1700年(元禄13) ~ (41K)


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底本の書名   香川県史 年表 別編Ⅱ 近世
 底本の編集者  香川県
 底本の発行者  香川県
 底本の発行日  平成三年三月二十日
入力者名    渡辺浩三
校正者名    渡辺美智子
入力に関する注記
      文字コードにない文字は『大漢和辞典』(諸橋轍次著 大修館書店刊)の
      文字番号を付した。

登録日   2002年10月9日
      


1700年 元禄13 (庚辰)
  政治・経済
   この年 諸国の絵図改めにつき,丸亀藩,高松藩と相談の上,讃岐一国の絵図を差
       し出す(丸亀御城坪割付記)
  社会・文化
   9・- 金毘羅の木村寸木,「金毘羅会」を刊行する.
   12・22 塩飽の上島と下島の網場出入,江之浦前・立石原の2か所へ1日交代で網
       を入れることで解決をみる(塩飽勤番所文書「御触書之写」)
1701年 元禄14 (辛巳)
  政治・経済
   1・19 丸亀藩,山分での伐木を勝手に抜け売りすることを禁止する(佐伯家文書
       「万覚帳」)
  社会・文化
   5・11 高松城下五番丁に新馬場が完成する.これまで東西に長かったのを南北に
       改める(歴世年譜)
   9・- 豊田郡地蔵院,住職就任をめぐる末寺との争いを,江戸の寺社奉行および
       本山嵯峨大覚寺へ訴える(近世史料Ⅱ「地蔵院予州末寺出入一件」)
1702年 元禄15 (壬午)
  政治・経済
   5・13 高松藩,幕府の儒者林信篤の門人岡井氷室を招き,300石を与えて儒臣と
       する(増補高松藩記)
   12・15 大坂代官,塩飽年寄へ本田畑のたばこ作りはその面積の半分だけ認める旨
       を達する(塩飽勤番所文書)
   この年 高松藩主松平頼常,困窮人救済のため御林(栗林荘)の庭普請
-146-
       を行う(増補高松藩記)
  社会・文化
   7・28・8・晦 高松藩領内で大風雨洪水.また蝗害が起こり,租税免除する(増
       補高松藩記)
   8・- 高松藩儒臣菊池武雅,「白雲梅宮縁起」を著す.
   (8)・1 備前国胸上村,直島を相手取り幕府に漁場争論を提訴する.10月6日
       に追訴状提出(池田家文庫「証拠証文御座候儀乍恐以書付申上候」)
   12・22 幕府評定所,備前国胸上村からの提訴に対し,井島の南側が直島領,北側
       が備前領とする裁許を下す(三宅家文書「讃岐国直島領与備前国胸上村漁
       猟論の事」)
   この年 高松藩,講堂を創建し菊池武雅に命じて春と秋に釈奠を行わせる(増補高
       松藩記)
1703年 元禄16 (癸未)
  政治・経済
   2・10 高松藩の御普請方,代官の支配下から脱して御普請奉行となる(政要録)
   2・10 高松藩の塩屋方,代官支配下から郡奉行の支配下に置かれる(政要録)
   4・- 丸亀藩,三野郡詫間塩田を開発する.〔宝永4年大地震のため崩壊する.
       その後天保年間に復興される〕(片岡家文書「塩浜築立成就之覚」)
   この年 高松藩,村々の順道帳を作る(歴世年譜)
   この年 高松藩,新たに作方吟味役を置く(歴世年譜)
   この年 高松藩,政所を改称して庄屋とする(歴世年譜)
  社会・文化
   春   高松藩,昨年秋の災害・蝗害により飢民多く救米を与える.夏にも救米を
       与える(増補高松藩記)
   この年 塩飽牛島の廻船数45艘(近世史料Ⅰ「船入諸事之帳」)
   この年 高松城下の中ノ村天満宮が修築される(歴世年譜)
1704年 宝永1 3・13 (甲申)
  政治・経済
   2・11 高松藩主松平頼常,病により隠退し,松平頼豊が高松藩第3代藩主となる
       (恵公実録)
   4・3 第2代高松藩主松平頼常,江戸で没する.53歳(増補高松藩記)
   11・5 高松藩,天王寺屋が同藩の掛屋であることを再確認する(「聞ままの記」
       所収「大眉五兵衛由諸書」)
   この年 丸亀藩,豊田郡の五か山の居林を認める(佐伯家文書「井関村惣林割付林
       相談御達請印連名帳」)
   この年 丸亀藩,領外商人が綿の買い付けのため郷村へ出向くことを禁
-147-
       止する(古法便覧)
  社会・文化
   1・29 高松藩,中ノ村天満宮に社領100石を寄進する(歴世年譜)
   3・11 松平頼常の徽号に葵紋章を用いるのを止め,三つ藤巴を用いる(歴世年譜)
   5・3 松平頼常を寒川郡日内山に葬り,霊芝寺を開基する(増補高松藩記)
   この年 丸亀藩,城下飢人3205人に大麦150石を代銀6貫目で与える(古法便覧)
   この年 丸亀藩,家中への売物はすべて現金売りとするよう命じる(古法便覧)
1705年 宝永2 (乙酉)
  政治・経済
   1・18 高松藩主松平頼豊,大久保主計に郷中仕置を命じる(恵公外記)
   9・- 丸亀藩,初めて藩札を発行し,3か年の通用を許可する(古法便覧)
   12・15 高松藩,藩邸を龍口より小川街の榊原武部大輔の屋敷に移す(増補高松藩
       記)
   この年から享保5年まで,塩飽は水主役入目銀として4貫600目ずつ代官に上納す
       る〔但し,承応3年からの長崎御用は免じられる〕(塩飽勤番所文書「御
       用水主銀納之訳」)
  社会・文化
   この年 観音寺の久自目一砂,「有明浜」を刊行する.
   この年 南瓜庵除風,「冬の花」を刊行する.
1706年 宝永3 (丙戌)
  社会・文化
   8・- 小豆島土庄村の平木桜が丘付近で小屋がけの芝居興行される(土庄公民館
       「覚」)
   この年 満濃池の底樋前半部の仕替をする(鎌田博物館「讃州那珂郡満濃池底樋・
       竪樋・矢倉御普請目論見帳」)
   この頃 借地証文の利子率は3割(丸岡家文書)
1707年 宝永4 (丁亥)
  政治・経済
   8・29 幕府,高松藩に小豆島・直島・塩飽・満濃池御料の計1万2000石余を預
       ける(恵公外記)
   11・晦 高松城石垣の修築許される(恵公実録)
  社会・文化
   3・28 高松藩領阿野郡南萱原村の庄屋久保太郎左衛門,大羽茂池の掛井手を完成
       させる(鎌田博物館「阿野郡南萱原掛井手由来」)
   7・- 丸亀城下西川口の工事始まり,8月17日に完成.人足4300人余を要し,
       人足への扶持米は32石4斗余を支出する(古法便覧)
   10・4 昼ごろ大地震が起り,12月まで続く.高松城下の被害は家数395軒・土
       蔵7か所倒壊・死者29人.阿野郡では高屋村の9塩田が崩壊(恵公外記
       ・三野家文書)
1708年 宝永5 (戊子)
  政治・経済
   4・17 丸亀藩,上方御振替銀高66貫
-148-
       目の内,在方へ36貫・町方へ30貫目の御用銀を命じる(古法便覧)
   5・14 丸亀藩,新院御所・中宮御所新造の手伝いを命じられる(京極御系図)
   6・2 高松藩主松平頼豊,引き続き大久保主計に郷中仕置きを命じる(恵公外記)
  社会・文化
   9・10 高松城外濠に架かる土橋を常磐橋と名付ける.のち改めて木橋とする(歴
       世年譜)
   9・16 丸亀城下福島の土手決壊,修覆のため人足300人余かり出される(古法便
       覧)
   この頃 塩飽の御城米船数101艘(岡崎家文書「塩飽島中諸色手鑑」)
1709年 宝永6 (己丑)
  政治・経済
   3・23 丸亀藩,衣服についての禁令を出す.大年寄の母妻娘は紬まで着用を許さ
       れる(古法便覧)
   この年までに 高松藩,大検見を実施する(日下家文書「御用留」)
  社会・文化
   この年 三野郡笠岡村の大西吟墨,「はいかい既望」を刊行.
   この年 高松藩,大山太郎左衛門(善兵衛)に対し,水主神社領35石の免税を再
       び認め,うち15石を大水寺修理料として毎年納めるよう申し渡す(大山
       家文書)
1710年 宝永7 (庚寅)
  政治・経済
   7・18 丸亀藩領豊田郡井関村の庄屋二郎右衛門,幕府巡見使を案内し井関村の概
       要などについて説明する(佐伯家文書「万覚帳」)
   (8)・- 丸亀藩,唐津屋清治郎を繰綿問屋に任じる(古法便覧)
   10・- 高松藩,小豆島・塩飽・直島・池御料の庄屋・年寄を惣会所に呼び出し,
       小豆島で徒党を組んで騒いだ百姓の追放を申し渡す(近世史料Ⅰ「小豆島
       農民訴訟一件」)
   この年 小豆島の塩浜総反別,73町5反余(小豆島明細帳)
  社会・文化
   7・17 小豆島の百姓忠左衛門以下207名,幕府巡見使に年貢減免の訴願を上呈す
       ることを確認する(近世史料Ⅰ「小豆島農民訴訟一件」)
   7・19 小豆島池田村の与次左衛門・前年寄彦兵衛,小豆島各村を代表して,草加
       部村水木の堂で幕府巡見使に年貢減免の訴状を上呈する(小豆島御用船
       加子旧記之写)
   この年 高松藩主松平頼豊,香川郡東坂田村観興寺を同郡室山に移し,不動堂を
       建立する(恵公外記)
1711年 正徳1 4・25 (辛卯)
  政治・経済
   11・23 高松藩,財政難により城下へ御用銀120貫を課す(上原家文書「御公儀御
       用銀之控」)
   この頃 高松藩町方支配の役人は町奉行1人・町与力3人(上原家文書「御公儀
       御用銀之控」)
  社会・文化
   5・25・28 小豆島池田村庄屋平井兵左衛門と同村年寄彦兵衛,年貢減免の嘆願書
       を江戸勘定奉行平岩康親に提出する(近世史料Ⅰ「平井兵左衛門斬罪始
       末書写」)
1712年 正徳2 (壬辰)
  政治・経済
   3・26 丸亀藩,厳有院殿(徳川家綱)三十三回忌につき上野での御馳走人を命じ
       られる(京極御系図)
-149-
   5・14 多度津藩,駿府加番を命じられる(京極御系図)
   6・13 幕府,高松藩領地の停止を命じる(恵公外記)
  社会・文化
   3・15 小豆島池田村庄屋平井兵左衛門,死刑を命じられる(近世史料Ⅰ「平井兵
       左衛門斬罪始末書写」)
   この年 塩飽,御城米輸送の運賃訴訟をおこす(近世史料Ⅰ「廻船会合控帳」)
   この年 金毘羅の木村寸木,「花の市」を刊行する.
1713年 正徳3 (癸巳)
  政治・経済
   5・19 高松藩,城下へ御用銀99貫800匁を課する(上原家文書「御公儀御用銀
       之控」)
   この年 高松藩,家臣知行米渡しを三つ物成とする(恵公外記)
   この年 高松藩,小物成の興炭を平均値段をもって銀納とする〔従来は5貫500匁
       俵で現物納〕(政要録)
  社会・文化
   12・27 高松城下東浜出火.家157軒・寺1か寺焼失する(恵公外記)
   この年 丸亀藩,護摩料として65石を善通寺へ寄進する(善通寺文書「社寺領御
       改一条控」)
   この年 塩飽の家数2026戸・人数1万723人・船数472艘(岡崎家文書「塩飽島
       諸色手鑑」)
1714年 正徳4 (甲午)
  政治・経済
   この年 高松藩,飛龍丸を造り替える(恵公外記)
  社会・文化
   1・12 塩飽小与島の利太夫・善太郎・善四郎の船3艘,岩見国の御城米輸送を請
       負う(近世史料Ⅰ「廻船会合控帳」)
   9・9 菊池武雅,高松藩主松平頼豊に「艱厥篇」を上書する(恵公外記)
   9・25 金毘羅社領と池御料の境界絵図を作成する(金刀比羅宮文書 宝永5年~
       明和8年「日帳書抜」)
   この年 香西成資の「南海治乱記」全17巻刊行される.
1715年 正徳5 (乙未)
  政治・経済
   1・14 高松藩主松平頼豊,御林へ引き移る(恵公外記)
  社会・文化
   春~秋 高松藩領内で疫病が流行する(恵公外記)
   10・- 女木島の庄屋・年寄,代官所へ定免を願い出る(高松市立図書館「讃州女
       木島御定免願書」)
   この年 井上通女の「帰家日記」刊行される.
1716年 享保1 6・22 (丙申)
  社会・文化
   3・7 三野・豊田両郡の説教師仲間,「関清水大明神蝉丸宮御由来之巻物」を授
       かる(関蝉丸神社文書)
   8・8 高松藩馬屋出火し馬9匹焼死する.この時,馬屋は寺町にあり,以後内町
       につくる(恵公外記)
   この年 高松城下の武家屋敷数441軒〔内空家34軒・二軒持16軒〕(高松城下武
       家屋敷住人録)
-150-
1717年 享保2 (丁酉)
  政治・経済
   7・9 塩飽の年寄,御城米廻送に関する注意を島中浦々の庄屋へ伝える(塩飽勤
       番所文書「享保年中并元文二年御触書之写」)
   12・24 高松藩,奥野林太夫を初代御林奉行に任命する(政要録)
   この年 高松藩,家臣知行米渡しを三つ物成とする(恵公外記)
   この年 丸亀藩家臣佐脇作右衛門,家老となる.佐脇家はこれ以後代々家老格とな
       る(本庄家文書「系図」)
  社会・文化
   8・- 井上通女の「東海紀行」京都で刊行.
   10・- 琴弾八幡宮別当神恵院と寺中の鏡照院など4か寺の間に争いが起こり,4
       か寺は幕府より閉門を命じられる(弘化録)
1718年 享保3 (戊戌)
  社会・文化
   1・1 高松城下で大火,夜西浜村より出火し,翌2日に東浜村・築地まで類焼し
       鎮火.武家屋敷・町人屋敷2300余戸,船30余艘を焼失(増補高松藩記・
       恵公外記)
   6・- 高松藩領内の牛馬,病により2200匹斃死(恵公外記)
   6~7 高松藩,領内大旱となり百々潭で雨乞いを行う(恵公外記)
   この年 一夜庵百花,句集「雪の光」を刊行する.
1719年 享保4 (己亥)
  政治・経済
   2・15 丸亀藩,朝鮮使節来朝につき,駿河国江尻駅での御馳走役を命じられる
       (御家覚書)
   4・9 高松藩,横目の職を置く〔同10年1月28日に廃止〕(政要録)
   4・23 多度津藩,朝鮮使節来朝につき,鞍の差し出しを命じられる(京極御系図)
   秋   丸亀藩,朝鮮使節御馳走役の経費のうち400貫を町方へ,500貫を在
-151-
       方へ課す(古法便覧)
   この年 高松藩,家臣知行米渡しを二つ物成とする(恵公外記)
  社会・文化
   春   香西成資,「南海通記」の自筆本を白峯寺崇徳上皇廟所に奉納する(南海
       通記奉納文)
   秋   高松藩,領内蝗害により穀実らず大飢饉となる(恵公外記)
1720年 享保5 (庚子)
  政治・経済
   12・3 代官間宮三郎右衛門,幕領の女木・男木・直島・塩飽・池御料の庄屋・年
       寄に対し,家屋敷・田畑の譲渡についてはすぐに届けるように命じる
       (塩飽勤番所文書「享保年中并元文2年御触書之写」)
   この年 高松藩,家臣知行米渡しを三つ物成とする(恵公外記)
  社会・文化
   3・- この頃塩飽船,北国御城米輸送よりはずされる(近世史料Ⅰ「廻船会合控
       帳」)
   9・- 幕府,江戸商人筑前屋作右衛門差配の船を御城米船とし,御城米輸送を直
       雇方式から廻船問屋請負方式へ変える(近世史料Ⅰ「廻船会合控帳」・日
       本財政経済史料)
   この頃 牛島の廻船数45艘(近世史料Ⅰ「廻船会合控帳」)
1721年 亨保6 (辛丑)
  政治・経済
   (7)・23 幕府,高松藩に小豆島・直島・満濃池御料を預ける.当年から口米を
       徴収する(恵公外記)
   11・12 高松城三の丸の石壁の修築許される(恵公実録)
  社会・文化
   3~5・中旬 高松藩,領内凶作のため飢民多く,3月より5月中旬まで救米を支
       給する(恵公外記)
   (7)・10・15 大風雨.15日には土器川など所々の堤防決壊する(恵公外記・古
       法便覧)
   この年 「続讃岐国大日記」成る.
1722年 亨保7 (壬寅)
  社会・文化
   春   高松藩,昨年のとおり救米を支給する.丸亀藩は飢民に大麦10石を支給
       する(恵公外記・古法便覧)
   5・2 金毘羅社領と池御料との境界絵図を書き直す.庄屋らが裏判を押す(金刀
       比羅宮文書「金光院日帳」)
   7・5 丸亀藩領豊田郡中姫村・萩原村の百姓,慣例に反して井関池の水を大谷池
       に流し込み,争論となる(平田家文書「井関池覚書」)
   8・22・23 高松藩内大風雨.各地で山崩れや堤防が決壊し,田野が浸水する.
       溺死100余人,牛馬も多く斃死(恵公外記)
   8・23 山田郡木太・春日の貧民の居宅が焼失し,路傍に草屋を建てて生活する
       (恵公外記)
   この年 満濃池の底樋後半部を仕替える(鎌田博物館「讃州那珂郡満濃池底樋・竪
       樋・矢倉御普請目論見帳」)
   この年 松島から潟元に至る新田干拓地が修築される(政要録)
   この年 塩飽の水主百姓ら,3人の年寄の不正を大坂川口役所へ訴える(塩飽勤番
       所文書)
   この頃 直島の廻船数35艘,総積石数490石(三宅家文書)
-152-
1723年 亨保8 (癸卯)
  政治・経済
   3・- 丸亀藩領豊田郡大野原村の新興改め高は,8町5反9畝余,分米高は
       25石7斗余(平田家文書「亨保8年新興改帳」)
  社会・文化
   春   痘瘡が流行し,死者数1000人でる(増補高松藩記)
   7・5 幕府,御城米船の入札参加の請負業者が少なく,塩飽に請負入札を依頼
       する(塩飽勤番所文書「亨保年中并元文2年御触書之写」)
1724年 亨保9 (甲辰)
  政治・経済
   6・22 第3代丸亀藩主京極高域,丸亀で没する.33歳(佐々木京極家記録)
   6・- 丸亀藩,城下へ御用銀80貫目を課する(古法便覧)
   8・22 京極高矩,丸亀藩第4代藩主となる.年7歳.家督名代として京極高甫が
       登城する(佐々木京極家記録)
   この年 高松藩,家臣知行米渡しを一つ二分物成とする(恵公外記)
   この年から3か年の間,高松藩,財政難により家臣計123人に暇を出す.これを亨
       保の大浪人という〔小神野夜話は300余人という〕(恵公外記)
  社会・文化
   8・- 丸亀領内の酒屋ら,仕込み米に不自由し,御蔵米240石の払下げを願い出,
       200俵認められる(古法便覧)
   この年 高松藩内大旱魃で不作となる.郷中破免のため年貢収納3万7000石減る
       (恵公外記)
   この年 高松藩,家臣減少につき城下古馬場の侍屋敷を引き払って町屋とする(恵
       公外記)
   この年 丸亀藩,城下困窮につき立番費用として米55石5斗5升を支給する(古
       法便覧)
1725年 亨保10 (乙巳)
  政治・経済
   この年 高松藩,以後3か年間家臣知行米渡しを二つ物成とする(恵公外記)
1726年 亨保11 (丙午)
  政治・経済
   秋   高松藩,凶作につき穂揃改めを止め,目下付けとする(恵公外記)
  社会・文化
   春   高松藩,百姓困窮につき,茶・煙草を禁止し,茶釜・きせるを村の所蔵に
       納める(恵公外記)
   4・16 丸亀藩,飢人に麦10石を代銀606匁4厘で給与する(古法便覧)
   11・1 高松藩,盗人徘徊の噂に対し村役人およびえた・おんぼうに,取締りの強
       化を命じる(佐伯家文書「子之年諸事御法度御書出」)
-153-
1727年 亨保12 (丁未)
  政治・経済
   5・- 丸亀藩,財政難により,5か年の倹約令を出す(近世史料Ⅰ「倹約御法度」
   9・28 丸亀藩,分地制限令を出す(近世史料Ⅰ「大急御用書」)
   この頃より,丸亀藩財政窮乏につき御用銀徴収が恒常的となる(佐伯家文書 宝暦
       5年「万覚帳」)
  社会・文化
   3・9 武蔵国豊島郡浅部本村遍行寺唯円,善通寺五重塔再建のため勧進を始める
       (善通寺文書「善通寺大塔再興雑記」)
   5・26 丸亀藩,倹約法度を出し,その取締りをえた・おんぼうに命じる(近世史
       料Ⅰ「倹約御法度」)
1728年 亨保13 (戊申)
  政治・経済
   3・- この頃高松藩領阿野郡北高屋村,7町7反1畝27歩の塩田面積を有する
       (三野家文書「阿野郡北高屋村塩浜村検地帳」)
   10・- 高松藩,牢人帯刀改めを行い,当家牢人・他国牢人・生駒牢人に分ける.
       歩行・手代牢人・家中出入りの者の帯刀を禁止する(恵公外記)
   12・19 高松藩,農村支配体制を改め,郡奉行2人・代官3人を罷免し,かわって
       郡奉行1人,代官2人を置き,さらに郷吟味役2人を新設する.これを
       「郷方一円の時」という(恵公外記)
   この年 高松藩,家臣知行米渡しを四つ物成とする(恵公外記)
  社会・文化
   5・- 丸亀藩領大谷池水掛りの中姫村・萩原村の百姓ら,井関池の余水を大谷池
       に流入し争論となる(平田家文書「井関池東宇手目覚書」)
   5・- 丸亀藩,善通寺誕生院に対して寺社林10か所についての証拠提出を求め,
       誕生院と丸亀藩との間に対立が起こる(善通寺文書「七ケ所林之義覚書」)
   11・16 丸亀城下渡し場より出火,34軒焼失する(古法便覧)
   この頃 牛島の廻船数23艘(近世史料Ⅰ「廻船会合控帳」)
1729年 亨保14 (己酉)
  政治・経済
   この年 高松藩,家臣知行米渡しを三つ物成とする(恵公外記)
  社会・文化
   6・21 高松城乾櫓に落雷(恵公外記)
   6・- 丸亀藩と善通寺誕生院との寺社林をめぐる対立は,丸亀藩が善通寺へ寺社
       林7か所を祈祷料として寄進することで解決する(善通寺文書「七ケ所林
       之義覚書」)
   秋   高松藩,4度の風雨洪水により民家多く破損する.破免2万9000石とな
       る(恵公外記)
   12・- 直島の御城米89石5斗余を別子銅山に送る(三宅家文書)
-154-
1730年 亨保15 (庚戌)
  政治・経済
   8・29 丸亀藩,藩札を再発行する.引替所は丸亀城下能登屋与八郎・観音寺升屋
       甚右衛門に命じる(近世史料Ⅰ「銀札通用御書
       出シ写」)
1731年 亨保16 (辛亥)
  政治・経済
   2・16 高松藩,郷中貸付銀米をすべて20か年賦として他国米の移入も許可する.
       (恵公外記)
   6・- 高松藩の6月勘定は郷中困窮により勘定ができず,7月6日になって終了
       する(恵公外記)
   7・26 高松藩江戸詰年寄大森縫殿,先に後藤主膳が実施した「一円の新法」を吟
       味改正のため帰藩する(恵公外記)
   8・19 高松藩,勘定奉行・代官らに蟄居を命じる.翌9月1日,町奉行・横目・
       郷吟味らを処罰する(恵公外記)
   8・27 播磨屋新右衛門,高松藩掛屋引請を願い出る(播磨屋中井家永代帳)
   12・- 丸亀藩,町家の無役の者へ夜分の廻り番を命じる.計18人で1夜に2人
       ずつ行う(古法便覧)
  社会・文化
   1・中旬 高松藩領の百姓ら数百人,毎日城下へ押し寄せ年寄・家中へ物乞いをす
       る(恵公外記)
   3・9 香西浦の庄屋・年寄ら,新しく網を5帖ふやすので大曽の瀬満潮時の漁業
       権を譲ってくれるよう備前国児島郡利生村に申し入れる(池田家文庫「大
       曽瀬一件」)
   4・14 備前国児島郡利生村名主弥三郎,香西浦の大庄屋彦太夫・年寄善兵衛へ,
       大曽の瀬での漁を中止するよう申し入れる(池田家文庫「大曽瀬一件」)
   9・23 備前国児島郡日比・利生・渋川の3か村,香西浦の漁師が大曽の瀬をすべ
       て香西側としているのは理不尽と幕府へ提訴する(池田家文庫「大曽瀬一
       件」)
1732年 亨保17年 (壬子)
  政治・経済
   春   高松藩,城下・郷中へ御用銀を課す(恵公外記)
   4・28 丸亀藩,将軍吉宗の命により京極家伝来の品々を展覧する(旧丸亀藩事蹟)
   9・23 多度津藩,藩札発行の許可を願い出る.同月27日許可される(京極御系図)
-155-
   11・- 高松藩,寺社に他国へ出向く際の心得など3か条の法令を出す(金倉寺文
       書「御領分寺院被仰渡条々」)
   この年 幕府与力阿部伊右衛門,廻米のことについて丸亀に来る(古法便覧)
  社会・文化
   1・12 高松藩,郷中飢人へ夫食を貸与する(日下家文書 亨保18年「諸事御用
       留之帳」)
   4・13 香西浦側,備前国児島郡日比村・利生村・渋川村の大曽の瀬に関する訴状
       の反論書を評定所に提出する(久保家文書)
   4・14 香西浦と備前国児島郡との争論の漁場を見分のため,幕吏木村藤九郎ら塩
       飽へ来る.26日検分を終了し,5月26日直島を出立する(恵公外記)
   6・19 豊田郡新田村の百姓ら,粟井口野山を居林とする丸亀藩の方針に反対し,
       大庄屋あてに嘆願書を出す(近世史料Ⅱ「豊田郡新田村用水一件」)
   9・21 大曽の瀬と大槌島についての幕府の判決下る.大槌島中央を境と定め,北
       半分を備前領,南半分を讃岐領とする.さらに大槌島より東の大曽の瀬25
       丁の所を境とし,北面は日比・利生・渋川3か村の漁場,南面は香西浦の
       漁場と定まる(久保家文書「大曽瀬并ニ大槌島論裁許之事」)
   冬   山田郡公渕池築造成る.その後破堤〔文久2年12月15日再築成る〕(政
       要録)
1733年 亨保18 (癸丑)
  政治・経済
   1・19 丸亀藩,引替正銀の不足を理由に藩札引替を中止する〔数日後,割引いて
       引替を再開する〕(近世史料Ⅰ「銀札通用御書出シ之写」)
   1・晦 丸亀藩,城下へ御用銀70貫目を課す(古法便覧)
   2・7 丸亀藩,飢饉による昨秋の損害の覚を幕府に提出する(古法便覧)
   3・2 多度津藩,銀札場において藩札と銀貨との引替えを始める(多度津藩日記)
   7・- 高松藩,地主並びに請作人に小作料納入を徹底させる法令を出す(近世史
       料Ⅱ「田地下方地主請作人江申渡覚」)
   この年 高松藩,家臣知行米渡しを二つ物成とする(恵公外記)
   この頃 高松藩領の鵜足郡・那珂郡
-156-
       で綿作が盛んに行われる(日下家文書「諸事御用留之帳」)
  社会・文化
   1・17 丸亀藩領高瀬村百姓323人,山論について訴えのため高松城下へ押し掛け
       る.高松藩領鶴市村の徳栄寺に立て籠もるが,丸亀藩の要請により土器川
       で百姓らの引渡しが行われる(恵公実録・古法便覧)
   6・- 丸亀城下で疫病が流行し,円光寺で真言宗7か寺による護摩を執行する(古
       法便覧)
   7・- 高松藩内で疫病流行し,死者多数出る.盆踊りも無く町方では往来の人が
       絶える程の状況(恵公外記)
   9・5 昨年の冬から今春にかけて,飢民が多数出る.丸亀藩,救済に尽力した在
       所の者や寺を褒賞する(古法便覧)
1734年 亨保19 (甲寅)
  政治・経済
   3・5 丸亀藩主京極高矩,京都天徳寺において御馳走人を勤める(佐々木京極家
       記録)
   この年 高松藩,家臣知行米渡しを三つ物成とする(恵公外記)
  社会・文化
   3・- 那珂郡塩屋村に西本願寺別院,創立される(西讃府志)
   5・- 高松藩内の疫病,猛威をふるう(恵公外記)
   この年 丸亀城下でしばしば放火があり,当分番所を善龍寺前に建て町方から番人
       を出す(古法便覧)
   この年 滝宮念仏踊について高松藩領の者と丸亀藩領の者とが争い,以後中止され
       る(歴世年譜)
   この年 善通寺の光歓権僧正,弘法大師九百年忌を執行する(善通寺文書「寝覚忘
       念」)
1735年 亨保20 (乙卯)
  政治・経済
   9・24 京極高慶,多度津藩第2代藩主となる(佐々木京極家記録)
   10・20 第3代高松藩主松平頼豊,没する.56歳(恵公外記)
   12・20 松平頼桓,高松藩第4代藩主となる(懐公実録)
  社会・文化
   この年 満濃池の竪樋および櫓の仕替えをする(政要録)
1716~1736年 亨保年間
  社会・文化
   この頃 讃岐には183人の説教師が存在し,三野郡惣本惣太夫・豊田郡長尾忠太夫
       ・清水靖太夫・多度郡森伊太夫が蝉丸神社から組頭を命じられる(関蝉丸
       神社文書)
   この頃 鵜足郡岡田上村俊正免の井手分木をめぐる水論が起こる(木村家文書「指
       上申口上書」)
1736年 元文1 4・28 (丙辰)
  政治・経済
   6・21 高松藩年寄(家老)後藤主膳隠退し,子大膳が家禄1500石を継ぎ年寄と
       なる(増補高松藩記)
   9・7 高松藩,倹約令を出す(懐公実録)
  社会・文化
   1・25 高松城下天神境内に射場を再興する(懐公実録)
   4・15 金毘羅に初めて禁裏御祈祷が命じられる(琴陵家文書「元文元辰年
       《#〔 〕判読不明》寛延元辰年迄禁裏御祈祷記」)
1737年 元文2 (丁巳)
  政治・経済
   この年 丸亀藩,芝居を停止する.小芝居は許される(古法便覧)
  社会・文化
   10・23 丸亀藩,富籤を行っている宿の取締りをえた・おんぼう・乞食・さる引に
       命じる(佐伯家文書「丁巳年諸事御書出シ御法度申渡連判帳」)
   11・23 高松藩主松平頼桓,講堂を再興し儒者に経書を講じさせる(懐公実録)
   この年 金毘羅十日講銀をもって50石を頭屋米として買い上げ,頭屋米合計300
       石となる(近世史料Ⅱ「金毘羅一山規則書」)
-157-
1738年 元文3 (戊午)
  政治・経済
   12・14 高松藩,倹約令を出す(懐公実録)
1739年 元文4 (己未)
  政治・経済
   9・16 第4代高松藩主松平頼桓,江戸邸にて没する.20歳(増補高松藩記)
   9・18 松平頼恭,高松藩第5代藩主となる(穆公外記)
   10・15 幕府,小豆島・直島・池御料の高松藩預りを廃止し,代官千種清右衛門の
       管轄とする(増補高松藩記)
   10・16 高松藩奉行中川半之丞・間宮武右衛門,「諸御役勤方大概」・「御領分高々
       覚」を藩主頼恭へ提出する(穆公外記)
   この年 高松藩の総石高19万4789石6斗(近世史料Ⅰ「穆公遺訓諸役書記」)
  社会・文化
   8・5 高松藩,領内風雨洪水のため,田畑高3万8050石余の損害となる(穆公
       外記)
   8・- 高松城下魚屋町・東浜・北浜・西浜・三木郡原浦・大内郡引田浦の漁民が
       金手の阻(そあい)の漁業権をめぐって塩飽を相手取り,幕府に訴訟を起
       こす(久保家文書)
   10・- 塩飽年寄ら,金手の阻をめぐる高松側の訴えに対する反論書を提出する(久
       保家文書)
   12・22 高松藩,家臣困窮につき,高100石につき5石の救米を支給する(穆公外
       記)
   この年 高松藩領内の人口19万4870人(男10万5429人,女8万9441人),御朱
       印地および寺社領の人口4199人(男2313人,女1886人)(穆公外記)
   この年 勝田五嶽の漢詩集「明詩礎」成る.
1740年 元文5 (庚申)
  政治・経済
   1・- 高松藩,播磨屋へ5人扶持を与える(播磨屋中井家永代帳)
   8・21 高松藩,家中困窮につき家臣知行米渡しを三つ物成とする(穆公外記)
   この年 高松藩,破免検見における
-158-
       収量査定の仕法を穂揃い改めから見付け改めに復す.以後両仕法が併用さ
       れる(政要録)
  社会・文化
   6・- 高松藩主松平頼恭,詩を能くする家臣に「江楼納涼」の題を与え,漢詩
       100余首を集める(穆公外記)
   9・27~29 金倉寺において智証大師八百五十年忌の法会が執行される(近世史
       料Ⅱ「智証大師八百五十年忌法会之記事」)
   11・- 丸亀城下西平山の熊野屋彌兵衛,空地にへんろ人の宿舎を建てる(古法便
       覧)
   この年 京都の宋屋百葉泉富鈴,讃岐を旅した折りの句集「小春の笠」を刊行する.
   この年 善通寺五重塔再建費用確保の一環として大坂で出開帳行われる(近世史料
       Ⅱ「善通寺大塔再興雑記」)
1741年 寛保1 2・27 (辛酉)
  政治・経済
   7・- 丸亀藩,繰錦に関する取締りを行う(近世史料Ⅱ「丸亀城下御定目」)
   8・20 高松藩,倹約令を出す(増補高松藩記)
   9・23 高松藩主松平頼恭,講堂行事再興のため藩政の各部署の代表者を1名ずつ
       横目部屋に集めさせる(翁嫗夜話)
  社会・文化
   7・22 高松藩領内,暁より大風雨が夜半まで続き,町・郷の潰家2115軒でる
       (穆公外記)
   8・1 高松藩儒者岡井〔ケン〕州(#「ケン」は文字番号8365)・中井文輔,
       上屋敷表門脇物見で家臣・牢人に学問・詩文章などを指南する.後藤芝山
       (世鈎)も手伝う(穆公外記)
   8・18 高松藩儒者青葉伝兵衛・岡平蔵,講堂で講釈を行う(穆公外記)
   10・2 金手の阻をめぐる漁場争論の裁許,幕府評定所から下される.瀬居島・小
       瀬居島・室木島の東端を結んだ直線を境界として,西面は塩飽の漁場,東
       面は高松の漁場とする.鰆瀬は以前通り入会とする(塩飽勤番所文書「寛
       保元年裁許状」)
   この年 丸亀藩,善通寺へ正徳3年寄進の65石と引換えに,330石寄進する〔宝
       歴4年収公される〕(善通寺文書「誕生院寺領御寄附年歴覚」)
1742年 寛保2 (壬戌)
  政治・経済
   1・- 丸亀藩,城下大年寄の銀札場加役を免じる.〔安永2年10月もとに復す〕
       (古法便覧)
   5・4 多度津藩,駿府加番を命じら
-159-
       れる(佐々木京極家記録)
   8・7 高松藩,財政建て直しのため,間宮武右衛門を郷中御世帯御用引除頭取と
       する(穆公外記)
   8・27 高松藩,去年に引き続き倹約令を出し,番頭兼奉行間宮武右衛門を郷中御
       勝手御用向の引受頭取に任命する.「元禄の定法」を施政方針とする(増
       補高松藩記)
   10・1 多度津藩,大雨による被害届けを幕府に提出する(多度津藩日記)
   10・6 丸亀藩,関東の荒川・元荒川・星川の普請手伝いを命じられる(佐々木京
       極家記録)
   11・- 丸亀藩,城下に500貫の御用銀を課す(古法便覧)
   この年 丸亀藩の藩札使用中止となり,諸方面より大年寄へ問い合わせの書状が多
       く届く(古法便覧)
  社会・文化
   6・- 倉敷代官千種清右衛門,頭人選考の縺れで金毘羅祭礼が延びないように,
       池御料4か村の庄屋・寺院などから証文を提出させる(金刀比羅宮史料)
   7・- 滝宮念仏踊を再開する(歴世年譜)
   10・1 高松藩の番頭兼奉行間宮武右衛門,急死する(増補高松藩記)
   12・9 高松城内東ノ丸作事方大工小屋より出火,作事役所・米蔵の南1棟を焼く
       (穆公外記)
1743年 寛保3 (癸亥)
  政治・経済
   4・20 初代多度津藩主京極高通,江戸で没する.53歳(佐々木京極家記録)
   7・29 丸亀藩,初めて罪人に入墨を施す(丸亀御城坪割付記)
   9・26 高松城外濠を浚える(穆公外記)
   この年 小豆島,倉敷代官の管轄下に入る(「小豆島志料」所収「年代記」)
  社会・文化
   春   丸亀城下飢人が多く,町年寄らが大麦150石の代銀6貫目の貸与を願い出,
       3貫500目を与えられる(古法便覧)
   4・26 寒川郡長尾西村百姓ら,日照りにつき森定免内および筒井免内の2か所の
       出水新規掘抜きを出願する(蓮井家文書)
   (4)・14 高松藩儒者青葉伝兵衛・岡平蔵・上田造酒,講堂で文学・詩作などを
       家中子供・町郷医師・牢人者に指南する(穆公外記)
   冬~翌春 疫病流行し,多数の死者出る.丸亀藩は金毘羅に3夜の護摩を依頼する
       (増補高松藩記・古法便覧)
   この年 高松藩領林田沖での漁業に従事する丸亀御供所の漁民,船1艘につき10
       匁の運上銀を出す(古法便覧)
-160-
1744年 延享1 2・21 (甲子)
  政治・経済
   8・1 後藤主膳,玄蕃と改称し再び高松藩大老となる(増補高松藩記)
   この年 丸亀藩,城下・三浦に飢人多く用意銀の積立てを命じる.308人が出資す
       る(古法便覧)
       丸亀藩,12月の石代値段72匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   3・- 讃岐出身の大坂船宿多田屋新右衛門,金毘羅参詣船仕立てを願い,許可
       される(金刀比羅宮文書「金光院日帳」)
   8・10 高松城下周辺で高潮となる.東西の新開・四番丁通りまで潮入る.侍屋敷
       45軒大破,78軒小破,町屋3167軒潮入り,百姓屋817軒倒壊する.丸亀
       では福島に海水浸透し,町方より加勢人足50人を出す(穆公外記・古法
       便覧)
   この年 高松藩主松平頼恭,栗林荘名所の名称改定を中村文輔に命じる(栗林荘
       記)
1745年 延享2 (乙丑)
  政治・経済
   7・3 丸亀藩,城下に倹約令を出す(古法便覧)
   11・5 高松藩,京都使者を命じられ費用調達として御用金3万8000両を課す.
       ほかに京から2万両を借銀し軍用金からも2万両を加える(増補高松藩
       記・歴世年譜)
   11・25 高松藩主松平頼恭,幕府の京都使者として江戸を出発する(増補高松藩記)
   この年 高松藩,扶持米・買上米・小豆・大坂登米については矢倉廻しを実施す
       る(政要録)
       丸亀藩,12月の石代値段83匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   1・24 高松城下町人木屋清太夫,1日米1合を町方飢人1400人余に施す(穆公
       外記)
   3・- 中村文輔「栗林荘記」を著す.
   5・16 丸亀城下の大年寄土佐屋五郎右衛門・阿波屋平助・紀ノ国屋弥左衛門,御
       用銀徴収に際しての町中騒動の責により閉店・過料を課せられる(古法
       便覧)
   12・- 菊池武賢の「翁嫗夜話」15巻成る.
1746年 延享3 (丙寅)
  政治・経済
   2・- 高松藩,領内に御用銀を課す(歴世年譜)
   4・29 多度津藩,藩札通用停止を幕府に届ける(京極御系図)
   6・20 高松藩,小夫兵庫に勘定方並びに世帯方を任せ,奉行らへ指図するよう命
       じる(穆公外記)
   6・26 高松藩,財政難により五節会を停止し,家臣に倹約を命じる(穆公外記)
-161-
   7・2 高松藩,3年間の厳しい倹約を命じる(穆公外記)
   7・11 高松藩,家臣知行米渡しを三つ五分物成とする(増補高松藩記・歴世年譜)
   7・15 高松藩,家中妻女の衣類に絹布を禁じる(穆公外記)
   この頃 小豆島での物価は上等白米1升銀1匁・上等酒1升銀1匁4分・醤油1升
       銀1匁1分(赤松家文書「御廻国大御巡見様用留」)
       丸亀藩,12月の石代値段73匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
1747年 延享4 (丁卯)
  政治・経済
   1・1 高松藩,倹約中につき年頭儀式を中止する(穆公外記)
   2・27 高松藩,屋島壇ノ浦の新塩浜築造に取りかかり,柏野屋市兵衛にその費用
       の出銀を命じる(穆公外記)
   4・10 高松藩,砥石・雲母・新陶器・櫨・滑石・硯石など,新規産物の取り立て
       を命じる(穆公外記)
   7・10 高松藩,刑法の大改定を行う(穆公外記)
   9・- 高松藩,綿総問屋柏野屋市兵衛の建言により,綿売買1俵につき1匁2分、
       粉糠1石につき6厘,干鰯1俵につき5厘宛の運上銀を徴収する(穆公外
       記・増補高松藩記)
   この年 高松藩,家臣知行米渡しを二つ物成とする(増補高松藩記)
       丸亀藩,12月の石代値段78匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   1・28 高松藩,青葉伝兵衛・中村文輔・脇又四郎に藩主実録・諸家家譜・登仕録
       などの編輯を命じる(穆公外記)
   9・- 疫病,国中に広がる,高松藩は大護寺に祈祷を命じる(穆公外記)
   12・1 高松藩,家臣へ救米を支給する(穆公外記)
1748年 寛延1 7・12 (戊辰)
  政治・経済
   3・- 高松藩,城下の茶屋九左衛門・百合屋善右衛門を茶座本とし,両人を中心
       として茶の流通統制を行う(大山家文書「御用留」)
   4・27 多度津藩,朝鮮使節帰国に際し鞍を差し出すよう命じられる(京極御系図)
   5・- 丸亀藩主京極高矩,朝鮮使節
-162-
       来朝につき,品川東海寺において御馳走人を勤める(佐々木京極家記録)
   6・- 屋島塩田完成し,高松藩銀36貫700目余を柏野屋市兵衛に渡す(穆公外
       記)
       丸亀藩,12月の石代値段75匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   5・- 高松藩領の那珂郡・鵜足郡の百姓3・4千人高松城下へ押しかけ,綿運上
       銀徴収を建言した柏野屋市兵衛に綿肥料代銀2000貫目の借用を要求する.
       翌日,高松藩の綿運上中止の決定により,百姓ら城下から退散する(穆公
       外記)
   この頃 三本松の廻船,高松藩蔵米の江戸廻送を100石につき運賃銀1貫目で請け
       負う(津本家文書 延享5年「御用留」)
1749年 寛延2 (己巳)
  政治・経済
   8・1~13 丸亀藩,藩札の信用回復を目的として,加印札との引替を実施する
       (禁止史料Ⅰ「銀札通用御書出写」)
   10・1 多度津藩,大雨による洪水損毛(#「毛」底本のママ)の被害届けを
       幕府に提出する(多度津藩記)
   12・15 高松藩,困窮百姓救済のため,米3500石を貸与し,運上銀・諸納物割増
       口銭などの徴収を中止する(穆公外記)
   12・- 高松藩,百姓が大勢徒党して城下へ押し寄せること,町中の町人に合力を
       強要したりすることを禁じ,願いの筋がある場合は郷会所へ出頭すべき旨
       の通達を出す(大山家文書「御用留」)
       丸亀藩,12月の石代値段70匁(佐伯家文書「御勘定万覚帳」)
  社会・文化
   7・3 豊田郡井関池の堤防,洪水により大破する.10月23日丸亀藩の援助で普
       請開始,12月18日竣工する(近世史料Ⅱ「井関池由来并水掛り池々之覚」
   10・24 多度津藩領多度郡山階村の百姓ら,丸亀城下の多度津藩屋敷へ押しかけ,
       夫食・租税減免などを嘆願する(明徳会図書館「京極出羽守様御領分百姓
       徒党願ノ筋聞書」)
   12・2 高松藩領東部の百姓ら,高松城下の町人へ物乞を行う.翌3日引き払う(穆
       公外記)
   12・14 高松藩領山田郡坂元村川島に百姓ら500余人集まり,困窮を理由に西部分
       限者方へ押し寄せようとするが,説得され途中で退散する(穆公外記)
   12・28 高松藩領東部の百姓500余人,山田郡坂元村へ押しかけ,物乞いを行う(鎌
       田博物館「尾崎卯一関係史料・讃岐史料」)