新聞など (11K)

入力に使用した資料
底本の書名    讃岐ものしり事典(p1~3)
 底本の編集者   香川県図書館協会
 底本の発行者   香川県図書館協会
 底本の発行日   昭和57年4月1日
入力者名     森下孝男
校正者名     平松伝造
入力に関する注記
    文字コードにない文字は『大漢和辞典』(諸橋轍次著 大修館書店刊)の
    文字番号を付した。

登録日   2002年10月9日
      

- 新聞など -

-1-

問 香川新報について(高)
答 郷土の四番目の新聞として明治22年4月10日に創刊された。香川新報社の創立
 に奔走したのは中野武営とその従弟の小田知周で,初代社長に小田知周が就任し
 た。
  社屋は南新町78番戸の三倉屋の建物を借用,印刷は西新通町の新居活版所に委
 託した。2ヶ月後に社内印刷し,8ヶ月後に北亀井町36番戸の新社屋に移転した。
  当時の新聞は大きさ縦45センチ横32センチで現在よりやや小さく,4ページで
 1ページ5段組,1段20字詰41行で5号活字を使っていた。
  定価は1枚1銭2厘,1ヶ月前金22銭,3ヶ月前金60銭であった。
  発行人小田知周,編集人安達清蔵,印刷小西平作,主筆松永道一であった。
  昭和16年2月4日に香川新報と四国民報とが合併して,2月11日号から香川日
 日新聞と改称した。号数は香川新報創刊号から継続した。
○ 四国新聞65年史P15~P144 高松の事始めP54~P56

問 腰抜新聞について(香)
答 明治の自由民権運動は各地に新聞社を設立させた。明治6年,自由党等の若い
 人々によって高松に博文社という政治文化団体が誕生し,当時はまだ中央にしか
 見られなかった新聞を,回覧組織によって購読しようという運動がおき,次いで
 博文社の展覧場で演説会を開く純民社が組織され,博文社・純民社が母胎となっ
 て,明治14年8月3日,資金5000円の日刊紙「腰抜新聞」が創刊された。事務所
 は現在の高松市西新通町にあり,のち南新町に移した。創刊号は10,547枚を印刷
 (西洋紙1枚刷りの絵入り新聞)県内に8,343枚を配布し,2,204枚を県外に送っ
 たと記録されている。明治15年9月の株主総会で廃刊を決議した。
  「腰抜新聞」という名は「腰が抜けるまでやりとおそう」という意味でつけら
 れたといわれている。
○ 四国新聞65年史 P6~P8 明治100年香川県の歩み P200~P201 日本
  新聞通史 P51 明治100年にちなむ高松今昔記(2)P70

問 四国新聞社の社史について(香)
答 香川新報(明治22.4.10)--------------------------------------------| 
  讃岐実業新聞(明治35.11.7)讃岐日報(大正3.11.23)四国民報   |--|
                           (大正7.5.1)--| |
|----------------------------------------------------------------------------|
|----香川日日新聞(昭和16.2.11)------四国新聞(昭和21.2.11-現在)
                   |--四国経済新聞(昭和21.11.3-23.12.31)

                   -2- 

                   夕刊四国新聞(昭和26.12.17-現在)
               (カツコ内の数字は,創刊,改題,廃刊の年月日)
  「香川新報」は「讃岐実業新聞」(改題)「讃岐日報」(改題)「四国民報」
 の一系の流れに併立する支流を形成して,互にせっさたくましつつ,明治,大正,
 昭和へと流れ貫いて,昭和16年にこれと合流,「香川日日新聞」となり,さらに
 改題して「四国新聞」時代に入ったのであるが,その間には,発行停止という当
 局の弾圧もあり,時には資金難の苦しい闘いも闘い,火魔の災厄の一再ならず,
 ことに戦災による社屋全焼という惨憺たる最悪の日を迎えたこともあった。
 明治22年 4月10日 日刊「香川新報」創刊。前年末小田知周らによって計画さ
      れたもの,すなわち四国新聞の前身で,高松南新町78番戸に本社を設
      置し,発行人は小田知周,編集人は安達清蔵,印刷人は小西平作,ま
      た主筆は坂斉道一が担当した。創刊当時の紙面は,縦45センチ,横32
      センチで,いまのタブロイド型(全紙半截)よりもやや大きく,活字
      にいわゆる旧5号を用い,1行20字詰,1段41行,1ページ5段組の
      4ページ建で,日曜日と祭日の翌日は休刊し,1か月分の購読料22残
      (一部売り1銭2厘)郵送は1カ月26残であった。
      17日 香川新報,紙齢4千号を迎える。
 明治35年 11月7日 日刊讃岐実業新聞創刊,(初めのうちは週刊)発行所を高
      松市古新町中ノ丁に置く。この新聞は讃岐鉄道株式会社の機関紙とし
      て生れたため,当初の編集は仲多度郡多度津駅(もとの浜多度津駅)
      で行い,また印刷は高松市百間町山科活版所に請負わせた。紙面の規格
      は当時の菊版で,旧5号活字を用い1ページ4段組の4ページ建,週
      刊時代の定価は1か月lO銭,一部3銭,広告料5号活字19字詰1行8
      銭, 日刊になってからは購読料1か月15銭となった。
 大正3年  11月3日 讃岐実業新聞社,高松市内町53(現在テパート三越の西南
      隅)に移転。讃岐実業新聞を「讃岐日報」と改題。改題当時の同社陣
      容は,社長田中定吉,主筆片山隆憲,編集長井関孝雄,硬派主任(片
      山主筆兼務)軟派主任津井伊勢吉(赤襟)営業主任岡田武,広告主任
      池本栄太郎。
 大正7年 5月1日 「讃岐実業新聞」改題の「讃岐日報」再び「四国民報」と
      改題。
 昭和16年 1月 政府は首相官邸に緊急地方長官会議を召集。 新聞統制(1県1
      紙制確立)に関して指示す。永安本県知事,小田香川新報,東山四国
      民報両社長を本庁に招き新聞統制につき善処を求む。
      2月10日 香川新報,四国民報両社合併につき,両紙それぞれ社告と
      終刊の辞を掲載。
      11日 香川日日新聞,この日付から発刊。
 昭和20年 7月4目 前夜半から今晩にかけて米機高松市を空爆,浜ノ丁の社屋

                   -3-

      遂に全焼。仮事務室を市内寿町海軍人事部に置き,5日付臨時版を編
      集。
      5日 臨時版印刷先高松製版印刷所,前日米機の投下した時限爆弾の
      爆発で倒壊。
      20日 仮事務室を桜町830(市立一中講堂)に置き,執務を開始。
 昭和21年 1月1日 発行所を高松市浜ノ丁12(旧社屋)から高松市桜町830(仮
      社屋)に変更。
      2月1日 購読料改定(月極め5円)。
      11日 香川日日新聞を四国新聞と改題。社名を四国新聞社と変更。
○ 「四国新聞六十五年史」より PlO,P245~P269

問 多和文庫について(高)
答 多和文庫は,大川郡志度町の多和神社境内にあり,明治24年に,この神社の社
 司松岡調氏が創設したものである。
  貴重なる資料(皇典の研究・古代の研究・郷土の研究)1934部,5831冊を蔵し
 ている。
  県下には,このほか天霧文庫(仲多度郡多度津町奥白方)恩頼堂文庫(大川郡
 白鳥町),藤村文庫(三豊都豊浜町),渡瀬文庫(大川郡白鳥町福栄),綾井文庫(坂
 出市八幡町)などがある。
○ 讃岐郷土読本 Pl19 讃岐の史話民話 P203 志度町史 P41 文化財協
  会報 5 日本の文庫めぐり P224

問 レファレンス(Reference Work)とは(香)
答 なんらかの情報を求めて図書館を利用しようとする人が,図書館を効果的に利
 用できるよう,図書館員が直接,その利用者をできるだけ援助する仕事をいう。
 回答事務または参考事務という。
  回答事務の原則
  資材を提供することを原則とし,軽微な質問であって,資料の裏付けのあるも
 のに限って回答を与えてもよい。
  回答の制限
  1.他人の生命・名誉・財産等に損害を与え,または社会に直接,悪影響をおよ
  ぼすとみられる問題は受付けない。
 2.次のような質問には回答を与えてはならないとともに,資料の提供も慎重で
  なければならない。ただし,問題によっては専門機関・専門家を紹介する。
 (イ)医療・健康相談(ロ)法律相談(ハ)身上相談(ニ)仮定または将来の予
  想に属する問題

                   -4-

 3.次の質問には回答を与えない。
(イ) 学校の宿題 (ロ) 懸賞問題.