1 四国八十八ケ所のすべて

 底本の書名 巡礼と遍路 
 入力者名  多氣千恵子
 校正者   桑野 淳子
 入力に関する注記 
   ・文字コードにない文字は『大漢和辞典』(諸橋轍次著 大修館書店刊)の
      文字番号を付した。
   ・JISコード第1・2水準にない旧字は新字におきかえて(#「□」は旧字)
    と表記した。

 登録日   2008年4月18日
      





Ⅳ 四国の寺・西国の寺―――札所総覧
(#写真が入る)牛のわらじを奉納(四国第70番本山寺)
(#写真が入る)御詠歌をとなえて・・・(西国第8番長谷寺)

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1 四国八十八ケ所のすべて

 四国八十八ケ所の寺々と番外札所の寺を、一番から八十八番まで順に記すことにする。
順に廻っていくのが順打ちで、これを逆に廻るのが逆打ちである。どういうものか弘法大
師は逆打ちされているという伝説が残っている。遍路は、各自の生国からの利便を考えて
適当に廻国しているようだが、畿内及び東国から来た者は徳島県の鳴門市まで来て、そこ
から順打ちに第一番から廻っていく者が多いようである。なお、大半の寺には大師に関す
る伝説がついているが、大師信仰の章と重複しないように書いたつもりである。

 阿波の国の寺々(「阿波の国の寺々」は太字)

<第一番 竺和山霊山寺>
 霊山の釈迦〔カ〕(#「カ」は文字番号38789)のみまへにめぐり来て よろづの
 罪も消え失せにけり
 徳島県鳴門市大麻町板東 本尊釈迦如来 開基行基 創建天平時代(七二九~四八年ご
 ろ) 高徳線板東駅下車徒歩二〇分

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<番外第一番 奥の院 種蒔大師>
 鳴門市大麻町大谷
 大師が四国をめぐった時に米麦の種をはじめて蒔いたところであるという。今も大師の
 像が残っていて、これを種蒔大師(ルビ たねまきたいし)とよんでいる。 
<第二番 日照山極楽寺>
 極楽の弥陀の浄土へ行きたくば 南無阿弥陀仏口ぐせにせよ
 鳴門市大麻町檜 本尊阿弥陀如来 開基行基 創建天平時代 霊山寺から二キロ
 大師が植えた杉が大木になって残っているという。
<第三番 亀光山金泉寺>
 極楽のたからの池を思へたゞ 黄金の泉すみたゝへたる
 板野郡板野町大寺 本尊釈迦〔カ〕(#「カ」は文字番号38789)如来 開基行基 
 聖武天皇勅願寺 極楽寺から三キロ
 大師堂の南にある泉は黄金の泉といって、大師が当寺でお加持に用いたという。
<第四番 黒巌山大日寺>
 ながむれば月白妙の夜半なれや たゞ黒谷にすみぞめの袖
 板野郡板野町黒谷 本尊大日如来 開基弘法大師 創建弘仁年間(八一〇~二三年ごろ
 ) 金泉寺より六キロ 国鉄かじや原線羅漢駅下車
<第五番 無尽山地蔵寺>

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 六道の能化の地蔵大菩薩 みちびきたまへこの世のちの世
 板野郡板野町羅漢 本尊勝軍地蔵菩〔サツ〕(#「サツ」は文字番号32189) 
 開基弘法大師 嵯峨天皇勅願時 大日寺より二
 キロ 羅漢駅下車
<番外 奥の院 五百羅漢>
 地蔵寺の境内より三〇〇メートル
<第六番 温泉山安楽寺>
 かりの世に知行争ふむやくなり あんらく国の守護をのぞめよ
 板野郡上板町引野 本尊薬師如来 開基弘法大師 創建弘仁年間 地蔵寺より五・五キ
 ロ
<第七番 光明山十楽寺>
 人間の八苦を早くはなれなば いたらん方は九品十らく
 板野郡土成町高尾 本尊阿弥陀如来 開基弘法大師 創建弘仁年間 かじやばら駅下車
 昔このあたりは御所野といった。土御門天皇の行宮があったからであるという。
<第八番 普明山熊谷寺>
 たきぎとり水熊谷の寺に来て 難行するも後の世のため
 板野郡土成町前田 本尊千手観世音 開基弘法大師 創建弘仁年間 国鉄バス熊谷駅下
 車
 昔は約一キロばかり奥の赤谷というところにあったが、今は赤谷には熊野権現を祀って
 あるという。

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<第九番 正覚山法輪寺>
 大乗の秘法もとがもひるがへし 転法輪の縁とこそ聞け
 板野郡土成町土成 本尊寝釈〔カ〕如来(#「カ」は文字番号38789) 開基弘
 法大師 創建弘仁年間 国鉄バス法輪寺前下車
 次の札所まで行く途中に大師堂があって、小豆洗大師(ルビ あずきあらいたいし)と
 よんでいる。大師が村に水がないのをあわれんで、小豆の水をそそぐとよい清水がわき
 出たところという。
<第十番 得度山切幡寺>
 慾心をただ一すぢに切幡寺 のちの世までのさはりとぞする
 阿波郡市場町切幡 本尊千手観世音(南面) 女人即身成仏観世音(北面) 開基弘法
 大師 創建弘仁年間 国鉄バス切幡寺下車
<第十一番 金剛山藤井寺>
 色も香も無比中道の藤井寺 真如の波のたゝぬ日もなし
 麻植郡鴨島町飯尾 本尊薬師如来 開基弘法大師 創建弘仁年間 徳島バス川島線藤井
 寺下車
<番外 柳水庵(ルビ りゅうすいあん)>
 本尊大師像 藤井寺より八キロ
 大師が柳の枝を地面にさすと清水がわき出たところという。
<番外 一本杉庵(ルビ いっぽんすぎあん)>
 大師が杉の木のもとで野宿したところ。大師のお手植えの杉もある。

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<第十二番 摩廬山(ルビ まろざん)焼山寺>
 のちの世を思へば苦行焼山寺(ルビ しょうざんじ) 死出や三途の難所ありとも
 名西郡神山町下分 本尊虚空蔵菩〔サツ〕(#「サツ」は文字番号32189) 
 開基役小角 創建平安初期(八〇〇年ごろ)
 大師が毒蛇を封じた岩屋がある。徳島バス焼山寺口下車、徒歩約五時間の難所である。
<番外 杖杉庵(ルビ じょうしんあん)>
 衛門三郎の往生のところで、大師がねんごろに葬り、しるしに杉の杖を立てた。それが
 成長して大木となったところ。
<第十三番 大栗山大日寺>
 阿波の国一の宮とやゆふだすき かけて頼めやこの世後の世
 徳島市一宮町西町 本尊十一面観世音 開基弘法大師 創建弘仁年間 徳島バス一宮札
 所下車
<第十四番 盛寿山常楽寺>
 常楽の岸にはいつか到らなん ぐせいの舟に乗りおくれずば
 徳島市国府町延命 本尊弥勒菩〔サツ〕(#「サツ」は文字番号32189)  開
 基弘法大師 創建弘仁年間 徳島バス名西山分線矢野下車二〇〇メートルばかり裏手に
 子育地蔵がある。
<第十五番 法養山国分寺>
 うすく濃くわけわけ色を染めぬれば 流転生死の秋のもみぢば
 徳島市国府町矢野 本尊薬師如来 開基聖武天皇 創建天平九(七三七年) 徳島バス
 八田下車

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<第十六番 光〔ヨウ〕(#「ヨウ」は文字番号28828)山観音寺>
 わすれずもみちびきたまへ観音寺 西方世界弥陀の浄土へ
 徳島市国府町観音寺 本尊千手千眼観世音 開基聖武天皇 創建天平一三(七四一)年
 徳島バス鳥坂線観音寺下車
<第十七番 瑠璃山妙照寺(井戸寺)>
 おもかげをうつして見れば井戸の水 むすべば胸のあかやおちなん
 徳島市国府町井戸 本尊七仏薬師如来 天武天皇勅願 白鳳二(六五一)年開基 徳島
 本線府中駅下車
 境内に水大師とよぶお堂があって、その中に大師のおもかげの井戸がある。その井戸の
 水に姿がうつれば無病息災であるが、うつらなければ両三年のうちに死ぬという。
<第十八番 母養山恩山寺>
 子を産めるその父母の恩山寺 訪らひがたきことはあらじな
 小松島市田野町 本尊薬師如来 開基行基 聖武天皇勅願 国鉄中田駅下車
 昔は女人禁制の寺であった。ここから次の札所立江寺へ行く途中に、大師のむつきを納
 めたという釈迦〔カ〕堂がある。立江寺の手前には九つ橋という橋があって、
  橋の上で白鷺が遊んでいる時は通れぬという。(#「カ」は文字番号38789)
<第十九番 橋池山立江寺>

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 いつかさて西のすまひのわがたちへ ぐぜいの船に乗りていたらん
 小松島市立江町 本尊地蔵菩〔サツ〕(#「サツ」は文字番号32189) 開基行
 基 聖武天皇勅願寺 徳島バス立江寺前下車
  本尊の地蔵菩〔サツ〕(#「サツ」は文字番号32189)は子安地蔵で、安産祈願
 のために参詣する人が多い。またこの寺は四国札所の関所の一つで、悪事を犯していた
 人はここでなんらかのこらしめを受けるという。
<番外 奥の院 取星寺>
 大師が祈り落した星石を祀るところという。
<番外 岩屋山星谷寺>
 ここも立江寺の奥の院といい、大師が悪星を祈り落したという岩屋が残っている。
<番外 月頂山慈眼寺>
 山間の寺で深い洞穴があって禅定場とよんでいる。
<第二十番 霊鷲山鶴林寺>
 しげりつる鶴の林をしるべにて 大師ぞいます地蔵帝釈
 勝浦郡勝浦町生名 本尊将軍地蔵 開基弘法大師 桓武天皇勅願寺 徳島バス鶴林寺下
 で下車して徒歩約二時間 海抜五五〇メートル
 ここから太竜寺を経て平等寺までの道は、俗に「鶴・太竜寺」といわれる難所である。
<第二十一番 舎心山太竜寺>
 太竜の常に住むぞやげに窟 舎心聞持は守護のためなり

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 阿南市加茂町竜山 本尊虚空蔵菩薩〔サツ〕(#「サツ」は文字番号32189) 開
 基弘法大師 創建延暦年間(七八二~八〇五年ごろ) 徳島バス阿瀬比下車
 大竜が住むという窟が本堂の横にある。ここは海抜六〇〇メートルの深山である。
<第二十二番 白水山平等寺>
 平等にへだてのなきと聞くときは あらたのもしき仏とぞ見る 
 阿南市新野町 本尊薬師如来 開基弘法大師 創建弘仁年間 国鉄新野駅下車
 大師が地をうつと乳のような白い水がわき出たといい、その井戸を白水の井戸とよんで
 いる。この井戸の水はどんな日照りの年でも水かさが減ることがないという。この寺の
 近くには月夜お水庵という堂があって、そこは大師が月の明りで仏像を彫ったところと
 いう。薬王寺へ行く小山を越せば鉦打大師(ルビ かねうちたいし)のお堂がある。
<第二十三番 医王山薬王寺>
 みなびとの病みぬる年の薬王寺 るりの薬を与へましませ
 海部郡日和佐町 本尊薬師如来 開基弘法大師 創建弘仁年間 国鉄日和佐駅下車
 厄よけのための女厄坂・男厄坂がある。本堂の後の清水は肺大師とよび、肺病の人のく
 すりになるという。
 ここで阿波の国は打納めになるが、これから土佐の最御崎寺までには八坂八浜という難
 所があり、そこはまた長丁場であった。山を八つ越えて、浜を八つ通るのであるが、そ
 の四つ目の坂を越える

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 と、そこが番外の鯖〔サバ〕(#「サバ」は文字番号46210)瀬大師で鯖〔サバ〕
 大師堂の石像が祀られている。(#「サバ」は文字番号46210)
  
 土佐の国の寺々(「土佐の国の寺々」は太字)

<第二十四番 室戸山最御崎寺(東寺)>
 明星の出でぬる方の東寺 くらき迷はなどかあらまし
 高知県室戸市室戸岬町 本尊虚空蔵菩〔サツ〕(#「サツ」は文字番号32189)
 開基弘法大師 創建弘仁年間
 昔は女人禁制であったが、今は山の中腹より男女の道を区別して、女人も登れるように
 なっている。
<第二十五番 室寿山津照寺>
 法の舟入るか出づるかこの津寺 迷ふわが身を乗せて給へや
 室戸市室津 本尊楫取地蔵(ルビ かじとりじぞう) 開基弘法大師 創建大同年間
(八〇六~九年ごろ) 室戸岬からバスで一五分
<第二十六番 竜頭山金剛頂寺(西寺)>
 往生にのぞみをかくる極楽は 月のかたむく西寺の空
 室戸市崎山 本尊薬師如来 開基弘法大師 創建大同元(八〇六)年 室津から約二キ
 ロ
 この寺のあたりは、昔はイラズノヤマであったが、大師が来てからだれもが入れるよう
 になったという。

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<第二十七番 竹林山神峰寺>
 みほとけのちかひのこころ神の峰 やいばの地獄たとひありとも
 安芸郡安田町唐の浜 本尊十一面観世音 開基行基 創建聖武天皇の御宇(七二四~四
 九年ごろ)
 高知市から急行バスで二時間
<第二十八番 法界山大日寺>
 露しもと罪を照らせる大日寺 などか歩みをはこばざらまし
 香美郡野市町 本尊大日如来 開基行基 創建奈良時代(八世紀) 神峰寺より四〇キ
 ロ 安芸から電車で野市下車
<第二十九番 摩尼山国分寺>
 国を分けたからをつみて立つ寺の すゑの世までの利益のこせり
 南国市国分 本尊千手観世音 開基行基 創建聖武天皇 野市より後免経由国分寺まで
 バス
<第三十番 百々山安楽寺>
 人多く立ちあつまれる一の宮 むかしも今もさかえぬるかも
 高知市洞ケ島町 本尊阿弥陀如来 開基弘法大師 創建延長年間(九二三~三〇年ごろ
 ) 高知駅よりバスで三分
<第三十一番 五台山竹林寺>
 南無文珠三世諸仏の母と聞く われも子ごころ乳こそほしけれ

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 高知市五台山 本尊文珠菩〔サツ〕(#「サツ」は文字番号32189) 開基行基
  創建神亀元(七二四)年 高知市からバス二〇分
<第三十二番 八葉山禅師峰寺(峰寺)>
 静かなるわがみなもとの禅師峰寺 浮ぶこころは法のはやふね
 南国市十市 本尊十一面観世音 開基弘法大師 創建大同年間 高知市からバス
<第三十三番 高福山雪蹊寺>
 旅の道飢ゑしも今は高福寺 のちのたのしみ有明の月
 高知市長浜 本尊薬師如来 開基弘法大師 創建延暦年間(七八二~八〇五年ごろ)
 高知市からバスで長浜下車
<第三十四番 本尾山種間寺>
 世の中にまける五穀の種間寺 深き如来の大悲なりけり
 吾川郡春野町秋山 本尊薬師如来 開基創建敏達天皇六年 長浜からバスで西諸木下車
 大師が唐から持って帰った麦の種をはじめて蒔いたところという。この寺は安産守護の
 寺であることは前述した。
<第三十五番 医王山清滝寺>
 澄む水を汲むは心の清滝寺 波の花散る岩の羽ごろも
  土佐市高岡町 本尊薬師如来 開基行基 創建養老年間(七一七~二三年ごろ) バス
  で宇佐下車
 馬頭観世音を祀るお堂があって牛のわらじが一面に奉納してある。牛や馬を飼っている
 人々が牛

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 馬が災にかからぬように参詣することが多い。大師がこの寺の本堂の前で杖を突くと、
 清水がわき出てそれが滝になって流れたという。
<第三十六番 独鈷山青竜寺>
 わづかなる泉にすめる青竜は 仏法守護のちかひとぞ聞く
 土佐市宇佐町 本尊波切不動明王 開基弘法大師 創建弘仁年間 長浜からバスで宇佐
 下車
 竜崎の湾内が昔から浪荒く風波のため難船あいついだので、大師が海底の岩に波切不動
 を刻んでから海上がおだやかになったという。
<第三十七番 藤井山岩本寺>
 六つのちり五つのやしろあらはして ふかき仁井田の神のたのしみ
 高岡郡窪川町 本尊阿弥陀如来 開基行基 創建聖武天皇代 国鉄窪川下車
 ここより金剛福寺へ行く途中の市野瀬に、四国廻国二一回の高野の僧真念の真念庵があ
 る。
<第三十八番 蹉?山金剛福寺>
 ふだらくやここはみさきの舟の棹 とるも捨つるものりのさだやま
 土佐清水市足摺〔ズリ〕(#「ズリ」は文字番号12647)岬 本尊千手観世音 開
 基弘法大師 創建弘仁年間 中村よりバス足〔ズリ〕岬下車(#「ズリ」は文字番号12647)
<第三十九番 赤亀山延光寺>
 南無薬師諸病悉除の願なれば まゐるわがみをたすけたまへよ
 宿毛市平田町寺山 本尊安産薬師如来 開基行基 創建神亀元(七二四)年 
  足〔ズリ〕(#「ズリ」は文字番号12647)岬より寺山口ま

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 でバス 
 本堂の右に亀の池という池があるが、昔、赤い亀が竜宮から梵鐘を背中に負うてこの池
 まで運んできたという。

 伊予の国の寺々(「伊予の国の寺々」は太字)

<第四十番 平城山観自在寺>
 しんがんや自在の春に花咲きて 浮世のがれてすむやけだもの
 愛媛県南宇和郡御荘町平城 本尊薬師如来 開基弘法大師 創建大同年間 寺山口より
 バスで平城下車
 この寺の奥の院に願成寺というのがあったが、そこは昔、大師が来て七堂伽藍を建てよ
 うとした時に、鶏が夜が明けないうちに鳴いたので、一堂だけ建ててやめたということ
 である。
<第四十一番 稲荷山竜光寺>
 この神は三国流布の密教を 守らせ給ふ誓とぞ聞く
 北宇和郡三間町戸雁 本尊十一面観世音 開基弘法大師 創建大同年間 宇和島よりバ
 スで森が鼻で下車
 この寺は農村の信仰を集めていて、五穀豊穣悪虫退散のお守を出している。
 <第四十二番 一〔カ〕(#「カ」は文字なし おうへん+果)山仏木寺>

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 草も木も仏になれる仏木寺 なほたのもしき鬼畜にんてん
 北宇和郡三間町 本尊大日如来 開基弘法大師 創建大同年間 森が鼻よりバスで仏木
 寺下車
 ここは疱瘡よけと牛馬安全祈願の寺である。次の札所明石寺に行く途中、旧道に歯長坂
 というのがあるが、ここには峠の頂上に見送大師堂がある。
<第四十三番 源光山明石寺>
 聞くならく千手のちかひ不思議には 大盤石もかろくあげにし
 東宇和郡宇和町 本尊千手観世音 開基寿元尊者 創建天平六(七三四)年 卯之町駅 
 よりバス大宝寺へ行く途中の野佐来に札かけ大師の堂があるが、ここは大師が来た時に
 松の木かげで休んだところという。
<番外 十夜ケ橋大師堂>
 大師が一夜の宿を乞うたがことわられて、橋の下で野宿をしたところという。堂の中に
 は石像の大師が寝ていてそれに布団をきせかけてある。
<第四十四番 菅生山大宝寺>
 今の世は大悲のめぐみ菅生山 つひには弥陀のちかひをぞ待つ
 上浮穴郡久万町 本尊十一面観世音 開基百済の僧 創建大宝元(七〇一)年 松山よ
 りバス
<第四十五番 海岸山岩屋寺>
 だいしやうのいのる力の岩屋寺 石のなかにも極楽ぞある

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 上浮穴郡美川村 本尊不動明王 開基弘法大師 創建弘仁六(八一五)年 久万よりバ
 スで岩屋寺下車
 多くの洞穴があるが、その一つである穴禅定は行きどまりに泉がわき出ている。この中
 にいると死者の魂に会えるという。
<第四十六番 医王山浄瑠璃寺>
 極楽の浄瑠璃世界たくらえば うくる苦楽はむくいならまし
 松山市久谷町 本尊薬師如来 開基行基 創建和銅元(七〇八)年 久万よりバスで塩
 の森下車
<第四十七番 熊野山八坂寺>
 花を見て歌よむ人は八坂寺 さんぶつじようの縁とこそ聞け
 松山市久谷町 本尊阿弥陀如来 開基越智玉奥公 創建大宝元年 浄瑠璃寺から約九〇
 〇メートル
 寺より五〇〇メートルのところに衛門三郎の札はじめの跡といわれる文珠院(得盛寺)
 があり、さらに五〇〇メートルぐらい行くと三郎の八人の子の墓というのがある。
<第四十八番 清竜山西林寺>
 弥陀仏の世界をたづね行きたくば 西の林の寺に参れよ
 松山市高井町 本尊十一面観世音 開基弘法大師 創建大同年間 松山よりバスで高井
 下車
<第四十九番 西林山浄土寺>
  
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 十悪のわが身をすてずそのまゝに 浄土の寺へ参りこそすれ
 松山市鷹子 本尊釈〔カ〕(#「カ」は文字番号38789)如来 開基慧明上人 
 創建天明年間(一七八一~八年ごろ)バスで久米下車
 境内より一〇〇メートルはなれて空也〔ヅカ〕がある。(#「ヅカ」は旧字 文字番号5345)
<第五十番 東山繁多寺>
 よろづこそはんたなりとも怠らず 諸病なかれとのぞみ祈れよ
 松山市畑寺 本尊薬師如来 開基行基 創建孝謙天皇の代(七四九~五七年ごろ) 久
 米よりバスで畑寺下車
<第五十一番 熊野山石手寺>
 西方をよそとは見まじ安養の 寺にまゐりてうくる十らく
 松山市道後石手町 本尊薬師如来 開基越智玉純 創建神亀五(七二八)年
 衛門三郎が生れかわった時に左手に握っていた石を納めた寺という。
<第五十二番 竜雲山太山寺>
 太山に登れば汗の出でけれど 後の世おもへば何の苦もなし
 松山市太山寺 本尊十一面観世音 開基行基 創建天平年間 松山よりバス
 前述したが、昔豊後の真野長者が伊予高浜の沖でしけにあったが、観世音のおかげで助
 かったので一夜に建立したのが本堂であるという。
<第五十三番 須賀山円明寺>

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 来迎の弥陀の光の円明寺 照りそふ影は夜な夜なの月
 松山市和気町 本尊阿弥陀如来 開基行基 創建天平勝宝年間(七四九~五六年ごろ)
 太山寺よりバスに乗り和気下車
<番外 法仙山日輪寺>
 越智郡菊間町
 毎年節分には護摩を焚いて厄年の人のために厄難よけをするという。
<第五十四番 近見山延命寺>
 くもりなき鏡のみどりをながむれば のこさず影をうつすものから
 今治市阿方 本尊不動明王 開基行基 創建奈良時代 今治よりバスで阿方下車
<第五十五番 別宮山南光坊>
 このところ三島に夢のさめぬれば 別宮とても同じ垂じやく
 今治市別宮 本尊大通勝仏は大山祇(#「祇」は俗字 文字番号24639)神社の
 本地仏 開基弘法大師
<第五十六番 金輪山泰山寺>
 みな人のまゐりてやがて泰山寺 来世の引導たのみおきつつ
 今治市小泉 本尊地蔵菩薩〔サツ〕(#「サツ」は文字番号32189) 開基弘法大
 師 創建弘仁年間 今治よりバス
 境内に弘法大師が植えた不忘の松というのがある。
<第五十七番 府頭山栄福寺>

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 この世には弓矢を守る八幡なり 来世は人を救ふ弥陀仏
 越智郡玉川町 本尊阿弥陀如来 開基弘法大師 創建弘仁年中 泰山寺から徒歩三キロ
<第五十八番 佐札山仙遊寺>
 立ちよりて佐札の堂にやすみつゝ 六字をとなへ経をよむべし
 越智郡玉川町別所 本尊千手観世音 開基越智守興 創建養老年間(七一七~二三年ご
 ろ) 栄福寺より徒歩で二・五キロ
 境内に竜燈の桜というのがあったが、今は枯れて幹しか残っていない。以前はこの桜の
 木に毎夜毎夜竜宮から燈明を献じていたという。
<第五十九番 金光山国分寺>
 守護のためたてゝあがむる国分寺 いよいよめぐむ薬師なりけり
 今治市国分 本尊薬師如来 開基行基 創建天平一三(七四一)年 仙遊寺より徒歩で
 七キロ
<第六十番前札(ルビ まえふだ) 仏生山清楽寺>
 次の横峰寺の山が難所であるために登れない者は、ここで前札といって代って納経をし
 、札を納めることになっている。
<第六十番 横峰山大峰寺(石鉄山横峰寺)>
 たてよこに峰や山辺に寺たてゝ あまねく人を救ふものから
 周桑郡小松町石〔ヅチ〕(#「ヅチ」は文字番号40715) 本尊大日如来 開基
 役小角 創建白雉年間 伊予小松駅より河口橋までバス

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 それより徒歩二時間 伊予第一の難所
<第六十一番 栴檀山香園寺>(#「ダン」は文字番号なし。檀の俗字)
 後の世と思へば参れ香園寺 とめてとまらぬ白滝の水
 周桑郡小松町南川 本尊大日如来 開基聖徳太子 創建用明天皇の時代 小松駅から一
 ・五キロ 
 子安大師を祀ってあるので、安産の祈りのために参詣者が多いという。
<第六十二番 天養山宝寿寺>
 さみだれの後に出でたる玉の井は しらつぼなるや一の宮川
 小松駅前 本尊十一面観世音 開基聖武天皇 創建天平年間 小松駅前一〇〇メートル
<第六十三番 密教山吉祥寺>
 身のうちの悪しき非法をうちすてゝ みな吉祥をのぞみいのれよ
 西条市氷見町 本尊毘沙門天 開基弘法大師 創建大同年間 小松駅前よりバスで吉祥
 寺前下車
 寺から南一〇〇メートルばかりのところに柴の井という泉があるが、弘法大師が杖を突
 きさしてから清水がわき出たという。
<第六十四番 石鉄山前神寺>
 前は神うしろは仏ごくらくの よろづの罪をくだく石づち
 西条市洲の内 本尊阿弥陀如来ほかに石鎚〔ヅチ〕
  山蔵王権現 開基役小角 石鎚〔ヅチ〕山駅下車五〇〇メートル
(#「ヅチ」は文字番号40715)

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 本堂が二か所にあり、前の本堂は女人堂である。奥の本堂は女人禁制であった。これか
 ら石鎚〔ヅチ〕山頂までは二五キロである。昔は石鎚〔ヅチ〕山を奥の前神寺といい、
  ここを里前神寺といっていたという。(#「ヅチ」は文字番号40715)
<番外 土居のいざり松>
 境内にあるいざり松は、大師がここでいざりの男に加持祈〔トウ〕をして足が立つ
  ようになったからの名であるという。(#「トウ」は文字番号24852)
<第六十五番 由霊山三角寺>
 おそろしや三つの角にも入るならば こころをまろく弥陀をたのめよ
 川之江市金田 本尊十一面観世音 開基行基 創建天平年間 バスで三角寺口下車
<番外 奥の院 金光山仙竜寺>
 三角寺から峠を越えて三キロばかり下ったところにある。
 昔高野山は女人禁制だったので、この寺を女人高野といったという。山麓地方では、女
 の死者の霊が盆になると集まるところだと伝えている。また本尊は作大師(ルビ さく
 たいし)といって悪虫退散の守り札を出している。農家の人々が麦の刈り入れ前にここ
 へ参詣することが多い。
<番外 椿堂>
 弘法大師お杖の椿がある。伊予川之江市に属している。川池線バスで椿堂下車。
<番外 〔ハシ〕蔵山箸〔ハシ〕蔵寺>(#「ハシ」は文字番号31410)
 ここは阿波の国池田町に属しているが、讃岐との山つづきのところにある。

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 大師がこの山中で金比羅大権現に会ったので、堂宇を建てたのが寺の起りであるという
 。俗に金比羅の奥の院ともいい、讃岐こんぴらの祭がすむと、祭に用いた箸〔ハシ〕を
  鳥がくわえてくるとも伝えている。(#「ハシ」は文字番号31410)

 讃岐の国の寺々(「讃岐の国の寺々」は太字)

<第六十六番 巨べつ山雲辺寺>
 はるばると雲のほとりの寺にきて 月日を今はふもとにぞ見る
 徳島県池田町(道順から阿波の寺ではあるが、四国遍路では讃岐分となっている)本尊
 千手観世音 開基弘法大師 創建延暦年間 難所の一つで海抜九〇〇メートル 川池線
 バスで天神下車徒歩五キロ
<第六十七番 小松尾山大興寺>
 うゑおきし小松尾寺をながむれば のりのおしへの風ぞ吹きぬる
 香川県三豊郡山本町辻〔ツジ〕(#「ツジ」は文字番号38711) 本尊薬師如来 
 開基弘法大師 創建弘仁年間 観音寺駅より山本下車
 大樟があるが、大師のお手植といっている。
<第六十八番 琴弾山神恵院>
 笛の音も松吹く風も琴ひくも 歌ふも舞ふものりのこゑごゑ
 観音寺市八幡町 本尊阿弥陀如来 開基日証上人 創建大宝三(七〇三)年

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<第六十九番 七宝山観音寺>
 観音の大悲の力つよければ おもき罪をも引き上げてたべ
 神恵院と同地内 本尊聖観世音 開基弘法大師 創建大同年間 観音寺駅より二キロ
<第七十番 七宝山本山寺>
 もとやまに誰かうゑたる花なれや 春こそ手折れ手向けにぞする
 三豊郡豊中町 本尊馬頭観世音 開基弘法大師 創建大同年間 本山駅より一キロ
 弘法大師が本堂を一夜で建立した時に、阿波の国の山中から木を運ぶうちに一本だけ落
 したのが寺の東に枯木地蔵として祀られている。
<第七十一番 剣五山弥谷寺>
 悪人と行きつれなむもいやだに寺 ただかりそめもよき友ぞよき
 三豊郡三野町 本尊千手観世音 開基行基 創建天平年間 詫間駅よりバスで弥谷口下
 車
 死者の霊がこの山にこもると信じられている。
<番外 海岸寺>
 大師の誕生地といい、東五〇〇メートルのところに、仏母院という大師の母玉依御前の
 屋敷跡というのがある。海岸寺駅より一キロ。
<番外 医王山七仏寺>
 弥谷寺から曼荼羅寺へ行く途中の池の畔にあって、乳のよく出るようにと女人が祈願し
 た布で包

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 んだ乳の型が奉納されている。
<第七十二番 我拝師山曼荼羅寺>
 わづかにもまんだら拝む人はただ ふたゝびみたびかへらざらまし
 善通寺市吉原 本尊大日如来 開基弘法大師 創建大同年間 善通寺市よりバスで三井
 の江下車 大師の植えたという不老の松がある。
<第七十三番 我拝師山出釈迦〔カ〕寺>(#「カ」は文字番号38789)
 まよひぬる六道衆生救はんと たふとき山にいづる釈迦〔カ〕寺(#「カ」は文字番号38789)
 善通寺市吉原 本尊薬師如来 開基弘法大師 創建大同年間 曼荼羅寺より一キロ 大
 師が身を投げたという禅定が岳はこれより二キロ
<第七十四番 医王山甲山寺>
 十二神味方にもてるいくさには おのれとこころ甲山かな
 善通寺市弘田 本尊薬師如来 開基弘法大師 創建弘仁年間 出釈迦〔カ〕寺より二キロ
 甲山寺より善通寺に行く途中に、大師が幼年のころに遊んでいた仙遊が原がある。
(#「カ」は文字番号38789)
<第七十五番 五岳山善通寺>
 われすまばよも消えはてじ善通寺 ふかきちかひののりのともしび
 善通寺市内 本尊薬師如来 開基弘法大師 創建弘仁四(八一三)年 善通寺駅より一
 キロ 大師誕生の地と伝えている。

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<第七十六番 ?足山金倉寺>
 まことにも神仏僧をひらくれば 真言加持の不思議なりけり
 善通寺市竜川 本尊薬師如来 開基和気道善 創建宝亀五(七七四)年 金蔵寺駅下車
<第七十七番 桑多山道隆寺>
 願ひをば仏道隆に入りはてて 菩提の月を見まくほしさに
 仲多度郡多度津町北鴨 本尊薬師如来 開基和気道隆公 創建天平勝宝元(七四九)年
 多度津駅より一キロ
<第七十八番 仏光山郷照寺>
 をどりはね念仏となふ道場寺 ひやうしをそろへ鉦をうつなり
 綾歌郡宇多津町 本尊阿弥陀如来 開基行基 創建神亀年間(七二四~二八年ごろ)
 宇多津駅下車 
 木食上人を祀る木食堂がある。
<第七十九番 金華山高照院>
 十楽のうき世の中をたづぬべし 天皇さへもさすらひぞある
 坂出市西庄 本尊十一面観世音 開基弘法大師 創建弘仁年間 坂出駅よりバス西庄下
 車
 一〇〇メートルばかり手前に野沢の水(八十場)というのがあって、崇徳上皇のなきが
 らを冷しておいたという。この寺は俗に天皇という。
<第八十番 白牛山国分寺>

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 国を分け野山をしのぎ寺々に まゐれる人をたすけましませ
 綾歌郡国分寺町 本尊十一面観世音 開基行基 創建天平年間 国分駅下車
<第八十一番 綾松山白峰寺>
 霜さむく露白妙の寺に来て み名をとなふる法のこゑごゑ
 坂出市青海町 本尊千手観世音 開基智証大師 創建後嵯峨天皇の代(一二四二~四五
 年ごろ) 坂出市よりバスで高屋下車
 崇徳上皇の御廟所頓証寺殿があるが、西行は四国巡礼の途次ここに立ち寄って和歌を献
 じたという。
<第八十二番 青峰山根香寺>
 よひのまのたへふる霜の消えぬれば あとこそかねの勤行のこゑ
 高松市中山町 本尊千手観世音 開基弘法大師 創建弘仁年間 白峰寺の山伝いに徒歩
 三キロ
 安原村に住んでいた山田高清の退治した牛鬼の像がある。
<第八十三番 神ごう山一宮寺>
 さぬき一の宮のみまへに仰ぎきて 神の心を誰かしらゆふ
 高松市一宮町 本尊聖観世音 開基義渕僧正 創建大宝年間 高松駅よりバスで一宮下
 車
<第八十四番 南面山屋島寺>
 梓弓やしまの寺にまうでつゝ いのりをかけて勇むものゝふ
  
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 高松市屋島町 本尊十一面千手観世音 開基鑑真和上 創建天平勝宝六(七五四)年 
 高松市よりバスで屋島山上下車
 本堂は大師一夜建立という。また本尊をきざみ終らぬうちに日が暮れかけたので、大師
 は獅子の霊巌の上に立って夕日を招き返したという。
<第八十五番 五剣山八栗寺>
 ぼんのうを胸の智火にてやくりをば 修行者ならでたれか知るべき
 木田郡牟礼町 本尊聖観世音 開基弘法大師 創建天長六(八二九)年 高松駅前より
 電車とケーブルがある。
 江戸時代に歓喜天を祀り、参詣者が多い。寺の背後の山は五剣の剣の峰で、修験者や信
 者がこれに登る。
<第八十六番 補陀落山志度寺>
 いざさらばこよひはここに志度の寺 いのりの声を耳にふれつゝ
 大川郡志度町 本尊十一面観世音 開基藤原房前 創建持統天皇八(六九六?)年 国
 鉄志度駅下車
 境内に海女の墓がある。房前の母で海中に入って竜神より玉をうばいかえした海女であ
 る。
<第八十七番 補陀落山長尾寺>
 あしびきの山鳥の尾の長尾寺 秋の夜すがらみ名をとなへて

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 大川郡長尾町 本尊聖観世音 開基行基 天平一一(七三九)年 高松よりバスで長尾
 下車
 これより前山峠を越えて大窪寺へ二〇キロあるが、峠を越えて大窪寺に至る途中には無
 数の遍路の墓がある。
<第八十八番 医王山大窪寺>
 大川郡長尾町多和 本尊薬師如来 開基行基 創建元正天皇の代(七一五~二三年ごろ
 ) 長尾よりバスで多和学校前下車 それより徒歩六キロ
 四国八十八ケ所打ち納めの寺である。ここへ杖、笠を納めて、帰国の途につく者もある
 が、これより阿波の国の一番霊山寺へ、あるいは十番切幡寺から逆打ちに霊山寺まで行
 き、それより紀州へ渡り、高野山奥の院の大師廟まで行って帰国する者もあるという。
 大窪寺の奥の院はここより約一キロ半の山上にあるが、そこには岩屋があって大師が修
 行したところという。また大窪寺の東方の山深い谷をイヤダニといっている。