を無償で頒布する
       旨を布達(愛媛県布達達書)
   11・- 小西甚之助らが縦議所英世館の設立を計画.県はこれを不許可(小西甚之
       助実歴書)
   11・- 税金抵当預米に関する県布達(明治初年地租改正基礎資料)
   12・8 町村会開設につき仮規則を布達(10年1月25日限り選挙.2月第1金曜
       日各町村とも一斉開会すべきこと)(愛媛県布達達書)
   12・25 本日限りで検印のない度量衡旧器使用を禁止(愛媛県布達達書)
   12・27 讃岐国合併につき,県下の大区会所,小区事務取扱所はすべて大区区務所,
       小区区務所の名称に統一(愛媛県布達達書)
   12・28 区戸長事務受渡規則を制定し,引継ぎの際,演説書の作成を義務づける
       (愛媛県布達達書)
   12・28 大区会開設につき,大区会規則を布達(10年1月31日までに議員選挙.
       3月第2金曜日をもって開会のこと)(愛媛県布達達書)
   12・28 大区会の村会議員に無届欠席者が多いのは不都合と,岩村県権令から注意
       (愛媛新聞)
   12・- 代米納に関する県布達公布(明治
-255-
       初年地租改正基礎資料)
   この年 丸亀で,困窮士族の就職斡旋等のため蟻集社設立(愛媛県統計概表)
-251-
  社会・文化
   1・7 管内郵便線路及び諸規則を撰定.6月16日施行(再置香川県史)
   1・12 高松成章学校生徒入学規則を定める(17歳以上35歳以下とし,卒業後は
       管内小学校に奉職のこと)(再置香川県史)
   1・19 第5大区9小区戸長が県権令へ廃妓論を建言(愛媛県秘書雑書)
   2・8 道路上でハネツキやメングリの遊びを禁止(高松市史年表)
   2・- 堀秀成の「音図大全」を神奈川
-252-
       ・中村信治が出版(香川県文学史年表)
   3・2 婦人の名は万葉仮名を用いてきたが,字面をあやまるため,片仮名を用い
       るよう布達(香川県布告)
   3・8 文部省達に基づき中学区を改定(第31番中学区豊田・三野・多度郡,第
       32番中学区那珂・鵜足・阿野郡,第33番中学区香川郡・小豆島,第34
       番中学区山田・三木・寒川・大内郡)(再置香川県史)
   3・9 下津井・丸亀間に電線沈架のため,工部省大烝兼電信頭芳川顕正及び傭外
       国人の来県の旨通達.3月28日来県,29日巡検(再置香川県史)
   3・19 小学校の休日を4月から日曜日とし,土曜日は正午から休暇とする(従前
       の1と6の日休暇を廃止)旨布達(香川県布告)
   4・1 満20年を以て丁年と定める(県は4月4日布達)(香川県布告)
   4・10 日蓮宗の不受不施派を公認.県は4月18日布達(香川県布告)
   4・18 県が巡査召募規則を定める.応募資格は20歳から45歳まで,読み書きが
       出来,酒癖のないことが条件(内・香川県史)
   4・18 共立病院を高松病院と改称(香川県布告)
   6・26 寺院の仏像を他管内へ持出し開帳するを禁止(再置香川県史)
   6・26 宿屋営業規則・料理屋営業規則・貸坐敷営業規則・置屋営業規則・芸妓娼
       妓営業規則を定め,7月1日から施行(再置香川県史)
   7・1 春以来降雨少なく,田村・事比羅両国幣社で祈雨祭を執行(年々日記)
   8・3 大区長に学区取締補助を兼ねさせる(再置香川県史)
   8・5 高松成章学校を師範学校と改称(再置香川県史)
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   8・15 違式違〔カイ〕(#「カイ」は文字番号35466)条例施行.人民の安寧を
       保護し,風俗を善良ならしめ,凶害を未萌に警戒予防が趣旨(再置香川県
       史)
   8・19 医術は衛生上緊要の旨を諭達し,公立病院諸規則を定める(再置香川県史)
   8・- 榎井涌(出水)の分水割合にかかわり,掛りの多度津・庄・三井・葛原(#
       「葛」は旧字)の村々で水論が起こる(高松地方裁判所記録)
   9・21 県が,祭りに幼少の男女に演劇を習わせることをいましめ,代って就学
       督促を奨める(愛媛県布達達書)
   9・26 東高篠村に天然痘流行につき,各区内にも患者があれば届け出るよう布達
       (愛媛県布達達書)
   9・30 師範学校私費生徒規則を制定.志願者募集(愛媛県布達達書)
   9・30 各大区派駐訓導巡回規則及び聯区監視規則を制定(愛媛県布達達書)
   10・2 愛媛県小学規則を制定.学科を二等に分け,下等小学4年(6~10歳)
       上等小学4年(11~14歳)とする(愛媛県布達達書)
   10・11 愛媛県小学女生徒手芸規則を制定(11月10日讃岐国各区へ布達)(愛媛
       県布達達書)
   10・23 学務改正につき,学区取締及び大小区区戸長の兼務を解く(愛媛県布達達
       書)
   11・10 高松に設定する師範学校の名称を愛媛県讃岐師範学校とする(愛媛県布達
       達書)
   11・16 小学校卒業試験は県官臨監の上施行すべきところを,各区戸長学区取締に
       おいて行う旨を達(愛媛県布達達書)
   11・21 権十郎・市徳らの「江州研屋噺」が東京新堀で上演(香川県文学史年
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       表)
   11・25 学校新築の際は,授業に差し支えがないよう注意すべき旨の達(愛媛県布
       達達書)
   12・1 県が学区世話掛取扱規則を制定.町村の名望家に学区世話掛を委囑(愛媛
       県布達達書)
   12・4 多度津港浚渫費償却のため,9年11月から同23年10月まで入港銭を取
       り立てることが内務省から認可(愛媛県布達達書)
   12・6 県権令が文部省に高松変則中学校設立を伺い出る(10年開設・13年高松
       中学校・17年愛媛県第2中学校と改称,19年廃校)(愛媛県学務文書)
   12・18 阿野郡乃生村と岡山県児島郡渋川村との間の海底に電信線沈架に伴い,浮
       標位置内への船舶投錨・網漁を禁止(愛媛県布達達書)
   12・22 修史局において藩史編集につき,旧藩事蹟に関する史料を取り調べ,10
       年3月31日までに提出するよう通達(愛媛県布達達書)
   この年 多度津の星谷の俳句集「波津子集」刊(香川県文学史年表)
   この年 県内(伊予・讃岐)の学事状況は,学校数,公立小学1022・私立小学17
       ・公立中学3・私立中学1・小学師範学校2・人口100人中就学生徒
       5・47(文部省第四年報)