第一巻 (7K)


入力に使用した資料
底本の書名     瀬戸内海研究 第一巻    
底本の編者      瀬戸内海総合研究会          
底本の発行所    国書刊行会
底本の発行年    昭和57年6月30日      
 
入力者名      益田隆子        
校正者名      柳田 強        

入力に関する注記
・文字コードにない文字は『大漢和辞典』(諸橋轍次著 大修館書店刊)の
文字番号を付した。
・JISコード第1・2水準にない旧字は新字におきかえて(#「□」は旧
字)と表記した。

登録日    2009年5月29日      



    第一巻  目次

  創刊号
創刊の辞・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・西岡 広吉・・・・・一
本会の発足に寄せて・・・・・・・・・・・・・・・・渋沢 敬三・・・・・二
瀬戸内海の景観・・・・・・・・・・・・・・・・・・田村  剛・・・・・六
福武丸の思出・・・・・・・・・・・・・・・・・・・岡  長平・・・・・七
瀬戸内海地方農業の概観・・・・・・・・・・・・・・春川 忠吉・・・・一〇

  第二号
北池部落総合調査の概報・・・・・・・・・・・・・・喜多村俊夫・・・・二七
貝塚出土の医学的遺物に就いて・・・・・・・・・・・根岸  博・・・・三二
備中国勇崎、押山浜に於ける雇傭労働関係・・・・・・河手 龍海・・・・三五
播磨西部のアクセントについて・・・・・・・・・・・虫明吉次郎・・・・三八
内海島嶼探訪記・・・・・・・・・・・・・・・・・・谷口 澄夫・・・・四三

  第三号
瀬戸内地域に於ける畜牛の歴史地理的考察・・・・・・石田  寛・・・・八九
 -Regional Geographyへの一試論-
近世初期湊町における問屋稼の形成過程・・・・・・・藤沢  晋・・・一〇二
 -備中国玉島湊の場合-
岡山県邑久郡笠加村所在 我城山古墳発掘調査報告・・中島 寿雄・・・一一五
                         近藤 義郎
アンナーバーと岡山とにおける日本研究・・・ロバートB.ホール・・・一二二
山村調査候補地の探訪・・・・・・・・・・・・・・・谷口 澄夫・・・一二七
備前国弘法寺文書・・・・・・・・・・・・・・・・・藤井  駿・・・一三一
                         水野恭一郎
山陽地方考古学関係文献目録・・・・・・・・・・・・近藤 義郎・・・一七一
ミシガン大学近況・・・・・・・・・・・・・・・・・松本 純郎・・・一八五
玉島文化クラブの概況・・・・・・・・・・・・・・・赤沢 典雄・・・一八八

  第四・五合併号
美作に於ける株座の構成に就いて・・・・・・・・・・三浦 秀宥・・・一九九
 -本家株と座株の移動を中心として-
瀬戸内海沿岸地域に於ける性病分布について・・・・・根岸  博・・・二〇四
                         広渡 隆治
岡山県民の道徳的特質・・・・・・・・・・・・・・・虫明〔ショ〕・・二一三
                 (#「ショ」は文字番号25723)
備前赤磐郡西山村所在の二、三の古墳について・・・・近藤 義郎・・・二三〇
ある村役人の手記(一)・・・・・・・・・・・・・・岡  長平・・・二三七
地方史料目録(一)・・・・・・・・・・・・・・・・谷口 澄夫・・・二四三
瀬戸内海附近の民俗文献目録・・・・・・・・・・・岡山民俗学会・・・三〇四
岡山民俗学会・・・・・・・・・・・・・・・・・・・土井 卓治・・・三六六

  第六号
備中檀紙考・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・水野恭一郎・・・三七三
瀬戸内海の活魚運搬業(第一報)・・・・・・・・・・河野 通博・・・三八七
 -明治以後淡路富島におけるその展開過程-
知行国としての備前国・・・・・・・・・・・・・・・有本  実・・・四一四
吉備津宮の釜鳴神事と鋳物師の座・・・・・・・・・・藤井  駿・・・四二九
瀬戸内海島嶼における大豆の害虫・・・・・・・・・・春川 忠吉・・・四四〇
                         小泉 憲治
ミシガン大学日本研究所だより・・・・・・・・・・・谷口 澄夫・・・四五三

  第七号
近世備前の漢学概観・・・・・・・・・・・・・・・・林  秀一・・・四八一
備前藩の農兵制度・・・・・・・・・・・・・・・・・谷口 澄夫・・・四九三
興除村における篤農家の形成過程・・・・・・・・・・福田  稔・・・五一七
 -一事例的考察-
「下流の民権説」の成長・・・・・・・・・・・・・・内藤 正中・・・五六六
 -明治七年備中小田県臨時議院設立建白をめぐって-
日記抄・ミシガン大学日本研究所岡山現地分室の閉鎖・会員名簿・・・・五七〇