1750年(寛延 3) ~ (46K)


入力に使用した資料
底本の書名   香川県史 年表 別編Ⅱ 近世
 底本の編集者  香川県
 底本の発行者  香川県
 底本の発行日  平成三年三月二十日
入力者名    渡辺浩三
校正者名    渡辺美智子
入力に関する注記
      文字コードにない文字は『大漢和辞典』(諸橋轍次著 大修館書店刊)の
      文字番号を付した。

登録日   2002年10月9日
      


1750年 寛延3 (庚午)
  政治・経済
   1・16 高松藩,鵜足郡土器村百姓五郎右衛門に命じ,西讃百姓一揆勢の様子を報
       告させる.加えて郡奉行西岡与兵衛らを那珂郡木徳村に派遣し警戒する(鎌
       田博物館「土器村百姓五郎右衛門覚書之内丸亀領百姓狼藉一件書抜」)
   2・6 高松藩,三木郡牟礼村の新塩浜築造を小谷四郎右衛門に命じる(穆公外記)
-163-
   春   高松藩,御貸免始める.米3000石余にあたる(穆公外記)
   4・1 高松藩,百姓の拝借米未納分の年賦返済を命じる(穆公外記)
   4・10 高松藩主松平頼恭,幕府より日光参拝を命じられる(穆公外記)
   7・27 多度津藩,西讃百姓一揆関係者の処罰を行う.首謀者多度郡三井村百姓金
       右衛門・碑殿村甚右衛門が打首獄門に処せられる.追放刑は8名(明徳会
       図書館「京極出羽守様御領分百姓騒動聞書」)
   7・28 丸亀藩,西讃百姓一揆の関係者の処罰を行う.礫は三野郡笠岡村大西権兵
       衛以下4名,打首獄門は笠岡村新右衛門以下4名,そのほか打首3名・永
       牢1名・追放刑33名(草薙家文書「寛延三午年抜書」)
   8・6 高松藩,倹約令を出す(増補高松藩記)
   9・2 多度津藩家老河口友右衛門・家老介河口衛守,先の一揆参加の百姓に対し
       処罰なしの通告を出す(明徳会図書館「京極出羽守様御領分百姓徒党願ノ
       筋聞書」)
   この年 高松藩,家臣知行米渡しを三つ物成とする(増補高松藩記)
   この年 丸亀藩,西川口の浚せつの準備金として運上銀の内より5貫目を毎年積み
       立てておくよう命じる(古法便覧)
   この頃 三木郡牟礼南浜の古浜塩田,開発される(牟礼町塩竃神社「棟札」)
       丸亀藩,12月の石代値段70匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   1・14 多度津からの連絡を仲介して,三野郡が豊田郡へ一揆参加(20日までに
       金倉川結集)を呼びかける回状を出す(佐伯家文書「万覚帳」)
   1・16 多度津藩領139か村の百姓ら,願いがあるという理由で天霧山に立てこも
       る.藩側の家老・用人・郡奉行らが赴き願いを聞き届ける旨を通達し,百
       姓ら帰村する(穆公外記)
   1・16 西讃一揆勢ら,丸亀藩家老宛の11か条の願書を作成する.提出はせず(佐
       伯家文書「万覚帳」)
   1・18 三野・豊田両郡の一揆勢,結集場所を金倉川から本山川原に変更する(佐
       伯家文書「万覚帳」)
   1・19 那珂・多度両郡の一揆勢,吉原村に結集を始める.夜,三野・豊田両郡の
       百姓らは本山寺付近に集合を始める(佐伯家文書「万覚帳」・鎌田博物館
       「土器村百姓五郎右衛門覚書之内丸亀領百姓狼藉一件書抜」)
   1・20 吉原村に結集した那珂・多度両郡の一揆勢拡大し,甲山寺付近に数万集ま
       る.三野・豊田両郡の百姓ら,三野郡岡本村・豊田郡流岡村村境あたりに
       結集する(鎌田博物館「土器村百姓五郎右衛門覚書之内丸亀領百姓狼藉一
       件書抜」)
   1・21頃 高松藩領那珂郡垂水村の藤十郎・勘三郎および鵜足郡岡田東村の与一
       兵衛・与惣右衛門ら,一揆回状を作成し近村に廻達する.2月3日発覚,
       3月13日処刑される(鎌田博物館「尾崎卯一関係史料・讃岐史料」・穆公
       外記)
   1・22 三野・豊田両郡の一揆勢,鳥坂峠を越えて善通寺に入る((鎌田博物館「土
       器村百姓五郎右衛門覚書之内丸亀領百姓狼藉一件書抜」)
   1・23 早朝一揆勢,善通寺村庄屋宅を打ちこわし,その後,善通寺客殿で丸亀藩
       役人との談合に臨む.百姓側要求13か条のうち10か条は即刻聞き届けら
       れ,残り3か条は追っての沙汰となる(池田家文庫「寛延3午年讃州丸
       亀百姓騒動ニ付御使者被遣并御郡方聞分一件」)
   2・27 高松藩,領内へ夫食2300石を貸与する(穆公外記)
   8~9 高松藩,領内の牛馬約3万4000匹疫死する.9月7日牛馬病退散の祈祷
       を行う(穆公外記)
   この頃 小豆島の素麺は1村のうち2~3軒ほどの零細農家で夏中のみ製造され
       る(近世史料Ⅰ「小豆島様子大概書」)
-164-
1751年 宝暦1 10・27 (辛未)
  政治・経済
       丸亀藩,12月の石代値段60.5匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
1752年 宝暦2 (壬申)
  政治・経済
   3・28 高松藩御座船飛龍丸の再造成る〔これより先き元禄9年・正徳4年に修造
       する〕(歴世年譜)
   9・20 高松藩,徒党を組み強盗する者は斬罪梟首などの刑法を追加する(穆公外
       記)
   12・- 高松藩,寺社へ博奕の禁止などの法令を出す(金倉寺文書「御領分寺院被
       仰渡条々」)
   この年 丸亀藩,西川口の浚せつを命じる(古法便覧)
       丸亀藩,12月の石代値段54匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   4・9 高松藩領阿野郡北高屋村塩田百姓81名,備前国児島郡赤崎村伝兵衛より,
       塩前貸銀96貫目余の返済滞りのため訴えられるが,幕府評定所において
       内済が成立する(三野家文書「備前国児島郡赤崎村伝兵衛出入一件」)
   7・4 大雨洪水,丸亀藩では土器川が増水し,近在から多数の人足を出し堤防
       の決壊を防ぐ(増補高松藩記・古法便覧)
   9・20 高松藩,西方寺に死刑人1人につき銀1両で回向を命じる(増補高松藩記)
1753年 宝暦3 (癸酉)
  政治・経済
   3・19 丸亀藩,茶屋宗五郎を広田平左衛門と同様,札元(札差)に任じる(古法
       便覧)
   春   山田郡屋島西潟元村の海岸に塩浜を築造する願いが百姓より出され,高
       松藩,木村亘(季明)を責任者として築造の準備にかかる(増補
-165-
       高松藩記)
   12・- 高松藩,城下の富商へ御用金を課す〔御用聞と呼ばれる商人へは従来通り〕
       (歴世年譜)
   この頃 丸亀藩,銀札場改めを行い,銀札場での引替を強化する(近世史料Ⅰ「銀
       札通用御書出写」)
       丸亀藩,12月の石代値段50匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   3・11 高松藩,石清尾山の猪・鹿の被害により,その捕獲を始める.宝暦6年ま
       でに猪1568頭・鹿3558頭を捕らえる(増補高松藩記)
   12・22 朝廷より金光院へ天下泰平・宝祚延長を祈るべき旨の綸旨が下される(近
       世史料Ⅱ「金毘羅一山規則書」)
   12・- 桃源・李山ら志度俳人の百韻「寒梅へ」の巻成る.
   この年 丸亀の秋可亭夕静の句集「菅の風」成る.
   この頃 引田浦の船数は漁船を含めて112艘(日下家文書「御用留」)
1754年 宝暦4 (甲戌)
  政治・経済
   1・- 丸亀藩,魚運上受入役に磯野半太夫・中村岡右衛門を任じる(古法便覧)
   2・- 高松藩,領内の豪農に御用金4500両を課す(歴世年譜)
  (2)・下旬 高松藩,城下の町人55人に御用金3700両,郷中26人に御用金3000
       両を課す(歴世年譜)
   4・- 高松藩,大政所・政所・山守に御林(藩有林)管理の協力を求める触れ
       を出す(別所家文書「御用留」)
   5・22 高松藩,佐久間次郎太夫へ10貫目,阿賀長右衛門へ4貫目,田岡次郎兵
       衛へ10貫目の御用金を課す(歴世年譜)
  6・- 高松藩,家臣知行米渡しを二つ物成とする(歴世年譜)
   7・17 高松藩,城下へ4000両,郷方へ7000両の御用金を課す(歴世年譜)
   9・- 高松藩,寺社へ華美な造営禁止などの法令を出す(金倉寺文書「御領分
       被仰渡条々」)
   この年 貸し免米が宝暦9年まで延長となる.但し,立直った耕地に関しては村
       方から貸し免を返上するよう督励する(別所家文書「御用留」)
   この年 丸亀藩,和田浜に運上役所を置く(藤村家文書)
       丸亀藩,12月の石代値段68匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   7・11 大坂の船宿多田屋新右衛門,金刀比羅宮から大坂への御用物運送用達を願
       い出る(菅納家文書「多聞院日記抜書」)
   この年 満濃池の前樋・竪樋とも仕替えをする(政要録)
   この年 高松藩領内,長雨などによる天候不順のため麦が不作となる(別所家文
       書「御用留」)
1755年 宝暦5 (乙亥)
  政治・経済
   2・17 高松藩,山田郡西潟元村の塩
-166-
       田築造を開始する(歴世年譜)
   6・10 高松藩,城下・郷方へ御用金1万両を課す(歴世年譜)
   秋   山田郡西潟元村に釜屋25軒前の藩営塩田が完成する〔「亥の浜」という〕
       (増補高松藩記)
   12・26 高松藩,大久保一学の持浜として屋島西潟元浦に塩田を築くことを許す.
       翌年に完成する(歴世年譜・随観録)〔「子ノ浜」という〕
  社会・文化
   この年 本条左衛門の「綾北問尋鈔」成る.
   この年 京都福居屋平兵衛,「金毘羅参詣道法道中記」を刊行する.
1756年 宝暦6 (丙子)
  政治・経済
   2・26 第2代多度津藩主京極高慶,丸亀において没する、37歳(佐々木京極家
       記録)
   5・2 京極高文,多度津藩第3代藩主となる(佐々木京極家記録・京極御系図)
   この年 高松藩主松平頼恭帰藩につき,播磨屋が道中仕込金として金1680両,銀
       約13貫目を差し出す(播磨屋中井家永代帳)
       丸亀藩,12月の石代値段75匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   3・28 高松城下今新町失火,野方町・御坊町付近まで延焼,町家73軒,竈数126
       か所,土蔵13か所焼失(「聞ままの記」所収「讃州高松領大火之記」)
   8・- 塩飽で延享2年以降の借金手形所持の者は,年寄から押切改めを受けるよ
       う命じられる.以後,金銀貸借手形に年寄の押切がない分は無効となる(塩
       飽勤番所文書 享保10年~天明8年「御触書写」)
1757年 宝暦7 (丁丑)
  政治・経済
   5・16 高松藩,阿野郡北木沢村に塩田を築く(歴世年譜)
   6・- 高松藩,家臣家禄の調査を行う(歴世年譜)
   7・- 高松藩,藩主頼恭の子女婚姻のため,高松城下へ1万5000両,郷方へ2
       万両の御用銀を課す(歴世年譜)
   10・21 高松藩,初めて藩札を発行し兵庫町に札会所をたてる.隣に掛屋職大和屋
       清助を住まわせ,正銀と藩札の引き替えにあたらせる(増補高松藩記)
       丸亀藩,12月の石代値段67匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   5・23 高松藩,儒員に菊池武賢を加え藩校の講学を復活する(歴世年譜)
   7・26 大雨洪水.民家数千戸倒壊,海岸堤防数10か所崩壊,人畜多く死ぬ(増
       補高松藩記)
   9・5 風雨洪水.高松城天守閣と北西隈の矢倉の瓦が海中に落ちる(歴世年譜)
   この年 中川雄心斎吉益の「讃陽綱目」成る.
1758年 宝暦8 (戊寅)
  政治・経済
   5・- 伊丹の町人加勢屋,高松城下丸亀町に藩札引替所を出す.他に志度・仏
       生山・宇足津にも小引替所が
  -167-
       つくられる(鎌田博物館「尾崎卯一郎関係史料・讃岐史料」・日下家文書
       「御用留」)
   7・1 高松藩,西尾縫殿を勝手方(世帯方)に任じ財政再建に乗り出す(増補
       高松藩記)
   7・- 高松藩,城下の御用聞町人へ5000両,両替商加勢屋へ3000両の御用金を
       課す(歴世年譜)
   11・- 高松藩,郷騎士に御用金を課す(歴世年譜)
   11・- この頃高松藩領阿野郡北高屋村の塩田面積,10町8反4畝27歩となる(三
       野家文書「高屋村塩浜順道帳」)
   12・1 高松藩,城下の御用聞町人へ御用金400貫目,香川郡西笠居村紀伊国屋へ
       1000両を課す(歴世年譜)
   この年 高松藩借銀計50万両になり,極度の財政悪化を呈する(増補高松藩記)
       丸亀藩,12月の石代値段71匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   この年 高松藩領大内郡引田村の惣百姓・商人ら,藩札の小引替所設置を願い出
       る(日下家文書「御用留」)
   この年 丸亀藩,他所より按摩業者が多く入り込むことを制止する(古法便覧)
1759年 宝暦9 (己卯)
  政治・経済
   1・15 高松藩士西尾縫殿,勝手方(世帯方)を辞職する(増補高松藩記)
   1・20 高松藩主松平頼恭,西尾縫殿を再び勝手方に任じ,縫殿の願いにより奉行
       山下太兵衛も勝手方に任じる.同日,藩より非常倹約令が出される(増
       補高松藩記)
   3・4 高松藩,高松城東御門外へ目安箱を設置する(増補高松藩記)
   4・15 高松藩,家臣の奢侈を禁じ倹約を命じる(増補高松藩記)
   秋   屋島亥ノ浜塩田,梶原景山(槙屋十太夫)と高智屋平十郎に払い下げら
       れる.23軒前のうち8軒には播磨国赤穂出身の塩田百姓が入植する(近
       世史料Ⅰ「上書秘記」)
   12・11 丸亀藩,勅使御馳走御控を命じられる(京極御系図)
  社会・文化
   2・24 広島藩領豊田郡の漁師九右衛門ら,高松藩領宇足津浦に定住を願い出る.
       同年3月15日許可される(善行寺宗門改人別帳)
   9・3 平賀源内,高松藩より3人扶持を給せられる(隋観録)
   9・13 善通寺,丸亀藩へ五重塔再建願いを提出する.同月20日許可される(善
       通寺文書「善通寺大塔再興雑記」)
   この年 丸亀藩,城下で訴訟が生じた場合町役人寄合の費用は原告人から出すこ
       と,また支弁できない者はその町で費用を負担することを命じる(古法
       便覧)
   この年 丸亀城下の提灯屋,他国より同業者が入り込むのを差し止めるよう願い
       出る(古法便覧)
-168-
1760年 宝暦10 (庚辰)
  政治・経済
   3・4 高松藩主松平頼恭,幕府の京都使者として江戸を出発する(増補高松藩
       記)
   7・- 小豆島大庄屋,大坂塩問屋の市場独占に対抗して大坂塩問屋のうち塩屋
       弥三郎のみに塩を販売する(壺井家文書)
   この年 高松藩,藩主松平頼恭の叙任御礼の上京費用として,城下・浦方へ2万
       4000両,郷方へ2万6000両の御用金を課す(歴世年譜)
   この年 丸亀藩,城下に20貫目の御用銀を課す(古法便覧)
  社会・文化
   3・28 善通寺で最勝会が執行され,五重塔再建工事が始まる(善通寺文書「善通
       寺大塔再興雑記」)
   5・12 平賀源内,高松藩より切米銀10枚4人扶持を給せられ薬坊主格となる(隋
       観録)
   5・20 朝廷,金毘羅へ日本一社勅願所の綸旨を下す(金刀比羅宮崇敬史)
1761年 宝暦11 (辛巳)
  社会・文化
   5・7 高松藩領那珂郡郡家村の百姓・間人数千人,鵜足郡西小川村に押しかけ,
       同村内の剣来ケ端川堤水道から250間余の川中に新規に関を築造して取水
       する(進藤家文書 安政3年「剣来ケ端入割旧記之内書抜指出帳」)
   5・16 郡家村による新規の関築造に対し,鵜足郡内の東分村・西分村・東二村・
       西坂元村・真時村・下法軍寺村・東小川村・西小川村の8か村の百姓が関
       を破壊する (進藤家文書 安政3年「剣来ケ端入割旧記之内書抜指出帳」)
   9・12 高松城下に高潮,新塩屋町・新通町などが海水に浸る(歴世年譜)
   9・21 高松藩,平賀源内に暇願の許可を出す(随観録)
1762年 宝暦12 (壬午)
  政治・経済
   2・- 丸亀藩,財政困窮し,領内の御林と居林の松を1反につき3本ずつ伐採し
       て急場をしのぐ(佐伯家文書「万覚帳」)
   3・1 丸亀藩主京極高矩,来年の朝鮮使節来朝の際,駿河国吉原におい
-169-
       て御馳走人を勤めることを命じられる(佐々木京極家記録)
   9・- 高松藩主松平頼恭,自ら諸払明細帳に序文を書き元禄の政治を手本とする
       倹約の励行を命じる(増補高松藩記)
   11・晦 多度津藩,来年の朝鮮使節来朝に際して鞍を差し出すよう命じられる(京
       極御系図)
   この年 丸亀藩,町中に50貫目の御用銀を課す(古法便覧)
   この年 幕府の囲米改役人,丸亀に来る(古法便覧)
   この年 丸亀藩,他所からの売薬商人の逗留を一夜限りとし,町内の徘徊を堅く禁
       止する(古法便覧)
       丸亀藩,12月の石代値段65匁 (佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   1・18 高松城下内町より失火.東浜・新材木町に及ぶ.侍屋敷23軒,町屋372
       軒,土蔵10か所,船5艘焼失(歴世年譜)
   1・29 高松藩主松平頼恭,幕府に「衆鱗図」を献上する(隋観録)
   2・26 高松の山本古道ら,「宗徳院六百年祭奉楽俳諧」をつくる.
   6・15 5~6月にかけて大旱魃となり,高松藩主自ら自筆の願文を大護寺に納め,
       雨乞いを行う(歴世年譜)
1763年 宝暦13 (癸未)
  政治・経済
   春   丸亀藩,江戸家中の扶持を5年ないし7年の平均米価で渡すこととする
       (御扶持方等見合覚)
   9・24 第4代丸亀藩主京極高矩没する.46歳(京極御系図)
   10・晦 京極高中,丸亀藩第5代藩主となる(佐々木京極家記録)同日,京極高中,
       幕府より来春の朝鮮使節来朝に際し,駿河国吉原での御馳走人を命じられ
       る(佐々木京極家記録)
   この年 瀬戸内十州塩田の塩浜軒数は阿波331・讃岐145・伊予98・播磨650・備
       前67・備中36・備後120・安芸154・周防443・長門22(製塩秘録)
  社会・文化
   3・29 善通寺五重塔再建の綸旨が出される(善通寺文書)
   6・25 宝暦11年の那珂郡郡家村による関の新規築造に始まる水論に対し,水量
       が少ない場合,郡家村は関を立て取水してはならない旨の裁許出る (進
       藤家文書 安政3年「剣来ケ端入割旧記之内書抜指出帳」)
   7・- 平賀源内,「物類品隲」を刊行する.
   8・22 高松藩主松平頼恭,崇徳天皇六百年忌にあたり陵墓を修し石灯籠を献じる
       (増補高松藩記)
   この年 満濃池の底樋前半部と竪樋櫓の仕替が完成する(鎌田博物館「讃州那珂
       郡満濃池底樋・竪樋・矢倉御普請目論見帳」)
1751~1764 宝暦年間
  政治・経済
   高松藩,繰綿増産のため備中より繰子を招くが,欠損が多く失敗に終わる(近世
       史料Ⅰ「上書秘記」)
  社会・文化
   この頃 小豆島草加部村には54名のキリシタン類族あり(石井家文書「小豆島九
       か村明細帳」)
   この頃 高松藩領の牢人数,他所牢人16人・生駒牢人6人・後家牢人103人(高
       松領郷中帯刀人別)
-170-
1764年 明和1 6・2 (甲申)
  政治・経済
   8・1 高松藩,家臣知行米渡しを三つ物成とする(増補高松藩記)
   9・4 梶原景山(槙屋十太夫),屋島塩田の経営悪く藩に藩札5000両の借金を申
       し入れる(近世史料Ⅰ「上書秘記」)
   10・21 高松藩,小物成の真綿を22匁5分替えの銀納とする(政要録)
   この年 高松藩,藩財政の有余金を貯え始める(増補高松藩記)
       丸亀藩,12月の石代値段70匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   この年 平賀源内,火浣布を作成して,幕府に献上する(増補高松藩記)
1765年 明和2 (乙酉)
  政治・経済
       丸亀藩,12月の石代値段77匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   12・25 幕府寺社奉行,金光院へ10月祭礼の御札守を献上するよう命じる(近世
       史料Ⅱ「金毘羅一山規則書」)
   この年 丸亀領内塩竃の数は30軒,内12軒は塩屋村,7軒は新塩屋,11軒は詫間
       村(丸亀御城坪割付記)
   この頃 塩飽廻船業の衰退著るしく,島内の男子多数が他国へ出稼ぎに行く(塩
       飽島諸事覚)
1766年 明和3 (丙戌)
  政治・経済
   2・21 丸亀藩,幕府より甲斐国川々御普請手伝いを命じられる(佐々木京極家記
       録)
   11・- 梶原景山,屋島亥ノ浜塩田の経営が困難なため,明和1年の借銀に加えて
       新たに藩札60貫目の借用を高松藩に嘆願する(近世史料Ⅰ「上書秘記」)
   この年 播磨屋,高松藩主松平頼恭帰藩につき道中包金銀を差し出す(播磨屋中
       井家永代帳)
       丸亀藩,12月の石代値段69匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   秋   与謝蕪村,来讃する.
   この年 丸亀城,出火する(古法便覧)
   この年 丸亀藩,町中の帳外者を調査し家臣についても町内帳に付け置くよう通
       達する(古法便覧)
-171-
1767年 明和4 (丁亥)
  政治・経済
       丸亀藩,12月の石代値段80匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   1・- 丸亀藩,困窮人救済のため,麦9石3斗11升5合を支給する(古法便覧)
   3・12 讃岐滞在中の与謝蕪村,守屋の一周忌のため京都に帰り,再び讃岐へ戻る.
   7・- 丸亀城下のへんろ宿,町方会所支配となる(古法便覧)
1768年 明和5 (戊子)
  政治・経済
   11・25 高松藩,阿野郡をアノ郡と称するのを改め旧名のアヤ郡とする(歴世年譜)
   この年 高松藩主松平頼恭,江戸藩邸に池上太郎左衛門を招き製糖技術を近習の
       吉原半蔵に学ばせる(池上家文書「和製糖一件御用相勤来候由緒書」)
   この年 丸亀藩,丸亀城東御門より北の外堀汐留の築造について,幕府に絵図を
       差し出す(丸亀御城坪割付記)
       丸亀藩,12月石代値段80匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   4・- 与謝蕪村,丸亀の妙法寺に滞在し蘇鉄の襖絵を描く.
   この年 増田休意の「三代物語」成る.
1769年 明和6 (己丑)
  政治・経済
   11・晦 丸亀藩,江戸家中の扶持について改正する(御扶持方等見合覚)
       丸亀藩,12月の石代値段84匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   1・13 塩飽泊浦で大工組合の規則違反の処分をめぐって大工と年寄が対立,島中
       の大工が徒党して笠島・櫃石島・与島の庄屋などの家宅を打ちこわす(近
       世史料Ⅰ「塩飽島大工騒動一件」)
   この年 丸亀城下,風病流行し改毒散770服を町中へ割り当てる(古法便覧)
   この年 岡井〔ケン〕州の漢詩集「〔ケン〕集遺稿」(3冊)刊行される.
       (#「ケン」は文字番号8365)
1770年 明和7 (庚寅)
  政治・経済
   3・- 丸亀藩,夫食の貸与を実施する(亀野家文書「万覚書年数操目録」)
   この年 6~8月の大旱魃により,高松藩石高のうち5万2000石が枯捨,3万石
       余が半作となる(増補高松藩記)
  社会・文化
   9・20 丸亀藩領豊田郡大野原村,旱魃の被害が大きく破免申請を行い,この日細
       見が実施される.破免申請田は37町3反余,申請百姓239人(平田家文
       書「大野原御細見覚書」)
1771年 明和8 (辛卯)
  政治・経済
   2・- 丸亀藩,旱魃につき夫食の貸与を実施する(亀野家文書「万覚書年
-172-
       数操目録」)
   7・18 第5代高松藩主松平頼恭,江戸邸で没する.61歳(増補高松藩記)
   7・22 高松藩主松平頼恭死去につき,取替金1700両(銀にして102貫匁)を播
       磨屋より用だてる(播磨屋中井家永代帳)
   8・27 松平頼真,高松藩第6代藩主となる(増補高松藩記)
   12・2 多度津藩,旱魃・大雨洪水による石高4000石余の損害を幕府に届ける(多
       度津藩日記)
   この年 高松藩,松平頼真襲封に際し,天王寺屋より銀507貫匁を献上させる(「聞
       ままの記」所収「大眉五兵衛由緒書」)
       丸亀藩,12月の石代値段67.5匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   6・20 高松藩領寒川・三木・山田3郡の百姓2000人余,高松城下へ押し寄せて
       年貢減免を要求する(歴世年譜)
   6・22 高松藩領香川郡東・香川郡西の百姓1300人余,高松城下へ押し寄せて年
       貢減免を要求する(歴世年譜)
   6・23 高松藩領大内・寒川・山田3郡ならびに阿野郡南・阿野郡北の百姓
       3000人余,高松城下へ押し寄せて年貢減免を要求する(歴世年譜)
   10・- 金光院別当宥存,金堂の建立を発願し,丸亀金毘羅屋敷の佐野九太夫が趣
       意書を配布する(琴陵家文書「金堂再建趣意書」)
1764~1772年 明和年間
  政治・経済
   この頃 高松藩,毎年300両から500両を天王寺屋へ返済する(「聞ままの記」所
       収「大眉五兵衛由緒書」
1772年 安永1 11・16 (壬辰)
  政治・経済
   11・5 高松藩,幕府より京都使者を命じられる(歴世年譜)
   この年 高松藩の京都使者につき,播磨屋新左衛門・大橋忠七が才覚金6000両を
       差し出す(播磨屋中井家永代帳)
   この年 高松藩領阿野郡北高屋村塩田が洪水のため一円荒浜となる(「大日本塩業
       全書」所収「坂出塩業改善一班」)
   この年 丸亀城下に船差会所ができ,毎年銀10枚上納する.この銀は大年寄が預
       り,川口の浚せつに使用する(古法便覧)
  社会・文化
   1・28 多度津藩領三野郡5か村の百姓3251人,夫食願を出し実施される(多度
       津藩日記)
   8・20・21 大雨洪水により,高松藩領では崩壊家屋1万9000余戸,破船大小142
       艘,死者46人,斃死牛馬74頭の被害が出る.丸亀藩領でも,家屋の倒壊,
       池々の決壊などの被害をうける(増補高松藩記・古法便覧)
1773年 安永2 (癸巳)
  政治・経済
   8・- 丸亀藩,西川口の浚せつを行う(古法便覧)
   10・30 丸亀藩,城下大年寄に以前通り銀札場加役をさせる(古法便覧)
       丸亀藩,12月の石代値段65匁(佐伯家
-173-
       文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   春~秋 疫病流行し,死者多数出る.丸亀城下では弘聖寺で大般若真読を執行し,
       困窮人に米20俵を支給する(増補高松藩記・古法便覧)
   12・25 高松天神前より失火.旅籠町・中ノ村・中新町・上ノ村・東浜村・田町・
       東横町に延焼し,人家641軒,寺1か寺,倉庫13か所焼失(歴世年譜)
1774年 安永3 (甲午)
  政治・経済
   7・18 丸亀藩,町医師の衣服について触れを出す(古法便覧)
       丸亀藩,12月の石代値段64匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   7・- 高松藩領那珂郡郡家村と鵜足郡西小川村との間で,土器川剣来ケ端水道に
       ついての争論が再燃し,宝暦13年の裁定を守るように言い渡される(進
       藤家文書 安政3年「剣来ケ端入割旧記之内書抜指出帳」)
   11・25 高松藩領志度浦大火.324戸延焼する(増補高松藩記)
1775年 安永4 (乙未)
  政治・経済
   4・2 高松藩,寛延3年から25年間続いた貸免を中止する〔翌年から再び実施
       する〕(日下家文書「月番帳」 安永5年「地方諸事御用留」)
   8・- 高松藩領引田・香西・宇足津など10か所の湊に綿問屋が設置され,入札
       により荷主を決め積み出す(日下家文書 宝暦13~天明4年「浦方御用
       留」)
       丸亀藩,12月の石代値段64匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   2・4 丸亀藩,医師の旅行願いには逗留先を明記するように命じる(古法便覧)
1776年 安永5 (丙申)
  政治・経済
   6・18 高松藩,家臣知行米渡しを三つ物成から四つ物成の「定制」に復する.
       文化14年まで続く(増補高松藩記)
       丸亀藩,12月の石代値段75匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   4・13 高松城下磨屋町の津国屋仁兵衛,油屋になる(日下家文書「地方諸事御用
       留」)
   5・18 高松藩主松平頼真,幕府の聖堂に「資治通鑑」を寄贈する〔元禄3年寄贈
       分が安永1年に羅災(#「羅」は底本のママ)したため〕(増補高松藩記)
   11・13 高松藩領津田浦大火,113戸延焼する(増補高松藩記)
   この年 平賀源内,エレキテルの復元に成功する.
1777年 安永6 (丁酉)
  政治・経済
   2・- 丸亀藩,城内御殿の御広間勤方を定める(御広間并櫓御門務方筆記)
   4・- 丸亀藩,去年秋の不作により,町方の飯料が不足し,他所米500
-174-
       石の積入を許す(古法便覧)
   この年 高松藩,天王寺屋に銀275貫目を献上させる(「聞ままの記」所収「大眉
       五兵衛由緒書」)
       丸亀藩,12月の石代値段70匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   1・29 高松城下中新町より出火.中新町・北横町・南袋町・田町南側・東横町南
       側・東浜南側焼失,合子池にまでおよび人家535軒,土蔵24か所,町番
       所4か所焼失(歴世年譜)
   8・- 高松藩領引田村の善右衛門,油絞りの許可を求める(日下家文書 宝暦13
       ~天明4年「浦方御用留」)
1778年 安永7 (戊戌)
  政治・経済
   1・13 前高松藩主松平頼恭室清操院死去につき,播磨屋が帰藩道中包金銀として
       金117両2分・銀4貫773匁・小判300両・小粒200両と才覚金2000両
       (銀では120貫目)を差し出す(播磨屋中井家永代帳)
   6・- 丸亀藩,遊芸人が領内に逗留することを禁止する.また,他所者が長く逗
       留することも禁じる(古法便覧)
   8・25 高松藩,年貢米納入に関して,俵仕立を入念にすることや買米納の取締な
       どの達を出す(日下家文書「地方御用留之帳」
   11・2 高松藩,在郷における衣類の奢侈の風を取り締まる触書を出す(近世史料
       Ⅰ「御制道書付写」
   この年 小豆島,再び倉敷代官の管轄下に入る(「小豆島志料」所収「年代記」
       丸亀藩,12月の石代値段63匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   4・- 高松藩領香川郡出作村と同郡上多肥村の間で,出作股の用水に関し2日2
       夜は出作村,1日1夜は上多肥村という番水の取決めが設立する
       (別所家文書 安永2年「御用留」)
   9・17 高松藩主松平頼真,金毘羅を幕府祈願書とするよう願書を出す(琴陵家文
       書「御巻数公儀献上願一条控」)
   この年 大坂船町の今村美景著「金毘羅参詣海陸記」刊行される.
1779年 安永8 (己亥)
  政治・経済
   1・28 幕府見分役人林為三郎以下5人,満濃池普請につき来讃する.丸亀藩役人
       挨拶に出向く(古法便覧)
   2・18 万福院宥備,寺社奉行牧野豊前守宅において,幕府より毎年正月・5月・
       9月に祈祷巻数を献上するよう命じられる(近世史料Ⅱ「金毘羅一山規
       則書」)
   10・1 高松藩,藩札20匁札・5分札の通用を停止する(歴世年譜)
   10・2 高松藩,古くなった藩札の新札取替と三分札・二分札の通用停止
-175-
       を行う(日下家文書「地方御用留之帳」)
       丸亀藩,12月の石代値段55匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   1・18 幕府,金毘羅を幕府の祈願所とする旨を万福院宥備に申し渡す(琴陵家文
       書「御巻数公儀献上願一条控」)
   11・20 平賀源内,人を殺傷し入獄する(隋観録)
   12・18 平賀源内,伝馬町で獄死する.48歳(隋観録)
   この年 満濃池の底樋後半部の仕替をする(政要録)
   この年 高松藩,学館(従来の講堂を拡大再建)の造営を始める(増補高松藩記)
1780年 安永9 (庚子)
  政治・経済
   3・10 第6代高松藩主松平頼真,江戸藩邸で没する.38歳(増補高松藩記)
   4・27 松平頼起,高松藩第7代藩主となる(増補高松藩記)
   8・3 高松藩領大内郡引田村の米屋惣三郎・三本松村播磨屋与九郎,藩札の小
       引替所となる(日下家文書「御用留」)
   11・7 高松藩主松平頼起,藩士に対し定禄のほかに,100石ごとに3石を与える
       (増補高松藩記)
       丸亀藩,12月の石代値段55匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   1・15 高松藩の学館の造営工事落成し講道館と名付ける.この日,藩士を集めて
       大学を講義する(増補高松藩記)
   6・2 高松大雷,284か所が雷震.罹災2戸,雷死者3人(増補高松藩記)
   9・10 丸亀藩,豆腐の値段が度々上下するので,以後値段は書面で役所へ申し出
       るよう命じる(古法便覧)
   9・22 高松藩,領内の人口を幕府へ報告する〔封内人口20万9523人,朱印支配
       領4679人〕(歴世年譜)
   この年 那珂郡塩屋村御坊,西本願寺より御影授けられる(古法便覧)
1781年 天明1 4・2 (辛丑)
  政治・経済
   9・5 丸亀藩,幕府より伝奏御馳走人を命じられる(京極御系図)
       丸亀藩,12月の石代値段64匁 (佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
1782年 天明2 (壬寅)
  政治・経済
   6・- 高松藩,幕命により京都使者をつとめる(増補高松藩記)
       丸亀藩,12月の石代値段76匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   4・- 高松藩領那珂郡郡家村が設けた新井手について,土器川下流の鵜足郡8
       か村が反対の願書を政所に出す(進藤家文書 安政3年「剣来ケ端入割
       旧記之内書抜指出帳」)
   5・- 大雨洪水により,高松藩領内で家屋崩壊233戸,破船50艘の被害が出る.
       丸亀では破船11艘の被害(増補高松藩記・古法便覧)
   10・- 丸亀城下福島の用水につき,1間と1間半の井戸築造を許可される(古法
       便覧)
1783年 天明3 (癸卯)
  政治・経済
   5・7 高松藩,住居普請が華美になるのを戒める触書を出す(近世史料
-176-
       Ⅰ「御制道書付写」)
   5・7 高松藩,郷中衣服の定を出す.天明4年から10年間政所・惣百姓・諸職
       人はもちろん,郷侍・大政所・医師などへも絹物の着用を禁止し,木綿
       物の着用を指示する(近世史料Ⅰ「御制道書付写」)
       丸亀藩,12月の石代値段92.2匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   1・22 多度津藩領内より夫食願の帳簿が提出され,4622人に対し藩から夫食が
       貸与される(多度津藩日記)
   春   丸亀藩,城下飢人救済のため米20余俵を放出する.また,寺院の出米を
       勧誘する(古法便覧)
   この年 森長見の「国学忘貝」成る.
1784年 天明4 (甲辰)
  政治・経済
   12・22 高松藩,藩士に対し本年の定禄のはかに100石ごとに3石を与える(増補
       高松藩記)
   この頃 高松藩の財政再建なる(増補高松藩記)
       丸亀藩,12月の石代値段86匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
1785年 天明5 (乙巳)
  政治・経済
       丸亀藩,12月の石代値段70匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   2・- 丸亀藩領内より夫食の願いが出される.旱魃につき雨乞いの願書が各郡
       連判で出される(亀野家文書「万覚書年数操目録」)
   7・18 高松藩,家臣屋敷14軒の建設を城下八番丁の南側裏で着手する.翌天明
       6年5月に完成,これを九番丁と称する(歴世年譜)
1786年 天明6 (丙午)
  政治・経済
   12・6 丸亀藩,幕府より関東・伊豆国川々御普請手伝いを命じられる(京極御系
       図)
  社会・文化
   4・8 高松城下二番丁出火,侍屋敷10軒焼失(歴世年譜)
   4・12 高松城下福田町出火,塩谷町,築地(深妙寺前)まで34軒焼失(歴世年
       譜)
   12・- 多度津藩領上ノ村組・三井組3579人に対し夫食が実施される(多度津藩
       日記)
1787年 天明7 (丁未)
  政治・経済
   5・22 高松藩,幕命により京都使者をつとめる(歴世年譜)
   この年 宮武清八,阿野郡北御供所村に5軒前,反別5町2反余の塩田開発する
       (「大日本塩業全書」所収「坂出塩業改善一班」)
       丸亀藩,12月の石代値段95.2匁(佐
-177-
       伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   5・26 高松藩,窮民に米1万800石を貸与する(増補高松藩記)
   夏   円山応挙,金刀比羅宮表書院の襖に遊虎図を描く.
   この頃 高松城下の御用達町人として川崎屋吉太郎ら15人が認められる(讃岐高
       松藩分限帳)
   この頃 三野象麓,「五家令詳解」を著す.
1788年 天明8 (戊申)
  政治・経済
   8・25 高松藩,香川郡西笠居村生島に塩田の築造を始める(歴世年譜)
   この年 大内郡湊村の医師向山周慶,白砂糖製造の研究に着手する(讃岐砂糖起源
       沿革盛衰記・「讃岐製糖史」所収「池田文泰書状」)
       丸亀藩,12月の石代値段82匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   10・25 善通寺五重塔完成し,上棟法会が執行される(善通寺文書「五重塔上棟法
       会用事控」)
1789年 寛政1 1・25 (己酉)
  政治・経済
   4・28 塩飽笠島の年番高島惣兵衛と大工高宮小右衛門,幕府巡見使田中角右衛門
       に水主百姓に対する諸経費の負担軽減・廃止の願書を提出する(塩飽勤番
       所文書「島中困窮ニ付申上候一件控」)
   8・21 高松藩御座船飛龍丸,修造される(歴世年譜)
   10・- 塩飽笠島の高島惣兵衛・高宮小右衛門,先の4月の願書を江戸の勘定奉行
       に越訴する(塩飽島諸事覚)
   冬   向山周慶,初製糖の試作に成功する(「讃岐製糖史」所収「池田文泰書状」)
       丸亀藩,12月の石代値段69匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   3・- 丸亀藩,夫食人多数につき御触を出す(亀野家文書「万覚書年数操目録」)
   10・11 高松城下,田町裏合子池より失火,53軒焼失する(歴世年譜)
   12・29 高松城下今新町同心屋敷より失火,民家31軒焼失する(歴世年譜)
   この年 高見島甚之丞・牛島長十郎,廻船30艘新造のため幕府に1万5000両の借
       用を願い出る(宮崎家文書「乍恐以書付差上候覚」)
   この頃 高松城下瓦町の西に上水源あり(高松城下図)
1790年 寛政2 (庚戌)
  政治・経済
   2・- 高松藩,甘蔗栽培・砂糖製造振興のため,向山周慶に研究の推進と試植希
       望者への伝授を命じる(「興業意見」所収「高松藩達」)
   11・17 高松藩,米屋市蔵・金川屋太次郎に命じ,香川郡西下笠居村生島塩田を開
       発する.延べ10万6000人余の人夫を要する(新塩浜図附録)
   この年 丸亀藩,備荒貯蓄米の法を創設し領内で3000俵の貯えを始める(旧丸亀
       藩事蹟)
       丸亀藩,12月の石代値段73匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   6・28 高松藩領香川郡東岡村・由佐村・横井村の一ノ井井関掛りの百姓92名,
       芦脇井関補強により一ノ井井関無水状態の窮状を大政所に訴える〔芦脇井
       関水論の発端,以後天保14年までくり返し水論起こる〕(丸岡家文書「芦
       脇井関一件願留」)
   夏   高松藩領で蝗が大発生し,稲の枯死などにより大減収となる.高松藩,
       難渋百姓らに対し,米1500石貸与する(増補高松藩記)
1791年 寛政3 (辛亥)
  政治・経済
   この年 高松藩,領内各郡村に御趣
-178-
       意林の育成を命じる(牛田家文書 文化3年「日帳」)
       丸亀藩,12月の石代値段82匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   4・6 高松藩代官,香東川の川西・川東の双方の百姓らの申し出を吟味し,芦
       脇井関を石取ばかりの横井関とするよう裁定を下すが,同年7月や寛政
       6年にも水論が起こる(丸岡家文書「芦脇井関一件願留」)
   9・- 高松藩領鵜足郡東坂元村の惣百姓ら,庄屋伝二郎の罷免要求の訴状を「箱
       訴」する(近世史料Ⅰ「東坂元村箱訴一件」)
1792年 寛政4 (壬子)
  政治・経済
   1・26 向山周慶病臥に付き,藩の許可を得て砂糖製法を記した1巻を百姓礒五郎
       に譲り渡す(日下家文書「月番帳」)
   3・7 高松藩,領内に盗賊横行し村々・浦方に取締りを命じる(別所家文書「戌
       年御用留」)
   5・3 塩飽笠島浦年番高島惣兵衛らによる寛政1年の越訴の裁決が幕府より出さ
       れる.年寄4人が罷免され,島中勘定が軽減される(塩飽勤番所文書「塩
       飽島一件落着御仕置御下知写」)
   5・11 多度津藩,幕府より駿府加番を命じられる(京極御系図)
   7・28 第7代高松藩主松平頼起,高松城で没する.46歳(増補高松藩記)
   9・18 松平頼儀,高松藩第8代藩主となる(増補高松藩記)
   12・13 塩飽中の水主百姓ら,先の5月の裁許にもとづき新たに役所を建て,そこ
       で年寄が執務をとること,年寄役を4人から2人にすること,年寄役を一
       代限りにすることなどを決定し,船手奉行に申し出る(塩飽勤番所文書「跡
       年寄役見立ニ付諸書付控」)
   この年 高松藩領大内郡34か村の内,藍作を行っているのは15か村,その作付け
       合計は1町7反2畝(日下家文書「日番帳」)
-179-
       丸亀藩,12月の石代値段96匁 (佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   7・9 塩飽の各浦・各島から1人ずつ出て,交代で宮ノ浜八幡宮で勤番すること
       が始まる(塩飽勤番所文書「御朱印勤番之覚」
   12・- 天明2年の争論につき,鵜足郡・那珂郡両大政所より,土器川の剣来ケ端
       の夏水はみだりに取水しないよう両郡百姓に申し渡される(進藤家文書
       安政3年「剣来ケ端入割旧記之内書抜指出帳」)
   この年 新居直矩著の「香西記」成る.
1793年 寛政5 (癸丑)
  政治・経済
   2・- 大坂船手奉行,塩飽の新年寄選出をめぐって対立している与島庄屋岡崎
       次郎左衛門らおよび笠島浦年番高島惣兵衛を大坂へ呼び,和解させる(塩
       飽勤番所文書「跡年寄役見立ニ付諸書付控」)
   5・- 大坂船手奉行,笠島浦か泊浦に年寄役所を建てたいとの水主百姓らの要望
       を認める.また,「御朱印」を新設の年寄役所へ保管することも許可する
       (塩飽勤番所文書「跡年寄役見立ニ付諸書付控」)
       丸亀藩,12月の石代値段69匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
1794年 寛政6 (甲寅)
  政治・経済
   6・- 高松藩,砂糖製作を望む百姓に,領内の東部4郡に限り藩の許可を得た上
       で向山周慶・百姓礒五郎の両人から伝授を受けるよう通達する(大山家文
       書 寛延2年「御用留」)
   6・- 高松藩,砂糖積出について,座本の高松城下香川屋茂次郎から焼印を受け
       ること,城下より東の湊からの積出は,香川屋か三本松村政所河野忠六か
       ら積出切手を受けることなどを通達する(大山家文書 寛政3年~7年「御
       用留」)
   この年 高松藩,積み出し砂糖に対し運上銀賦課を始める(渡辺家文書 文政3年
       「御用留」)
   丸亀藩,12月の石代値段71匁 (佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   夏   小林一茶,金毘羅を参詣する.
   この年 円山応挙,金刀比羅宮表書院の襖に竹林七賢図を描く.
1795年 寛政7 (乙卯)
  政治・経済
   7・- 丸亀藩,繰綿に関する取締りを行う(近世史料Ⅰ「丸亀城下御定目」)
       丸亀藩,12月の石代値段89匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   8・- 丸亀藩,藩学正明館を設置する(旧丸亀藩事蹟)
1796年 寛政8 (丙辰)
  政治・経済
   7・5 多度津藩主京極高文,病により隠退し,京極高賢,多度津藩第4代藩主と
       なる(京極御系図)
-180-
   8・28 高松藩領大内郡凶作につき,21か村で合計2222石余の破免申請をする
       (日下家文書「月番帳」)
   8・- 大坂川口番所,塩飽へ宝暦6年11月に交付した塩飽廻船の鑑札を員数書
       も添えて提出するよう通達する(塩飽勤番所文書「御触書之写」)
   10・14 第3代多度津藩主京極高文,江戸麻布鳥居坂屋敷で没する.44歳(京極
       御系図)
       丸亀藩,12月の石代値段81匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   9・- 新井直矩著「香西雑記」成る.
   この年 高松藩領香川郡東芦脇井関掛りと一ノ井井関掛りの水論を解決するため,
       田渡池の堤防のかさ上げおよび掛り井出の改修が行われる(丸岡家文書)
       「芦脇井関一件願留」)
1797年 寛政9 (丁巳)
  政治・経済
   12・26 丸亀藩,伝奏御馳走人中川侯の御控を命じられる(京極御系図)
   この年 高松藩,破免検見を被害部分のみ対象とする「抜穂揃」仕法に改める〔従
       来は,破免申請者の免名内すべての稲が対象となる「一名一結」であっ
       た〕(所要録)
  社会・文化
   1・- 丸亀藩主京極高中,学問奨励の一助として孔子堂に「明倫」の二字を揮
       毫した扁額を掲げさせる.
   6・- 高松藩,領内の乞食らへ,諸演芸上演の営業鑑札の木札を郡方より交付
       する(別所家文書「申歳日帳」)
 (7)・10 丸亀藩領多度郡生野村二頭出水の取水権をめぐり,善通寺古寺領分
       の百姓と同郡稲木村・上吉田村・下吉田村3か村との間に争論が起こり,
       寺役人が丸亀藩家老に取水権確認を求める願書を提出する(善通寺文書「早
       魃ニ付二頭水取一件并三吉田掛合控」(#「早」は底本のママ))
   8・9 小林一茶,高松での善光寺開帳に詣で屋島・五剣山を見物する(西国紀
       行)
1798年 寛政10年 (戊午)
  政治・経済
   1・- 塩飽本島福田浦の幸吉,勤番所の建設を落札する〔勤番所の建設開始〕(塩
       飽島諸事覚)
   2・27 高松藩,藩札30匁の通用を停止する(歴世年譜)
   6・- 塩飽勤番所完成し,朱印状を移す(塩飽島諸事覚)
   10・29 高松藩,寛文4年以降6度の
-181-
       寺社関係法令をまとめて各宗寺院へ触れ,請判印形をとって寺社役所へ納
       めさせる(金倉寺文書「御領分被仰渡条々」)
   この頃 播磨屋新左衛門,高松藩への取替金の増大に対し,出費を削減するよう
       要望する(中井家文書「日記」)
   この頃までに,讃岐白砂糖の製法がほぼ確立する(「讃岐製糖史」所収「神文之事」)
       丸亀藩,12月の石代値段66匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   12・- 岡井赤城,高松藩主松平頼儀の領内巡視を「行封日記」と題して,書き上
       げる(増補高松藩記)
1799年 寛政11 (己未)
  政治・経済
   4・4 高松藩,砂糖の積出を郡方差配とし各浦で大政所押印の積出切手を出す
       (日下家文書 寛政5年~文化6年「浦方被仰出」)
   5・22 高松藩,順道帳下調の有無を当月24日までに申し出るよう大政所に命じ
       る(日下家文書「月番帳」)
       丸亀藩,12月の石代値段80匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   3・- 高松藩,城内西ノ丸に学問所を建て,岡井赤城を総裁とする(増補高松
       藩記)
   この年 満濃池竪樋の仕替をする(政要録)